”マットの魔術師”と呼ばれ、スカイロケットと称したドロップキックと、巧みなオコーナーズ・ロールアップ(ローリング・バッククラッチ)で一世を風靡。米国マット界の重鎮的な存在だったのがパット・オコーナーだ。何より、ディック・ハットンを破り第42代NWA世界ヘビー級王者になったことでプロレス史に、歴然と名を残しているのだ。
日本では力道山時代に1度来日し、インター王座に挑戦。その後は旗揚げ当初の全日本プロレスに参加。馬場の世界ヘビー級争覇戦に出場。後に大相撲からプロレス入りした輪島大士のコーチとして尽力した。
オコーナーのファイトはいぶし銀のようなクラシック・スタイル。粘りのある股裂きで相手の動きを止め、瞬時のオコーナーズ・ロールアップで仕留めるのが定石パターン。まさに名人芸のような試合運びを見せてくれた。
日本では力道山時代に1度来日し、インター王座に挑戦。その後は旗揚げ当初の全日本プロレスに参加。馬場の世界ヘビー級争覇戦に出場。後に大相撲からプロレス入りした輪島大士のコーチとして尽力した。
オコーナーのファイトはいぶし銀のようなクラシック・スタイル。粘りのある股裂きで相手の動きを止め、瞬時のオコーナーズ・ロールアップで仕留めるのが定石パターン。まさに名人芸のような試合運びを見せてくれた。