”殺人狂”、”耳削ぎ事件”、”菜食主義”といったキーワードを持つキラー・コワルスキーは、その昔は少年漫画のプロレス物語には必ず登場した。殺人ニードロップでユーコン・エリックの耳を削いだとされるのは、1950年代の出来事。これがコワルスキーの代名詞になって、そのショックで肉が食べれなくなって菜食主義になったという。
初来日で「第5回ワールド・リーグ戦」に参戦し、あの力道山と優勝を争った。その後は「第10回ワールド・リーグ戦」で、ジャイアント馬場に決勝で敗れたが準優勝。昭和46年にはバディ・オースチンと組み、「第2回NWAタッグリーグ戦」でアントニオ猪木&坂口征二と優勝を競った。常にトップの扱いを受けていたのだ。
後に全日本プロレスに来日したが、この時はカツラを着用。それでも得意のニードロップは健在だった。80年代以降はボストンで、レスリング・スクールを開校。HHHやチャイナを輩出し、名伯楽と呼ばれるようになったのだ。常に不気味な雰囲気を醸し出し、まるで妖怪のような出で立ちは、まさにプロレス史に残る偉人だった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/f0/ab87e4fa36a8bd8c17e03ce523447904.jpg)
初来日で「第5回ワールド・リーグ戦」に参戦し、あの力道山と優勝を争った。その後は「第10回ワールド・リーグ戦」で、ジャイアント馬場に決勝で敗れたが準優勝。昭和46年にはバディ・オースチンと組み、「第2回NWAタッグリーグ戦」でアントニオ猪木&坂口征二と優勝を競った。常にトップの扱いを受けていたのだ。
後に全日本プロレスに来日したが、この時はカツラを着用。それでも得意のニードロップは健在だった。80年代以降はボストンで、レスリング・スクールを開校。HHHやチャイナを輩出し、名伯楽と呼ばれるようになったのだ。常に不気味な雰囲気を醸し出し、まるで妖怪のような出で立ちは、まさにプロレス史に残る偉人だった
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