ぶっ壊し屋、粉砕者の異名をほしいままにした大悪党、それがザ・クラッシャーことクラッシャー・リソワスキーだ。1950年代にデビューしスタン・リソワスキーとの兄弟タッグで活躍。60年代はAWAを主戦場に何度も世界ヘビー級王座を獲得。まるでギャングの親分みたいな風貌で、ビールをラッパ飲みし、肉体が凶器そのものだった。
日本プロレスに初来日し、2度目の来日を果たした1968年1月3日の蔵前国技館でジャィアント馬場のインター王座に挑戦した試合は私的には最も恐怖感を覚えた。馬場の流血したシーンは凄かったし、敗れたクラッシャーは控室のインタビューで徳光アナの持つマイクをかじり、その形相は小学生の私には恐くて仕方がなかったのだ。暗い部屋に行くと、クラッシャーが出てくるんじゃないかという錯覚をしたほどだ。
得意はメリケンサックという薄い手袋みたいなもので、殴りつけること。反則行為なのだがクラッシャーにはお構いなし。あとは殴って、蹴ってのラフ攻撃。長年の相棒ブルーザーとは史上最悪タッグとしてAWA世界タッグ、インタータッグを獲得。二人の暴れっぷりは全盛期の馬場&猪木もたじたじだったのだ。
日本プロレスに初来日し、2度目の来日を果たした1968年1月3日の蔵前国技館でジャィアント馬場のインター王座に挑戦した試合は私的には最も恐怖感を覚えた。馬場の流血したシーンは凄かったし、敗れたクラッシャーは控室のインタビューで徳光アナの持つマイクをかじり、その形相は小学生の私には恐くて仕方がなかったのだ。暗い部屋に行くと、クラッシャーが出てくるんじゃないかという錯覚をしたほどだ。
得意はメリケンサックという薄い手袋みたいなもので、殴りつけること。反則行為なのだがクラッシャーにはお構いなし。あとは殴って、蹴ってのラフ攻撃。長年の相棒ブルーザーとは史上最悪タッグとしてAWA世界タッグ、インタータッグを獲得。二人の暴れっぷりは全盛期の馬場&猪木もたじたじだったのだ。