How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

彼方と此方 ~僕が溺愛したこまるという名の猫

2018-02-05 00:25:13 | 鮭一の徒然





当初この週末は自動車の整備をして過ごすつもりでいた。
愛車レガシィB4のフォグランプが点灯しなくなったのだが、10年以上前にDIYで純正ハロゲンをHIDに換装していた。
不点灯を確認した際の点検で、HIDバーナーが割れていたのを発見。
もうこの際純正ハロゲンに戻そうと思ったが、純正の配線を思い出せない。
仕方なくもう一度新品のバーナーを購入して取り付けることにした。


しかしこの取り付けも面倒な作業だった。
もともとポン付けができないのを加工して何とか装着したので、もう一度同じ作業をするのは避けたかった。
出来るだけ既存の加工済みパーツを使う方法で段取りを考え、土曜日の日中の作業は予定通り終了した。
翌日の天候はかなり寒いという予報だったため、屋内での作業でも差し支えないものは今のうちにやっておこうと思い、僕は深夜までハンドツールを使いながら部屋で作業をしていた。

作業そのものはさほど難しいものではない。
電気の配線、一旦分解したパーツの接着、付着した粘着テープの残りかすをスクレイパーやカッターナイフで削るという作業だった。
そのカッターナイフを用いた作業の時に僕はやってしまった。
勢い余って刃が左手人差し指の先端の腹にズブッと刺さってしまった。

痛みはなかった。
しかし、出血が酷かった。
どうにか消毒して止血したが、翌日の作業は断念した。
人差し指が使えない状態での作業はあまりやりたくない。



さて、日曜日をどう過ごそうかと考えたときに、ここのところずっと気になっていたことを完遂しようと思った。
父方の祖父母の墓参だった。


僕は今でこそ大きな面をして「岐阜県民です」と書いているが、実は14歳までは名古屋で生まれて育った。
祖父母の墓も名古屋市内にある。
千種区の平和霊園だ。

※写ってはいけないものが写り込むと困るので、霊園周辺ではこの写真しかありません。




僕は名古屋で生まれ、14歳の7月末に多治見に転居した。
その後5年8カ月を多治見で過ごし、二十歳になる年の4月に進学のために上京した。
東京で8年4カ月過ごし、28歳の7月にまた多治見に戻ってきた。
その時点では多治見で過ごした期間が一番短い。
故郷という感覚はなかった。
寧ろ故郷は名古屋だくらいに思っていた。


多治見に住む期間が長くなり、岐阜県内の川に釣りに行くようになった今では当然故郷は多治見で自分は岐阜県民だと思っている。
逆に第二の故郷のような感じになった名古屋の守山区。
その守山区の嘗て住んでいた地域を通りそして矢田川を渡る。
千種区に入り平和霊園を目指す。
幼い頃の記憶を大人になってから辿ったときの常だが、距離感や道幅などが当時の感覚と比較してとても小さく映る。
あの頃は毎日遠い距離を一生懸命歩いた記憶しかない小学校までの道のりはあっという間で、区を越えるにもかかわらずそこから霊園までも大した距離ではない。
自転車に乗って平和霊園内の猫ヶ洞池までよく釣りに行ったのだが、随分遠かった記憶がある。
それが自動車で往くと何の造作もない距離だった。


時期的に墓参の人は殆ど見かけなかった。
僕は墓の前でひとしきり祖父母に話しかけながら、線香とろうそくの火が消えるまでの時間を過ごした。
帰路のんびり寄り道をしながらクルマを走らせた。



毎日くぐった母校の正門前を訪れたのは何年振りだろうか。
恐らく30年ぶりくらいだろう。
28歳の時に多治見に返ってきて自動車免許を取得して直ぐに、僕はこの守山区の小幡、喜多山周辺までドライブに来たが小学校の前には来なかったのだから。
当時は小学校の周辺は田んぼばかりだったが、驚くことに今でも残っていた。

※休耕田になっているのか、時期的に何も耕作していないのか。
 今でも名古屋市内にこんな土地があるのか。




苗代、菱池、隅除、山脇、大谷・・・そんな字名は今ではもう「・・丁目」に取って代わられただろうが、僕はそのまま嘗て住んでいたマンションの隣を通り、通った中学校の正門前を過ぎ、中学生の時に大好きだった真琴ちゃんが住んでいた家の近くを過ぎた。
その辺りはもう小学校に上がる前まで僕が住んでいた地域だった。
当時の県営住宅はもうない。
喜多山駅の方に向かって行くが、ナルボンヌという手作りパン屋も喫茶店リッチもないし、薬局もない。
幼い僕に母がカブトムシを買ってくれた名鉄ショッピもない。
店頭に並んだ売り物の魚を興味津々で眺めていた魚屋のあった喜多山市場もない。
喜多山駅そのものも綺麗に改装されている。

そしてそのまま、僕はよく釣りに行った二ツ池に向かおうとするが、新しい綺麗な立派な道路ができていて経路が分からない。
方角は分かる。
でもどうやっていけばよいのだろう。
そりゃあ30年も経てば変わるよなあ・・・



帰宅して、父に墓参りに行って来たと報告した。
父にとっては自分の両親なのに、墓参りを自主的に行くなんて未だ嘗てあったろうかというくらいに無関心だ。
「わざわざ墓参り行かんでも、家の仏壇で拝んどけばええがや」。
父は名古屋で育って名古屋に勤め、多治見の人とは殆どかかわりが無いので今でも生粋の名古屋弁を話す。

「家の仏壇では意味が無いらしいよ。お墓までお参りに行かなきゃ先祖を敬うことにはならんらしいよ」と僕は答えたが、確かに自分は仏壇に手を合わすことは殆ど無いなと思い当たった。
折角だから、これを機会に仏壇の前で拝む習慣をつけようか。
そう思って仏壇の前に正座した。

右手に父方の祖父母、左手に母方の祖父母の仏壇がある。
手を合せて拝んだ後、僕はその二つの仏壇に挟まれた小さな箱に手を伸ばした。
まだ若い頃に保護した迷い猫「こまる」、愛称「こまちゃん」の骨壷だった。








僕がまだ東京でギターを掻き鳴らしていた頃に、母親の職場周辺で迷子になっていた猫だった。
当時はそのような迷い猫を保護してばかりでどんどん飼い猫が増えていた。
「これ以上増えると困るなあ」という妹のひとことから付けられたのが「こまる」とい名前だった。




成猫になってから保護されたためなかなか馴染まなかったらしい。
僕が多治見に返ってきたときもまだ少しよそよそしかったが、毎日毎日しつこく「こまちゃん、こまちゃん」と呼びかけているうちに、少しずつ心を開いてくれた。
そしていつしか我が家で一番愛想のいい猫になった。
名前を呼ぶと必ず返事をしてくれた。
「にゃん!」、「にゃあ」、「にゃ~お」、「ぐるるるるぅ~」、そして時には口ぱく。
とにかく色んな鳴き方をする猫だった。
その時の気分を如実に表していたのだろう。
機嫌の良いときは、僕が口ずさんだ鼻歌の合の手のように「にゃん!」と鳴いてくれた。
体毛もふわふわで柔らかくて手触りがよく、グレーの色合いも素敵だった。
とにかく可愛い猫だった。










2009年頃だったと思う。
こまちゃんを抱いたときに左右どちらかもう忘れてしまったのだが、腋の辺りにしこりがあることに気付いた。
その時点で既に我が家にやってきて14年ほど経過していた。
老体に全身麻酔は負担になるだろう。
この年齢なら進行も遅いだろうし、このまま天寿を全うしてもらうことにしようと家族で話し合った。


2011年の正月、帯広から帰省した妹が提案してくれた。
よかったら、こまちゃんを連れて帰って、ウチで手術と治療するよ。

妹の旦那は開業獣医だ。
そちらで手当てしてもらえるならこんな良いことはない。
かくして、こまちゃんは空の旅で帯広に向かうことになった。
「こまちゃん、元気でね」。
凄く寂しかったけど、出来るだけさらりとお別れの挨拶をした。
大袈裟にするとそれが今生の別れになってしまいそうな気がした。


帯広の妹から連絡があった。
「こまちゃんね、もうあちこちに転移して、手の施しようが無かったよ。だから何もせずにそのまま縫って今は酸素室に居るよ」。




そうか、もう駄目だったか。
少しは期待していたのにな。
もう会えないな。

当時の僕は仕事でもそれ以外でもどん底に向かって落ちていく真っ最中だった。
とても帯広まで行く余裕はなかった。
妹から送られてくる写真を見て心が震える思いをしただけだった。



2011年の5月に、妹が帰省してきた。
家に入ってくると、紙袋を差し出していった。
「はい、こまちゃんここにいるよ」。

大切なものなのだろう。
丁寧に扱っているなと思った紙袋はこまちゃんの骨壷だった。


僕が溺愛していたのを知っていた妹が、気の毒がって手厚く葬ってくれたのだ。
とても感謝した。
もう会えないと思っていたけどまた会えた。
もう鳴いてはくれないけど、会えないと思っていたのだから、会えただけでも嬉しい。






祖父母の墓参りから帰宅し、父のひとことで仏壇に向かって手を合わせた僕は、こまちゃんに申し訳なく思った。
こまちゃんはここに居たのに、声をかけてなかったね。
ごめんね。

父と母、双方の祖父母の仏壇に向かって合掌した僕は、二つの仏壇の間に安置された骨壷に手を伸ばした。
こまちゃんが居るその骨壷を僕は腕の中に抱いて、暫くこまちゃんの思い出に浸っていた。




※ビートニクのように推敲せずに書きました。時間が足りなかったので。
 誤字脱字乱文は追って修正します。



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3 コメント

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想い (Blue Wing Olive)
2018-02-07 22:30:13
こんばんは。
こまるちゃんに対して、私などには計り知れない様々な想いがあるのでしょうね。
やはり、時々、思い出してあげるのが良いのかもしれません。
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Re:Blue Wing Oliveさん (鮭一)
2018-02-08 22:09:30
いつも書き込んで頂いてありがとうございます。

思いというほどのものでもないですが、あんなに人間を信頼してくれて為されるがままで、反応が豊かなかわいい猫はもう会えないだろうなと、暖かくも寂しく思い出します。
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Unknown (lovely)
2021-06-07 14:31:48
ナルボンヌやリッチを知ってる人がいた
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