ザ・ロイヤル・カンガルーズ…ノーマン・フレデリック・チャールス&ロード・ジョナサン・ボイドは共に英国出身の珍しいタッグの専門屋。米国オレゴンのPNWタッグ王座を何度も獲得した実績がある。74年2月に新日本プロレスに来日した。
ハイ・フライヤーズ…ジム・ブランゼル&グレッグ・ガニアのコンビはAWA世界タッグ王座を獲得。ダブルのドロップキックや立体殺法の連携は冴えていた。グレッグはAWAの帝王バー . . . 本文を読む
馬場さんが亡くなって今日で10年を迎える。私は確か、アルシオンの大阪大会の会場でその悲報を聞いた記憶がある。馬場さんが生きていたら、これほどの他団体にはならなかったし、いろいろな意味で秩序が守られていたと思う。
実は私がプロレスを好きになった時、一番好きな選手は馬場さんだった。みんなが、アントニオ猪木の方がカッコいいと言っても、私は猪木は好きではなかった。何かキザに見えたし、プロボクシングの西 . . . 本文を読む
昨日はデイリースポーツの宮本久夫さんが今年定年を迎え、それに対して「お疲れ様会」みたいな宴が新宿で行われ私も出席した。宮本さんは30歳を過ぎてプロレス担当になり、デイリーと全女の関係でいきなりTV解説者に抜てきされた。何も知らずに飛び込んだ世界で、宮本さんは年下の私にいろいろなことを聞いてきたものだ。
この日、集まったメンバーが凄い。プロレス評論家で大御所の菊地孝さん、日刊スポーツの川副宏芳 . . . 本文を読む
アルシオンという団体は”ハイパー・ビジュアル・ファイティング”を提唱し、格闘技色とルチャのテーストをミックスし新しいスタイルを創ることを模索していた。中でもマスクはファンタジーで、私の真骨頂でもあった。
noki-AはAKINOの化身で、メキシコ遠征から帰国後に変身。これまで軽量級のイメージが強かったAKINOは、noki-Aになることで逞しさを増した。ある意味、最もアルシオン的な選手がAKI . . . 本文を読む
仮面貴族FIESTAのチケット売りでドラディションの新宿大会に出向いた。客層は一般の一見さんが多く、どの試合もリアクションは良かった。藤波さんの奥様はマスカラスの来日を本当に喜んでくれている。今回、最も協力的で理解を示してくれている方だ。この日は藤波vs関本大介のシングルマッチがメイン。後方で一緒に見ていたウルティモ・ドラゴンが、「これがプロレスですよね…」と言っていた。そこにはシンプルで重厚な . . . 本文を読む
クラッシュ・ギャルズが引退し、混沌状態になった全女マットでそれこそ、破れかぶれの死闘を繰り広げていたのがブル中野とアジャ・コングだった。金網デスマッチを皮切りに、髪切りマッチ、そして2度に渡るWWWA世界戦…最終的には超獣コンビを結成し、全女の威信を守ってきた。
金網の天辺からブルが拝みながらギロチン・ドロップを放ったシーン、ブルのムーンサルト・ギロチンを顔面に喰らいアジャの顔が変形、ア . . . 本文を読む
1980年11月13日生まれ、米国カルフォリニア州マルティネス出身。170cm、75kg。(得意技)パワーボム、ジャーマン・スープレックス・ホールド
少女時代からの熱狂的なプロレス・ファンだったが、アメリカン・ドラゴン(ブライアン・ダニエルソン)のコーチを受け、サンフランシスコのAPWでプロデビュー。同世代のメリッサとはライバルであり、好敵手として共に台頭。主に男子レスラーと組んだり、闘ったりの . . . 本文を読む
来日まであと2カ月…そこでミル・マスカラスの業績を称える意味でも、来日までカテゴリーを作りました。題して、「来日記念!マスカラス蔵出し写真」です。ここでは、あえて白黒写真で紹介します。
マスカラスと猪木の遭遇は昭和46年2月の初来日と、8月の2度目の来日しかなかった。初来日では唯一のシングルマッチも1度だけ実現。この時は猪木が勝利した。インタータッグ、アジアタッグの両タイトルマッチでも、マスカ . . . 本文を読む
このラスカチョのフィギュアは昨年、一夜復活した際に会場で限定販売されたものだ。実際は全盛期の01年頃にに作られたもので、結構しっかりした材質でトレードマークのピンク&イエローのイスも再現されている。私はNEOのパンフレットでラスカチョの原稿を書き、原稿料代わりにフィギュアを1体頂いた。
せっかくだから下田と三田にサインを貰い、猛武闘族という漢字を三田に書いてもらったのだ。「フィギュアにサインを . . . 本文を読む
エディ・サリバン&リップ・タイラー…70年代にアラバマ地区でNWAタッグやUSタッグを獲得。新日本プロレス、国際プロレスに来日しパワー&ラフで抜群のチームワークを展開した。上田馬之助とは盟友だった。
バリアント・ブラザース…ジミーとジョニーの偽兄弟はWWF時代のニューヨークで活躍。金髪をなびかし、キザなパフォーマンスでWWFタッグをも獲得した。兄弟揃っては全日本プロレスに来日した。
ジェリー . . . 本文を読む
全女史上には何人ものマスクウーマンが存在したが、ビューティー・ペア時代からクラッシュ・ギャルズの登場までの期間に出現したのが、この3選手だろう。左からシルバー・サタン、タランチェラ、マスクド・ユウだ。サタンは普通の洋裁屋がマスクを制作したが、タランチェラとユウは初代タイガーマスクを作ったシマ・スポーツ製だった。
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生年月日非公開。米国カリフォルニア州ロサンゼルス出身。175cm、105kg。(得意技)アメージング・プレス
02年10月20日に勃発した全女とGAEAの“興行戦争”によって誕生したキャラクター。この大会のプロデューサーに就任した私が、今井広報部長(当時)との打ち合わせの中で閃いたのが、A・KONGという名前だった。言うまでもなくアジャ・コングのパロディ程度でしか発想がなかったが、実際に出現した . . . 本文を読む
発売から1週間経ちました。仮面貴族FIESTA2009のチケットは、総数で全体の3/4が売れてしまいました。このスピードは凄いものがあります。「もっと大きい会場で…」とは思ってもいません。新木場の空間だから、今回は意味があるのです。最近は60年代~70代に活躍したアーティストが、300人~400人のライブ会場で日本公演を開催している例もあります。時には、大人のファンが楽しめる空間創りも重要なので . . . 本文を読む
ブル中野ほど、品格のあるWWWA世界王者はいなかった。悠然とした立ち振る舞い、常に向上心のあるファイトぶり、強さと喜怒哀楽を巧に使い分けた名レスラーだったのだ。そして何より、ブル自身がブル中野というキャラクターを愛し、ブル中野に徹していた。あのメイクとヘアスタイルで平気で外の街を歩く事だってあった。アメリカでも、メキシコでも韓国でも、そして日本でもブルはブル中野を貫き通した。
素顔のブル . . . 本文を読む
テキサスの若馬、ビッグ・テキサンと呼ばれた元NWA世界ヘビー級チャンピオン。弱冠27歳で王者になった時は、日本では無名の存在だったが、初来日で日本のエースだった馬場、猪木と互角な勝負を展開。テンガロンハット、カウボーイ風のコスチューム、スピニング・トーホールドがトレードマークでその後は弟のテリーと共に、超人気者に。冷静沈着な兄と激情的な弟というコントラストが、ファンに絶大な支持を受けたのだ。
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