ハワイ出身の巨漢レスラーで、カメハメハ王朝の血筋を継いでいる名門の出。デビュー当時はプリンスを名乗り、そのフライング・ボディプレスは、フライング・ソーセージと称された。力道山時代に初来日し、全日本プロレスの「第1回チャンピオン・カーニバル」で太平洋岸王者として参加した際は、キングを名乗った。同シリーズは、ベルトを持っていることが出場の条件だった。この頃から凶悪ぶりに拍車がかかり、流血大王の名をほしいままにし、あのブルーザー・ブロディのモチーフと言われたのだ。またブル・ラモスとは王朝コンビ「タイクーンズ」を結成。
私は少年時代、このイヤウケアにいい印象を持っていなかった。それは普段でもリング上同様に、ファンを威嚇する場面があり、近寄りたくない選手の一人だったからだ。
私は少年時代、このイヤウケアにいい印象を持っていなかった。それは普段でもリング上同様に、ファンを威嚇する場面があり、近寄りたくない選手の一人だったからだ。