How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

2018/09/02 奥飛騨 高原川 野趣溢れる居着きのヤマメ

2018-09-04 01:04:04 | 渓流釣り 釣行記(高原川水系)

雨後の増水、笹濁りの高原川で、居着きの雄の尺上ヤマメ。

僕は高原川では必ずしも笹濁りがよいとは考えていない。
天候についても曇天がよいとは考えていない。
ただしそれも、流域や天候と水況のトレンドによって変わるけれども。


とにかく雨後の増水、笹濁りでヤマメを出したのだ。
画像には写し込めなかったが、色白でパーマークが鮮やかで、「俺は居着きだっ!」と言っているような表情だった。
慎ましい美しさと野趣の同居したような佇まいのヤマメだった。

 

 

 

 

 

魚のデータと当日の道具立て


魚種:ヤマメ
体長:31cm
竿:シマノ スーパーゲーム 刀 90 NI
水中糸:フロロ0.8号
ハリス:フロロ0.6号
鈎:オーナー スーパー山女魚 8号
餌:ミミズ

 

 

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2018/08/26 奥飛騨 高原川は崖っぷち ヤマメ33cm?34cm? 

2018-09-01 20:21:17 | 渓流釣り 釣行記(高原川水系)

高原川のうた

嶺へだて益田に峙する奥飛騨に 大河高原流れてながし




真夜中に高原川に向けて国道41号を北進している途中、激しい降雨に見舞われた。
予報ではこの雨雲が宮峠を越えて奥飛騨までやってくることはなかったし、実際に夜明け前に高原川に到着した時には雨は降っていなかった。

目当ての入川箇所には生憎先客が居た。
やむを得ず別のポイントに向かっていると、月並みな表現だが「バケツをひっくり返したような」雨が降り始めた。
多少の雨なら気にせず釣りをするが、これはとても車外に出られる降雨ではない。
しかも雷鳴も轟いて危険だ。
もう間もなく川には泥水が押し寄せるだろう。
200km近くを走破してきたが、今日の高原川での釣りは諦めるしかなかった。
一睡もせずに向かってきた僕には、雨粒がクルマのルーフを打つ音も次第に心地良く響くようになり、シートを倒したままそのまま眠った。


目覚めると予想通り濁流だった。
僕は今来た道を引き返し、益田川上流漁協管内に向かった。
渓とまではいかないけれども、出来るだけ上流域で、降雨の影響による茶色い濁りが収まりやすい流域を選んだ。
尺には届かないものの、流れの規模からすると充分な大きさの綺麗なアマゴを何匹か釣り上げその日は納竿とした。



翌朝は夜明けから高原川に入るつもりで、日没後暫くの後、入川箇所付近にクルマを停めた。
睡眠が足りていなかった僕は、シートを倒すとほどなく眠りに落ちた。


放水のサイレンの音で目が覚めた。
それは日付が変わる前だったか、それとも後だったか記憶にない。
前日の夜明け前に濁流が押し寄せた高原川はその後の降雨はなく順調に水位は減っていた。
恐らく川の水色も落ち着いてきたはずだ(暗闇なので未確認。ネット情報)。
それが夜半に降雨があったようで、またも放水が始まろうとしていた。
じたばたしても仕方ない。
翌朝目覚めた時に川を見て釣りの可否の判断をしようと考え、そのまま眠り続けた。


空が白んできた頃に川の様子をうかがった。
水位は高い。
水色は濁流ではないが茶色っぽい濁りが入っている。
仕方ない。
僕は高原川で竿を出したいのだ。
高原川のヤマメを釣りたいのだ。
水況がどうのこうのと言っている場合ではない。


河原に降りて竿を振り始めた。
最初の1時間近くは反応がなかった。
いつも魚が着いている流れは、どの筋を流しても魚信はない。
早朝でしかもこの高水だと、恐らく岸近くに漂っているだろうと考えたが、明るくなってくると、逆に流芯に近いところで小型のウグイを何匹か釣った。
あれだけ竿を絞ってくれたニジマスも居ない。
僕は基本的にリリースするので恐らくニジマスたちは他の釣り師に抜かれたのだろう。
リリースしたニジマスを同じポイントで3週続けて釣ったこともあるくらいだから、餌に対する反応の良いニジマスは、そこに居ればほぼ間違いなく何かしら応答はあるはずだ。
それが無いのだから居ないのだろう。
じゃあ、ヤマメはどうなんだ?
餌を奪い合うライバルは居ないのだよ。
奴らに餌を奪われて大きくなれなかったんだろう?
もう居ないんだ、食えよ!

そう思いながら竿を振り続け、仕掛けを馴染ませ、水面を滑る目印を追っていた。
これだけ降雨があるのだから、下流から差してきた大型のヤマメが居るはずだ。
ほらっ!食えよっ!

遠くの落ち込みに餌を打ち、流れに馴染ませて手前の岩盤のブッツケまで流してきたときに、目印がふと止まったように見えた。
竿尻を支える手許には何の感触も伝わってこなかったが、明らかにおかしな動きだったため、コツンと短く鋭くアワセを入れた。

直ちに穂先を叩くような激しい首振りが始まった。
鋭く俊敏で端正なそれはヤマメのものだ。
姿を見なくともわかる。
パワーにモノを言わせてガツン、ゴツンという重々しい衝撃を伴うものの、端正さが微塵もないニジマスの首振りとは違う。
大排気量のアメ車がドロドロと排気音を出しながら重々しくエンジンの回転数を上げるのではなく、小排気量の国産エンジンが、小気味よくリズミカルにビートを刻みながら一気にレヴリミット付近まで吹け上がるような、そんな首振りがヤマメの首振りなのだ。
そして首振りが終わると激しいローリング。
意外にも水面付近に居たようで、反転する際にギラッ、ギラッと魚体が光る。
まるで釣り雑誌に出てくるような理想的なファイトを見せてくれたヤマメは、観念すると直ちに玉網に収まった。




増水により岸際まで波が押し寄せ、体長がうまく計れなかったが、恐らく33~34cmだろう。
しかしこの際1cmくらいはどうでもよいのだ。
貧果の続く高原川で、やっとよく肥えた尺上のヤマメを獲ることができたのだ。


過去にはもっと体高豊かなヤマメも居た。
しかしそんなヤマメは今は幻と言っていいくらい見かけない。
体高云々を抜きにして、尺以上のヤマメが2015年以降シーズンを追うごとに少なくなっていく。
釣れるヤマメも殆どが痩せて貧相だ。
入川時期や流域を変えれば状況はまた異なるのだろうとは思う。
毎年6月に試験釣行する際にはまともにヤマメは釣れるのだから。
しかしそれ以降、盛夏の頃、確かにヤマメは釣りにくくなるものの、それでも過去にはその時期に40cm近い個体を複数本釣ってきた。
それが尺に満たない個体すら僅かしか釣れないというのは、高原川が一体どうなっているのか不安に感じて当然だろう。
明確な理由は分からない。
10年前よりも釣れないということなら、恐らく高原川を取り巻く環境が良くなっているとは考えにくいのでやむを得まいという回答が出てくるだろう。
そうではなくて2015年以降急激に悪くなっているように感じるのだ。


最初は前年までヤマメが着いていた筋でイワナが掛かるようになった。
「ああ、今年はヤマメが少ないんだな」と思っていた。
それがイワナも掛からなくなった。
代わりにニジマスが跋扈している。
嫌というほど、飽きるほどにニジマスが食いついてくる。
奴らが幅を利かしているせいでヤマメが餌を捕れないのではないかと思う。
ニジマスが居なくなったポイントで、今回この画像のヤマメを釣った後、20cmを少し超えるくらいの痩せたヤマメを立て続けに何匹か釣った。
だから恐らくヤマメは居るんだよ。
ニジマスよりも気難しくて神経質だから釣り師は余計に「居ないんじゃないか」と感じるだろうがある程度は居るんだよ。
ただし、嘗てのように成長できないのだよ。

「より自然に近い形にしたい」というのが、近年の高原川漁協の考えとのことで、先ずは成魚放流を行わなくなった。
これに関しては僕は率直に賛成の立場だ。
稚魚放流は定着率が低いとのデータがあるようで、親魚放流や発眼卵放流に注力しているようだ。
それで川が豊かになるのならそんな良いことはないと思う。
でもそれらを推奨し始めてからの方が釣れないのが現実なのだ。
何故だろう。
僕が釣っていた綺麗な高原川の本流ヤマメたちが、成魚放流の残党とは思えない。
何故だ?

ヤマメが釣れなくなっていくのと反比例するように、ニジマスがよく釣れるようになったと感じる。
相対的な生息数によるものかもしれないが、釣り師の感覚としてはニジマスが勢力を拡大しているとしか思えない。
放流方式を変えたことの効果を検証する前に、僕はニジマスの放流量を抑制した方がよいと思う。
色々な柵や取り決めがあって放流しないわけにはいかないのだろうが、可能な限りニジマスは放流して欲しくない。
高原川を愛でる、一本流師の思いです。



魚種と当日の道具立て

魚種:ヤマメ
体長:33cm 或いは34cm(現地測定)
竿:シマノ スーパーゲームスペシャル ロング 95-100ZP
水中糸:フロロ 0.8号
ハリス:フロロ 0.6号
鈎:オーナー スーパー山女魚 8号
餌:ミミズ

 




エピローグ

前回記事にも書いた内容をもう一度記述してみた。
終日竿を出しているだけで尺ヤマメに出会えた頃が懐かしい。
もし今シーズン尺ヤマメを獲れなければ、来シーズンは年券購入を見合わせるつもりだった。
要するに「タカハラを諦めるつもりでいた」のです。
それくらい、高原川は崖っぷちだと思います。








高原ヤマメサロンへようこそ 

~過去に僕が釣った、高原川を彩るヤマメたちです(一部、過去のアマゴの放流履歴で交雑した名残と思われる朱点が認められる個体もあります)























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2018/08/05 奥飛騨高原川 ニジマス53cm ~高原川にニジマスはいらない

2018-09-01 01:03:00 | 渓流釣り 釣行記(高原川水系)

直近の釣果ではないのだが、高原川で少し大きめのニジマスを釣った。
ニジマスと言えば、それが種としての特徴なのか、或いは養殖による世代を継いでいった影響なのか、概しておちょぼ口の個体であるのだが、その日釣った魚は少し口が大きくなり始め、背も隆起し始めていた、率直に言って「カッコいい」個体だった。




恐らくこの個体は約1カ月前にも同じポイントで掛かったのと同個体だと思う。
その時は僕が使っている竿ではパワーが足りず、寄せてくるのに難儀していた際に、岩にすれて水中糸が切れてしまった。
寄せた姿を見た時に「いや、これは獲るのに相当苦労しそうだな。バレてくれてもいいんだがな」と思ったら、糸が切れたという話である。
その魚がもう一度かかったのだ。
ニジマスといえども、今度は獲ってやろうと思う。
実際に、普通にヤマメも釣れていれば、時にはこんなニジマスが掛かったら楽しいだろうと思う。
でも釣れるのが殆どニジマスなので正直なところ遣り取りは雑になる。
ただ、この魚との対峙は丁寧になるよう気をつけた。


釣りあげた後、この魚は暫くストリンガーに繋いで活かしておいた。
そのポイントでどの筋に魚が着くのかというのは大体把握している。
幾つかあるそんな筋の内のひとつで掛かったのだが、このニジマスを釣りあげてから尺に満たないヤマメを何匹か釣った。
日頃感じている。
ニジマスが居るポイントでは、奴らが幅を利かせてヤマメが捕食しにくいのではないかと。
だからニジマスばかり掛かってヤマメがなかなか掛からないのではないか。
時折掛かるヤマメは尺に満たない痩せた個体なのではないか。
そもそもニジマスの方が餌に対する反応は良いわけだから、これはあながち誤った推測ではなかろう。
ニジマスには申し訳にないが、釣ったら持ち帰った方がよいのではないかと思い始めていた(この個体はリリースしました)。

盆前には飽きるほど釣れたニジマスだが、盆明けは激減した。
恐らく殆どが抜かれたのだろう。
その代わりと言ってよいのか、やっとそのポイントでヤマメが釣れ始めた。
でも小さくて痩せた個体ばかりだ。
盆明けの時点では、嘗ては当たり前のように尺以上の個体が出てきた高原川で、僕はまだ尺ヤマメを獲っていなかった。

本当に切実に思う。
高原川にニジマスはいらない。
ヤマメを釣りに高原に来ているのだから。
稚魚放流は歩留まりが悪いから親魚放流や発眼卵放流に力を入れて「より自然に近い形にする」というのが近年の高原川漁協の考え方らしい。
それを証明するかのように成魚放流も実施していない。
その効果を検証する前に、ニジマスの放流をやめたらどうか。

現在の規定路線に変更してから、高原川での釣果が頗る悪くなっているのだ。

取り決めで放流せざるを得ないのであれば、ニジマスの放流量を減らして欲しい。

10年前に比べて、確実にニジマスの数が増えてヤマメの数が減っている。


 

 

魚種と当日の道具立て

魚種:ニジマス
体長:53cm(現地測定)
竿:シマノ スーパーゲームスペシャル ロング 95-100ZP
水中糸:フロロ 0.8号
ハリス:フロロ 0.6号
鈎:オーナー スーパー山女魚 8号
餌:ミミズ

 

 

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まき☆さんのイラスト まき☆さんのTシャツ

2018-08-28 01:31:00 | 鮭一の徒然

 

帰宅したら届いていた。
まきさんのイラストをプリントしたTシャツ。
絵心はない上にわからない僕だけど、某SNSで見掛けたイラストに一目惚れしてしまった。
どんなお方なのか、僕は何も知りません。
でも、まきさんのイラストには凄くひかれます。


モッドなTシャツと、"Hello~いとこの来る日曜日" を思わせてくれるネオアコなTシャツ。
もうすぐ夏も終わるけど、いつ着ようかな。




先ずはモッズ風のTシャツの方から。

60年代モッズは勿論、より細くてシャープなスーツのシルエットに70年代のネオモッズも感じました。
そしてまたヴェスパが出てくるモッズ動画と言うと、この曲を思い出します。
ということで、Secret Affair の"Time for Action"

 

 


こうして当時の動画を観ると、Secret Affairは確かに他のネオ・モッズバンドより実力はあるし、イアンもデイヴィッドもカッコいいのだけど、
どうしてもマリオットやウェラーほど突き抜けてはいないなあと感じてします。
振りがいまいちモッズ的でない(笑)

てことで、Small Faces も埋め込んでおこう。

 

 

では次にネオアコ風のTシャツ。

「Helllo ~ いとこの来る日曜日」のイメージそのままで凄く気に入ったイラストでした。
購入サイトではトートバックにプリントされた画像が紹介されていたので、Tシャツはないのかと残念に思っていましたが、
プリントする対象は幾つか選べると分かり、Tシャツ購入に至ったというわけです。
因みに「Helllo ~ いとこの来る日曜日」に関しては、小説で言うならカポーティの「遠い声 遠い部屋」を思い出します。





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Her squint ~ 言葉と旋律と青い衝動

2018-07-10 08:21:31 | 音楽徒然

何かを表現しようと思った時に、その手段として僕が最も得意なのは文章だと思っていた。

時には身を削るような思いをしなければならないこともあるが、多くの場合は容易く感じた。

考なくても言葉が出てくるし、もし出てこないときには考えれば出てくる。

要するに僕にとって言葉は必ず出てくるものだった。

そしてそれは今も変わらず感じている。

僕が表現する手段としては、言葉が相応しい。

ただし、あらゆる語彙の持ち合わせはない。

 

 

 

でも若い頃の僕は言葉だけではなく、言葉と旋律という表現方法を選んだ。

何故そのような選択になったのか。

それがこのエッセイの主だった題のひとつではあるのだが、語り始めると相当な長文になりかねないので手短に伝えよう。

 

「小説を書きたいと思ったが自分には書けないと悟った。

寧ろ、散文詩のような短い文章の方が自分は勝負できると感じた。

しかし日本文学における「詩」というジャンルは今後も存在し続けるのか疑問に感じる。

ならば僕は寧ろその散文詩を旋律に載せて届けよう」

大まかに言うとこういうことだった。

 

 

そもそも僕は大した読書家ではなかった。

触れた書物の数など僅かなものだ。

寧ろ接していた時間は音楽の方が圧倒的に長かった。

しかし、幼少期に音楽教育を受けたこともなければ楽器の演奏もできない。

言葉を綴るように容易く旋律を紡ぐことなど出来ない。

自分が旋律を紡ぐには、鼻歌しか方法はなかった。

これでは勝負できない。

誰かに曲を提供してもらえるのを待っていたら歳をとるだけだ。

遅すぎたと悔みながら、僕は二十歳を過ぎてから作曲のためにギターを手に取った。

 

 

 

先ずはコード(和音)というものを知らないと演奏も作曲も出来ないだろうと考え、僕はお気に入りの曲のコードを調べてガチャガチャとギターを掻き鳴らしながら口ずさむということから始めた。

自分にとってのギター・ヒーローが居たわけではないから、ソロやリフをコピーして練習するなど一度もしたことがない。

「自分は作曲のために楽器を手にしたのだ」という最初の思いのまま、ただ只管コードフォームを覚えて旋律を口ずさみながらギターを鳴らし続けた。

ある程度コードフォームを体得した後、さすがに音楽理論を一切知らないというのでは宜しくないと考え、基本的な理論は学んだ。

「そうか、楽曲というものはこうやって出来ているのか」。

 

 

このようにして僕は曲を作り始めた。

「誰それのナンタラという曲みたくなるといいな」。

漠然としたイメージだけで作曲を始めたごく初期に、ほぼ同時に3曲仕上がった。

完成イメージとして考えていた元ネタの曲のコードを調べるなどすると、どうしても真似になってしまうだろうと考え、敢えてコードは知らないままイメージだけで作った。

そのうちの一曲が、その後の僕にとって特別な意味を持つ曲になるのだった。

 

 

 

“Her squint”

それをその曲の名に冠した。

自作曲についての解説など、小説の作者あとがきのようなもので最高に馬鹿げていると思うので、詞の内容に関しては詳しいことを書くつもりは一切ない。

時間があれば “squit” という語の意味を調べてみてくださいということだけは言っておこう。

 

 

 

当時一緒に音楽活動をしていた仲間で、”Her squint” のデモ音源を録音した。

編曲された自作曲を自身で演奏し、それを録音して聴いてみる。

捲るめく体験だった。

楽曲としては何も難しいところはない。

技巧的なことは一切していないというか出来ない。

基本的で簡単なコード進行で、素人臭が色濃く漂っていた。

しかし、僕はそこに載せた旋律には自負があった。

いいメロディが出来たなと、自画自賛ではあるけれどそう自負していた。

 

 

「なんでこんな爽やかなM7(メジャー・セヴンス)が続くような曲に、こんな思い詰めた詞を載せるのかな?」と言われたこともある。

確かに一般的にはM7コードのイメージは「清涼感」「広がり」などとされている。

でも僕はM7コードには「不安感」「一抹の寂しさ」「切なさ」「哀愁」を感じる。

だから、思い詰めた詞(詩)で良いのだと思った。

 

「随分ヴィジュアル色の強い詞だね」と言われたこともある。

でも考えてみて欲しい。

例えばThe Smiths の曲を日本のV系バンドが演奏してもさほど違和感はないだろう。

The Smiths の楽曲群で歌われる詞の唯美的な部分をデフォルメすると日本のV系バンド的になるだけなのだ。

デフォルメしないならばThe Smiths のような見た目のバンドがやっても違和感ないでしょう。

 

 

こんなことを言えるくらい、僕はこの曲 “Her squint” に自信を持つようになっていた。

いかにも素人の所作であるのにすっかり足元を見失っていた。

そしてここには書いてはいないけれども、この曲に纏わるエピソードも含め、僕にとってこの曲はとても特別な曲になっていった。

最初のコード「AM7(エー・メジャー・セヴンス)」は当時も、そして今でも、チューニングを終えたギターを抱えて、最初に鳴らすコードだ。

そして勿論、弾き語りをするときはAM7(エー・メジャー・セヴンス)を鳴らしてそのままこの曲の演奏を始める。

凄くスローな、弾き語り用のヴァージョンで歌う。

最後にもう一度、この曲を演奏して終わる。

そんな特別な曲なのだ。

 

 

 

 

この曲のデモ音源を録音したときに、ごく短い期間ではあったけれど一緒に音楽活動をしていたSHさんとは袂を分かつことになるのだが、その後も暫く親交は続いた。

SHさんが新潟に、僕が岐阜に帰郷した後も、僕は新潟までSHさんに会いに行った。

しかし僕を取り巻く環境がどんどん変わっていった。

音楽に触れる時間など全く取れないくらい、毎晩日付が変わるまで仕事をしなければならないような日々が何年か続いた。

更に僕がメンタルな病を抱えてしまうことになった。

残念ながら、親交は途絶えてしまった。

 

「SHさんは今頃どうしているのかな」。

音楽全般に長けた人と会ったりする度に、僕はSHさんを思い出した。

「あの人が音楽を生業としないなんて日本の音楽界はどうかしている」くらいに思っていた。

それくらい凄い人だった。

これまで出会った音楽家で(敢えてこの言い方をしたい)最も尊敬する人だった。

 

 

ふと悪戯心で、とあるSNSでSHさんのことを検索してみた。

ヒットした。

故郷で音楽スタジオとイヴェント・スペースを兼ねたような施設を経営されていた。

音楽を生業としていらっしゃる。

軌道に乗っているようだった。

輝いている様が伝わってきそうなほど充実しているように感じた。

「僕のことなんか忘れちゃっただろうな」と思いながらフォローだけした。

 

 

「もしかして、高円寺で一緒にやっていた鮭一くんかな?」

返信が届いた。

SHさんは忘れていなかった。

覚えていてくれた。

また遣り取りが始まった。

 

 

「今度3周年のイベントをやるんだよ。あの曲を一緒にやろうよ」と声をかけてもらえた。

とても嬉しい。

あの特別な曲を実演する場を与えてもらえるなんて、夢のような展開だった。

ただ、僕はもう現役を退いて長い。

人前で演奏することからもうずっと遠ざかっている。

 

ということで、目下特訓中です。

 

 

Her squint    (詩・曲:襖澤 鮭一)

 

綺麗に言葉を並べ立てても あらゆる語彙の持ち合わせはなく

すり抜ける すり抜ける 目前に横たわる彼女と隔てる不安な空間を

 

この僕の茶色いふたつの眼は 小刻みに震え彼女の姿を追う

耳をそばだてて彼女の声だけを 

ひと声、ひと声に、喜び・・・また切なさ

 

ああ、あなたの流し目に射られた僕の肉体は

先ずは左手そして右手 更に口を麻痺させる

身じろぎもしない僕の中の歓喜の雄叫びは

壊死した右手に引き金引かせ、僕は・・・また罪を犯す

 

彼女の冷たい踵が過る 膝頭露わに そして流し目さ

ああ、今思い知った 彼女の流し目は

生まれつきのもの 無意識下の一瞥

 

爪を切る 僕が待ち望むその日のため

爪を切る その日に彼女を傷つけぬよう

 

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切る

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切り

 

ああ、今思い知った 本当は彼女を

少しも愛していない 流し目に魅せられた

 

 

songwriting,

arrangement,

performances,

programings,

engineering,

by Sakeichi Fusumazawa

except arrangement of main guitar phrase

by Shunichi Hanano

 

 

 

【追記】

自身の拘りで、自作曲の中には「詞」ではなく「詩」の文字を用いたいものが存在します。

この曲 "Her squint" もそれに中ります。

誤記ではありません。

 

演奏については、当時のデモ音源でSHさんが弾いた素晴らしいギタープレイを真似して僕が演奏しています。

技術が伴わないのでかなり簡略化しています。

各パートの演奏の粗やヴォーカルのピッチ、ミックスや音処理については、録音した直後から録り直したいなと思っていました。

いつかまた録り直そうと考えてはいたものの、当時でも拙い演奏だったのにブランクがあるとこのレベルすら弾けません。

恐らく今後も無理でしょう。

要するにこれが鮭一の最高のパフォーマンスになるのでしょうね。

鮭一の青の時代の、青い衝動の結晶です。

 

 

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