ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

女子ガイコク人列伝(第34話)レディ・アパッチェ

2009年01月13日 08時08分11秒 | 女子ガイコク人列伝
1970年2月26日、メキシコシティ出身。160cm、60kg。(得意技)タパティア、ゴリー・スペシャル
 16歳になったばかりの86年6月30日、イスタカルコのフェスティバルでキンバを相手にデビュー。マエストロ(コーチ)だったグラン・アパッチェと幼くして結婚し、アパッチェを名乗る。この頃、長女のナンシーを出産。キュートなルックスと独特のインディアン・ステップで一躍人気者となり、EMLL(CMLL)の女子部門では中心人物になった。
 私は91年10月にメキシコで知り合って以来、今日まで懇意にしてもらっている。山田敏代&井上京子を連れて行ったとき、確かピスタ・レボルシオンという会場で練習した後、アパッチェ夫婦にフルーツをご馳走になった。もの凄く山盛りのフルーツ(スペイン語でフルータ)で、あまりの美味しさに驚いた記憶があるほどだ。それだけアパッチェ夫婦は我々日本人には親切にしてくれ、山田も京子も慣れない旅を助けてもらった。
 日本には92年1月にユニバーサル・プロレスに初来日。同時期に来日していたブラソ・デ・オロと日本で恋愛関係になったことで、帰国後に離婚したのには正直ビックリした。長らくメトロポリタン王座を保持し、ディアボリカとの抗争が目玉カードにもなっていた。90年代を代表するルチャドーラとなり、ほとんどの年で最優秀選手賞を受賞。96年には日本からやってきたチャパリータASARIを破って、第5代CMLL世界女子王座を奪取した。同王座は97年2月に駒沢で吉田万里子に奪われたが、それから2年4カ月後の99年5月にアレナ・ナウカルパンで奪回。セコンドには10名を越えるCMLLのルチャドールが見守り、見事に取り返した。しかし、突如としてAAAに移籍。これによってCMLL王座は宙に浮いてしまった。
 AAAでは01年2月に「レイナ・デ・レイナス」に優勝。直後にアルシオンに招聘し、マリー&ファビーとトリオでアパッチェ・ファミリーを組めたのは私の遊び心だった。ティファニーを破ってナショナル王者になり、エレクトロ・ショックとリング上で結婚式を挙げ、夫婦で初代ミックス王者にもなった。06年にCMLLにUターンした矢先に、閉鎖されていた女子部が再開。それだけ彼女のネームバリューは偉大だった。06年10月にHIROKAに敗北し髪の毛を切り丸刈りになったが、12月にはアレナ・コリセオでCMLL王座を奪うことに成功。レディ・アパッチェは再びCMLLで輝いた。
 このところ私がメキシコに行くと必ずディナーに誘ってくれる。メンバーは下田美馬、HIROKAだ。いつまでも若々しく、愛くるしいサンディー(本名サンドラ)は、今まさに女帝の風格が付いてきた。ちょうど下田とは同世代。「レディに面倒見てもらっているし、彼女がいろいろカバーしてくれる」(下田)。彼女は今でも親交のある私にとっての一番古い友なのだ。エレクトロ・ショックとは、お揃いの翼のような刺青が背中に彫られているが、どうもDVがあったようで別れたという話も聞くが男女の仲はわかならい…。




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