ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

十把一絡げ

2015-01-10 23:53:45 | Weblog
先日、会社近くの定食屋で昼食を食べていたら、
隣席のおじさん2人がサザンオールスターズに関する「炎上」の話をしていた。

おじさん、と言っても、たぶん私と年齢が大して変わらない。
私はあまりハマらなかったけれど、若いころサザンにハマった友人は多い。

正直言って、年末年始は精神的引きこもりだったし、
テレビもほとんど見なかったので、どんなことがあったのか、よくわからない。
ただ、そのおじさん2人の会話がすごく気になった。
「・・・みたいな批判を、安倍さんや自民党支持の人たちがしてて、
 それで炎上したみたいなんだけど、桑田はそんな意図じゃなくって・・・、
 なのに、ほんとに理解力が低いヤツらが自民党を支持してる」と。

いや、その発言の前に気になったのは、
そのおじさんのうちの1人が、ごはんをクチャクチャと音を立てて食べており、
一瞬「あ、となりに中国人がいる、嫌だな」と思ったのがきっかけだった。
よくよく聞いてみると、話している言葉が日本語だったので、
「まったく日本人のくせに、なんだ」と思い、
その時に話していたのが、その炎上のことだった、というのが正しい順序だ。

その後、彼らは自民党や安倍さんが好きではないような会話で盛り上がり、
私よりも一足先に帰っていった。
先日の選挙では、共産党が躍進と言われたけれど、
その後しばらく、自宅の最寄駅の駅前で共産党の人が街頭演説をし、
ビラを撒いていたが、それを受け取る人はほぼ皆無で、
単に他に選択肢がなかっただけだと、ある朝に感じたことをふと思い出した。

私にも拭いがたい偏見があり、彼らにもそれがある。
中国人は、クチャクチャ音をたてて食べたほうが美味しく感じると思っているし、
しかも、それが下品だと思われていない文化の中で育ったから、
美しく若い女性にもクチャクチャ食べる人がいる、というだけのことだ。
もちろん中国人が全員、そういう食べ方をするわけではない。

桑田さんの発言に対して噛み付いた人が、全員、安倍さん礼賛でもなければ、
安倍さん礼賛の人は、すべて理解力が低いわけでもないだろう。

自分が好きな人は、その個性を好きになるが、
嫌いな人のことは十把一絡げで考えてしまう。

今日は、憲法十七条に関する本を読んだけれど、
私たちの国が最初に定めた憲法が、「和をもって貴しと為す」から始まるもので、
それを学校で学べるということは、本当に誇りをもつべきものだと思う。

蘇我氏と物部氏が激しい殺し合いをしていたとき、
聖徳太子がどんな思いで、この憲法を作ったのか。
個性を持ち寄って和を生み出していくこと。

日本のことをもっと知りたいなあ、と最近つくづく思う。

東京

2015-01-02 00:50:06 | Weblog
明けましておめでとうございます。

上海の外灘で人が亡くなる事故があったが、
中国人も、新暦の元旦を随分盛大に祝うようになったのだと、違う感慨を覚えた。
とりあえず上海にいる友人の生存は確認したが、
私の友人は、そんなとこ行くわけないじゃない、と回答する人ばかりだった。
類は友を呼ぶ。

上海に住んでいる日本人の友人に、
「今日は朝から近所の神社にお参りして、
 お雑煮食べて、これから日本酒を飲む」とメッセージを送ったら、
「いいな~」と本気のメールが返ってきた。

日本にいると見えないかもしれないけれど、日本の新年は美しい。

今日は神社で、高校生くらいの兄弟が、
まず境内に入るときに一礼、
そして神前で「二礼、二拍手、一礼」をピシッと決めた後、
最後、境内から退出するときに一礼をして、
足早に家族の待つ車に乗り込んでいった。

受験のためのお参りかもしれない。
でも、少し照れながらも、真面目にお参りしている姿は、
その後ろ姿が美しかった。

昨年最後にぎりぎり読み終わった本は『チャイナセブン』。
これは、渡辺一枝さんのメルマガで紹介されており、
私が上海に行ったばかりに報道された薄煕来のことを、
一番信頼できる情報として発信をしていた遠藤誉さんの著書だったことから
2014年中に読まねばならないと思った一冊だった。

読みながら、反日の後ろにある、習近平の本物の覚悟に社会主義国である中国の
最後のチャンスを感じた。
共産党の一党支配は、決して賛成しないけれど、
共産党としての意義を守りつつ、
みなが最低限の生活をできるようになるための最後のチャンスだと思う。

そして、今年最初に読んだ本は『日本の宗教 本当は何がすごいのか』。

神道では、最初に日本の自然があり、そこから神が生まれた。
よく中国人に、神道は軍国主義とイコールで、
経典はなく、経典となるようなものは、戦前の法律だと言われ、
「神道はそうじゃなくて自然で、その自然を歌に詠んでいた昔の人がいて、
 万葉集は言霊の世界で、そこには」と反論するものの、
文字で書かれていないものはないものと同じという中国人の価値観を
打ち破るだけの論理を私はもたなかった。

これは、中国人に対してだけでなく、
他の外国人と話すときにも、いつも言葉に窮するところだった。
でも、自然から神が生まれたという点、一神教とはここが違うということが、ものすごく納得できた。

私はいつも上海から帰ると、羽田からリムジンバスで新宿に向かった。
その理由は、富士山を見ながら、首都高を通って、
東京におわします神に触れながら帰りたかったから。

富士山を見ると、背筋が伸びた。
だからリムジンバスの中で大声で騒ぐ中国人の子供たちを、
「ここは日本です。静かになさい」と、中国語で一喝したこともある。

中国人に、東京から富士山は、新幹線で約1時間くらいの距離で、
まあ例えるなら、上海から杭州にある山を見るようなもので、と言った途端、
「ありえない!」という答えが返ってくる。
上海の大気汚染はひどくて、100メートル先が見えないくらいなのに、
杭州の山なんて、絶対見えるわけない、と。

日本と中国はすごく近くて、しかも全然似てない。

日本に帰国して、いま、はじめて勇気を出して、
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いた。

東京の復興能力を見るたびに、家康ってすごかったんだなあ、と思う。
私の母が、私を産むとき、すでにレコード盤のラフマニノフを持ってたんだ。
これは、東京が守られてるからだと思う。
守りたいよなあ。東京を。

暮れ

2014-12-31 22:28:42 | Weblog
今年はどんな1年だったかと振り返る。
一言で言うと、私にとっては「信仰」の1年だった。

上海で知り合った得難い友人(日本人)とともに、
いろいろなところに旅行に行った。行き先は主に満洲。

日本の本当の姿は、日教組の習った姿とは違い、
はたまた中国共産党が国内向けのプロパガンダに使っているものとも違い、
確実に私とつながっている普通の日本人が、
一所懸命に生きた歴史とつながっていた。

そして、これまた何かの縁に引き寄せられたかのように、
ある日、上海でたまたま知り合った友人は、ほとんど酔っ払っている姿しか
お互いに知らないという間柄にして、
私に、新しい仏様の世界を開いてくれた。

私は生まれながらにして、とても恵まれており、
なんの努力もしていないのに、本物が集まってきてくれる。
友人、考え方、技術。
すべてが他力によって、私にもたらされたものばかりだ。

先日、ふと思い出した。
うちの仏壇には阿弥陀さまがいらっしゃる。
母が東京に出てきてから祖母が亡くなり、そして求めた阿弥陀さまだ。
小さいけれど、品がある。
その阿弥陀さまに向かって、最初は「南無阿弥陀仏」と唱えていた。
幼稚園のある日、母が「これからは、南無妙法蓮華経と言おう」と言った。

無条件にすくっていただける阿弥陀さまはありがたいけれど、
でも、私たちはまず、仏法を探求すべきだと思う。
その上で、本当の真理にどうしても近づけないと思った時、
阿弥陀さまのご慈悲におすがりしよう。
それまでは、自分なりに仏法を考え、実践することの方が先。
だから、これからは南無妙法蓮華経と言おうね、と。

母が、藤原四兄弟や光明皇后の本を、むさぼるように読んでいた頃。
唐の長安の話を聞いて、私が中国に憧れを抱いた頃のことだ。

ふと気がつくと、今年で母が亡くなって10年が経った。
来年は、母が倒れて植物状態になってから24年。ふたまわりか。
そして再来年は父が亡くなって10年。
もう、そんなに経ったんだ。

相変わらず私は、自分の人生を、自信をもって歩けずにいるなあ。

総括

2014-12-30 21:49:58 | Weblog
今年は結局、50冊しか読まなかった。
この読書数の減少は、年齢とともに、集中力が落ちているせいもあると思う。
むかしのように読み続けることができなくなってきた。

ということで、これまでのように興味があったらとりあえず読むというスタイルから、
選んで読むという方向に、来年は意識して変えなければならないと思っている。

2014年の元旦に読んだのは、『自ら歴史を貶める日本人』だった。
今年はあと1日残っているけれど、たぶん明日では読み終わらないので、
最後の1冊は、『国難の正体』だった。
今年を一言で言うと「憂国」だろうか。
高校から大学にかけて、三島由紀夫のファンではあった。

今日、新幹線に乗っていたら、立ち席の母娘に驚かされた。
2人とも席がなく、進行方向一番後ろの座席と壁の間にいた。
母親は立って読書。大学生くらいの娘は床に座り込みお化粧。
しかし、母親はみっともないと注意しない。
母親は、明らかに娘に嫌われることを恐れていた。

上海で3年。帰国して、日本の劣化に驚いた。
特に女子だ。(男子の劣化は、もっと前から始まっていたので、特に目立たない)
朝の駅のホームでおにぎりを食べるのは、いつから普通になったのだ。
なぜ人前で化粧ができる。
どうしてそんなに汚い床に、生足+ミニスカートで座れるのだ。
そして、その人口が、どうしてこんなに増えた。

日本の女性は、世界でダントツの人気だ。
それは、教養があるのに保守的であるからだ。
はにかむし、かわいいからだ。
教養がなく、単なる下品な女子なら、人気は出ない。

日本女性が選ぶほどの品質だから、日本製は世界のブランドになったんだ。
そこには本物の知性があるから。

いまのままじゃ、中国のエリート共産党員に、
いいようにやられちゃう日本に、なっちゃう危険があるよなあ。

新年の準備

2014-12-26 23:54:22 | Weblog
気持ちが上がる!



新年を迎える準備。
会社を出たら、青山通りに日の丸がかかってた。

日の丸ってきれいだなあ、と思った。
そして、ここは中国ではないと、実感した。

太陽は、実際に見ることはできない。
まぶしすぎて見ることはできない。

その実際に見ることができないお日様を国旗にした日本人って、
やっぱり想像力が豊富というか、
日本なりの宗教観が凝縮されたのが日の丸なんだと思う。

だから、思想として、日の丸反対の人もいるけれど、
その人の心の中にも日本人的な言霊や自然崇拝の心はあって、
そういう目で、日の丸を見つめたらいいのになあ、と思う。

見ることができないお日様なのに、
子どものころ、まんまるのお日様を画用紙に描いた。
見えなくても描けた。
そして、お日様がそのまま日の丸だった。
幼稚園のころは、理屈抜きで、そうストンと思ってた。

結局は、真理が人間のエゴで見えなくなってる。

変わるもの、変わらないもの

2014-12-23 20:11:40 | Weblog
先日、約1年前に作ったメガネを落としたら、レンズがかけた。
中国で使うためのメガネとして作ったものなので、安物だからしょうがない。
これまでに作ったメガネを2つほど取り出してかけてみたら、
10年前に作ったメガネが、今でも一番よかった。

仕事でパソコン画面を見る時間が長いので、ブルーライトカットのレンズが欲しい。
やっぱりいいメガネはいいのだから、
少し気が重かったが、そのメガネを作ったメガネ屋さんに行くことにした。

気が重かった理由は、そこに行くまでの道にある。
仙川から吉祥寺まで、何年かぶりにバスに乗った。
このバスに乗るのがメガネ屋さんへの近道なのだが、勇気がいる。

私が3歳まで住んでいた公団を通る。(いまは建て替えられてる)
母がくも膜下で倒れて最初にかつぎこまれた大学病院がある。
父が通った高校がある。
そして3歳ごろの私が、
花見ではしたなく酔っ払った女性に抱きつかれ、怖くて歩けなくなったあと、
父の肩車に乗せてもらってご機嫌な時、
桜の枝で、おでこを思い切りがーんと打ったあの公園を通り、
私が幼かった40年前、まだ戦後の空気を少し残していた吉祥寺の街まで行く。

思い出したいことも、思い出したくないことも、
きっと心の中に溢れることだろう。

3歳までしか住んでいなかったのに、あの家の間取りは今でも正確に言える。
あまりに美しいので、火がほしくてストーブにさわり、
両手のひらを火傷したときの両親の慌てぶり。
夏祭りで浴衣を着てでかけ、金魚すくいですくった金魚をうっかり落としてしまい、
あまりのことに、土の上で苦しむ金魚を呆然と眺めたこと。(近くにいたおばさんがすくってくれた)
私はあそこから来たと信じて、ひたすら空を見ながらこいだブランコのこと。

父は高校生の頃、自転車で通学していたらしく、
ある日、橋にあった自転車の前輪がすっぽり入る穴に落ちて、
病院にかつぎこまれたことがあるとか。
それを笑いながら、「でもな、そのおかげで、その穴はふさがれて、
もっと大きな事故が起きなくてすんだんだぞ」と自慢げに語っていた。

吉祥寺のアーケード街で、いい香りのコーヒーと今川焼きの前で、
いつも足を止めては考え、やはり買わなかった母のこと。

仙川からの道、中原あたりに、むかしお地蔵様があった。
団地から仙川に行く時、新しい家から公団の友人の家に行く時、
母といつも手をあわせてから通った。
大学生になって、くも膜下で入院することになった母を見舞いに行く時、
自転車で通り過ぎながら、いつも心の中で手をあわせた。
お地蔵様の光が、いま暗闇のなかで迷っている母を助けてくれるようにお願いした。

そのお地蔵様が見えない。
どこへ行かれたんだろう。今日、いちばんショックだったことだ。

そんなことを思いながら吉祥寺のメガネ屋さんへ。

10年前にこちらで買ったと話したら、ちゃんとその当時のカルテが出てきた。
度数は進んでいなかったけれど、右眼の乱視は進んでいた。
店員さんのきめ細かい対応に、さすが日本のちゃんとしたお店は、
商品知識もさることながら、客からのヒアリング能力も大したものだと感激。
これが中国の店員なら「今買えば、もう一個お得」しか言わないだろう。

そして、満足な買い物をして家に着くと、西の空に美しい夕焼けが広がっていた。
いそいで一眼レフを手に取り、走って団地の階段をのぼり6階へ。



マスクをしながら階段を駆け上がるのは、つらい。

冬の1日

2014-12-14 14:02:30 | Weblog
自然は、その一刹那が美しい。



その刹那がつながるから、四季の変化も美しい。
自然の一部である人間もまた同じ。



すでに春の支度が始まっている。



老いていくその色づきは、葉ごとに違う。



太陽が川面に反射し、葉を裏側から照らしていた。



衆院選の投票所は、私の母校の小学校だ。
今年、創立140周年を迎えた。

中国から帰国し、小学校の壁に貼られている「祝140周年」の文字を見たとき、
めまいを覚えた。
私が在校していたとき、たしか110周年だった。
もうそんなに時が経ったのか。

関東大震災も東京大空襲も、校史とともに学んだ。
門をくぐったとき、小学校の校歌を思い出した。
母が大好きだった歌詞の一節「知恵の鍵をば、授かって」。
今なら、意味がわかる。

中国のSNS微信のコメントで、今日は選挙で小学校に来ているとつぶやいたら、
中国人の友人から「誰の選挙?」と聞かれた。
上海の公安で働く友人だ。
「国会の衆議院議員の選挙だよ。投票のときには、公立学校の体育館を使うんだ」と返事したら、
「なるほど~」という返事だった。

中国ではまだ、選挙が行われたことがない。
日本の選挙や投票日の様子を想像できないのは、無理もない。

もし、いまの中国で選挙が行われたなら、と、想像してみる。
公営の体育館や運動場に投票所が設けられる。
公安がわんさか出て警備して、入り口では入念なIDと身体の検査。
でも、IDは目視による確認だけ。
少数民族は入り口で足止めをされ、なかなか投票をさせてもらえない。

票を買う人、売る人が出てきて、人気アイドルのコンサートチケット状態となり、
票を売った人はそのお金で飲みに行き、買った人は何度も並ぶ。
そして、大混乱となる。
つまり、普通に選挙なんかできない。

日本の投票所は、本人確認も性善説に則ってるし、非常に平和だ。
そして改めて思う。外国人に投票権を与えることは、非常に危険だと思う。
日本の義務教育を受けていない彼らは、選挙とは何かすら知らないのだから。

良書

2014-12-13 20:51:12 | Weblog
小学生の頃、授業で人口爆発について学んだ時、
人は輪廻転生するのだから一定数が循環してるはずなのに、
なんで増えるんだろうと思った。

誰かが、たくさんの生き物が絶滅してるから、
その分が人間になってるんじゃない?と言っていたと思う。
とすれば、人身は得難いことなので、
生命全体としては、涅槃の境地に近づき、幸福なはずだ。
環境破壊も悪いことばかりではない、とも言えなくはない。
これは、いまでも僧侶に聞いてみたい質問のひとつだ。

今日読んだ本。『巣鴨の生と死 ーある教誨師の記録』(花山信勝著)
極東国際軍事裁判で死刑を宣告された戦犯たちの最期の日々。

心無い新聞記者により、高位にあった人ほど取り乱したとウソの報道がなされ、
いまでも一部の人はそれを信じているようだが、
現実はそれとは正反対で、
真の平和を祈念して逝った戦犯たちの姿は、米兵を驚かせたという。

戦犯やその家族と実際に言葉を交わした記録は、
日本や東亜、世界の平和を祈念する気持ちに満ち、
家族を思いやる暖かい想いが溢れていた。
そして、世界の平和を実現するためには、
宗教がとても大切だと、戦犯たちは口々に語っていた。

また、戦犯の、まだ成人にもならない子供たちから死にゆく父親に綴った手紙は、
その精神も、日本語としての伝達能力も、
はるかに今の世代の若者を凌駕する自覚に支えられていた。

中国が中共がまさに勝利を収めようとしている時、
戦犯たちは、中国の情勢をたいへん心配しながら逝った。
南京事件の罪を背負っていった松井石根さんは、
今日の南京での習近平の演説を、どう聴いただろうか。

翻っていま、国内の選挙報道を見ると、ほとんど経済のことしか語ってはいない。
国防に関する考え方にしても、なんと視野が狭いことか。

来年は戦後70年の年。
連合国の情報戦はいまでも続いている。
この本は、私たちが読まなければならない本のひとつだ。

英会話の試練

2014-12-10 14:39:07 | Weblog
ここ数日、柄にもなく英語を話す機会があった。
英語が母国語ではない国の人だったけれど、相手は英語ペラペラの外国人。
まず頭の中を中国語OSにして、そこから英語に変換。
私の外国語モードは1つだけなのだ。

英語と中国語の語順は似ているとはいえ、違う言語。
とっさのときには、中国語を口走ってしまう。
まあ、これはしょうがないことだ。

中国語なら、これもあれも言えるのに、英語だと単語がわからん!
というフラストレーションを乗り越え、なんとか中学英語で会話。
一番盛り上がったのは、ウズベキスタンのサマルカンドやボハラの
イスラム建築は美しい、という話題だった。

そういうと、なんだよ、結構英語が話せんじゃないか、と自分でも錯覚するが、
単語というか、固有名詞を並べただけ。
中央アジアの文化の礎となり、大いなる遺産を残した偉大なるティムール帝国。
お互いに同じ知識を持っている者同士であれば、
固有名詞を繋げるだけで、次なる連想や
相手のイメージを想像でき、共感し、盛り上がることができる。

そして次なる話題は、儒教は中国の宗教かどうか、というものだった。
Confucianismと言われ、最初は何のことかさっぱり。
相手が「中国のこんなんとか」というので、
「あ~。こんずー、孔子か」と思って、儒教とわかった。

儒教は宗教というよりも、国の秩序を構築するための道徳を説いたもので、
これは、皇帝が統治するための道具に近いと思う、みたいなことを言ったら、
なるほど~とのこと。
ついでに、中国大陸、台湾、日本で使われている漢字の違いを説明して、
そうなんだ~、一緒なんだと思ってたよ、と言われた。

よかった。2時間くらいは十分盛り上がれる共通のネタがあって。

英語、もっと話せると、楽しいんだろうなあ。と、今更ながら思う。

言論の自由

2014-11-23 20:00:13 | Weblog
これから寒い冬が来るのに、雪深いところなのに、
自宅で新年を迎えられない被災地のみなさんが、
少しでも明るく、前向きにこれからの毎日を過ごせますように。

さて、今日は読書三連発。
『女子の武士道』『いま沖縄で起きている大変なこと』『ウィトゲンシュタインの建築』

日本の素晴らしいところは、言論の自由があるところだと思う。
いやいや、マスコミは左翼に支配されていて真実を伝えない。
教科書だって問題だらけじゃないか、という意見もあるが、
どう卑下したところで、お隣の「大国」の言論統制に比べたら、まだまだ自由だ。

ここ数日、沖縄が私の周囲にあって、
それは、中国の同僚の社員旅行先だったり、沖縄知事選の報道だったり、
親友と行った料理屋さんだったり、
そして、久しぶりに会った友人の話題の一部だったりした。

私が沖縄をはっきりと意識した最初のきっかけは、大学受験のときだ。
どうやら沖縄枠というのがあるらしい、という話。

次が、社会人になって初めての中国出張の前、
上司の「僕が最初にパスポートをとったのは、沖縄に行くためだったなあ」という一言。

沖縄戦の映像、基地問題、米軍のマナーとモラル。
美しい海。
いつのまにか長寿の島ではなくなった沖縄。

そして最近では、中国人へのビザ緩和で、どんどん中国人を呼び込んでおり、
基地があるので大量の補助金が投下されている日本のひとつの県。

基地の是非を問う時にふと思ったのは、
アメリカが統治していた30年近くの間に、沖縄はどう変わったのだろう、
そして、いまどう変わろうとしているのだろう、ということだ。

先日の知事選の報道を見ていた時に、
なんとなくマスコミの報道が偏っているような気がした。
日本であるからには、もっと多様な意見がありそうなものなのに、
対中国のコメントが、驚くほどに出てこなかった。

マナーが悪い中国人観光客が大挙しておしよせ、尖閣諸島だって近く、
サンゴ密漁船だって海で出くわしたりするだろうに、
本当にそれらに対してまったく危険性を感じず、
アメリカ軍よ、出て行け!と言うのだろうか。
私だったら、アメリカ軍は出て行け、自衛隊よ来い!とすら思うかもしれない。

私の母は、むかし、こう言っていた。
アメリカが沖縄を大改革して、いいかどうかは別として、予防接種とか防疫はすごく進んだ。
たぶん、ベトナム戦争のときに使う薬の人体実験の意味もあったろうけど。
まあ、意図は意図だけど、こういうときのキリスト教徒っていうのは、
善人の顔をして、でも実際に防疫の最前線に立つから、やっぱりすごいよね。
仏教徒は、こういうことしないじゃない、と。

現実は移り変わるものだけど、なんだかすごく過去が隠蔽されてるような気がする。
日本政府が隠蔽した部分もあるだろうけど、
やっぱり大陸系の左翼の影響もあるんじゃないかなあと思える部分もある。
中国では、歴史は未来に向かって書き換えられるものだから。

中国共産党は、沖縄も中国の一部分だというキャンペーンをずっと続けているけど、
もし実際に中国の一部分になってしまったら、
漢族が大量に移民してきて、いまのウイグルやチベットのように、
沖縄もなってしまうだろう。
沖縄人が単なる中国人になれると思ったら大間違いで、これは華僑も同じ運命。
そして、沖縄の人たちが、選挙によって中国の一部になることを決めたとしても、
中国の一部になった途端、選挙すらできなくなる。

もし、琉球に戻れるんだと信じている人がいたとしても、
昔みたいに、太平洋を背にし、大陸に朝貢貿易すればいいという単純な構図じゃない。
中国は「大国」として、ハワイまでの海を自分のものにすると
国際社会に向かって、はっきりと表明したのだから。
強制的に立ち退きが行われ、中国人民解放軍の基地が作られ、
解放軍のために奉仕するのが沖縄の人々の役割になるだろう。

できたら台湾も仲間に加えて、基地問題を国防の問題としてちゃんと考える時期だ。
結局、100年前とあまり変わっていない。
ただ、工夫さえすれば、手に入れられる情報量は格段に増えた。