ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

女子ガイコク人列伝(第40話)アメージング・コング

2009年01月26日 20時34分01秒 | 女子ガイコク人列伝
生年月日非公開。米国カリフォルニア州ロサンゼルス出身。175cm、105kg。(得意技)アメージング・プレス
 02年10月20日に勃発した全女とGAEAの“興行戦争”によって誕生したキャラクター。この大会のプロデューサーに就任した私が、今井広報部長(当時)との打ち合わせの中で閃いたのが、A・KONGという名前だった。言うまでもなくアジャ・コングのパロディ程度でしか発想がなかったが、実際に出現したアメージング・コングは将来性豊かな怪物だった。ロッシー小川が発掘したことになっていたが、私は単に名前を考えただけ。その名前はA・KONG、黒人で体のでかい選手…このポイントのみで松永正嗣氏がロスで発掘。だが、数日間捜し当てたがこれといった候補がいなく、帰国前日に新日本のロス道場で見かけた素材だというから、本当に強運なのだろう。ほとんど試合経験のない無名の新人を、興行戦争の目玉大抜てきしたのだった。
 緒戦である日本デビュー戦の相手は堀田祐美子。来日早々に私は対面したが、大人しく、初々しかったのは、今となっては懐かしい限りだ。私はセコンドを買って試合をエプロンサイドで見たが、堀田との試合では暴走ファイトで可能性を発揮し、その後は全女のレギュラーになった。金網デスマッチやWWWA世界王座挑戦と、短期間のうちに経験しブレイクしたのである。
 彼女はただの怪物ではなく、キャリアを積むにつれて、何を求められているのが存分に理解できるクレバーな選手だった。WWWA世界王座を奪取したのはあっという間。まるでモンスター・リッパ―とよく似た出世ぶりだ。アジャとの本家争いには敗れたが、その後は“Wコング”というタッグを結成。最後のWWWA世界タッグ王者でもあった。
 全女解散後は正嗣氏が個人的にマネージメント。ハッスルでは乙女のマーガレットのリングネームで、アジャのEricaとタッグを組んだ。常に最前線に位置し、SUN旗揚げでREMのドンに納まった。パンサークロー、アフリカ55、アリソン・コリノ、ウエズナー・ビューイックらを操り、チームを拡大。高橋奈苗との抗争では、AWA世界女子王座を獲得。総合格闘技戦にもチャレンジした。
 07年夏にアメリカのTNAと正式契約。ついに念願の本国での活躍が始まったのだ。リングネームをアッサム・コングと変え、08年1月にはゲイル・キムを破って第2代ノックアウト王座を奪取。事実上、日本でプロレス・デビューした怪物が5年の時を経て、アメリカでチャンピオンになるなんて、まさにサクセス・ストーリーだ。




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