ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

名月

2015-09-28 22:32:45 | Weblog
暑いのか寒いのか、日めくりで変わる気温。
輝く太陽と美しい月。体調管理は難しいけど、いい季節だ。

今年の夏は、親戚と過ごす時間が多く、
久しぶりに、両親のことをたくさん思い出した。

最近、自分は若年性アルツハイマーじゃないかと思うことが多いのだけど、
家族のことを思い出す機会がないというのは、全般的な記憶力を低下させると思う。
すでに元気だった頃の母の顔を思い出せなくなっているのだけど、
親戚はみな、わたしの顔を見て、母を思い出すらしい。
わたしが思い出せないのに、まったくずるいと思う。

それでも、母がどんなことを言っていたか、
そして祖父や祖母がむかし住んでいた家のことや
好きだった食べ物のことなど、
わたしが3歳になる前のことも断片的に思い出したりすると、
ふわっと時を超えて、温かい気持ちになる。

そういう瞬間が人には大切だと改めて思った。
思い出を共有できる人がいるということこそが、安心。

やっぱり家族がいるっていいよねえ、と思ったところで、
きっと、ここんとこの芸能ニュースのおかげで、
自分も一回り以上若い美人と結婚できると
妄想している同世代の独身男子が増えたんだろうと思ったりする。

一回り以上若い美女をつかまえた男性というのは、
若い頃からモテモテだった人たちだし、
ずっと目上のイケメンと結婚した女性というのも、
かなり選択肢をたくさんもった人たちだと、
今日のスーパームーンを見ながら、ぼんやりと思った。

中国では、中秋の名月のときに、一家が集まって月餅を食べる。
日本も、中秋の名月だなあ。

一滴 一刻

2015-09-18 00:04:26 | Weblog
わたしの世代の人たちなら、きっと知っているだろう。
「ああ、ときが見える」というセリフを。

「とき」には、時か刻か、どちらかの漢字が当てはまるのだろうけど、
そのシーンに、ザブーンという水しぶきが当てられていることから推測すると、
たぶん「刻」なんだろうな、と思う。

そして、このセリフは、一刹那が愛おしいという意味なんだろうと思う。
生きているこの瞬間、わたしをとりまくすべてを愛おしいと思うこの瞬間、
この執着にとらわれたすべてを、わたしだと思う。

それは死を前にし、有限を実感したからこその一刹那。
ありのままの自分を、自分が受け止めた瞬間。
それが「ときが見える」ということなんだろう。

決してエスパーとしてのセリフではなく、生きているたった一人の
ちっぽけな人としてのセリフ。

これをニュータイプとして描かれたララァに言わせたところに、
このセリフの重みがあるんだと思う。

ニュータイプだから見えたのではない。
人だから見えたんだ。

そんなことを考えたのは、
今日飲んだお酒が美味しかったから。

一滴に、すべてが宿る。そんなお酒だった。

夕陽

2015-09-13 21:08:08 | Weblog
朝起きて、ふと老後の生活が不安になった。
でも、よくよく考えてみれば、老後はいまの延長。
あと20年ある。いまから準備すれば、なんとかなるだろう。

きっと夢の延長。
久しぶりに亡き母が出てきた。
母は坂のてっぺんにある家に住んでいて、家の両端が下り坂になっていた。
この台所、使いづらい、斜めじゃん!と思いながら使っていたら、
母が、そのあいだに家の中をすごくきれいに掃除した。

古くなったものを取っておいてもしょうがないわ。手伝ってもらったの。と。
そして、わたしは会えなかった美しい顔をした弟と微笑みあった。
生前の母は、ものが捨てられない人だったのに。

久しぶりに母の気配を感じて、
ああ、こんなだったな、むかし、と思っていたら、
いつの間にか母が別人になっていた。
また、抱きしめる前に失ってしまった。

そうだ。秋のお彼岸だ。
毎年、団地に咲く白の彼岸花。
赤い花は亡き人を導く炎。白い花は亡き人を包む光。そう思う。



秋の七草の萩。鈴虫の音も美しい。



しばらくぶりに、ゆっくりと夕陽を眺めた。



光があって、初めて、ものはかたちを結ぶ。
その光は、お日様からくる。
この世はお日様によってかたちとなる。



母なる大地の地球ですら、太陽という他力によって生かされている。



いわんや、人をや。