How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

僕の渓流釣りは上村川で始まった

2014-03-12 01:43:48 | 渓流釣り 思い出の渓魚たち

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2007年7月29日に撮影した、恵那の上村川の様子。
 

 

僕の渓流釣りは上村川で始まった。
大阪から赴任してきた当時の上司が渓流釣りが好きということで同行させてもらった最初の釣り場は、お隣愛知県の名倉川。
その後、もう少し脚を伸ばして寒狭川にも2、3度行った。
しかし、思うような釣果が得られず、もう少し自宅から近いところに釣り場はないものかと、インターネットなどで情報を集め「次回はこの上村川ってとこに行ってみましょうよ」と提案したのは僕だ。

2005年5月。ゴールデンウィーク後の早朝の上村川に、我々は降り立った。
「めっちゃくちゃ綺麗な川やなあ。これまでに見た中で一番綺麗やわ。下手に動くと魚に感づかれるな」

これまで東北や北関東の渓流で竿を出した経験の長い上司Kさんをして、「いちばんきれい」と言わしめた上村川は、その後僕のホームリヴァーとなり、多くの思い出深い釣りをして、思い入れのある魚と出会った。

忘れ去られたような沢を見つけ奥まで分け入ったのも上村川であれば、本流竿の扱いの基礎を身に付けたのも上村川だ。
渓の釣り専門だった僕に、本流釣りへ転向するきっかけを与えてくれたのも上村川だ。
ある渓で釣り終えて、V字谷の底から上がってくる途中で、真新しい熊の糞を見つけたのだった。
それまでの僕の釣り方がなんて恐いもの知らずで無鉄砲な釣りだったのかを教えてくれた。
 

 

真夏でも水底まで突き抜けて見えるくらい高い透明度を誇った上村川の流れに変化が表れ始めたのはいつ頃だったか。
正確には覚えていないが、2009年のシーズンにはかなり色付いていたように思う。
「透明度が高い=プランクトンが少ない」ということだとしたら、痩せていた上村川が肥えてきているのかとも考えられるのだが、そのシーズンを最後にそれまでのような楽しい釣りをさせてくれる魅力的な川から、魚の姿が薄い川に変わり始めた。
端的に言うと「釣れない川」になってしまった。

春先には下流のダムから遡上する多くの銀毛アマゴに出会えたのが、その姿を殆ど見かけなくなった。
毎年尺クラスのアマゴが竿を絞ってくれたポイントは、尺どころか魚の姿が殆どなくなった。
そもそも植林事業によって周辺の山は針葉樹の森である上に、川底も白い砂礫層なため魚が大きくなる要素は少ない。
尺クラスが精いっぱいというような川ではあったが、それでも尺アマゴに出会えるポイントは幾つかあった。
楽しい思い出をたくさん与えてくれた上村川を裏切ることになると思い、僕は諦めずに通ったが状況は好転しなかった。
 

 

2013年8月17日、その日の上村川釣行も全く期待はしていなかった。単に川の状況調査のための釣行と考えていた。

「僕の渓流釣りは上村川で始まった」。何度もその言葉が脳裏をよぎった。
使い始めて7シーズン目を迎える10mの長尺ロッド、「琥珀本流エアマスター」の裁きを磨けたのは、南飛騨の益田川、小坂川、そして奥飛騨の高原川という岐阜県が全国に誇れる名川であるが、本流竿の扱いの基礎を学んだのはこの上村川だ。

渓の釣りしか出来なかった僕が、長良川本流で散々な目に遭った時、先ずは通い慣れた川で本流での釣り方をマスターせねばと帰って来たのも上村川だ。

ナチュラルドリフトしか出来なかった僕がドラグドリフトや聞き流しをマスター出来たのは、前述の益田川、小坂川、高原川、長良川、このような強者ひしめく有名河川ではあるが、先ずは基礎を身に付けねばとやってきたのもこの上村川だ。

自宅から1時間余りの距離にあんなに美しい川が流れているなんて僕はなんて幸せなのかと思った時期もあった。
休日に少し空いた時間があればすぐに釣行した。
禁漁の時期にも上村川の清廉な流れを見に来た。
 

 

思い出を振り返りながらクルマを走らせ、久しぶりの上村川に降り立った。
先ずは毎年何本もの尺アマゴに出会えた過去の有望ポイント。
しかし、尺どころかアタリすらない。
水温は20℃を僅かに超えるくらい。
真夏の上村川はこれくらいにはなる。
確かに厳しい条件ではあるが、全く食わなくなる水温でもない。
実際過去にはこれくらいの水温で尺アマゴを獲ったのだ。

そしてやっとのことで釣り上げたアマゴも体長20cmほどの小型。
しかも頭が大きくて身体全体は痩せている。
恐らく餌が少ないのだろう。
川の水は以前とは比較にならぬくらい透明度が落ちている。
やはりこの水質の変化と関係があるのではないか。
 

 

もう上村川が復活する日は来ないのかなあ・・・
順に上流に向けてクルマを走らせた。
降り立ったポイントごとに、そこでの釣りの思い出が脳裏を過った。
感傷的になり竿を出す気にもなれず、寂しい気持ちのまま上村川に通い始めた当初によく入ったポイントに到着した。

水温は21℃。時刻は14時を少し回った頃。いちばん暑い時間帯だった。
一帯のポイントで魚が着いて居そうな箇所を流しながら少しずつ釣り上がった。
しかし全くアタリはない。
この状況では無理もないな・・・
期待どころか殆ど諦めかけてはいたものの、周辺ではいちばん有望と思われる流れに餌を流した。

打った餌が馴染み始めた時、ツツツッという弱い感触とともに目印が下流側に動いた。
間髪入れずあわせをくれると、確実に鈎に乗った感のある重めの手応え。
何とかまともなサイズが出迎えてくれたかなと余裕で取り込むつもりが、流れに乗って走るとかなり重い。
僕は腰を落とし竿を強めに矯めた。
激しい首振りの後、上流の緩流帯に向かって走る魚影。
その魚影に僕の胸は高鳴る。
「あぁっ!尺アマゴやないか!」

その魚体を、差し出した網に導き入れた時の気持ちはなんと表現すれば良いのだろう。
諦めていたのに獲ったという喜び、現実と思い出とが重なるような懐かしさ、
上村川はまだ死んでいなかったという安堵の気持ち・・・
「私はまだ死んでいないのよ!」・・・瀕死の上村川が言うかのように出迎えてくれたこの尺アマゴへの感謝の気持ち。
それらが複雑に混じり合って、僕は暫くの間その尺アマゴを眺めて感傷的になっていた。
 

 

その日はそれで納竿とした。
弱った体力を回復させた後、僕はその尺アマゴを流れに返した。
上村川をどうか復活させて欲しい。
そのために、強く大きくなる遺伝子を残して欲しい。
 

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2013/08/17 恵那 上村川 尺アマゴ

精悍な鼻曲がりの顔付きと盛り上がった逞しい背。
過去にはこういうアマゴを何本も獲った上村川。
この魚を獲ったポイントは漁協管内でも上流域であり、その辺りの透明度はそれほど落ちてはいないが、極薄いエメラルドグリーンだった色が、薄い琥珀色に変わっていたように思う。
その証拠にアマゴの体色も黄色がかっている。

この日のタックル
竿:シマノ スーパーゲームベイシス 75-80MH
水中糸:ナイロン0.5号
ハリス:フロロ0.4号
鈎:オーナー スーパーヤマメ7号
餌:ブドウ虫

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思い出の渓魚たち 2012/07/28 小坂川 アマゴ34cm

2014-03-04 23:43:40 | 渓流釣り 思い出の渓魚たち

岐阜県の南飛騨を幾つもの支流を集めながら流下する益田川。
その大支流のひとつである小坂川(おさかがわ)。
渓流をそのままスケールアップしたような落差と変化に富むその流れは真夏でも水温はそれほど高くはならない。
支流とはいえ川幅は広く、水量も流れの押しの強さも、小継の渓流竿では大物に対処するのは厳しい。

本流釣りというものに興味を持ち始め、シーズンを通してそのスタイルでやりたいと考えた時に候補として挙がったのが、奥飛騨の高原川とこの小坂川だった。
岐阜県は山に囲まれてはいるものの、夏場は結構気温も高くなり暑い。当然水温も上がる。
日中に本流でアマゴを釣ろうというのはとても難しい話になる。
それ以前の話として、岐阜という地域はこと鮎釣りに関してはその名を全国に馳せる名川が沢山ある。
鮎師の竿の間を縫ってアマゴを釣ろうというのはとても難しい。そのような幾つかの障壁をクリアした上で挙げられるフィールドは多くはない。
 

 

2012年は僕が小坂に通い初めて5シーズン目だった。
それまでにも泣き尺から尺サイズのアマゴは獲っていた。
でも、もっと大きいのが居るに違いないといつも思っていた。
そいつを釣るには自身の釣技の向上が必要なのは勿論のこと、水況を見極めねばならないし、ポイントに関してももっと良いところがあるのではないかと考え始めていた。


毎年必ずと言ってもよいほど、いずれかの渓流釣り雑誌にポイントが紹介される小坂川。
有名河川ではあるが意外にもその流程は短い。
大洞川と小黒川というふたつの小渓流の出合いから益田川本流との出合いまで、距離にしたら僅か数kmというところか。

その短い流程の半分近くは深い谷の底を流れている。
誰に教えてもらうでもなく、僕は自分の足でひとつひとつ入川箇所を探し出していったが、深い谷の区間は正直言って殆ど手付かずだった。

小坂に通い始めて5シーズン目となるその年、僕は手付かずだった区間の探索に取り掛かった。
それは予想通り簡単ではなかった。絶壁に近いような崖が随所にある。
ロープなどを用いれば降りられそうだが、生憎僕には登山の心得はなく、万が一脚を滑らせたりしたときのことを考えると躊躇せずには居られなかった。

それでも根気よく探せば幾つか入川箇所の目星は付いた。
ただし藪漕ぎは必須。下草が踏みしだかれた獣道のようなものもない。
そのようなポイントの中でも、最も有望と思われる箇所は入念に下見を行なった。
闇雲に竿を出すのは勿体ない。雨後の増水など水況を見極めて入川すべきだ。そして、必ず居る筈の大物を獲ってやるのだ。
そう決めた。



2012年7月28日
正に機は熟したと思えた。
前の週にまとまった降雨があり小坂は増水したはずだ。
その水も落ち着き始めた頃だろう。
平水に戻る前のこのタイミングこそあのポイントで竿を出すのに相応しい。
そう考えながら僕ははやる気持ちを懸命に抑え、冷静さを保つよう心掛けながら、クルマから降りて身支度を整え谷を降りていった。

下見は充分に行ったが、僕は流れを前にしてもう一度川の様子を観察した。
幾筋もの流れを目で追い、流下してきた餌は何処に行き着きやすいか、だとしたら魚は何処に居るのか。
イメージ通りに流れるよう僕は竿をコントロールし、尺には満たないもののほぼ狙い通りに4匹のアマゴを釣り上げた。

でもそこで終わる気はしなかった。
もっとでかいのが居るはずだ。
一旦岸から離れ、もう一度よく川面を眺めた。

落ち込みの後、急激に川幅が狭まり、そのために速くなった流れがある。
速い流れはちょっとした淵を形成し、水勢が減衰するところから急激に水深が浅くなるかけあがりのひらきとなっている。
僕はまだそこを流していなかった。

あそこだ。あのかけあがりだ。このポイントで一番デカイやつはあそこに着いている。
ならば餌を打つ位置は・・・流すコースは・・・タナは・・・そして食わせてる場所は・・・
掛けたとしたら取り込み位置は・・・ならば自分の立ち位置は・・・

いつも何気なくやっているであろうことをひとつひとつ丁寧に思い描いた。
そして、竿を振り込んだ。

その一番デカイやつはまんまと食ってきた。
掛けた直後に手許に伝わってくる重みで、尺は確実に超えていると分かった。
あわせは完璧のはず。しっかりと鈎に乗ったはずだ。
よほど下手こかない限り獲れる。絶対に獲れる。

鈎に掛かった直後によくやる首振りを凌ぐと、デカイやつは下流ではなく上流の淵を目指した。
深く深く潜ろうと懸命に尾を使った。
潜ればいい。そこには障害物は何もない筈だ。先ほどの流しでそれは分かっている。
潜ろうとすればするほど体力を消耗する筈だ。

案の定すぐに引き込む力が弱まり、水中の魚体が確認できるところまで浮いてきた。
「デカイぞ。思った通りだ。」

過去に、大きな魚体を見た途端、緊張のあまり脚が震えたことがあった。
さすがに今ではもう震えることはないが、バラシに対する懸念からやはり緊張するものだ。
でもこのときは違った。確実に鈎は乗っていると自信があった。
緊張というより、目の前の大きなアマゴと対峙していると思うとゾクゾクと興奮してきた。

その大きなアマゴは少しずつ岸に寄ってきた。
でもまだ安心できない。
多くの場合、網を差し出すと再び走りだす。
僕は敢えて身を乗り出して自分の姿を見せた。
そこもやはり睨んだ通りだった。
大きな魚体は最後の力を振り絞るようにもう一度走り始めた。
ギラギラッと魚体が水中で翻る。
糸を自身に巻き付けて切るか振りほどくかしたいのだろう。
でもそれも僕は折り込み済みだった。
ギラッとなった瞬間に竿に与えるテンションを強めた。
或いは少し絞ったと言っても良いかもしれない。
魚が向かおうとするのとは逆向きの力を加えて、余計に魚の体力を奪った。
掛けた直後にこのような竿の操作をするのは危険だが、弱りかけている魚に引導を渡すという意味ではとても効果的だと思っている。

網に収まった魚体を見て僕は狂喜したと言っても過言ではないかもしれない。
間違いなく小坂で獲ったアマゴの中では最大魚。
逞しく盛り上がった背中で、少し鼻が曲がり始めている精悍な顔つき。
更に、本当にこれは稀有なことなのだが、パーマークがとても鮮やかだ。
大きな個体になるとパーマークが薄くなっていくのが通常なのだが、このアマゴについては驚愕の鮮やかさ。
この大きさで、ここまで鮮やかなパーマークを持った個体には、次は一体いつ会えるのだろうか。
そして、そこには絶対にデカイやつが居るはずと踏んだポイントで、何もかも狙い通りに大物が獲れるというのは、これからの釣り人生において、これからあと何回体験出来るのだろう。
そう考えて、僕はそのアマゴに「会えてありがとう」と言いたくなった。


体長だけで言えば、もっと大きなアマゴを過去にもその後にも釣り上げている。
しかし、その魚を獲るまでのプロセスを思うと、他と比べるまでもなく掛け値なしにこの小坂のアマゴが思い出深い大物だ。

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2012/07/28 南飛騨 小坂川 アマゴ 34cm

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アップにも充分耐え得る美顔です。

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小坂川 古小橋より下流を臨む
 

 
 

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渓への誘い

2014-03-03 23:56:33 | 渓流釣り 思い出の渓魚たち

幼い頃から鮭科魚類が好きだった。「魚の図鑑」は背を床に置くと自然と「さけのなかま」のページが開いた。僕は見開き4ページに展開される魚体の挿絵(勿論それは写実的なわけだが)と、その下部に記された説明書きを音読していた。


「ニジマスの滝登り  鯉の滝登りというが、実際には鯉は滝を登れない。ところがにじますはこのように滝を登っていくほど元気な魚である」。
そんな写真付きの説明もあったと記憶している。


 


小学校に上がる頃に釣りを始めた。
家族にも親戚にも釣りをする大人は居なかったが、川でザリガニを獲って遊んでいたことの延長で、僕は自然に釣りに興味を持った。
勿論最初は父に連れられて、近所の池や川でフナを釣る程度のものだった。


折しも当時、「釣りキチ三平」が人気を博していた。
テレビアニメでも放映されてはいたが、当時7歳の僕は寧ろコミックを読み漁った。
物語の中で三平少年は「ちょっとそこまで遊びに行ってくるわ」という感覚で渓流に降り立ち、ヤマメやイワナを釣っていた。
僕も釣ってみたいと思うのはごく自然なことだが、先にも述べたように周囲には渓流釣りどころか釣りの嗜みを持つ大人が皆無だった。
父にしたところで、息子が興味を持ったから仕方なく連れて行っているだけで、自身が楽しんでいるわけではなかった。
技術を要する難しい渓流釣りを手ほどいてくれる大人もなく、勿論山間部に赴く交通手段もなく、自身で運転免許を取得するまで、僕にとって渓流釣りは憧れでしかなかった。


 


30歳を過ぎた時、大阪から赴任してきた上司が渓流釣りの趣味を持っていた。
「ご趣味はなんですか?」
顔を合わせて間もない頃、上司とのコミュニケーションの一環として、社交辞令の域を決して脱しない口振りで尋ねた。


「ふん、釣りやな。」


「えっ!?釣りがお好きなんですか?どんな釣りです?」


「渓流やな。この辺ならアマゴやな。何が好きかって言われれば迷うことなく釣りやわ」


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと今度一緒に連れて行ってくれませんかっ!?」


 


こうして僕は渓にはまることになった。
最初の数回は一緒に釣行したが、その後は上司を差し置いて単独で出かけるようになった。


「週末は休日出勤の予定でもあるんですか?」
「それが土曜にあるねん」
「そうですか、そりゃ残念ですね。僕はひとりで行ってきますんで!」
「くぅ~っ・・・残念」


 


その上司とは知り合ってから今年で11年目。
再び大阪に戻って行かれて、僕は何年か前にその仕事を辞めた。
今では釣り友のKさんとして年に何度か一緒に釣行している。


 


Kさんと釣行したときの思い出の魚。
到着が遅くなりそうだとKさんから連絡が入ったため、「じゃあ、僕が先に尺アマゴ釣っときますから心配しないでください(笑)」と電話でのやり取りの後、ホンマに尺アマゴを獲ったものです。


 


岐阜県 恵那 上村川 アマゴ 30cm
精悍な鼻曲がりと盛り上がった背の素晴らしいボディでした。


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渓流釣りを始めた当初は、こんな綺麗な川を見たことがないと思うような透明度の高い川でしたが、この魚を釣った前年辺りから少しずつ透明度が落ちて行きました。
それと同調するように釣果も芳しくなくなりました。
かつては年券を購入して通った川でしたが、ここ2年くらいは年2回ほどの状況確認のための釣行のみです。


 


 









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小学生の僕に強烈な印象を残したのは、「イトウの原野 編」です。
イトウという魚に対しても憧れを抱きましたが、それ以上に釧路湿原に行ってみたいと感じました。


大学生に上がり、僕はブルートレイン北斗星に乗って渡道し、特急おおぞら号で釧路へ向かいました。
そして湿原の中の木道を歩き、幼い頃からの夢であった「湿原の中で湿原の風を受けたい」を叶えました。