どうやら、中国の全人代常務委員会が 、
9月3日を『抗日戦争勝利の記念日』 、
12月13日を『南京大虐殺犠牲者への国家哀悼の日』 として、
法的に定める記念日にするらしい。
日中両国ともに、もう仲良くする気なんてない、ってことなんだろう。
特に9月は18日もあるし(柳条湖事件)、なんだかますます反日の雰囲気になるんだろうけど、
PM2.5満載の毒霧が日本に飛来している今、
どうやってお互いに親しみをもち、仲良くするんだよ、という気がする。
日本は、むかし、南京事件(日本人がイヤなことされた事件)や通州事件を通して、
「中国人に鉄槌を!」というような気運になったけど、
このまま毒霧が日本を覆い、在中日本人や日本企業がイヤな目にあったら、
あの頃と同じように「こらしめてやれ、戦争だ!」という意見が強くなると思う。
ということで、お願いだから中国共産党さん、
あまり日本を追いつめないでくださいな。
そして、一般の中国人は、あまりにも政治に無関心過ぎだ!
参政権がないってことは、こういうことなんだろうなあ。
で、週末の旅順・大連旅行の写真。
まず、土曜日の旅順。
朝一番の飛行機で上海浦東から大連へ。
予約しておいたクルマに乗って、大連から旅順へ。
行く道では、川が凍っていた。
まず、行ったのは、まったく行く意味がないと力説したい水師営。
歴史の教科書で見た、乃木大将とステッセル将軍たちの写真が撮影された場所、
のはずなんだけど、
いまは復元である上に、中には反日のパネルばかりが展示されていて、
しかも日露戦争とは関係がない写真も多く、つまり日本帝国主義の中国侵略資料館になっていて、
ついでに無料のガイドさんは「修復の為の寄付をお願い」とせびってくる。
本物じゃないのに、なんで寄付しなきゃならないのか、ぜんぜんわからん。
入場料40元を損した気分。
気を取り直し、東鶏冠山へ。
銃痕の跡が遺っていた。
塹壕戦、強そうだもんなあ。ロシア人。
外側。
内側。
こんなところに立てこもってるロシア人と、
よく戦ったよ。当時の日本人は。しかも真冬に。
碑も残されている。
つい最近まで、旅順は軍港として一般解放されていなかったから、
文革の魔の手からも残されていた。
そして次は、ずっと行きたいと思っていた203高地。
いきなりポッコリとある丘は、傾斜がすごく急で、
こんなところ、登って攻めたんっスか。うそ~、という気分になった。
息が上がった。
頂上では、一緒に行った友人と「旅順港は見えるか!」とやりたかったんだけど、
PM2.5の毒霧に阻まれ、ほとんど見えない。
やばいだろう。この空気。
でも、いちおう乃木大将が見上げた光景が見られる。
とはいえ、大興奮で旅順の町に戻り、昼食。
この餃子屋さん、美味しかった。
なぜか、店員に「朝鮮族?」と少数民族に間違えられたけど。
旅順駅。
次に旧関東軍司令部に行った。
ここも中のパネル展示は、日本帝国主義を、正義の味方中国共産党が評価し批判していたけど、
まあ、もう、どうでもいいや。
美しい階段。周囲の壁の絵を見なければ。
そして向かい側には、旅順博物館がある。
ここには、大谷光瑞が寄贈したお宝が収められている。
入ってすぐにあった鐘と、ウイグル地方から見つかったミイラが圧巻だった。
旅順からの帰り道、東本願寺の前を通った。
いまは北京京劇院。
ひとことで言うと、旅順はいい。
9月3日を『抗日戦争勝利の記念日』 、
12月13日を『南京大虐殺犠牲者への国家哀悼の日』 として、
法的に定める記念日にするらしい。
日中両国ともに、もう仲良くする気なんてない、ってことなんだろう。
特に9月は18日もあるし(柳条湖事件)、なんだかますます反日の雰囲気になるんだろうけど、
PM2.5満載の毒霧が日本に飛来している今、
どうやってお互いに親しみをもち、仲良くするんだよ、という気がする。
日本は、むかし、南京事件(日本人がイヤなことされた事件)や通州事件を通して、
「中国人に鉄槌を!」というような気運になったけど、
このまま毒霧が日本を覆い、在中日本人や日本企業がイヤな目にあったら、
あの頃と同じように「こらしめてやれ、戦争だ!」という意見が強くなると思う。
ということで、お願いだから中国共産党さん、
あまり日本を追いつめないでくださいな。
そして、一般の中国人は、あまりにも政治に無関心過ぎだ!
参政権がないってことは、こういうことなんだろうなあ。
で、週末の旅順・大連旅行の写真。
まず、土曜日の旅順。
朝一番の飛行機で上海浦東から大連へ。
予約しておいたクルマに乗って、大連から旅順へ。
行く道では、川が凍っていた。
まず、行ったのは、まったく行く意味がないと力説したい水師営。
歴史の教科書で見た、乃木大将とステッセル将軍たちの写真が撮影された場所、
のはずなんだけど、
いまは復元である上に、中には反日のパネルばかりが展示されていて、
しかも日露戦争とは関係がない写真も多く、つまり日本帝国主義の中国侵略資料館になっていて、
ついでに無料のガイドさんは「修復の為の寄付をお願い」とせびってくる。
本物じゃないのに、なんで寄付しなきゃならないのか、ぜんぜんわからん。
入場料40元を損した気分。
気を取り直し、東鶏冠山へ。
銃痕の跡が遺っていた。
塹壕戦、強そうだもんなあ。ロシア人。
外側。
内側。
こんなところに立てこもってるロシア人と、
よく戦ったよ。当時の日本人は。しかも真冬に。
碑も残されている。
つい最近まで、旅順は軍港として一般解放されていなかったから、
文革の魔の手からも残されていた。
そして次は、ずっと行きたいと思っていた203高地。
いきなりポッコリとある丘は、傾斜がすごく急で、
こんなところ、登って攻めたんっスか。うそ~、という気分になった。
息が上がった。
頂上では、一緒に行った友人と「旅順港は見えるか!」とやりたかったんだけど、
PM2.5の毒霧に阻まれ、ほとんど見えない。
やばいだろう。この空気。
でも、いちおう乃木大将が見上げた光景が見られる。
とはいえ、大興奮で旅順の町に戻り、昼食。
この餃子屋さん、美味しかった。
なぜか、店員に「朝鮮族?」と少数民族に間違えられたけど。
旅順駅。
次に旧関東軍司令部に行った。
ここも中のパネル展示は、日本帝国主義を、正義の味方中国共産党が評価し批判していたけど、
まあ、もう、どうでもいいや。
美しい階段。周囲の壁の絵を見なければ。
そして向かい側には、旅順博物館がある。
ここには、大谷光瑞が寄贈したお宝が収められている。
入ってすぐにあった鐘と、ウイグル地方から見つかったミイラが圧巻だった。
旅順からの帰り道、東本願寺の前を通った。
いまは北京京劇院。
ひとことで言うと、旅順はいい。