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act1 ブルーノ・サンマルチノ
元WWWF世界ヘビー級王者、ニューヨークの帝王、元祖リビング・レジェンド、人間発電所、ジャイアント馬場のライバル…サンマルチノは怪力を売り物にした稀代のパワー・ファイターだった。得意技はベア・ハッグとカナディアン・バックブリーカー、そしてマシンガン・キックと称されたストンピングのラッシュ。馬場にベア・ハッグを掛け、脳天チョップで返されるシーンの繰り返しはインターナショナル選手権のハイライトだった。
馬場が勝てないサンマルチノは、子供心に世界で一番強いと感じたものだ。当時はだいたい1シリーズが6~8週間。外国人選手も6~7名来日していたから、毎シリーズ、誰がやって来るのかが最大の楽しみだったわけだ。サンマルチノは団体の看板だから、日本遠征は毎回1週間のみ。シリーズ参戦しない特別参加の超大物だった。
私は全日本プロレスの創成期に来日したサンマルチノに接したが、ファンには優しく、大物の風格を感じたものだ。ジン・キニスキー、フリッツ・ファン・エリック、ボボ・ブラジルなど超大物クラスは、一様にファンを大切にし紳士だった。実際に会ってみると、意外に身長が低かったが、肉体ははち切れんばかり迫力を覚えた。馬場とのWWWFとPWFを賭けた二冠戦は、交通ストにも関わらず、何とか会場の日大講堂に辿り着いたことをよく覚えている。