1943年10月9日生まれ、米国・ミズーリー州セントジョセフ出身。155cm、65㎏ (得意技)スープレックス
NWAの総本山、中西部セントルイスを中心に活躍し、ジーン・アントンとのライバル抗争で有名になり長くUSチャンピオンに君臨。古きよき時代の気品に満ちた顔立ち、若き日のエリザベス・テーラーを彷彿させる美人ぶりは、ヒールながら独自の人気を確立していた。
実力者の噂を聞きつけ、全女がミルドレッド・バークを通じてブッキング。74年5月にようやく初来日を果たした。この時はUS王者として、サンディー・パーカーと結託。WWWA世界タッグ王者を4度に渡って獲得した。その年にデビューしたばかりのマッハ文朱が、真夏の田園コロシアムでニコライの持つUS王座に挑戦。全女がいかにマッハを売り出したくて、デビュー1カ月足らずでこの実力者の胸を借りることになったのだ。当然、マッハは敗れたがニコライは強豪外国人のレッテルが張られ、75年秋に開催された『第1回ワールド・リーグ戦』にアメリカ代表で参戦し、重厚なテクニックでマッハや赤城マリ子を翻弄。決勝を日本のエース、ジャンボ宮本と争い敗れたものの準優勝を果たしたのだ。だがニコライの来日はここまでだった。
ニコライは全日本プロレスから遠征中の佐藤昭雄と結婚。当初は夫婦でリングに上がっていたが、子宝に恵まれリタイア。地元で結婚生活を送っていたが、佐藤はその後SWSを経て、一時はWWFのエージェントとして活躍。日本のブル中野や、白使(新崎人生)のマネジャーとしてニュースが聞かれたが…最近では「カリフラワー・アレイ・クラブ」に出席した形跡があり、ご健在のようだ。