How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

歳をとる前にもう一度 ~ M-51 フィールド・パーカの話

2017-10-29 01:38:33 | 鮭一の徒然

「歳をとる前に、今のうちに・・・」。
最近よく思う。



今年の5月くらいから常に左側の腰に痛みを感じていた。
これまでも週末の二日間、本流で長竿を振っていると痛むこともあったが、平日のうちに回復してまた次の週末を迎えられていた。
それが今シーズンからは痛みが回復しないばかりか、7月くらいからは左脚の脹脛(ふくらはぎ)から踝(くるぶし)辺りも痛みだした。
腰の痛みと繋がっているように感じた。
さすって痛みが緩和されるとか、抑えると痛むとか、外部からの影響では痛みに変化はない。
常にそこに疼痛がある感じだった。

 

去年の11月にぎっくり腰をやってしまった。
整形外科で念のためレントゲン撮影をしてもらった時に判明したのだが、僕は「腰椎分離すべり症」だと診断された。
簡単に言えば、成長期の運動やトレーニングにより過度の負荷がかかり腰椎が疲労骨折してそのままくっつかなかったということらしい。
一度の衝撃でそうなることはないらしい。
繰り返しのトレーニング等でなるようだ。
正直思い当たる節はない。
寧ろたった一度の衝撃で生じた痛みが暫く続いた記憶がある。
10歳の時に砂場に両膝で着地した際に腰が凄く痛み、それから暫くずっと痛かったことはある。

いつそうなったかはもう分らない。
とにかく僕は腰椎分離すべり症と診断された。
「体幹を鍛えた方がいいね」と医師に言われた。


ぎっくり腰から回復し、年が明けた頃から、僕は毎晩所謂「腹筋」と「背筋」をを始めた。
せっかくなのでついでに腕立て伏せもやった。
これらがよくなかったらしい。



あまりにも痛みが続くため、先日同じ医師に診断を仰いだ際に判明したのは、自己流トレーニングにより、腰椎のすべり、要するに「ずれ」が増して、ひとつ上のまともな腰椎に負荷がかかりヘルニアになりかけているとのことだった。
「診断での再現性はないけど、レントゲンを見るとヘルニアのようだなあ」ということだった。
もう戻せない。
一生痛いんだ。
あなたが「体幹を鍛えた方がよい」と言ったから素直にその通りにしたつもりだった。

「痛んでる時にトレーニングすると負荷が掛かって余計におかしくなるからやめた方がよいよ。
ガチガチに筋肉で固める人もいるよ、力士やその他のスポーツ選手みたいにね。でも何が正しいか、その人に合った方法かはやってみないと分からない。
だから『リハビリテーション学』というものがあるんだよ・・・」とその医師は語った。

酷い話だなと思った。
「体幹は鍛えた方がいいけど、自己流とか、下手にトレーニングしない方がよい」と一言付け加えてくれたら、腹筋背筋なんかやらなかっただろう。
爆弾を抱えてはいるが導火線に着火しないまま騙し騙し生きてこられたかもしれない。
もう戻せないんだよ。
一生おかしな歩き方をしなければならないんだよ。
来シーズンからは、これまで立ち込めた流れにも立ち込めないかもしれないんだよ。


でも、他人を恨んでもしかたない。
訴訟を起こす気力も財力もない。
せっかく腹が割れかけていたのにな。
20代の頃からずっと目標にしている「還暦モッズ・スーツ計画」もこのまま実現できるだろうと思っていたのにな。
これまで通り身体を動かせないと、体型は間違いなく加速度的に崩れていくでしょう。
ナルシストと言われようが構わん。
体型を崩すことだけは避けたくて、これまで食事やらカロリーには割とストイックに生きてきたつもりだった。
「体型が崩れたら、心まで老け始める。要するにオッサン化が著しく進行する」と思ってそうならないように生きてきた。
でももう難しいだろうな。




ふと、今のうちに、もう一度M-51を着ておこうと思った。

60年代のモッズ・ムーブメントに興味を持った僕は、モッズ達が愛聴した音源にも触れてきたし、勿論モッズ・ファッションも好きだ。
ただ、本来のモッズとはある意味「様式美の世界」であるというところが僕がどっぷりとはまらなかった理由なのだ。
例えばこのような決まりごとがある。
ジャケットは細身の3つボタンでサイド・ベンツ、スラックスの丈は短く、靴はクラークスのデザート・ブーツ。
シャツはオックスフォードのボタン・ダウン、ポロシャツならフレッド・ペリー、ジーンズはリーヴァイス501。
ダンスのステップから街で他のモッズに会って立ち話をする際の立ち方まで決まっていた。

こんなのは20世紀末から21世紀の日本では不可能でしょう(笑)
とても非現実的であり、もし従おうものなら、疲れて嫌になるのは目に見えている。
だから僕はモッズ・ファッションの要素を取り入れて楽しんでいた。
今も昔もジャケットやスラックスは細いのが好きだ。
勿論ネクタイも。
靴はデザート・ブーツは歩きにくいと感じたのでチャッカー・ブーツを愛用している。
現在チャッカー・ブーツだけで4足持っているくらい好きだ。
そしてシャツはボタン・ダウン・カラーがデフォルト。
わけあってレギュラーカラーのシャツを着ることもあるが、気に入ったデザインでもボタン・ダウンでなければ基本的に買わない。

そして本題の防寒着。
世間に認知され最も浸透したモッズ・アイテムはM-51、最近の通称ならば「モッズ・コート」だろう。
嘗て東京暮らしの時には大好きでよく着ていたが、地元に戻ってきてからは車での移動が圧倒的に多く、手持ちのM-51がかなりくたびれていたこともあり着る機会が殆ど無かった。

それが数年前、公共交通機関で通勤するようになり、冬場の防寒着としてM-51を新調しようとした。
ネットで検索し始めた僕は驚きの連続だった。
型式(型番)である「M-51」や正式名称である「M-51フィールド・パーカ」から転じた「モッズ・パーカ」という呼称ではなく、勿論「米軍放出のパーカ」でもなく、「モッズ・コート」なる新たな呼称が定着しているようだった。
「モッズ・コート?何だそれ?」と感じたのが正直な気持ちだ。
更に当惑したのは「青島コート」という呼び方。
テレビや映画を殆ど見ない僕は「踊る大捜査線」で織田裕二がスーツの上にM-51を羽織っていることを知らなかった。
映画に便乗して売り出そうとしたファッション業界が「モッズ・コート」などと言い始めたのだろう。
そういう呼称にしておけば本来のM-51とデザインやディティール、機能上の相違があっても問題ないし、オリジナル性を重視した「モッズ・コート」も販売できる。
事実、本来の「M-51」とは異なるディティールだったり、似たモデルの「M-65」と混同していると思われるものもたくさん見受けられた。


少し話が逸れるが、ネットで検索していたときに「モッズ・コートはどれが良いですか?」とか「モッズ・コートを探しています」などの投稿を見かけると、こう感じたものだ。
「おまえさんはバカじゃなかろうか」と。
モッズ・ファッションに興味があって、少しでも自分で調べたなら「モッズ・コート」なんて言い方はしないだろうが。
「どれが良いですか」だと?
ファッション・ブランドが色々リリースしていたようなものではないんだよ。
成り立ちを自分で調べろよ。
米軍採用の「M-51 フィールド・パーカ」なんだよ。

でもこれは質問の主が野郎の場合だった。
女の子が「モッズ・コート」を着るのは全く反対しない。
寧ろ大歓迎。
本来の「M-51」ではサイズ的に大きすぎてうまく着こなせないでしょう。
野暮ったいだけだ。
それを色んなファッション・ブランドが日本人の女の子の体格に合わせて作った「モッズ・コート」ならば回避できる。
いや、回避できるだけではない。
寧ろ可愛くなる。
不思議なことに、「モッズ・コート」を着ると女の子が可愛く見える。
いつの間にかすっかり市民権を得た「モッズ・コート」を着ている女の子をたくさん見かける。
これは僕は大歓迎ですよ。
でも野郎はだめだ。
ちゃんとした「M-51」を買えよ、いいな。

 



話を戻そう。
青島刑事だよ。
まったくエライことをしてくれたもんだ。
M-51を汚しやがって。
織田裕二がスーツの上にM-51を着て映画に出たなんて、こんなクソ田舎で同じような格好で通勤したら「あいつ、織田裕二の真似だろう」と思われるのがオチじゃないか。
「違うんだよ、これは織田裕二じゃないんだよ、踊る大捜査線じゃないんだよ。さらば青春の光のジミーなんだよ、Quadropheniaなんだよ、四重人格なんだよ、The Who なんだよ」と、何も分かっていない奴らにいちいち説明するのも面倒だし、落胆や憤りはあったが、もうM-51を着ることはないだろうと思っていた。



でも、冒頭の「腰椎分離すべり症」とそれによる「ヘルニアになりかけ」という診断を受けた時に思った。
確実に老いが始まっているなと。
体型が崩れる前にもう一度M-51を着たいなと思った。









そして更に思う。
いつまで声が出るのかわからないな。
もう一度、自分で作った曲を、自分でギターを弾きながら歌いたいなと思った。

わけあって、楽器は全て放出した。
50年代、60年代の所謂「ヴィンテージ」と呼ばれるギターやベースを含め20本近く所有していた。
アンプも60年代のものを使っていたのだが手放した。

取り敢えず、弾き語ることのできるアコースティック・ギターが欲しい。
自慢ではないけれど、現役で歌っていた20代の頃よりも、30代以降の方が声域も声量も増したのだ。
実年齢よりは喉は若いと思っているが、体型が崩れると喉の老化も始まるかもしれない。
早く、気に入ったアコースティック・ギターをもう一度見つけなければ。


 

 

 

※常用漢字表では「歳をとる」という表記はないようですが、「歳」に関しては「○歳」と書くことからも明らかなように、年齢を示すことに用います。
 個人的な随筆の類なので「歳をとる」でも構わないと考えこの表記にしました。


立ち位置は様々であり、軽々しい発言はご法度です。

2017-10-20 01:10:22 | 鮭一の徒然

ツイッターで、気になる投稿が立て続けにあった。
続けて上がってくると、黙ったままでは居られなくなる。

一つ目はこれ。
【ツイート転載】
仕事のストレスで休職し心療内科では色んな薬や漢方がコロコロ変わりなかなか改善が見られない私に、マッマが「この薬をためしてみぃ」って処方してくれたんだけど今までで一番効きそうだし小鳥にも好かれたい。






それに対して僕は引用ツイートしたわけですよ。
【引用ツイート転載】
感じ方は人によって様々なのね。僕だったら腹が立つよ。頭で判っていても自身でどうすることもできなくて悩んでいるのに馬鹿にしてるのかって。そしてその後寂しくなる。やっぱり他人には解らない病気なんだなって。しかたないね。



ここまでならまだよかった。
偶然なんだけど、同様のネタで全く別の方が投稿した。

【ツイートを転載】
うつ病と診断された人の話で、医者に「食欲ありますか?」と聞かれて「お腹は空きます」と答えたら、「『栄養のため何か食べないと』と思うのは食欲じゃない。『食べたいものがある』のが食欲です」と言われたらしく、しばらく食べたいものが思い浮かばない人は要注意。

それに対して僕はまた引用ツイートしたわけですよ。
【引用ツイートを転載】
不快。状態や症状は人によって異なるし、同じ人でもそれは一様ではないんだよ。変化したり波もあるのだよ。僕は比較的軽い症状で収まって回復できたけど、本当に辛くて苦しんでいる人も数多くいらっしゃる。軽々しく病気のことを言うなよ。失礼なんだよ。苦しめることになるんだよ。





発症した人でないとどういうものなのかなかなか分からないのですよ。
「そんなこと言わないで。突き離されているようで寂しくなる。」と言われたこともある。
「ごめんね」と返したけど、心の中ではこう思ったよ。
「きみに一体何が分かるというのだ?軽々しく『あなたのそばにいるよ』的なことは言うもんじゃない。たいていの場合、『そばにいるよ』的なことを言った友人は嫌気が差して離れていくんだよ」。



頭が痛くなったり、腹が痛くなったりする。
でもそれは自分の意思で痛みを抑えたり終息させることは普通の人間ならばできない。
自然回復を待つか服薬する。

うつ病もそれと同じなんだ。
「ああ、気持ちが落ちていくな」と自分でも判るんだ。
でも頭痛や腹痛と同じで、自分の意思でそれを落ちないように制御することはできない。
「ああ、落ちる落ちる、落ちるよ」と思いながら為す術がない。

困るのは頭痛、腹痛のように身体の器官や部位の症状ではないということだ。
「気持ち」「意思」に関わる症状なのだ。
だから「そんなの気の持ち様でどうにでもなるでしょう?」などと言われる。

いや、どうにもならないから困るんだよ。
どうにかできればうつ病ではないんだよ。
「ああ。落ちる落ちる。仕方ない、脳内の分泌物の加減でこうなるんだ。仕方ない」とか頭では分かっても、落ちるのを止めたり上昇させたりすることは自分の意思ではできないのだよ。
どうにもできないから服薬するのだよ。
難しいのは人によって適した薬の種類や量がまちまちなのだよ。
頭痛や腹痛でもそうだろうけど、うつ病の場合もっとデリケートなんだよ。
しかも即効性はないのだよ。
回復するのに時間がかかるんだよ。
だから薬だけに頼らず、うつ病になりにくい生活をするよう心がけて、少しずつ根気よく直さねばならないのだよ。

こういうことを文章にして読んでもらっても、内容について理解はできるけど、感覚として実感やイメージが抱けないという人が殆どなんだよ。
だから普通の友人は皆投げだして寄り添ってくれなくなる。
はっきり言って面倒になるんだよ。
家族にだって分かってもらえないんだよ。
「ついこの前まで仕事に行けたじゃない。気の持ち方次第でしょう?」と絶対に言って欲しくない言葉が出てくる。



幸いにも僕は症状の軽い段階で自分にあった薬の種類と量を見つけることができた。
良き医師にも出会えた。
すっかり回復して通院も服薬もせずもう4年近くになる。
たまに危険信号を感じることもあるけど、対処方法は心得ているので凌げる。
「凌げるようになった、病気を飼いならすことができた、うまく付き合っていく術を見つけた」ということは、凄い自信と強みになる。

でも、世の中には苦しんでいる人たちも大勢いらっしゃる。
うつ病だけでないよ。
病気に関しては軽々しく発言するものではない。
傷つく人がたくさんいるよ。

 


映画のような音楽

2017-10-12 22:20:55 | 音楽徒然

「映画音楽」。
要するに、映画の主題歌だったり挿入歌だったり、「サントラ」と呼ばれるものに収録される音源たちのことを言うと思っている。

そうではなくて僕は今「映画を観ているような気持ちにさせてくれる音源」のことを言っている。

静かな秋に、それは夜でなくてもいいよ、昼間でもいいよ、山の方に行って紅葉やら黄葉やらを眺めながら聴いていてもいいよ。
いいよ、というか、僕はそんな秋に聴きたくなるよ。

The Divine Comedy / Your Daddy's Car  (タイトルをクリックで音源に跳びます)







The Divine Comedy / Everybody Knows That I Love You  (タイトルをクリックで音源に跳びます)





The Style Council / The Paris Match  (タイトルをクリックで音源に跳びます)

 

 

過去に、20代の頃に自身で作った曲に "A Farewell to Knee" という曲があります。
それを聴いた当時の恋人は言いました。
「映画を観てるみたいな曲だね」。
自分でもそう感じていたので嬉しかったな。
尚、その曲の公開はまた別の機会に・・・と言っておけば、聴きたくない人たちが助かるでしょう。


機会があったら聴いてみてくれ、死に体の音楽を(大変失礼な言い様で恐縮ですが)

2017-10-11 22:55:16 | 鮭一の徒然

単なる日記ですよ。
釣りネタでも何でもない。


昨年の11月頃にぎっくり腰をやってしまった。
その際、整形外科に診察してもらったのだが、念のためレントゲン撮影をした。
いや、ぎっくり腰の診察ついでになかなか治らないテニス肘(正式名称は上腕骨外側上顆炎(じょうわんこつがいそくじょうかえん)、別名は二代目琥珀本流エアマスター肘)について尋ねたら、念のためレントゲンを撮りましょうということになった。
なんなら腰もレントゲンを撮りましょうか・・・。

というわけなのだが、その時に判明した。
以下ご自身も釣りをやるという医師の言葉。
「いやあね、肘は通常のテニス肘というやつで特に心配はいらないんだけどね、腰がねえ。腰椎分離すべり症ってやつなんですよ。幼い頃にスポーツやってた?」
「肘はいいですよ。解禁までまだ4カ月あるでしょ。治る治る。それより腰は気をつけてね」

とまあ、こんな軽い感じで説明してくれた要旨は以下の通り。
治るものではない。
一生付き合っていかねばならない。
症状が酷くなれば手術をすることもあるけど、日常生活に支障が無ければ特に何もしない。
体幹を鍛えるように心がける必要がある。
成長期の運動やトレーニングにより、継続的に骨に負荷がかかることが原因で疲労骨折しそのまま元に戻らなかったことが原因であることが多い。
脚も痛む・・・らしいわ。

たまに一週間くらい腰に鈍痛を感じる頃はあったけど、これまではそれも治ってきた。
霊視のできる人には「あなた、腰に気をつけなさい」と言われたけど、特にこれまで何もなかったから「まさか滅多なことはなかろう」と安心していた。
それが「マジか!?言われた通りやんか!?」と驚いた。



ぎっくり腰から回復した後、なんとなく以前より腰が弱ったかなと感じてはいた。
でもはっきりとした自覚はなかった。

2017年のシーズン、5月の長良川で車中泊をしながらサツキマスを狙っていたとき、腰に痛みを感じた。
昨シーズンまでは平日の内に腰の痛みが収まり、週末でまた少し痛んだとしても、また平日で回復するの繰り返しだった。
それが、5月に痛みを感じてから今日まで毎日ずっと痛い。
7月頃からは左脚も痛み始めた。
ふくらはぎの少し下、脚の外側と言えば良いのかな、くるぶしより拳1個分くらい上が常に痛い。
痛みを圧して歩くもんだから、多分おかしな動きをしているのだろうな。



一度医者に診てもらった方がよいのかな、手術とか必要なのかなと思い、さっき、この記事を読んでいた。

腰椎分離すべり症で足がしびれて仕事ができなくなる前に治療しよう!(←クリックすると記事にジャンプします)

読んでいたら、急に寒気がして、鳥肌が立ってきた。
歯がガチガチ音を立てるくらい震えてきた。
上着を羽織ったけど、暫く震えは止まらなかった。

もう治らないと分かっていたけど、改めてその事実を突き付けられてショックだったのだろうか。
それで震えが止まらなかったのだろうか。
分からない。
今はもう収まった。
上着を羽織ったままでは暑いので脱いだ。
何が起こったのかよく分からない。
とにかく、健康体でいたいですよ。
流れに立てなくなったら生きてる意味がないよ。
死に体になります。



死に体といえば、ある年度の某雑誌のインタビューで「次にいちばん自殺しそうなアーティストは誰か?」で1位になったという、真実のようなガセのような話を聞いたことのある、トム・ヨーク(Thom Yorke)さんの在籍したバンド、Radiohead の "the bends"というアルバム(1995年リリース)を最近よく聴きます。
ジャケットはこんなやつ。

 

当時から「名盤」の誉れ高き音源だった。
僕自身も「多分いいアルバムなのだろう」「名盤なのだろう」と思ったが、当時はどうしても轟音ギターが好みに合わなくて、アルバムを通して聴いたのは3~4回程度だった。
それが急に、9月にランドロックを狙い始めた頃に"high and dry"を聴きたくなって、ついでにアルバムを通して聴いてみたら、今では轟音ギターは全く気にならなかった。
寧ろ曲によっては積極的にアコースティック・ギターの響きを重要視するアレンジで凄くいいなと思ったよ。
良くできた曲ばかり収められていますね。
これは名盤と言われるだろうなと思う。

一応リンク貼っときます。
機会があったら聴いてみてください。
タイトルをクリックすると音源に跳べます(多分)。

the bends(アルバム標題曲。事情があってスタジオ音源はアップされていないようで、ライヴ音源です)

high and dry

fake plastic trees

black star


 


スバルがスバルらしかった頃のスバル

2017-10-08 02:15:47 | スバル

最近「釣り車のサンバー」から「釣り道具のサンバー」に昇格した、2017年の渓流シーズンを文字通り駆け抜けてくれたサンバー。
あの小さなボディで約7ヵ月間、13,000kmを走破してくれた。

そのサンバーのリコール情報を入手したのは8月下旬から9月にかけての頃だったか。
渓流釣りシーズンも佳境に入っていたので、リコールの点検・整備・部品交換などは禁漁となる10月に入ってからと思っていた。




昨シーズンまではBE(3代目レガシィB4。こともあろうにセダンである)で渓流釣りに行っていた。
不便ではあったが、何とか釣りには行けているのでこのままBEで釣りに行くつもりでいた。
もう古いクルマの部類ではあったが、遅いトラックが行く手を阻むようなときにも、たとえ釣り道具満載であっても楽に追い抜けるだけのパワーは、誰よりも先に川に降り立ちたいという思いを叶えるには好都合でもあった。

しかし、2016年の8月に、恐らく猪と思われる動物に衝突された。
左側後部のドアが凹んだ。
現在もそのままであるが、これ以上釣りに乗って行ってダメージを与えたくはないとの思いから、釣り車の購入を2016年のシーズンオフから考え始めた。






渓流釣りには地上高のあるクルマの方が悪路を行くに好都合と思ったが、いたずらにジムニー等を釣り車にした日には、間違いなく別の趣味が増えることになる懸念があった。
渓流釣りのシーズンオフには林道アタックをしたくて堪らなくなるだろう。
これ以上趣味を増やしても小遣いが無い。
ジムニーは諦めた方がよさそうだと判断した。

そうなると、細い道でも入って行けて荷物も乗せられて、座席を畳めば車中泊も可能な軽自動車の箱バンが最適だった。
自称スバリストの僕としては、軽箱バンを購入するのにサンバー以外を選ぶのは嘘だろうと、端っからサンバーの他には考えなかった。
そもそもスバルを好むドライバーは、その個性的なメカニズムや作用機構に惚れるのだ。
軽箱バンや軽トラなんてどれも同じと考える人には理解できないだろうが、サンバーは他の軽箱バンや軽トラとは設計思想や構造が根本的に異なる。
どうせ軽自動車だろうと舐めてかかってはいけない。
サンバーのことを知れば知るほど、サンバー以外には考えられなくなってきた。


しかしそのサンバーだが現在新車で購入できるのはダイハツのOEM供給によるもの。
独自の設計思想によるスバル内製のタマは中古で選ぶことになる。

5ナンバー乗用より4ナンバーの貨物の方が最低地上高が5mm高い。
標準装着のタイヤは4ナンバーの方が外径が小さい。
ならば、4ナンバーに5ナンバー用のタイヤを履かせれば地上高はもっと高くなり、190mmくらいにはなるのではないか。
190mmあればよほどの悪路ではない限り大丈夫だろうと考え、4ナンバーのタマを探したが、「四駆、MT、スーパーチャージャー付」という条件を出すと、4ナンバーだとか5ナンバーだとか選んでいられなかった。
取り敢えず今あるタマの中から程度の良いのを選ぶという感じで、結局僕の許にやってきたのは5ナンバー乗用だった。


最初は整備や手入れもそこそこに、完全に乗り潰すつもりでいたが、それがどうしてどうして・・・。
釣行回数を重ねるに連れ、要するにデートを重ねるに連れ、可愛くて堪らなくなってきた。
勿論僕はBEを手放すわけにはいかない。
生涯の伴侶にしたいくらい惚れこんでいるクルマだ。
これまで買い替えようと思ったことはない。
サンバーを迎え入れたのも、もともとはBEを長く大切に乗りたいからという思いがあったからだ。
それがサンバーにこんなに惚れてしまうことになるとは。
浮気ではなく本気で惚れてしまったのだから、もう一夫多妻制を敷くしかない。
BEも好きだがサンバーも好きだ。
仲良くやっていくしかない。



リコール対応をしてもらうためにディーラーへ行ってきた。
作業日の予約だけをするつもりだったが、ピットが空いていたのでそのまま対策部品への交換と点検を行ってもらった。
1時間程度という事前の説明だったが、30分くらいで終了した。
しかしその後、点検整備に宛てたのとほぼ同じくらいの時間を、メカニックの方は僕と話すことになった。

スバルのメカニックの方々は基本的にスバリストなのだろう。
整備後にクルマの話を始めると、凄く嬉しそうに回答してくれることが多い。
この日整備に当たってくれたメカニックの方も、自身でサンバーを所有しているというサンバー愛好者で、サンバーに関してたくさんご教示頂いた。
例えば赤帽サンバー。
赤帽用車両に搭載されるエンジンには、「赤帽」の名のごとく赤色のヘッドカバーが装着されるというのは有名な話だが、僕はその他の部品も専用のものが使われていると思っていた。
つまり、S401やS402などSTIが手掛けた車両のように、赤帽サンバー専用部品があると思っていたのだ。
ところが、整備等で部品を発注する際には特に赤帽用で品番やコードが異なることはないということだった。
「点火プラグは専用仕様のものが装着されますが、他は一般車両と何も違わないです。だからお客様のサンバーもその気になれば30万km、40万km走れます」と嬉しいことを言われた。
軽自動車で30万kmか。
なかなか実現は困難な話だろう。
エンジン本体の耐久性はあっても他の部品の耐久性が伴わないだろうし。
とは言え、「どうせ軽自動車だろう」と舐めてかかってはいけない素晴らしいクルマだということはよく分かった。


そんなサンバーの話を嬉しそうに話してくれたメカニックの方だが、果たしてトヨタの資本が入ってからのスバル車に対してはどんな感情を持っているのだろうかと思った。
僕は自身で自分を「スバリスト」だと思っている。
街往くスバルを見ると目で追うし嬉しくなる。
出先の駐車場にスバルが停めてあると近くに寄って眺めたくなるし、できれば隣に停めたい。
狭い道でのすれ違い、右左折時や進路変更、合流等の譲り合いなどで相手がスバルだと無礼な運転はできないと気が引き締まる。
複数車線での追い抜きや追い抜かれる相手がスバルだと、緊張感のない運転姿勢ではいけないと襟を正さなければならない思いに駆られる。
でも、そう思えてくるのはトヨタの資本が入ってくる前のスバルに対してだ。
国内市場を見棄てて北米にシフトしたり、MTをラインアップしなくなったり、そもそもトヨタに乗っていたユーザーが「あれいいね!」と選ぶようなクルマになってからのスバルには同胞意識は感じない。
未舗装路を、泥や泥水の飛沫を跳ね上げながら駆け抜けていくのが似合うスバルにしか同胞意識は感じない。

※トヨタの悪口を言っているのではないので誤解なきようよろしくお願いします

皆思っているよ。
スバリストのスバル離れが著しい昨今だが、それはスバリストたちは、スバルがスバルらしかった頃のスバルが好きだからだ。
正直、現在新車で買えるスバルのオーナーになりたいとは思わない。

サンバーは平成19年式で走行91000km。
まだ走れる。





BEは平成15年4月登録。
新車で購入して現在19万1千km走行。
いつまで走れるかな。


※繰り返しますが、トヨタの悪口を言っているのではないので誤解なきようよろしくお願いします。