「歳をとる前に、今のうちに・・・」。
最近よく思う。
今年の5月くらいから常に左側の腰に痛みを感じていた。
これまでも週末の二日間、本流で長竿を振っていると痛むこともあったが、平日のうちに回復してまた次の週末を迎えられていた。
それが今シーズンからは痛みが回復しないばかりか、7月くらいからは左脚の脹脛(ふくらはぎ)から踝(くるぶし)辺りも痛みだした。
腰の痛みと繋がっているように感じた。
さすって痛みが緩和されるとか、抑えると痛むとか、外部からの影響では痛みに変化はない。
常にそこに疼痛がある感じだった。
去年の11月にぎっくり腰をやってしまった。
整形外科で念のためレントゲン撮影をしてもらった時に判明したのだが、僕は「腰椎分離すべり症」だと診断された。
簡単に言えば、成長期の運動やトレーニングにより過度の負荷がかかり腰椎が疲労骨折してそのままくっつかなかったということらしい。
一度の衝撃でそうなることはないらしい。
繰り返しのトレーニング等でなるようだ。
正直思い当たる節はない。
寧ろたった一度の衝撃で生じた痛みが暫く続いた記憶がある。
10歳の時に砂場に両膝で着地した際に腰が凄く痛み、それから暫くずっと痛かったことはある。
いつそうなったかはもう分らない。
とにかく僕は腰椎分離すべり症と診断された。
「体幹を鍛えた方がいいね」と医師に言われた。
ぎっくり腰から回復し、年が明けた頃から、僕は毎晩所謂「腹筋」と「背筋」をを始めた。
せっかくなのでついでに腕立て伏せもやった。
これらがよくなかったらしい。
あまりにも痛みが続くため、先日同じ医師に診断を仰いだ際に判明したのは、自己流トレーニングにより、腰椎のすべり、要するに「ずれ」が増して、ひとつ上のまともな腰椎に負荷がかかりヘルニアになりかけているとのことだった。
「診断での再現性はないけど、レントゲンを見るとヘルニアのようだなあ」ということだった。
もう戻せない。
一生痛いんだ。
あなたが「体幹を鍛えた方がよい」と言ったから素直にその通りにしたつもりだった。
「痛んでる時にトレーニングすると負荷が掛かって余計におかしくなるからやめた方がよいよ。
ガチガチに筋肉で固める人もいるよ、力士やその他のスポーツ選手みたいにね。でも何が正しいか、その人に合った方法かはやってみないと分からない。
だから『リハビリテーション学』というものがあるんだよ・・・」とその医師は語った。
酷い話だなと思った。
「体幹は鍛えた方がいいけど、自己流とか、下手にトレーニングしない方がよい」と一言付け加えてくれたら、腹筋背筋なんかやらなかっただろう。
爆弾を抱えてはいるが導火線に着火しないまま騙し騙し生きてこられたかもしれない。
もう戻せないんだよ。
一生おかしな歩き方をしなければならないんだよ。
来シーズンからは、これまで立ち込めた流れにも立ち込めないかもしれないんだよ。
でも、他人を恨んでもしかたない。
訴訟を起こす気力も財力もない。
せっかく腹が割れかけていたのにな。
20代の頃からずっと目標にしている「還暦モッズ・スーツ計画」もこのまま実現できるだろうと思っていたのにな。
これまで通り身体を動かせないと、体型は間違いなく加速度的に崩れていくでしょう。
ナルシストと言われようが構わん。
体型を崩すことだけは避けたくて、これまで食事やらカロリーには割とストイックに生きてきたつもりだった。
「体型が崩れたら、心まで老け始める。要するにオッサン化が著しく進行する」と思ってそうならないように生きてきた。
でももう難しいだろうな。
ふと、今のうちに、もう一度M-51を着ておこうと思った。
60年代のモッズ・ムーブメントに興味を持った僕は、モッズ達が愛聴した音源にも触れてきたし、勿論モッズ・ファッションも好きだ。
ただ、本来のモッズとはある意味「様式美の世界」であるというところが僕がどっぷりとはまらなかった理由なのだ。
例えばこのような決まりごとがある。
ジャケットは細身の3つボタンでサイド・ベンツ、スラックスの丈は短く、靴はクラークスのデザート・ブーツ。
シャツはオックスフォードのボタン・ダウン、ポロシャツならフレッド・ペリー、ジーンズはリーヴァイス501。
ダンスのステップから街で他のモッズに会って立ち話をする際の立ち方まで決まっていた。
こんなのは20世紀末から21世紀の日本では不可能でしょう(笑)
とても非現実的であり、もし従おうものなら、疲れて嫌になるのは目に見えている。
だから僕はモッズ・ファッションの要素を取り入れて楽しんでいた。
今も昔もジャケットやスラックスは細いのが好きだ。
勿論ネクタイも。
靴はデザート・ブーツは歩きにくいと感じたのでチャッカー・ブーツを愛用している。
現在チャッカー・ブーツだけで4足持っているくらい好きだ。
そしてシャツはボタン・ダウン・カラーがデフォルト。
わけあってレギュラーカラーのシャツを着ることもあるが、気に入ったデザインでもボタン・ダウンでなければ基本的に買わない。
そして本題の防寒着。
世間に認知され最も浸透したモッズ・アイテムはM-51、最近の通称ならば「モッズ・コート」だろう。
嘗て東京暮らしの時には大好きでよく着ていたが、地元に戻ってきてからは車での移動が圧倒的に多く、手持ちのM-51がかなりくたびれていたこともあり着る機会が殆ど無かった。
それが数年前、公共交通機関で通勤するようになり、冬場の防寒着としてM-51を新調しようとした。
ネットで検索し始めた僕は驚きの連続だった。
型式(型番)である「M-51」や正式名称である「M-51フィールド・パーカ」から転じた「モッズ・パーカ」という呼称ではなく、勿論「米軍放出のパーカ」でもなく、「モッズ・コート」なる新たな呼称が定着しているようだった。
「モッズ・コート?何だそれ?」と感じたのが正直な気持ちだ。
更に当惑したのは「青島コート」という呼び方。
テレビや映画を殆ど見ない僕は「踊る大捜査線」で織田裕二がスーツの上にM-51を羽織っていることを知らなかった。
映画に便乗して売り出そうとしたファッション業界が「モッズ・コート」などと言い始めたのだろう。
そういう呼称にしておけば本来のM-51とデザインやディティール、機能上の相違があっても問題ないし、オリジナル性を重視した「モッズ・コート」も販売できる。
事実、本来の「M-51」とは異なるディティールだったり、似たモデルの「M-65」と混同していると思われるものもたくさん見受けられた。
少し話が逸れるが、ネットで検索していたときに「モッズ・コートはどれが良いですか?」とか「モッズ・コートを探しています」などの投稿を見かけると、こう感じたものだ。
「おまえさんはバカじゃなかろうか」と。
モッズ・ファッションに興味があって、少しでも自分で調べたなら「モッズ・コート」なんて言い方はしないだろうが。
「どれが良いですか」だと?
ファッション・ブランドが色々リリースしていたようなものではないんだよ。
成り立ちを自分で調べろよ。
米軍採用の「M-51 フィールド・パーカ」なんだよ。
でもこれは質問の主が野郎の場合だった。
女の子が「モッズ・コート」を着るのは全く反対しない。
寧ろ大歓迎。
本来の「M-51」ではサイズ的に大きすぎてうまく着こなせないでしょう。
野暮ったいだけだ。
それを色んなファッション・ブランドが日本人の女の子の体格に合わせて作った「モッズ・コート」ならば回避できる。
いや、回避できるだけではない。
寧ろ可愛くなる。
不思議なことに、「モッズ・コート」を着ると女の子が可愛く見える。
いつの間にかすっかり市民権を得た「モッズ・コート」を着ている女の子をたくさん見かける。
これは僕は大歓迎ですよ。
でも野郎はだめだ。
ちゃんとした「M-51」を買えよ、いいな。
話を戻そう。
青島刑事だよ。
まったくエライことをしてくれたもんだ。
M-51を汚しやがって。
織田裕二がスーツの上にM-51を着て映画に出たなんて、こんなクソ田舎で同じような格好で通勤したら「あいつ、織田裕二の真似だろう」と思われるのがオチじゃないか。
「違うんだよ、これは織田裕二じゃないんだよ、踊る大捜査線じゃないんだよ。さらば青春の光のジミーなんだよ、Quadropheniaなんだよ、四重人格なんだよ、The Who なんだよ」と、何も分かっていない奴らにいちいち説明するのも面倒だし、落胆や憤りはあったが、もうM-51を着ることはないだろうと思っていた。
でも、冒頭の「腰椎分離すべり症」とそれによる「ヘルニアになりかけ」という診断を受けた時に思った。
確実に老いが始まっているなと。
体型が崩れる前にもう一度M-51を着たいなと思った。
そして更に思う。
いつまで声が出るのかわからないな。
もう一度、自分で作った曲を、自分でギターを弾きながら歌いたいなと思った。
わけあって、楽器は全て放出した。
50年代、60年代の所謂「ヴィンテージ」と呼ばれるギターやベースを含め20本近く所有していた。
アンプも60年代のものを使っていたのだが手放した。
取り敢えず、弾き語ることのできるアコースティック・ギターが欲しい。
自慢ではないけれど、現役で歌っていた20代の頃よりも、30代以降の方が声域も声量も増したのだ。
実年齢よりは喉は若いと思っているが、体型が崩れると喉の老化も始まるかもしれない。
早く、気に入ったアコースティック・ギターをもう一度見つけなければ。
※常用漢字表では「歳をとる」という表記はないようですが、「歳」に関しては「○歳」と書くことからも明らかなように、年齢を示すことに用います。
個人的な随筆の類なので「歳をとる」でも構わないと考えこの表記にしました。