いま保田與重郎文庫の15『日本に祈る』を読んでいる。
今日は、「にひなめ と としごひ」を読みながら会社に向かった。
私はお米が大好きだけれども、自分で稲を植え収穫したことがない。
主食でありながら、稲作について知らないことが多く、
稲作と神事とのつながりを思うとき、
すでに精神的には、私は大地及び神から遠く離れてしまったと思う。
いま私が、日本の神道について語れることは、実は何もない。
その実質を体験したことがない人間が、
靖国だ、天皇制だ、と言ったところで、
それは単なるイデオロギーの暴力を振り回しているにすぎない。
読んでいるうちに、そんな気持ちになった。
そして、ふと、隣にすわった人の読んでいた新聞を見ると、
一面のトップに「農業 衰退か 改革か」の大見出しがあった。
国家の根本が、大きく移り変わったのだと思う。
むかしは都会での会社勤めがうまくいかなくても、
田舎に帰れば家業があり、肩身がせまい思いをしつつも、
なんとなく手伝いながら再起をはかることはできたと思う。
いまは、実家も会社勤めのサラリーマンで家業がなく、
リストラにあったら、逃げ場というか、吸収してくれる余裕がなくなった。
確かに長男であっても、自由に職業を選べるようになり、選択の幅は広がった。
でも、私には田舎がなかったので、田舎がある人をずっと羨ましく思っていた。
里山に帰れる人に憧れていた。
これは、遺伝子レベルにすりこまれたものなのだろうと思う。
いま、若い人が農家になる動きがあるようだけれど、
もっと進めばいいと思う。
それで、第一次産業に携わったために現金収入が落ちた人のためにある
高校無償化や子ども手当なら、賛成する。
今日は、「にひなめ と としごひ」を読みながら会社に向かった。
私はお米が大好きだけれども、自分で稲を植え収穫したことがない。
主食でありながら、稲作について知らないことが多く、
稲作と神事とのつながりを思うとき、
すでに精神的には、私は大地及び神から遠く離れてしまったと思う。
いま私が、日本の神道について語れることは、実は何もない。
その実質を体験したことがない人間が、
靖国だ、天皇制だ、と言ったところで、
それは単なるイデオロギーの暴力を振り回しているにすぎない。
読んでいるうちに、そんな気持ちになった。
そして、ふと、隣にすわった人の読んでいた新聞を見ると、
一面のトップに「農業 衰退か 改革か」の大見出しがあった。
国家の根本が、大きく移り変わったのだと思う。
むかしは都会での会社勤めがうまくいかなくても、
田舎に帰れば家業があり、肩身がせまい思いをしつつも、
なんとなく手伝いながら再起をはかることはできたと思う。
いまは、実家も会社勤めのサラリーマンで家業がなく、
リストラにあったら、逃げ場というか、吸収してくれる余裕がなくなった。
確かに長男であっても、自由に職業を選べるようになり、選択の幅は広がった。
でも、私には田舎がなかったので、田舎がある人をずっと羨ましく思っていた。
里山に帰れる人に憧れていた。
これは、遺伝子レベルにすりこまれたものなのだろうと思う。
いま、若い人が農家になる動きがあるようだけれど、
もっと進めばいいと思う。
それで、第一次産業に携わったために現金収入が落ちた人のためにある
高校無償化や子ども手当なら、賛成する。