ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

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女子ガイコク人列伝(第38話)レディ・メタル

2009年01月22日 12時40分08秒 | 女子ガイコク人列伝
1970年生まれ、メキシコシティ出身。(得意技)ヌド、エステカ・インディア
 本名マルセラ・チュパロ・オルティス。アルシオンの旗揚げ2シリーズ目に、アパッチェ姉妹とともに来日したルチャドーラ。98年1月にタマフカ(玉田凛映&府川唯未)を連れ、メキシコに視察旅行をした際、浜田文子から「私の友達でいいルーダがいるので、ぜひ会ってきてほしい…」と言われ、アパッチェ姉妹とともにトライアウトしたのがレディ・メタルだった。
 素顔を見ると、どうもどこかで見たことがあったが、コスチュームに着替えるもリングでは軽く動く程度。とりあえず選手不足の折、来日をOKしたのだった。AAA最強ルードという触れ込みは、文子推薦だからこちらで作ったキャッチフレーズだ。「チンガー!」と奇声を上げながらのファイトは、けしてスピードがあるわけではなかったが、数々のルチャ関節技を次々に公開。当時のアルシオンにおいては実力の程は別にして、貴重な戦力でもあった。よくよく思い出してみると、90年代初期からアレナ・メヒコやコリセオで頻繁に顔を出していたゲレーラ・プルプラという素顔のルチャドーラで、欠員が出ると出場する控え選手だった。私は何回もメキシコに行っているが、彼女の試合はまったく見たことがなかった。それでもベテラン・グループのエステラ・モリーナ、パンテラ・スレーニャ、ディアボリカとつるんでいたため、舎弟のような存在だった。
 アルシオンでは、本名がマルセラだから、みんなから「マルちゃん」と呼ばれ親しんだ。試合では底力を発揮できなかったが、ムードメーカーであり、マルちゃんをみんなでからかうことで、場の雰囲気が和んだものだ。そういえばGAMIのマスク版であるガミ・メタルは、このレディ・メタルとタッグを組んだことにより付けた名前だ。半年の滞在を終えると、「また呼んでほしい」と頼んできた。正直、レディ・メタルで呼ぶことには無理があったから、マスクとリングネームを変えることを条件に再度、招聘したのである。その名も、ラ・ギャラクティカ2000。ジャガー横田のライバルだった、ラ・ギャラクティカの2000年バージョンだ。その名で来日したが、威勢のいいのは最初だけ。何試合かするとお荷物選手となってしまった。
 その後、私がメキシコにいくたびに、どこからか噂を聞きつけ宿泊するホテルまで訪ねてきたが、人はいいのだがルチャドーラとしては二線級。呼んであげたくても、呼んであげられないタイプだった。現在、マルちゃんはアカプルコ滞在を経て、再びメキシコシティに戻り、バーで働いているそうだ。

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