How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

2017/07/16 奥飛騨 高原川 ~高原川でのシーズン初尺上ヤマメ 32cm

2017-07-20 01:59:35 | 渓流釣り 釣行記(高原川水系)

6月の試し釣りはカウントせずに、今日が実質今シーズン最初の高原川。

前評判は良くない。
魚が少ないと聞いている。

そんな中、毎年通い慣れたポイントで、「あの筋にヤマメがよく着いている」と、確信を持って流した筋で、32cmの尺上ヤマメが挨拶に顔を出してくれた。



このポイントのヤマメは他のポイントに比べるといつも痩せているのだが、昨年に引き続き今シーズンも痩せている。
高原川のヤマメはもっと立派だったと記憶しているのだが。



結局尺を超えるヤマメはこれだけだった。
ほかはニジマス。
救いは昨年砂利で埋まったポイントが再度掘られて深くなっていたことだ。
また魚が着ける流れになった。

そしてつい先日の大水でかなり流れが変わったところもある。
正直なところ少し面食らった。
魚たちはすぐに落ち着くことはできるのだろうか。


因みに今日はいつもと竿が違う。
物議を醸すことを承知の上で敢えて率直な感想を言うなら、初代エアマスターの正常進化版は、二代目エアマスターではなく今日振っている竿、シマノの「スーパーゲームスペシャル ロング 95-100ZP」の方ではないか、そう思えてくるくらいしっくりくる。

初代エアマスターのようによく曲がる。
はっきり言って柔らかい。
魚の引きに対して柔軟に対応する。
でも、初代エアマスターほど大きなモーメントはない。
振り抜くことが可能だ。
持ち重りも全く無い。
寧ろ、長さを感じさせないため「これで本当に10mあるのか? もっと短いのではないか? 騙されているのではないか?」と不安になるくらいだ。
とにかく非常に扱いやすい。
深場で大物が掛かったとき、穂先が目の前まで降りてくるような感覚に襲われた初代エアマスター。
あのぞくぞくする瞬間を、「スーパーゲームスペシャル ロング 95-100ZP」でも味わえそうなのだ。


この竿、よいと思う。
ただ、似たようなことを前回も書いたが、10.5mに慣れた身体は、10mでも足りないときがある。
人間は贅沢だな。
嘗ては高原全域で10mでやっていたのに。


【当日のタックル】
竿    : シマノ SUPER GAME SPECIAL LONG 95-100ZP
水中糸 : フロロ0.8号
ハリス  : フロロ0.6号
鈎    : オーナー スーパーヤマメ8号
餌    : ミミズ

漁種:ヤマメ
体長:32cm


 


 


2017/07/08,09 流れの中は夢いっぱい ~今日は刀で釣ろう~  南飛騨 益田川にて 【後編】

2017-07-15 01:38:46 | 渓流釣り 徒然草

初めて刀を振ったとき、使い慣れたエアマスターとは全く正反対の調子特性故、大いに戸惑った。
竿全体のアクションやモーメントを利用して振り込むエアマスター。
それに対して正にその名の如くビシッと振り抜ける刀。
ところがその調子に慣れるのにさほど時間を要しなかった。
名竿とはそういうものなのかもしれない。

寧ろ僕は初代エアマスターから二代目エアマスターに持ち替えた時の違和感の方が長引いた。
「二代目はこういうものなのだ」と、その調子を身体で覚え、何故その調子になるのか理解し、そして自身の中で折り合いをつけ納得するのに2シーズン要した。
3シーズン目に当たる今年は、咋シーズン痛めた右肘が完全に回復していないこともあったため、SMTの穂先ではなくチューブラ穂先で使っている。
穂先に金属があるかないかでかなり持ち重り感が異なる。
持ち重り「感」だけでなく、実際に右腕にかかる負担が大きいのなら、悪影響を与えるかもしれない要素は省きたいと考えたからだ。
それに、仕掛けの接続部分で接続具やゴムを介している僕の分割仕掛けでは、SMTの恩恵にあずかることはなかろうと考えたこともある。
もしチューブラ穂先に換えても持ち重り感が解消されないままだったならば、僕はもうエアマスターを置くつもりでいた。
その時は「10mという長竿でありながら、本流ヤマメ竿の傑作と認める『スーパーゲーム刀』の延長にあるかのような振り心地」と細山さんの言であるかのようにシマノのカタログに記載されていた「SUPER GAME SPECIAL LONG 95-100ZP」をメインで使おうと考えていた。

話を刀に戻そう。
構えた時の持ち重りの支点はエアマスターは竿全体の長さの中間地点より少し手前に感じるのに対し、刀は元竿の上端辺りか。
持ち重り感に関して言えば明らかに刀の方が少ない。
扱いやすく感じる所以だろうと思う。
また、これはシマノの本流竿全般に通じると思うのだが、この持ち重り感の少なさがシマノの本流竿が広く浸透していることの理由だと思う。
とにかく長さを感じないし扱いやすい。
そして、こと刀に関しては凄くシャンとしているというか、ビシッと1本筋が通っているように感じる。

更には「細身肉厚設計」との触れ込み通り、手にしたときに「なんて細いのだろう」と驚いた。
それでいてか弱い感じは皆無であり、実感としては「肉厚設計」により、とても頼りがいのある強靭な竿だ。
だからと言って感度が損なわれているわけではない。
材が薄い方が感度は良くなるように思うが、刀に関してはそれは当てはまらないと思う。
金属でできているのかと思うくらい筋のある強靭さと感度なのだ。

ならば魚が掛かったときも硬くてなかなか曲がらない竿なのかというと全くその逆なのだ。
穂先から順に曲がってスッと胴に重みが乗る。
曲がっていくとき、即ち直線状態の各節が弧を描いていく様は、芸術作品を見ているかのように美しい。
そしてまた美しいだけでなく、その様は緻密にプログラムされた一連の動作を再現しているコンピュータの解析画面のような精巧さもある。

一度胴に重みが乗ると、何処までも曲がるように思えるほどの粘り。
もっと引いてもらって構わない、引けよ、絞ってやるから、折れる筈がないのだから・・・と思えてくるほど、まるでばねのような弾力。
ひとつひとつの特性を単独で備えているのではなく、全て兼ね備えている。
こんな素晴らしい竿ができるものなのかと驚愕した。

ただ僕にとっては惜しいのはその長さ。
僕はもう10m、10.5mという竿でフィールドに立つことが前提になっているため、9mでは足りないのだ。
長さを必要としない釣り場では積極的に刀を使う。
しかし、そうでない時は残念ながら持ち出せない。

でも今日こそは刀でいい魚を獲りたい。



2017年7月9日
朝一番で入ろうと考えていた益田川のポイントは無理だった。
水位が上がっているし、流れも弱まっている。
これでは刀でなくとも太刀打ちできそうにない。
仕方なく別のポイントへ向かうが、今日に限ってそこには先行者がいた。
よし、ひとまず刀は諦めよう。
竿に拘らずに、この時間帯に有望なポイントに入ろう。

僕は少し上流にクルマを走らせた。
9mの刀では届かないポイントでエアマスターを振り、25cmくらいのアマゴと35cmくらいのニジマスを2匹釣った。
相変わらずアマゴよりニジマスの方がたくさん釣れるなと嘆かわしい気持ちでそのポイントを後にして、朝一番で先行者が居たポイントに戻ってきた。






今日は刀で釣りたんだよ。
心の中で呟いて流し始めた。

誰かが流した後だからという理由ではないと思う。
天候と時間帯が大きく影響しているのだろう。
見事にアタリがない。
アマゴは1匹も釣れない。
尺近い立派なウグイが掛かり、掛かった瞬間は激しく首を振る。
一瞬本命と間違えるが直ぐにバテてズルッと水面に顔を出し引き上げられる。
その繰り返しだった。
もう今日は諦めて帰ろうかと思った時、ふと上流側の平瀬が気になった。

一見何もなさそうなフラットな流れに見えるが、上流側から次第に深くなりそしてまた浅くなる。かけあがりとかけさがり?(或いはその逆か、はたまた視点をかえればいずれもかけあがりか)が続くポイントだった。
そういえばいつも素通りだが、過去に竿を出したときは20cm台の小型ではあったが、次々にアマゴが掛かったことを思い出した。
恐らく捕食しやすい流れなのだろう。
ちょっと流してみようかと、さほど期待せずに流した。

最初は相変わらずウグイのアタリばかりだった。
それもどうやら群れに当たってしまったようで、よく肥えた立派な尺ウグイが次々と刀を絞ってくれた。
いい加減にしてくれよ、ご苦労さん、と思いながら流していたとき、ウグイとは異なるアタリが襲った。
アワセを入れるとシャープな首振りと走りで楽しませてくれたのは紛れもないアマゴだったが、体長は20cmそこそこだった。



とにかく、アマゴが釣れてよかった。
ウグイばかりでは情けない。
小さなアマゴを眺めて「ありがとうな。楽しかったよ。」と、知らぬ間に声をかけていた。




「楽しい~。釣れれば何でも楽しい。」
まさかそんな言葉が細山さんの口から発せられるとは思ってもみなかった。
テレビ向きの言葉かも知れないが、でもそう言っているときの笑顔は作り笑いではなかった。
シマノの番組で長良川でサツキマスを狙っていたとき、掌くらいのアマゴを釣る場面がある。
ヤマメ域に在住の方だけあって、最初は「ヤマメだ」と言うのだが、直ぐに「アマゴだ」と言い直したことも僕には印象に残った。

そうだ、釣りは楽しまなきゃ。
漁として釣りをしているのではないのだ。
色んな接し方があり、時には修行のようなストイックな釣りをすることがあるかもしれないが、根本的には楽しまなきゃいけない。

でも今日は寂しいですよ。
こんなに寂しい気持ちで釣りをしたことはないです。
本当はこんなことを言ってはいけない、お送りしなければならないのだけど、細山さん、残念でなりません。



そもそも僕は細山さんに親交を持って頂いたわけではない。
ただ尊敬して、崇めて、憧れていただけだ。
岐阜の釣具店、やすやさんが主宰した「長良川サツキマス実釣会」でたった半日ご一緒させて頂いただけだ。
その時の記憶が鮮烈で、忘れられない思い出となっているだけだ。
テレビや漫画の世界のヒーローに憧れているのと同じようなものだ。
それでこんなに寂しい気持ちになるなんて馬鹿げているという人もいるだろう。
でも本当に寂しくて残念で、物凄い喪失感なのだ。



サツキマス実釣会の当日、不案内なポイントで朝一番に何処に入ろうか困っていた。
結局僕は暗がりの中で僅かな光に反射する川面や岩の形から入川個所を決めたのだが、明るくなると「これはいいぞ。朝一番でマスが入ってきそうだな」と思った。
そして細山さんが近付いてきて言葉を掛けてくれた。
「おお、いいところ選んだねえ。朝一番でサツキマスが入ってきそうだね。」
その言葉に僕が狂喜したのは言うまでもない。

参加者各々の釣りを一旦止めて、細山さんの釣りを拝見する時間になった。
細山さんが入ったポイントは、前週に僕が試し釣りをした流れだった。
しかも、何故そこを選んだのかという理由が、僕が考えていたのと同じだった。
「朝のうちにね、下のひらきやトロ場で休んでいた奴がこの時間帯になるとね、こういうところに入ってくるかもしれないんだよ」。
そして探っていく順序も同じだった。
自分の川見も悪くない、自信を持っていいんだなと安心した、

細山さんが振る刀は、まさしく刀のようだった。
ひゅっと振り込まれ、着水した仕掛けはあっという間に馴染む。
何故そんなに早く馴染むのか不思議でたまらなかった。
ひとたび流しが始まれば、まるで目印が水面を滑るようにスーッと流れていく。
美しい。本当に美しい。
他人の竿裁きやドリフトを見て「美しい」と思ったことは他にない。
伝統芸能の類を見ているような気分になり、細山さんのことを人間国宝、リヴィング・レジェンドと思った。
そしてそのまま伝説になられた。


そういえば、その時の細山さんは根掛かりをしてしまったんだ。
ヒュッとアワセを入れた時、僕ら参加者が「おおっ!」とどよめいたんだ。
一瞬ののち、細山さんが振り返ってニコッと笑ったんだ。
そしてそのまま川から上がってくる。

「ちょうどいいや、糸同士をつなげるやり方を教えてあげるよ。すこーし結び目が大きくなるけどね、これが一番強い。サクラマスが掛かっても切れない」。
そう言って、また僕らの方を見てニコッと笑った。
実際その結び方は凄く強い。
発電所の放水口の直下で50cm近いニジマスを掛けた時、その方法で繋いだ水中糸は切れずに竿が折れた。
そういえば、その結び方でシロザケも獲れたんだ。

「細山さん、鈎のチモト付近は二重撚りにしてますか?」
「してるよ。」
「どうやってやるのがよいですかね?」
「ああ、簡単だよ。ちっとも面倒でないよ。外掛け結びの後にこうして二重にして、後はさっきの糸を繋ぐときの要領で・・・ほら!」
「ありがとうございます」
「これでね、2本の内1本は切れて、残りの1本だけで獲った魚も居るんだよ」
この後、僕は常に二重撚りにしているのだが、1本は切れて残りの1本だけで獲ったということが少なくとも二度ある。


細山さんにしてみたら、僕らは初心者同然。
こんな初心者の馬鹿げたくだらない釣りや質問に付き合わされて正直面倒だったと思う。
それでもイヤな顔は全くしないで、テレビで拝見するときと同じ、あの穏やかで優しい話し方と、佇まいと、眼差しで僕らに接してくれた。
そんな風に接して頂けるなんて、本当に希有なことであり、光栄この上ない。
本物の名人、達人と呼ばれる方とはこういうものなのだろう。
僕ら裾野の素人にとっては感謝してもしきれないくらいありがたいことだ。
このように感じている釣り師は大勢いると思う。
何故なら、細山さんほど有名な方なのだから、「どこそこの釣り場で会った」だの「話をした」だの、その類のネタは枚挙に暇がないのだが、細山さんの評判を落とすような悪い話はひとつも聞いたことがないのだ。

いや、もしかしたら親しくしてらっしゃった方には厳しく指導をされる場面もあったかもしれない。
でも僕ら「その他大勢」「その他一般の釣り師」「裾野の釣り師」にとっては、穏やかで優しい細山さんが全てなのだ。
僕ら本流師の憧れ、ヒーロー、カリスマである細山長司は、接しにくいバリアやオーラを纏っているのではなく、穏やかで優しい「細山さん」なのだ。
我々の良心、精神的支柱なのだ。
今抱いている喪失感は、この精神的支柱を失ってしまったことによるものなのだろう。
肉親を亡くしたというのとは異なる。
そのような悲しみや寂しさではない。
僕らにとって本当に大切なものを喪ってしまったという虚無感を伴う喪失感なのだ。




真実は何か、それが分からないまま、噂レベルで訃報を耳にしたのは7月6日だった。
どうやら真実らしいと分かってきた翌日、翌々日・・・日が経つにつれ、現実として受け入れられるようになると、次第に寂しさが募る。
繰り返すが僕は細山さんに親交を持って頂いたわけではない。
サツキマス実釣会でたった半日ご一緒させて頂いただけだ。
細山さんの記憶に僕はない。
それでも本当に大切なものを喪ってしまった、あの優しい口調と眼差しと穏やかな佇まいに触れることはもう出来ないのだと思うと、涙がこみ上げてくる。
馬鹿げていると言われるだろうが、釣りをしている最中も、帰路の車中でも、外回りの営業の途中でも。







玉網の中で、釣ったアマゴを暫く眺めていた。
大物が釣れなくてもいいや。
昨日、今日と丸二日間、細山さんを偲んで刀を振れた。
「今回は残念だったけどね、また振ればいいよ」。
細山さんなら、こんなことを言うだろうなあと思いながらもう少しだけ刀を振っていると、35cmくらいのニジマスが食ってきた。
ビュンビュン走って高々と何度も水面からジャンプして楽しませてくれた。
寂しいけど、楽しい。
流れの中は夢いっぱいだ。
また来週。



―完―

流れの中は夢いっぱい ~今日は刀で釣ろう~  南飛騨 益田川にて 【後編】






2017/07/08,09 流れの中は夢いっぱい ~今日は刀で釣ろう~  南飛騨 益田川にて 【前編】

2017-07-13 18:14:27 | 渓流釣り 徒然草

特別な日だった。
今日は刀で釣ろう。
そう心に決めていつもの益田川に向かった。






沢や渓、里川から始めた僕の渓流釣りは、次第に主なフィールドを本流へと移していった。
本流釣りを始めた当初、僕が使っていたのは7.5mや8.0mといった竿。
歴とした本流竿ではあったが、如何せん長さが足りなかった。
流したい筋に竿が届かずに諦めざるを得ない。
そんなことが度々あった。
自分の腕前や力量、経験不足で獲れる魚も獲れなかったとなると、それは確かに悔しいが納得は行く。折り合いは付けられる。
しかし、自身ではどうにもならないことで諦めなければならないというのはそういうわけにはいかない。極力避けたい。

「流したい筋に届く竿で思い通りに流しました、でも何も釣れませんでした」となると自身の腕前の問題。
釣技をもっと磨くしかない。
「竿の長さが足りずに流したい筋に届かなかったので何も釣れませんでした」では、どうやって気持ちを処理したらよいのか分からない。
だから僕はもっと長い竿を切望した。
そして、当時の国内では最長尺の本流竿「琥珀本流エアマスター」を入手した。
「これで届かなければ諦めるしかない」。
そう思って、ずっとエアマスターを使い続けている。


僕には渓流釣りの師と呼べる人はいない。
最初の1シーズン、手解いてくれた嘗ての職場の上司は翌シーズンには遠方に転勤された。
以降は釣り雑誌の記事からヒントを得て、それを実際のフィールドで試す、ということの繰り返しだった。
時には自身でああだこうだと考え試行錯誤する。
だから僕はこう言っている。
「僕はエアマスターに育てられた」。

事実最初は僕には分不相応な竿だった。
誰も教えてはくれないから上達は遅いし、エアマスターの素晴らしさも少しも分からなかった。
それでも少しずつ、少しずつ、上達はしていく。
その過程で自分の釣りの偏りというものも分かってきた。
淵やトロ場での釣りを好むものの、瀬では殆ど竿を出さないという事実に自身で漸く思い当った。
自身の釣りの幅を広げて、もっと上達するためには瀬釣りもしなければならないだろう。
そもそも好きでやっている釣りなのだから、「何々しなければならない」という義務や宿命のような言い方はおかしい。
いや、でも好きだからこそ避けては通れない高みへの通過点があるのではないか。
だとしたら、正直なところ10mのエアマスターでの瀬釣りは自分には厳しいと感じた。
早い流れや川底の起伏に合わせて竿の動きをコントロールすることが自分には難しかった。
今でも得意とは言えないが当時は本当に苦手だった。
思い切ってエアマスターで瀬釣りをしてみると、根掛かりが頻発した。
そもそも竿全体のモーメントで振り込んだり魚をいなすような調子なので、早い瀬での細かなコントロールが得意な竿ではないだろう。
別の竿を入手した方がよさそうだな。
そう思い始めた。


候補は幾つかあった。
「蜻蛉Long Drift 80-85」のような竿だと、繊細な流しを習得できるのではないかと考えた。
その竿で大物を獲るということは考えずに、習得した繊細な流しが役に立つこともあるのではないかと考えた。

「SG Light Spec MH90-95」も検討した。
通常9mで使用して、何かの折に9.5mにできるというのは、エアマスターに何かがあったときにサブとしても使えるのではないかと考えた。
いや、でもこれだと既に同様の理由で入手した「琥珀本流ハイパードリフト スーパーヤマメ」と使い分けができなくて無駄になるかもしれないな。
そうして決め手のないままシーズンが過ぎてしまった。



あるときシマノの社員さんと話をする機会があった。
幾つかの竿は手にとって触れる(振れる)機会でもあった。
僕は先ずエアマスターと同じ長さの当時の10m竿「SG Long Special M95-100」について尋ねてみた。
「コンセプトは誰でも振れる10mだよ。女性でも楽に振れるようにということで作った。持ち重りが全然しないよ。ほら、よかったら伸ばしてみて」。
そういいながら手渡された竿は、とてもエアマスターと同じ長さとは思えないほど軽快な調子と振り心地だった。

次に僕はこう尋ねてみた。
「刀はモデルチェンジの予定はあるんですか?」
シマノの社員さんが答えるのを待たずに、隣に腰掛けて笑顔で会話を聴いていた初老の男性が言った。
「モデルチェンジなんかないよ。うん、ない、ない。変えるところが無いんだよ。変えたら悪くなるよ。完璧なんだ。」そう言ってもう一度僕の目を見て微笑んだ。
僕らすべての本流師の憧れ、ヒーロー、カリスマ・・・細山長司さんが僕にそう答えてくれたのだった。








磨かれし、名刀。
刀の歴史は刀が塗り変える。
いざ、抜かん。


大物との出会いは一瞬。
だから一切妥協はしない。
そんな長司イズムの結晶が、『初代 SUPER GAME 刀』。
そこには本流のカリスマ・細山長司が考え得るものすべてが凝縮されていた。
あれから五年、細山の腰には新たな刀が携えられていた。
かつての刀は細山のすべてであったはずだ。
その鞘に収まるものには”すべて”以上の何が秘められているというのか。
刀の歴史は刀をもって塗り替えられ、己自身を超えていく。

さあ、抜いてみせてくれ。

(2012年 シマノ渓流カタログより)


 

2017年7月8日。
今日は刀で釣ろう。
そう心に決めた僕は南飛騨の益田川で朝から刀を振っていた。
慣れているポイントではあるが、いつもと竿の長さが異なるというのはやはり勝手が違ってやりにくい。
対岸まで届いた箇所でも届かないし、水深が6m以上あるような流れでは流す距離が短くなる。
しかも、理由は分からないのだが益田川の水が白濁している。
水深の見当がつかない。
いつもと異なる竿でアプローチしていることも手伝って根掛かりが頻発する。
本当に冴えない釣りの連続だった。
今日は何とかして刀でいい魚を出したいんだけどなあ・・・
その思いも虚しく時間が過ぎていく。
15時半を回った頃、僕はクルマに乗りこみポイントを大きく移動し始めた。
先週35cmのアマゴを獲ったポイントが、実は夕まずめが凄くよいのではないかと見当を付けたからだ。
そもそも夕まずめが狙い時なのはどのポイントでも同じだろう。
でも、そのポイントで夕まずめが良いというのは、他での夕まずめが良いというのとは同じ意味合いではなかった。
大物が入っている可能性は高い。
しかし、大物が潜んでいるだろう底に餌を送り届けることが至難の業というポイントなのだ。
何らかのタイミングで底から離れて少し浅めのタナまで出てきてくれたときにしか、餌を大物の鼻先に送り届けることができない。
それが夕まずめなら、仮に大物が底に居たとしても、水面を意識しているのではないか。
だとしたらチャンスではないか。


ポイントに到着し釣り座まで降りて行った。
片手にはエアマスターを携えた。
残念ながら刀ではどうしても流したい筋に届かない。
釣り座に到着し、川面を眺めた。
やはり、どんなにあがいても刀では届かない。
諦めるしかない。

ふと思い当たった。
僕は釣り座を後にして一旦クルマに戻った。
そしてエアマスターだけでなく、刀も携えてもう一度釣り座に降りて行き、土手の斜面に刀を立て掛けた。
まるでお守りか、ご神体のようだなと思った。



僕の目前には益田川、背後には刀、そして振る竿はエアマスター。
おかしな感じだったが仕方ない。
先週と同様、手前の筋から少しずつ遠くの筋を流していき、届かなくなると益田川の流れに立ち込んで流して行った。
ある程度流すと休んで、暫しの後に再び流し始めた。
16時台は掌より小さなアマゴを1匹釣ったが、他はウグイばかりだった。
18時近くになったとき、ガツンとひったくるようなアタリがあった。
少し油断していたためアワセを入れる間はなかった。
竿を上げると鈎の軸にミミズの残骸が残っていた。
その残り方は恐らくウグイではないだろう。
脂鰭のある魚が潜んでいるのだろうと思った。
夕暮れが近付いてきて、少しずつ動き始めたのだろうか。
もう一度同じ筋を流したが反応はなかった。
僕は一旦川から上がった。
そして刀を眺めてからもう一度竿を振り始めた。
今しがた反応があった筋ではなく、手前から順に少しずつ遠くの筋を探っていった。


18時半頃だった。
これ以上は無理というところまで益田川の流れに立ち込み、思いっきり腕を伸ばして前屈みの姿勢になっているときに、「ゴンゴン」という引っ手繰るようなアタリがあった。
先週と同じようなシチュエイションで同じようなアタリだった。
当然僕はアワセも同じように入れた。
竿の送りを停めて軽く竿尻を握る程度にした。
直ちに重みが伝わってきた。
相手が水面に顔を出してもがいたため、僅かに絞る力を緩めて竿の角度を下げ、水中に潜るよう促した。
その後にふと軽くなるような感覚があったのも先週と同じ、ところどころで首を振りながら底付近を這うように泳ぐのも同じ、泳いでいく方向も同じだった。
僕が竿の持ち手の上下を入れ替えて絞る方向を変えるのも同じ、何もかも先週のアマゴの再現フィルムを演じているようだった。
異なるのは若干水位が高かったこと。
水面から顔を出している岩の上に立って玉網で掬おうとしたが、出ている部分が少なかったため、別の岩の上に立った。
魚体を見たが大きさは先週のアマゴと同じような大きさ。
こりゃ同じ魚じゃないかと思いながら網に入れた魚体を眺めた。





メジャーを宛がうと体長は34cm。
朱点の散り方が先週の個体とは異なる。
いずれにしろ、パーマークの残る無骨な印象の益田川本流アマゴだった。



撮影後に僕は彼を流れに返した。
竿を畳み、川から上がる支度をした後、振り返って刀を眺めた。
「刀では獲れなかったな。また明日だなあ」。
そう独り言を呟いて夕闇の益田川を後にした。

 

 

【釣ったときのタックル】

竿:ダイワ 琥珀本流エアマスター105M
水中糸:ナイロン0.8号
ハリス:フロロ0.6号
鈎:オーナー スーパーヤマメ8号
餌:ミミズ




流れの中は夢いっぱい ~今日は刀で釣ろう~  南飛騨 益田川にて 【前編】

後編に続く


2017/07/08  南飛騨 益田川 アマゴ 34cm

2017-07-09 00:13:08 | 原色美魚図鑑

先週35cmを出したポイントへ今週も向かった。

釣ったときのことを振り返っていて、ふと思ったことがあったからだ。

あそこは夕まずめがきっと凄くよいだろう。

それを確認しに16時台から川に降り立つ。

適宜ポイントを休めながらひたすら流す。

17時台に一度アマゴのアタリがあった。

掌より小さい稚魚のそれだった。

その他は、アマゴだと確信はないがウグイとは異なるものが二度。

先週と同じ、餌をひったくるようなアタリだった。

流れの中に何かがいる

そして18時半頃、この画像の魚が食い付いた。

 

 

本当は今日は刀で釣りたかった。

刀で大物を獲りたかった。

日中ずっと刀を振っていたがアタリに恵まれず。

 

 

【使用タックル】

竿:ダイワ 琥珀本流エアマスター

水中糸:ナイロン0.8号

ハリス:フロロ0.6号

鈎:オーナー スーパーヤマメ8号

餌:ミミズ

 

 

 

 

 

 


2017/07/02 南飛騨 益田川~ナイロンの勝利

2017-07-05 08:47:32 | 渓流釣り 釣行記(益田川水系)

僕がまだ20代の頃の梅雨は、前半はしとしと雨で後半は雷を伴う激しい雨という印象だった。
「やっぱり梅雨の後半は激しく降るね」という会話をしていた記憶がある。
30代に差し掛かり、嘗て嗜んだ釣りを再開してからは、それまで晴れか雨か程度でさほど意識しなかったその日の天気について、否が応でも気になるようになった。
以前とは梅雨が何か違うように感じるのだ。
世間でもそう感じている、言っている人は多かろうが、前半は空梅雨で後半は豪雨というパターンが多いと思う。

2017年の梅雨も前半の降雨は殆どなかった。
益田川は相当な渇水。
今シーズンの魚影の薄さと相まって非常に厳しい釣りを強いられていた。

そんな中で、一度だけ奥飛騨の高原川に釣行した。
例年盛夏の頃に通う高原川だが、川の状況確認のために6月に一度釣行することにしている。
2015年は芳しくなかった、2016年ははっきり「不漁」だと思った。
その2016年よりも良くないと、某所から情報が流れてきた。
オフィシャルではないにしろ、まず間違いなく漁協関係者と思われる方の言で「魚が少ない」というものもあった。

調査釣行をしてみたが実際その通りだと思った。
ヤマメだけでなくニジマスもウグイも少ないのではないかと感じた。
その調査釣行の際、これまで気にはなっていたのだが竿を出さないままだったポイントに入ったのだが、そこが案外好感触だった。
翌日の朝一番でもう一度入ろうかとも考えたが、なんとなくそこは朝一番よりも夕まずめの方が良いような気がして入らなかった。
次回、二日間続けての釣行の際、一日目の夕まずめに入ろうと考えていた。
そのような理由で、実は今回の釣行はずっと高原川に行くつもりでいたのだった。
天気予報をチェックしていると毎日目まぐるしく変わる。
週の初めの予報では、半ばに降雨があり、週末は持ち直すというものだったのが、週半ばは降雨はなく蒸し暑いだけで、金曜から週末にかけて激しく降るというものに変わっていた。

多分高原は無理だろう。
そう思っていたが果たしてその通りとなった。
あれだけ水が出ては釣りどころではない。
ここ何年かで一番の洪水だったと、高原川漁協のフェイスブック・ページ内で記述があったくらいだ。



2017年7月1日、僕は昼過ぎから益田川で竿を出した。
前日の降雨と、職場での飲み会の都合で、夜中から出かけるのはやめた。
所用を済ませ昼過ぎから益田川に向かったのだが、中山七里辺りの益田川の流れを見るとかなり茶色く濁っている。
下呂の街に近付くに連れ、少しずつ濁りは薄くなっていくものの、釣りにはならない濁り度合いだった。
そのままクルマを進めたがどうやら竹原川筋から強めの濁りが入ってくるようで、帯雲橋から上流の益田川本流は寧ろちょうど良い程度の濁りだった。
「今日は中山は諦めよう」。
そう考えた僕は下呂温泉街の上下流で竿を出したが、釣果はウグイのみだった。
今シーズンの益田川なら納得できるかなと思いながらも、この程良い濁りで何も出せない自身の腕や運を呪い、今シーズンの益田川を切なく感じた。
明日になれば状況は変わるかもしれないと淡い期待を抱きながら日帰り温泉に浸かり、僕はまた中山方面に向けて降っていた。
途中激しい雷雨に見舞われたが、下呂の街中を過ぎて中山を走る頃になると嘘のように降雨はなく、路面も乾いていたくらいだったため、「どうせ通り雨だろう」とあまり気にせずそのまま車中泊をした。




2017年7月2日、まだ空が暗いうちに目覚めた。
僅かに白んだ空と頼りない街灯の灯に浮かぶ益田川の流れを見ると、酷い濁りだった。
通り雨程度では済まなかったようだ。
これでは今日も諦めるしかないかなと意気消沈してきた。
もう一度クルマに戻って仰向けになり、何処に入ろうか思案し始めた。
ふと、長良川の白鳥辺りに行ってみようかという考えも浮かんだ。
今シーズンのサツキマスアングラーたちは相当辛酸を舐めた筈だから、この降雨による増水は絶好のタイミングだと考えるだろう。
それが普通だろう。
ならば、郡上のポイントを殆ど知らない僕は混み合うフィールドはやめた方がよさそうだな。
にわか仕込みにはよい釣りはできない日だろう。
そんなことを考えながら何処に入ろうか決めあぐねたまま、僕は再び眠ってしまった。

再度目覚めたのは既に空が完全に明るくなってからのことだった。
7時を回っていた。
もう一度未練がましく中山の益田川を流れを見ても、状況は夜明けの頃と変わらない。
到底釣りができるとは思えない。
上流に向かってみようか。
入る場所を決めかねたまま取り敢えずクルマを走らせた。

益田川沿いを上流に向かいクルマを走らせていると、昨日と同じように少しずつ濁りは薄くなっていく。
帯雲橋まで来てもそれは同じで、やはり益田川本流筋は程良い濁り、水位は殆ど上がっていない。
ところどころ鮎釣りで川に入っている人も居るくらいだった。
ゆっくり朝食を摂って着替えなどの準備ができるところが良いなと思い昨日と同じポイントに入った。
国道からは見えない少し奥に入った場所で、去年までの実績はあるが今シーズンは1匹もアマゴを出していない。
準備を終えて仕掛けを流してみても、ウグイの活性すら昨日より落ちているように感じた。
「こんないい濁りと水量で何もアマゴが出ないなんて重症だなあ・・・」と、一体次は何処に入ろうかと思案し始めた。

ふと、少し下流のポイントのことが脳裏を過った。
色々と理由があって、一昨年までは頻繁に入ったポイントだが去年は一度も入らなかった。
今シーズンも国道や橋の上から流れを見ていて入ろうかと思ったこともある。
もっと水が出た後なら期待できるのだが、この程度の水では望みは薄いだろうと諦めそうになったが、それでも何か気になり結局そのポイントに向かった。



 

2年振りに入るポイントは新鮮だった。
川底には人工構造物が入っており、底を取りながら流すのは至難の業だ。
底に入ったと思ってそのまま流せば、忽ちにしてコンクリートにハリスが擦れる、鈎先が擦れる、引っ掛かるということになる。
自ずと中層辺りに出ている高活性の魚を狙うことになる。
そしてその狙うべく筋は立ち位置から遠い。
水深や流れの関係でそれ以上は立ち込めない。
投餌点付近の表層の流れは早いものの、川底の人工構造物の影響もありすぐにその勢いが弱まる。
それでも尚、その緩くなった流れに乗って遠くまで流したい。
そのようなポイントで使う竿は勿論僕が所持する中で最長である10.5mの二代目エアマスター。
それに手尻を1m取った仕掛けを繋ぐ。
水中糸はナイロン。
緩い流れを少しでも遠くまで流すには、フロロよりも比重の軽いナイロンが好都合だと僕は考える。
更にその性質はフロロよりも伸びる。
遠くまで流すということは、思いっきり腕を伸ばして、竿を寝かせて、要するに下竿の状態になるまで流すということだ。
その状態で大物が掛かったとき、少しでも緩衝作用のある材質を用いた方が有利だとも考えている。
ただしハリスはフロロ。
コンクリートに擦れることを想定して、擦れに強い材質の糸を使いたい。


以前は事情があって小遣いが少なく、比重云々よりも単純に安価という理由だけでナイロンを用いていた。
しかしある程度自由が利く小遣いを持てるようになってからは水中糸にナイロンを用いることは限られた場面だけになった。
だから常に仕掛けの予備をストックしておくということはしていない。
ベストのポケットに入れておけば、立ち込み時や降雨で濡れることもあるかもしれないし、そうなると水分を吸って強度が落ちる。
2年振りに入るポイントで新鮮な気分になった僕は、早く仕掛けを流したいと逸る気持ちをぐっと堪え、丁寧に仕掛けを作ってから流し始めた。



初めは自身に近い筋から流し、少しずつ遠くの筋を探っていく。 
ある程度流すと、僕は益田川の流れに立ち込み更に遠くを探っていく。
もう限界というところまで来ると、上半身を屈めて腕を思いっきり伸ばし、これ以上は無理だというところまで遠くを流す。
しかし、アタリはウグイだけ。
時折尺近いウグイが掛かる。
その瞬間は激しく抵抗し首を振るため、一瞬アマゴと勘違いすることもある。
「あれ?今のはウグイのアタリだったはずだがえらく激しく引くなあ」と思っていると、急にへばってずるずるっと水中から引き上げられてくる。
「ああ、やっぱりウグイだ」。
これの繰り返しだった。


突如ガツーンと引っ手繰るようなアタリがあった。
あわせる間もなかった。
仕掛けを引き上げると、餌のミミズが齧られて残骸だけが鈎の軸に残っていた。
「ウグイじゃないな」。
そう判断した。
ただし、そんな派手なアタリは往々にして小物が多い。
或いは高活性でやんちゃなニジマスだろう。
とは言え、昨日も今日も脂鰭の付いた魚を獲っていない僕は正体を確かめたくてもう一度同じ筋を流した。
しかし、川からは何も返ってこなかった。
今日は川虫は採取していない。
手持ちの餌はミミズとブドウ虫。
しかし、ブドウ虫は持ってはいるものの殆ど使わない。
目先を変える程度にしか使わない。
むしろ僕はミミズのサイズや鈎への掛け方を変えながら流す方が有効だと考えた。
小さめのものを房掛けにする、2匹掛けで2匹目を鈎先から長めに垂らす、大きめのものをチョン掛けにしたり、ミミズ通しを使って掛けるなどしながらしつこく流してみた。
しかし、脂鰭を持つであろう魚からの反応はなかった。
あるのはウグイのアタリだけ。
見事にウグイだけ。
カワムツのアタリも無い。
少しずつ気持ちが萎えてきた。

 

僕は少し休んだ。
調子の良かった2014年のシーズンのことを思い出していた。
その頃は釣れない気がしなかった。
自分が見込んだポイントには必ず大物が着いていると思えた。
それが今はなかなかそうは思えない。
「どうせいい魚は出ないだろう」。
いつもそう思う。

あと少しやって今日は帰ろうかと考え、遠くの筋を流していた。
上半身を屈めて、腕を思いっきり伸ばした下竿の状態で、何の前触れもなく突如あたった。
ガツーンと引っ手繰るようなさっきのあのアタリだった。
今度はアワセを入れることができた。
正確に言うと「合わせた」「呼応した」という表現の方が適切だと思う。
竿は煽らなかった。
流れに合わせて仕掛けを送るのを止めて、両手で竿尻を握った。
ガツーンというアタリの後のその動作で、両腕にずしりと重みを感じた。
確実に乗った。
仕掛けが殆ど伸び切っていたため、鈎に掛かった直後に相手が水面に顔を出してもがいた。
僕は竿を更に寝かせ水中に相手を引き戻した。
ふと竿が軽くなるような感覚があった。
バラしたかと一瞬焦ったが、魚の方から水中に潜りこちらに近付いてきたのだと分かった。
僕は少し竿を立てて絞った。
そのまま自分の右斜め前方に弧を描くように導いた。
ある程度距離が縮まると、僕は竿尻の持ち手の上下を入れ替えた。
今度は自分の左斜め前方に向かって魚を導いた。
「導いた」と書いたが、そう簡単には寄せられない。
首振りは殆どなかったがズシリと重く底付近を這うように泳ぐ。
これはニジマスではない、アマゴのデカイやつだと確信した。
不用意に絞り過ぎて抵抗されても厄介だ。

こんなとき先代エアマスターなら、元から曲がるようなその調子で魚を騙すようにいなせた。
時間はかかるが、必要以上に魚を暴れさせず、魚自身も知らないうちにへばってきたなという感じで寄せられた。
しかし、二代目は違う。
竿自体は強くなった。
そのため先代の持っていた良い意味での「ぐにゃぐにゃ感」がなくなったため、調子に乗って絞ると魚が暴れる。
竿自体は綺麗な弧を描いて曲がっている。
しかし元竿と元上の長さが先代よりも増えているため、先代の調子に慣れていると、曲がる支点が穂先側に移動しているように感じるのだ。
「エアマスター」を名乗るのだから、先代も二代目も同じ調子だろうと決めてかかっていた。
でも実際は違うのだ。
二代目エアマスターでは先代と同じように絞ったり支えたりしていてはいけない。
このことは昨年までで充分承知した。
バラシたり糸が切れたりと、悔しい思いもした。
今シーズンの益田川、なかなかいい魚に出会えない益田川で、そんな失敗はしたくない。
竿を絞る力を慎重に調整しながら、僕は自分と魚の距離を少しずつ縮めていた。

岸近くの弛みに相手が入ってきた。
腰付近まで立ち込んでいた僕は、少しずつ水深の浅い岸辺に移動した。
そして岸際で水面から頭を出している岩の上に立った。
ここなら川面を見渡せる。相手の動きも見える。
思った通りだった。間違いなく相手はアマゴだった。
背が盛り上がっている。
逞しい体躯の雄だろう。
逃せない。
僕は岩の上から魚を寄せた。
手尻は1m。
相手の大きさ、重量・・・右腕を天に突き上げたとき、果たして左腕は魚に届くだろうか。
少し不安に感じながら至近まで寄せた時に玉網を差し出した。
その途端に相手が走った。
魚の目の前に急に網を差し出したのが良くなかったのだろう。
しかし、右腕の動きにある程度専念しないと、玉網を構えた左腕を差し出したままではこの手尻では寄せることはやはり難しい。

次で決めよう。
バラシは断じて許されない。
もう一度寄せてきた。
右斜め前方から魚を寄せてくる。
そのまま僕の前を横切らせようとする。
魚が自分の目前に来る少し前に玉網を水中で構えた。
右腕を自身の頭の真後ろまで引いたとき、左手の玉網で受けた。
入ったのは各鰭の先端がとがらない、パーマークが残る居付きの益田川本流アマゴだった。






 

釣り場でメジャーを宛がうと、体長は35cmだった。
その体長以上に、ずっしりと重い引きで楽しませてくれた。
昨日と今日で、君以外に会えたアマゴは居ないんだよ。
対峙してくれてありがとう。




先代のエアマスターを使っていたとき、「この竿でないと獲れなかった」と思えた魚はたくさんいた。
0.5号のハリスで45cmのアマゴを獲ったときにはそれを痛感した。
「これはエアマスターだから獲れた魚だな」と思った。

二代目のエアマスターを使い始めてからは、そう感じたことはこの日までなかった。
でも今日は感じた。
「この魚は、二代目のエアマスターだから獲れたのだ」。
あの遠くの筋まで届く竿が他にあるだろうか。
あの筋を狙うには、この竿でないと届かないのだ。
だから、元から曲がらない調子だから云々なんて言ってられない。
この竿で獲れるような仕掛けにしなければならないのだ。
だからナイロンなのだ。
水中をより遠くまで漂わせることができるだろうナイロン。
伸縮性のある素材であるナイロン。
下竿で腕を伸ばした状態で掛かったとき、それでも切れたりバレなかったのはナイロンの性質によるものだと思う。
今日の主役は竿、即ち二代目エアマスターだろうと思う。
それを支える名脇役がナイロンの水中糸だったのではないか。
フロロの方が優れているわけではない。
使い分けが重要だと思う。
思い返すと、ポイント選定、竿の選定、仕掛け選定、全てが首尾よく運んで獲ることができた魚だと思う。
偶然ではない。
「釣れた」ではない。
「釣った」「獲った」魚だと思う。
自身で凄く満足して達成感のある釣りができた日だった。





【釣ったときのタックル】

竿:ダイワ 琥珀本流エアマスター 105M

水中糸:ナイロン(岩太郎) 0.8号

ハリス:フロロ(シーガーエース) 0.6号

鈎:オーナー スーパーヤマメ 7.5号

餌:ミミズ