ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

22 クラッシュは体力でも芸能界で活躍!

2009年07月02日 08時51分10秒 | ROSSY's HISTORY
  瞬く間にスーパーアイドルとなったクラッシュは、ビクターの代表としてレコード会社対抗の運動会に出場もした。各社の人気歌手や新人アイドルが競い合う。クラッシュは体当たりの活躍で、ビクターに初優勝をもたらせたのだ。ここから3年間ほど、クラッシュはレコード会社対抗の運動会の花形だった。ビクターでの同期は荻野目洋子、長山洋子、麻生真美子とキャプテンがいた。クラッシュは桑田靖子や立花理佐にも慕われていたのだ。
  フジテレビの水泳大会でも活躍した。同じアイドルと言っても、クラッシュは体力のあるアイドル。水泳でも100メートル競走でも、歌手に負けるわけにはいかない。プロレスラーのプライドが、TVを通じて発揮したのだから、特殊なアイドルでもあった。
  そうこうしていると、ドラマ出演の話も舞い込んできた。TBSの「毎度お騒がせします」だ。このドラマは団地に住む高校生をテーマに毎回、珍場面が訪れていくもの。中山美穂や木村一八はここでデビューしているのだ。千種と飛鳥の役どころは、いつも乱闘騒動になると巻き込まれ、プロレス技で暴れる役だ。毎週、毎週TVで暴れていたが、これは人気を不動にさせていった。
 クラッシュ・ギャルズには、芸能プロジェクトがあった。以前、徳間ジャパンの営業部長だった中邑健二氏が全女と懇意にしていた関係で、中邑氏が第一プロダクションに移ったのを機に、業務委託をしたのだった。通称一プロは当時、千昌夫、五月みどりの大御所や、アイドルでは松本紀子や森口博子が在籍していた老舗の芸能プロダクション。さすがに大手だけに、マネジャーも現場付きやデスク、TV、ラジオ、ドラマ、雑誌と部門別に担当が分かれていた。一プロが定期的に芸能の仕事をブッキングしてくれたが、全女本社に来る仕事もあるし、何しろ一カ月の試合数は20回以上あるから、スケジュール調整だけでも大変。ダブル・ブッキングは数度あったが、その時は冷や汗ものだった。
  「毎度お騒がせします」はクラッシュの出番を何週分取るため、必ず朝6時に横浜の緑山スタジオに入りリハーサル、本番は7時から12時の間に撮り終え、試合場に駆けつけるという強行軍。偶然にも撮影の日に限り、興行地が茨時、栃木、群馬が多くその移動が何よりも辛かった。飛鳥と千種は車の中で寝ていたが、私は運転しなければならない。時にはウトウトしながらのドライブなんてことも多々あった。睡眠不足でも、不思議と事故だけにはあっていない。これが私の強運なのだ。
けしてお世辞にも運転は得意ではない。高速道路なら、平気で180キロでぶっ飛ばしていた。飛鳥も千種も面白がって、「180キロを振り切って!」ってなんて言ってくるから、スピード違反もいいところ。それでも警察に捕まらないから悪運も」強かった。それは私も20代だったから、スピード狂たちの期待に応えることが出来たのだ。これも若気の至りなのだ。
  こんな生活を繰り広げていると、お互いの性格や気持ちがわかってくる。それが返って我がままを増長させたりもしたが、振り返ってみると相性もあったし、いい関係だったと思う。だから千種も飛鳥も戦友のような存在だと自負している。私の20代後半から、30代の前半にかけてはクラッシュのために生きていたものだった。これは、けして大袈裟ではない話だ。

▲レコード会社対抗運動会で大活躍。
 
▲80年代アイドルたちと競演した水泳大会。

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