こんにちは、新年度が始まり、新元号も決まり、新しいことづくめですね。
今日は久しぶりに海軍物を紹介します。
74年まえの1945年4月3日に入校した、海軍兵学校最期の生徒である、78期生の方の階級章です。
78期は針尾分校に入校し、8月23日をもって閉校した短い歴史です。
写真の肩章の方は207分隊所属の水落洋三氏で、宇都宮中学出身、海兵無きあとは食堂を経営しており、ネットでも口コミかあり2010年代まで現役であったと窺い知れます。
ちなみに207分隊教官は高橋武、となりの208分隊は奈良大学名誉教授の東野治之先生の岳父・直木孝次郎大阪市立大学名誉教授でした。
残念ながら、情報はこれくらいでした。海兵78期の会誌『針尾』は確認できておりません(なにぶん確認できる図書館が近くにない)。
さて、階級章(肩章)ですが右肩章が二つ、残念ながら一対ではありません。最末期の生徒肩章です。裏には「七十八期 水落洋三」と墨書されています。
海軍兵学校生徒軍衣については
objectさんがこちらて詳しく述べておりますのでこちらも参考にしてください。
参考文献
海軍兵学校第七十八期会『針尾の島の若桜』同、1993年。
今日は久しぶりに海軍物を紹介します。
74年まえの1945年4月3日に入校した、海軍兵学校最期の生徒である、78期生の方の階級章です。
78期は針尾分校に入校し、8月23日をもって閉校した短い歴史です。
写真の肩章の方は207分隊所属の水落洋三氏で、宇都宮中学出身、海兵無きあとは食堂を経営しており、ネットでも口コミかあり2010年代まで現役であったと窺い知れます。
ちなみに207分隊教官は高橋武、となりの208分隊は奈良大学名誉教授の東野治之先生の岳父・直木孝次郎大阪市立大学名誉教授でした。
残念ながら、情報はこれくらいでした。海兵78期の会誌『針尾』は確認できておりません(なにぶん確認できる図書館が近くにない)。
さて、階級章(肩章)ですが右肩章が二つ、残念ながら一対ではありません。最末期の生徒肩章です。裏には「七十八期 水落洋三」と墨書されています。
海軍兵学校生徒軍衣については
objectさんがこちらて詳しく述べておりますのでこちらも参考にしてください。
参考文献
海軍兵学校第七十八期会『針尾の島の若桜』同、1993年。
水落洋三の甥(洋三の弟の長男)の者です。
偶々、こちらのサイトを拝見し伯父が身に着けていたものを拝見し感慨に耽っております。
父から伯父が海兵に入学したこと、すぐに終戦を迎えたことなどは聞いておりました。
伯父は終戦後、群馬大学に学び卒業後は教員として足尾中学に奉職し最後は校長を務め、教員退職後は足尾町議会議員などを務めながら、祖父の残した若竹食堂を営んでいました。
数年前に鬼籍に入りましたが、奥さんはまだ足尾町(現在の日光市)で健在です。
私の父も現在86歳ですが健在ですので、この写真を見せれば喜ぶと思います。
貴重な写真をありがとうございます。
乱筆失礼いたしました。
ご返信おくれましたこと失礼いたしました。
少しでもお役に立てて嬉しい気持ちです。貴重なお話ありがとうございました。