中国は旧暦のお正月のほうが賑やかだけど、
やはり西暦の1月1日も大騒ぎする。
上海は、黄浦江の岸辺や人民広場でカウントダウンをし、
花火を打ち上げるらしい。
去年も今年も参加をしないからよくわからないけれど、ウワサで聞いた。
私が自分を「後ろ向きな人間」と言うと、友人は「うそ~!」と言う。
でも、そう自覚するのは大晦日だ。
去年だかその前だか、いつか書いたことがあったけれど、
私は毎年大晦日になると、「来年こそは死ねますように」と思っていた。
母が入院していたときには、母を置いて死ぬことはできないので、
なんとか来年はこの苦しみが終わるようにと願っていた。
つまり、母の死と自分の死を願っていた。
そして、母が亡くなり、お墓とか一応の法事も一段落して、
大晦日に「もう死んでもいいですね」と思ったとたんに、
その瞬間に父から電話が掛かってきた。
両親が離婚してから20年以上、大晦日もお正月も、
電話してきてくれたことなんてなかったのに、あの日、
突然電話が鳴って「ありがとう」と言われた。
もうワケがわからなくなって、そのあと、お風呂で泣いた。
声を上げて、声がかれるまで泣いた。
そしたら、近くの神社の除夜の太鼓の音が聞こえてきた。
そしてその3ヶ月後に、父も逝った。
結局、1年分を大晦日に泣く。ずっと。もう20年以上繰り返している。
もういい加減、何らかの結果を出さなければ、と思う。
私から見ると、とても偉大だった両親に、これじゃあ、会わす顔がない。
私は上海まで来て、いったい何をやってるんだろう。
結果を出すためには、ある程度以上の継続力が必要なのに、
私は何を、ふらふらしているんだろう。
今年最後の陽が暮れた。
すごく日本に帰りたくなった。
自宅のにおいをかぎたくなった。
南向きで、夜でもおひさまのにおいが残るあの部屋に帰りたくなった。
その直後、中国人の同僚から、
上海に来て初めて、この言葉を聞いた。
「対不起(ごめんなさい)」と。
仕事でたぶん向こうがうっかりしてたことがあり、今日発覚した。
でも、私はそれを責めなかった。
中国人は、なかなか謝らない。
「対不起」なんて、教科書には載ってるけど、
実際に中国人が外国人に言うところなんて、聞いたことがない。
周囲にいた中国人が、いっせいに神経をこちらに向けたのがわかった。
間違っていようが、一生のうちに何も達成できなかろうが、
私は自分の身の丈を引き受ける覚悟をするべきなんだ。
でも、大晦日に会社に出社している日本人が私ひとりだったとき、
中国人の同僚が「日本に帰らなくていいの?」と聞いてきて、
「帰らないよ」と答えると、「じゃあ、家族と電話は?」と言われたとき、
私は、まだ対処しきれない自分を自覚した。
ああ、なんで小学校5年生のとき、両親に
「離婚して」なんて、言っちゃったんだろうなあ。
もういい加減、時効だとは思うんだけど、
私は一番愛している人たちを、自分で切り捨てたんだな。
自分を正当化するために、彼らを恨もうとして、
そのために、いろんなストーリーをでっち上げた。
両親は私を愛していないと思い込もうとした。
でも、裏切ったのは私のほうだった。
彼らはずっと、離婚してもずっと、私を愛してくれていた。
もう間に合わないんだよなあ。
やはり西暦の1月1日も大騒ぎする。
上海は、黄浦江の岸辺や人民広場でカウントダウンをし、
花火を打ち上げるらしい。
去年も今年も参加をしないからよくわからないけれど、ウワサで聞いた。
私が自分を「後ろ向きな人間」と言うと、友人は「うそ~!」と言う。
でも、そう自覚するのは大晦日だ。
去年だかその前だか、いつか書いたことがあったけれど、
私は毎年大晦日になると、「来年こそは死ねますように」と思っていた。
母が入院していたときには、母を置いて死ぬことはできないので、
なんとか来年はこの苦しみが終わるようにと願っていた。
つまり、母の死と自分の死を願っていた。
そして、母が亡くなり、お墓とか一応の法事も一段落して、
大晦日に「もう死んでもいいですね」と思ったとたんに、
その瞬間に父から電話が掛かってきた。
両親が離婚してから20年以上、大晦日もお正月も、
電話してきてくれたことなんてなかったのに、あの日、
突然電話が鳴って「ありがとう」と言われた。
もうワケがわからなくなって、そのあと、お風呂で泣いた。
声を上げて、声がかれるまで泣いた。
そしたら、近くの神社の除夜の太鼓の音が聞こえてきた。
そしてその3ヶ月後に、父も逝った。
結局、1年分を大晦日に泣く。ずっと。もう20年以上繰り返している。
もういい加減、何らかの結果を出さなければ、と思う。
私から見ると、とても偉大だった両親に、これじゃあ、会わす顔がない。
私は上海まで来て、いったい何をやってるんだろう。
結果を出すためには、ある程度以上の継続力が必要なのに、
私は何を、ふらふらしているんだろう。
今年最後の陽が暮れた。
すごく日本に帰りたくなった。
自宅のにおいをかぎたくなった。
南向きで、夜でもおひさまのにおいが残るあの部屋に帰りたくなった。
その直後、中国人の同僚から、
上海に来て初めて、この言葉を聞いた。
「対不起(ごめんなさい)」と。
仕事でたぶん向こうがうっかりしてたことがあり、今日発覚した。
でも、私はそれを責めなかった。
中国人は、なかなか謝らない。
「対不起」なんて、教科書には載ってるけど、
実際に中国人が外国人に言うところなんて、聞いたことがない。
周囲にいた中国人が、いっせいに神経をこちらに向けたのがわかった。
間違っていようが、一生のうちに何も達成できなかろうが、
私は自分の身の丈を引き受ける覚悟をするべきなんだ。
でも、大晦日に会社に出社している日本人が私ひとりだったとき、
中国人の同僚が「日本に帰らなくていいの?」と聞いてきて、
「帰らないよ」と答えると、「じゃあ、家族と電話は?」と言われたとき、
私は、まだ対処しきれない自分を自覚した。
ああ、なんで小学校5年生のとき、両親に
「離婚して」なんて、言っちゃったんだろうなあ。
もういい加減、時効だとは思うんだけど、
私は一番愛している人たちを、自分で切り捨てたんだな。
自分を正当化するために、彼らを恨もうとして、
そのために、いろんなストーリーをでっち上げた。
両親は私を愛していないと思い込もうとした。
でも、裏切ったのは私のほうだった。
彼らはずっと、離婚してもずっと、私を愛してくれていた。
もう間に合わないんだよなあ。