我輩は凛太郎である/そしてその母紗夢猫(しゃむねこ)である+ワン!

凛太郎♂(18歳)ミニチュアダックスとハク♂(13歳)和犬雑種+その飼い主ニンゲンの皮を被ったネコ婆♀が繰り広げる日常

言葉

2011-10-10 21:06:10 | そしてその母紗夢猫である

 

ちょっとした言葉で心が傷つくことがある

どうして傷ついたのだろうと思う

ワタシというニンゲンを決めつけて判断される時

ワタシがこうだと思っているワタシの人格とかけ離れた評価をされた時

言った人が正しいのか?

ワタシがワタシを思い違いしているのか?

そもそも相手は決めつけて言ったのか

聞いたワタシが決めつけられたと思っているだけでは?

 

昔、相手の評価も評価のうちと言われたことがある

その時から評価という言葉が大嫌いになった

 

取るに足らないような会話なのに

しばらく堂々巡りをしてしまう

どうでもいいことなのにね

 

人は自分のモノサシが

さも正しいように

いろんなことを判断する

常識ってやつもまたしかり

 

ものを書くということは

書いたことから判断されるということだ

書いたことからニンゲン評価までされるということも覚悟しておかなければならない

面白かったと言われれば喜び

癒されたと聞けば

良かったと思う

面白く無いと言われれば

考えこんだりもする

 

感性だけで書いていると言われれば

それがいいのか悪いのかと

悩んだりもする

 

ホントに人の言葉でどれだけ左右されるのだろう

 

何を言われても

それは言った人の世界から生まれたこと

その人がそう思っているというだけのこと

でも、世の中のコミュニケーションは

そういうところでなりたち

 

それぞれが抱く

相手のイメージを元に

言葉がやりとりされる

 

良い時もあれば悪い時もありで

 

言葉で人は思いを告げ

言葉で優しさを現し

言葉でつながる

 

知らないうちに言葉で人を刺すこともある

 

言葉は愛だけど

言葉は人を殺してしまうほどの凶器でもあるのだ

 

言葉が

思いやりと優しさに満ちたものしか

声にならないとしたら

どんな世界になるだろう

 

優しさで満ちた世界になるかもしれない

 

 

 

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