ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

20世紀スーパースター列伝

2008年11月16日 00時48分34秒 | 20世紀スーパースター列伝
  プロレス観戦歴40年を越えた今、昭和のプロレスが無性に懐かしくなり、雑誌や映像や写真に浸りたくもなる。私にとっての昭和プロレスは、プロレスを見始めた42年から高校を卒業した50年頃を指す。この10年未満の記憶がとても鮮明であり、強烈なインパクトがあった。だから、それが今でもプロレスに魅せられる原動力にもなっているのだ。そこで私が印象に残るガイコク人レスラーをピックアップしてみることにしました。写真は当時、撮影した戦利品です。


act1 ブルーノ・サンマルチノ
 元WWWF世界ヘビー級王者、ニューヨークの帝王、元祖リビング・レジェンド、人間発電所、ジャイアント馬場のライバル…サンマルチノは怪力を売り物にした稀代のパワー・ファイターだった。得意技はベア・ハッグとカナディアン・バックブリーカー、そしてマシンガン・キックと称されたストンピングのラッシュ。馬場にベア・ハッグを掛け、脳天チョップで返されるシーンの繰り返しはインターナショナル選手権のハイライトだった。
 馬場が勝てないサンマルチノは、子供心に世界で一番強いと感じたものだ。当時はだいたい1シリーズが6~8週間。外国人選手も6~7名来日していたから、毎シリーズ、誰がやって来るのかが最大の楽しみだったわけだ。サンマルチノは団体の看板だから、日本遠征は毎回1週間のみ。シリーズ参戦しない特別参加の超大物だった。
 私は全日本プロレスの創成期に来日したサンマルチノに接したが、ファンには優しく、大物の風格を感じたものだ。ジン・キニスキー、フリッツ・ファン・エリック、ボボ・ブラジルなど超大物クラスは、一様にファンを大切にし紳士だった。実際に会ってみると、意外に身長が低かったが、肉体ははち切れんばかり迫力を覚えた。馬場とのWWWFとPWFを賭けた二冠戦は、交通ストにも関わらず、何とか会場の日大講堂に辿り着いたことをよく覚えている。

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