私の再出発

再出発しなければならないのは私だけではなく、日本を始め世界だと気付きました・・・。

地震後の生活

2011-03-21 11:27:51 | 日記
地震があった日からずっと家に閉じこもりきり。

余震に怯え、原発のニュースに一喜一憂し、胸の辺りがざわついて不安定な気持ちになることもある。

家から出たくても車のガソリンは半分を切ってるし、いざと言う時のために使うこともできず。

少しは外の空気を吸いたくても放射能が恐くて窓を閉め切り、換気扇もなるべく使わないようにしている。

一昨日は水道水、昨日は牛乳・野菜から放射能物質が検出されたと言う。

食べる物は今までと変わらず生協の個人宅配を利用。

先週は注文してたもの(食パン・乳製品以外)が殆ど届いたけど、今週はきっと半分も届かないかも。

生協の方がとっても苦労しながら商品を揃えているのが判る。

毎週5本牛乳を注文してるんだけど、いつもの県内の牛乳ではなく県外の牛乳だった。

今回は地震が原因だったけど、これからは放射能物質で県内の牛乳は飲めなくなってしまう。

もう産地の物や近県の作物は口にすることができなくなってしまうんだろうか?

これからは遠くから運ばれてくる物になってしまうんだろうか?

それでも食べられることができるんだったらいいけど。

(農家の人たちはどうなってしまうんだろう・・・?)

今のガソリンの状況を考えると、それもいつになるのかわからない。

だから今ある食材をケチケチ使ってる。

これまでも水道水は飲料水としては余り使ってなかった。

お茶系のペットボトル2リットルをなるたけ安い時に箱買いしてきた。

それも尽きてしまい、今は毎月届くウォーターサーバー専用の古都の水がある。

お米は地震当日に旦那の実家から届いた。たぶん30kg。無くなったら又送ってくれると思う。

美味しいお米が食べたいなんて罰当たりなこと言ってきたことを心から反省。

ごめんなさい&ありがとうございます。


旦那の会社のある工業団地では結構な被害があり、旦那は地震の翌日から復旧作業のため出勤。

バイク通勤だったけど、2日前にとうとうガソリンが尽き、仕方なく昨日は片道14キロを自転車通勤。

昨日の帰りに会社からポンプやホースを借りてきて、車からガソリンを抜いてバイクに入れようとしたけど、

ホースが届かず失敗。雨と放射能の中、今日も自転車で通勤。

ここら辺は殆どの方がマイカー通勤。バスなどの交通網が発展してないから。

ガソリンは食料の買占めとはちょっと違うと思う。

乗らないのに無くなったら心配だからとガソリンを入れてるのとは違う。

仕事に行かなくてはならないから。

家にこもりっきりだから、街の様子は旦那と長男と2chから情報を得てるけど、ガソリンスタンドのある

道路では長い、長いガソリン渋滞で、開くかどうかもわからないガソリンスタンドに夜中から並んでいるそうだ。

地震直後は静かに並んで待っていたそうだけど、最近はクラクションをやたらと鳴らしたり、割り込みする車と

喧嘩になってたりと、物凄く殺気立っているようだ。

今回の地震でガソリンを製造している会社の稼動がストップしてしまったことが原因。

原因はわかっていても、稼動するまでおとなしく待ってはいられない。

車が足となっている地域では通勤するのも買い物するのも車なんだから。

もっと早い段階でガソリンや灯油のことを対処するべきだったと思う。

ガソリン不足で流通も悪くなり、だからみんな買占めと言うより、買い溜めするしかないのかもしれない。

お店まで歩いたり自転車で買い物に行ける距離ではないところに住んでいる人も田舎には多い。

しかも放射能物質が検出されている地域でのんびり歩いて買い物なんてできない。

私はネットスーパーも時々利用してるけど、地震後はガソリン不足で配達ができず注文受付停止中となってる。

ガソリン不足にさえならなかったら、流通が滞ることもなく、たぶん、こんなに買占めする人はいなかったと思う。

ガソリン不足になったのは地震のせい、地震は原発事故は・・・結局、私たち人間のせいだと私は思う。

全ては自分たちが蒔いた種。しっかり刈り取っていくしかない。今までの生活を反省しながら。







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これからのこと

2011-03-16 01:17:06 | スピリチュアリズム?
何度も何度もあのお方はいろんな形でメッセージをくれていた。

私は何度も何度も心から頷いていた・・・判ったつもりでいた。

本当に理解できていたのなら、今になって後悔することも恐がることもなかったはず。

たくさんのメッセージを貰いながら、何もしないどころか、してはいけないことばかりしてきた。

小さな幸せを数えることもせず、いつも不満ばかりだった。

こんなことになるまで気が付かない、気が付いた時には手遅れ状態なのかもしれない。

今起きてるこの現実をしっかりと冷静に受けとめなければならない。

だけど、まだまだそこまで心が強くなれない。

今回この地震で私が失ったものは目に見えるものではない。

もちろん得たものもある。

改めて家族の大切さ、絆を感じることができた。

旦那のことも、旦那の実家のことも有難いと思えるようになった。

地震前日、電話で言い争いになってしまった母のこと、母の気持ちが今になってやっと理解

することができた。

それと今まではまだ遠い存在と思っていた「死」がいつも近くにいるってことを。



2011年に貰ったメッセージ

「この1年、笑顔を忘れないように意識して生きることが大切になります。

あなたの身の回りで起こることは、笑顔とは程遠いような苦しいことばかりかもしれません。

けれども、苦しいときだからこそ、笑顔でいることが必要。

最初は無理してつくる笑顔かもしれませんが、下ばかり向いているよりも、笑おうと努力する

ことの方が波長を高めます。

波長も高くなれば、出会いも変わります。

あなたをサポートしてくれる人との出会いやきっかけも生まれるでしょう。

苦しいことがあっても、その境遇を嘆くのではなく、笑顔でいましょう。

そしてどうすればよくなるかを考えてみるのです。

今のあなたにできることは、必ずあります。

進むべき方向を見失いそうになっても、あきらめないでください。」


このメッセージを頂いた時、「苦」という言葉だけが心に残ってたけど、こうして改めて文章を

読み直してみると、確かに、私にないもの、苦手なもの、それは「笑顔」かも。

年々無愛想になってきてるから。

これからはなるたけ「笑顔」を意識して「笑顔」でいたい。そしていつかは自然な「笑顔」に。



まだまだ続く余震、山梨・静岡でも大きな地震、原発事故、いっぺんにいろんなことが起こり

恐くてたまらないけど、だけど冷静に、日本中、世界中の平安を祈ります。



それにしても携帯の緊急地震速報の着信音、あの音が一番恐怖。








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