”地獄の料理人”と呼ばれたハンス・シュミットは、1940年代にデビューし70年代まで活躍し、元祖シュミット・バックブリーカーの使い手として知られ、ドイツ系らしい冷血なファイトがモットーの実力者だ。アメリカではUSヘビー級王者として、それなりの実績と知名度があったが日本での評価はイマイチ。シュミット・バックブリーカーの代表的な使い手というのが、唯一最大の売り物だった。
67年に日本プロレス、68年に国際プロレス、75年に新日本プロレスに来日。たった3度の来日しかなかったのは、長身ながら強烈なパワーが無かったからタイトル戦線に絡むことはなかった。それでも新日本には、ブルート・バーナード(ジャイアント・バーナードのモチーフ)との凶暴タッグで異様な存在感を醸し出していた。
67年に日本プロレス、68年に国際プロレス、75年に新日本プロレスに来日。たった3度の来日しかなかったのは、長身ながら強烈なパワーが無かったからタイトル戦線に絡むことはなかった。それでも新日本には、ブルート・バーナード(ジャイアント・バーナードのモチーフ)との凶暴タッグで異様な存在感を醸し出していた。