おはこんばんちは!akiba丸です。
大学の頃、日本人の旅(冒険?)を調べたことがありまして、その中でも
印象に残った人がおります。今、チベットで動乱が起きておりますが、日本人と
して初めてチベットに入った人を紹介します。
名は河口 慧海(1866~1945)。仏教の僧侶であります。入国は清の時代の1900年
当時はまだ鎖国状態のチベットにネパールからヒマラヤを超えて、単身密入国し、
当時のチベットのセラ寺に学び、日本に数多くの仏教仏典を持ち帰ってきた。
日本に無い、原訳の仏典をもとめてチベットにはいったそうです。
100年も前にろくな装備なしにヒマラヤを超えるその冒険はチベット旅行記として
講談社から出版されています。1巻から5巻までだったかな?
もちろん密入国ですから日本人として名乗ってるわけがありません。また、入国
前にチベット語やネパール語を習得し、現地でも1年以上全くばれなかったそう
です。知識・決断力・行動力・体力ともども今の冒険家よりすぐれているといって
過言ではないとおもいます。
さて、そんな河口 慧海の記念碑が久品仏世田谷の浄真寺にあります。
全く知られてないみたいで、お寺のなかにもそれらしき案内などはまったく
ありません^^;
かなりな達筆(当時の?)で書かれているので読むのはかなり困難ですが、
その功績を称えられています。原文があったので載せます。
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河口慧海師碑
我国最初のヒマラヤ踏破者 日本西蔵学の始祖 在家仏教の首唱者
雪山道人河口慧海師は慶応二年堺市に生る 十五歳釈迦伝に感激精進に入り哲学館
に学ぶ 廿五歳得度 仏典の正解は原典乃至西蔵訳によるに如かずと悟り 渡印入
蔵を志し明治卅三年単身ヒマラヤの嶮を越え秘境西蔵に入る セラ大学に学び傍ら
医療を施す為に声名高く法王の知遇を受く 帰国に際し西蔵蔵経を将来す 後再び
入蔵梵蔵両蔵経並に仏像仏具博物標本等多数を携えて大正四年帰朝 爾後諸大学に
西蔵学を講ず 神足其許に集る師持戒堅固肉食妻帯を退け在家仏教の宣揚に努む
信者其門に参ず 梵蔵仏典の和訳西蔵文典西蔵旅行記等の著あり 昭和十五年将
来蔵経を東洋文庫に寄贈し蔵和辞典編纂会を起す業半ば戦禍国中に及ぶ 廿年二月
廿四日円寂寿八十
昭和三十二年二月二十四日 文学博士 椎尾弁匡撰
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あなたの周りにも、このように知られていない遺跡・記念碑があるかも?
こういった発見、探索は日常のリアル冒険ってかんじです。ゲームばかりじゃなく
地域のこともたまには調べてみるとおもしろい。