私の再出発

再出発しなければならないのは私だけではなく、日本を始め世界だと気付きました・・・。

又又又又辞めてしまいました

2008-11-20 12:43:59 | 仕事のこと
早朝、余りにも寒くて目が覚めてしまった。

サンドイッチ工場で働いてた頃は、毎朝3時起きだったけど、それほど

寒く感じたことはなかった。

たぶん、5時~6時頃が一番冷え込む時間なんだろうね。

その時間帯は真冬でも汗をかきながら仕事をしてた・・・。

それにしても去年の今頃、一年後の自分がまだ無職だなんて、夢にも

思ってなかっただろうな・・・。

無職・・・そうです!又辞めてしまったんです・・・

仕事の内容、勤務時間、時給、私にとっては全て良かったんだけど。

仕事場の空気の重さに、忍耐力のない私は耐えられなかった。

売り出し中の物凄く忙しい時に入社したため、指導係は、きちんと教えて

あげられなくてごめんね、売り出しが終わったら教えるからと言ってくれた。

でも、指導係は日に日に口数が少なくなっていくし、売り出しが終わっても

きちんとは教えてくれない。

3日目の朝、いつもより少しだけ早く仕事場に入った。

前日に教えて貰った、お弁当売場の場所を布巾で拭き、アルコール消毒を

した。

その後のことは指導係が来ないと何をやっていいのか分からない。

周りはみんなそれぞれの持ち場で黙々と仕事を始めている。

指導係はどこかに行ってしまって戻って来ない。

少しでも早く仕事を覚えようと思って、早めに仕事場に入ったのに・・・。

居た堪れない気持ちで仕方なく何もできずに、指導係が来るのを待ってると

上司が仕事場に入って来るなり、何もしてない私を見て、

「(仕事場に入ったら)まず何をするの?」「お弁当売場の消毒です」と

答えると「やったの?」「やりました」と返事をしているところに指導係が

戻ってきた。早く仕事場に入るんじゃなかった・・・

3連勤の後、1日休みだった。普通だったら、休みは嬉しいんだけど、

この日の休みは、仕事場のことを1日考えてしまってブルーになってた。

やっている仕事は嫌いじゃない、どちらかと言えば楽しい、まだまだ時間が

掛かるけど、覚えてしまえばなんてことはない。

大体、毎日作るものは同じだし。

ただ、ご飯炊きが困った。炊飯器が床に置いてあって、種火を確認しないと

いけないんだけど、しゃがんで見ても種火が見えない。

ご飯炊きは弁当担当がやるようなので、この先、見えないでは済まされない。

苛められてる人(前回、物凄く若い女の子と書いたけど、良く見たら20代

後半か30代初めくらい)は朝一番で焼そばを作ってるんだけど、その人が

休みの日は、私が作るそうで、その日、教えて貰うことになった。

初めてなので、メモをとりながら、教えて貰ってると、揚げ物担当=上司代理が

「焼そばまだ!?遅いよ!?」と何度も言う。

スピーディーに仕事をこなさないといけないのは分かってるし、それぞれが

自分の持ち場だけの仕事をやっているから、マイペースになってしまうのを

「まだ?遅いよ?」と、発破をかけるのは大事なことかもしれない。

でも、この揚げ物担当の声には意地の悪さを感じてしまう・・・。

七五三の時期だったので、お客さんがお赤飯の予約をしに来た時、上司代理の

この揚げ物担当が、ふてぶてしい態度で接客してる。

ここの仕事場は特定のパートと一緒に陰口を言う上司と、指導係と、揚げ物

担当が、空気を重くしてる。

仕事場は仕事をする場所だってことは分かってるし、忙しいし、黙々と仕事を

するのは当たり前、だけど、和やかな空気も必要じゃないのかな・・・?

6日目の朝、どうしても仕事に行く気になれなかった。

お腹を下してることもあり休んでしまった・・・辞める覚悟の上、休んだ。

事務員に電話で済まそうとしたけど、上司に代わると言うので、下痢をして

出勤できないこと、自信がないので仕事を辞めたいことを言ってしまった。

上司はまだ始めたばかりなのだから、しばらく休んで出てくればいい、

どうしても合わないのだったら、持ち場を変わればいいとまで言ってくれた。

仕事自体はやってて楽しかったから、物凄く迷った。

1日休んだだけだから、まだ行き辛くはなっていない。

続けるのだったら、翌日出勤しないと、今度は行き辛くなってしまう。

でも、やっぱり行きたくない・・・。

仕事は慣れても人間関係に慣れそうもないから。

他の人たちのように、4時間半、怒声が飛び交う中、黙々と仕事する自信が

私にはなかった。


煎餅屋の事務、デイサービスの調理場、煎餅屋の袋入れ、老人ホームの

調理場、自分の忍耐力のなさに嘆いたけど、辞めたことに後悔はしてない。

ただ、今回の惣菜の仕事はもう少し我慢して続ければ良かったと思ってる。

苛められて辞めれば良かった、苛められる?前に辞めてしまった。





















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今日はLeslieの誕生日

2008-11-12 05:09:20 | 大好きなBAY CITY ROLLERS
今日11月12日は私の大好きなLeslieの53回目のお誕生日

確か午前10時10分、シンプソンズ病院で生まれたと記憶にあるけど、

最近、物忘れ、勘違いが多いので定かではない・・・


30数年前の中2の秋、休み時間に同じクラスのH美が、他のクラスの

T子にローラーズのポスターをあげると言うので付いて行った。

H美はWoodyのファン、T子はAlanのファンだった。

当時の私はローラーズの存在は、その2人のお陰で知ってはいたけど、

ローラーズの歌は全く聴いたことがなかったし、全く関心がなかった。

その2人がローラーズの話で盛り上がってるのを冷ややかな目でみてた。

だってH美が見せてくれた雑誌の切り抜きのローラーズは猿の軍団に

見えたから。白黒の写真だと彫りの深い外人の顔は猿に見える・・・。

5人もいて、誰1人としてカッコイイ人がいないなんて!!そう思ってた。

こんな人達のどこがカッコイイの!?

一番仲良かったA子まで、その中の最も猿と言うよりゴリラに近いDerek

がカッコイイと言い始めて、本当にびっくりした。


H美がT子にそのポスターを広げて見せてた。

私は何気なく、そのポスターを見ると、Leslieがどこかをキョトンとした目で

見てる・・・そのキョト目に私はLeslieってこんなに可愛かったの!?

その日から私はLeslieファン!!そしてローラーズファン!!

最初は猿に見えたメンバーも良く見ると、良く見なくてもとってもカッコイイ。

Ericのブルーの大きな瞳、Woodyのグリーンのつぶらな瞳、Alan、Derek

兄弟だって、それなりに素敵

中学生でお小遣いなんて少なかったから、すぐにレコードなんて買えず、

だけどラジオをつければローラーズの曲が必ず流れてた。

343、4321、343の電リクに電話するものの、一度も繋がったことは

なかったけど、いつもローラーズが一番だった。

ぎんざNOW、木曜日のポップティーンポップスもローラーズが一番だった。

ファンになってすぐにローラーズが初来日。

H美は既にコンサートのチケットを購入していた。

T子の家は親が厳しく、私達の中では一番のファンだったのに、ローラーズの

コンサートには行けなかった。

私もA子もファンになった時にはコンサートのチケットは完売してた。

コンサートには行けないけど、同じ日本に居ると思うと、それだけで嬉しくて、

A子と登校中、トラックが通る度、大声で「Les!!」「Derek!!」と叫んだ。

トラックの騒音で私達の叫び声は消されるけど、コンサートで叫べない分、

思いっきり叫んだ。とっても気持ち良かった!!

H美が武道館でのコンサートの模様をレポートに書いて、数人のローラーズ

ファンの前で読んでくれた。

H美が羨ましくてたまらなかった。何でもう少し前、コンサートのチケットが

買える前にファンにならなかったんだろう・・・。

その日は朝から気分が落ち込んでた。

最初は同じ日本に居るんだと喜んでいたけど、結局、普段と何も変わらない。

ニュースや新聞でローラーズファンの凄さが報道されてたけど、私の生活は

何一つ変わってない、ローラーズとの接点は全くなかった。

その日は帰国してしまう日だった。悲しくて学校で泣いてしまった。

H美はコンサートに行けなかった私が可哀想と言って泣いた。

たぶん、その日は私の知らないところで同じ涙を流したファンは沢山いたと思う。


沢山の素敵な思い出を作ってくれてありがとう

Leslie、お誕生日おめでとう


















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新しい仕事場

2008-11-04 03:25:13 | 仕事のこと
1日から仕事始めだった。

7時20分までに支度が出来るように来てと言われてたから10分頃に

行ったけど、どこで待っていればいいのか?どこに行ったらいいのか?

事務員もまだ出勤していないので、聞くこともできず。

更衣室に何人かいるようなので、声を掛けたら、同じ惣菜売場の人が

いたようで、制服とくつを取りに行ってくれた。

制服は上着とズボンで2枚ずつ用意してくれてた。

クリーニング出してあったんだろうけど、油の臭いが染み付いてる。

2枚ずつある中、キレイな方をわざわざ選んでくれて渡してくれた。

さっそくズボンを穿こうとしたけど、途中で上がらなくなる。

えっ!?ここのズボンは小さめなの?本当に申告してた○L?

過去にお腹の部分で入らないことはあったけど、まだ足の付け根部分。

慌てて脱いでタグを確認するとMと書かれてる。何で!?

もう1枚の更にキタナイ方のタグを見ると○L。

そっちを穿くとお腹の途中までしかファスナーが上がらず・・・。

上着もまだキレイな方はMだった。

キタナイ方がサイズ不明だけど何とかボタンすることができた。

片袖口のゴムが伸びてたけど・・・。

お腹の部分はエプロンをするのでズボンがずり落ちてこない限り平気。

初日、面接をしてくれた上司(女・50代後半)は、制服を他で探してみる

と言ってくれた。

2日目、朝行くと同じ売場の人が古い制服の中から○Lを探してたくれて

たけど、結局なかったみたい。

3日目、制服のことは言われなくなった・・・。

ここは制服の持ち出しもできないから、替えの制服が無いと困るんだよね。

エプロンだけは3枚もあるけど。


この3連休はお店の売り出し期間でもあったから、物凄く忙しくて、私は

訳も解らず、言われたことをこなすのに必死。

上司も私に直接指導してくれる人も、1日、2日、3日と日が経つにつれ、

態度が冷たくなっていく・・・。

1日目は自分のことで精一杯で気が付かなかったけど、2日目に気が付

いたことがあり、それがかなりショック。

見た感じ、今年高校を卒業したばかりのような女の子で、大人しそうな子

なんだけど、その子に対して、周りの人の言葉が物凄くキツイ。

特に私を指導してくれてる人が、その子に対して一番キツクあたってる。

私がいる場所に置いてある物を取りに来た時、「○○使いませんよね?」と

言いながら、それを持って行った。

そしたら、私を指導してくれてる人が、「なに?意味わかんないよね?」と

私に聞くような感じで・・・私は聞こえてないふりして、仕事をしてた。

そしたら、「○○さん!!忙しいんだから訳の解らないこと言わないで!!」

と大きな声で、その子に言ってた。

「○○使いませんよね?」と言うより「○○持って行きます」「借ります」

なんだろうけど、でもそれくらいのことで、何であんなに怒るんだろう。

今日も何かあったようで、その子が事情を話し出すと、「まずはごめんなさい

でしょう?」「謝るのが最初でしょう?」と、指導してくれる人が怒ってた。

その様子を見てた人が、「検品にしなよ」と一言。

何かがあって、商品にならなくなってしまった、そういうミスって、結構

あると思う。

誰だってわざとじゃないし、気をつけてても起こること。

それをあんな感じで怒られてしまったら、私だったら、かなり凹む。


その若い子はいつ入社したのかは知らない。

要領が悪く、ミスも多いみたいで・・・私は他人事だとは思えない。

今までにどんなことがあったのかは知らないけど。

だけど、それにしてもキツク当たり過ぎに思える。


この売場をまとめてる上司は、指導してくれてる人と一緒に陰口を言ってる

のが耳に入ってくる。

私が帰ったあと、私もきっといろいろと言われてるんだろうな・・・。

それにしてもまとめるはずの上司が一緒になって、陰口を言うのは最悪。


女性だけの職場ばかり渡り歩いてきたけど、ここはその中でも最悪かも。

いくつかのグループができて、対立はしてても、陰で悪口は言っても、

一人をターゲットに苛めてるのは見たことがなかった。

その若い子を気の毒に思うけど、いつ私にもその矛先が向けられるのかと

思うと・・・。

ここもそう長くはないのかな・・・!?



江原さんの言うとおり、逃げの転職は同じことの繰り返し・・・だね








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