How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

考え過ぎ注意報

2017-12-18 22:56:50 | 鮭一の徒然

果てしなく巡る思いと山の湯へ
冬夜に霞み昇華せるらむ



考えても考えてもわからない。
答えが出ない。
ただただ堂々巡りが続く。
無理に答えを出そうとするのはよくない。
ぐるぐると巡った後の自己完結、自己解決は、思考が内向しているだけだ。
鬱状態への第一歩になりかねないのだ。
それはよくわかっている。

「考え過ぎ注意報」が発令されました。






二度目だった。
つい先日も同じような酒の席で同じ人に同じことを言われた。
「今まで何やってきたの?」
「年齢の割にねえ・・・」

またその話かと思った。
何か言いたいことがあったり、指摘してくれるのならば聞くつもりでいる。
受け付けないわけではない。
日頃伝える機会が無いから酒の席で伝えるというのも分かる。
だからと言って、酒が入っているからと言って、これまでの僕の人生や人格を否定、若しくは揶揄するような言い方はどうなのか。
一度目だった前回はそのまま聞き流した。
しかし二度目となるとそのまま流すのは腹に据えかねる。

「気分悪いですね。」とはっきり伝えた。
信頼している同僚が、直ぐに割って入ってくれた。

僕もそれ以上に話を続けて場の雰囲気を壊すつもりはなかった。
楽しいはずの酒の席で気分を害するようなことは言わないで欲しいという思いで伝えたのだった。
まだ続くようならば、「素面の時に膝を突き合わせて話しましょう」と言うつもりだった。
他人の人生や人格に物申す内容ならば酒が入ったときの方が言いやすいのだろうが、逆に酒が入った状態で言い放つのは無礼ではないかと感じた。
年齢や社会的地位などは関係ないと思っていた。
正直な気持ちを言うととても腹が立っていた。
でも同僚が止めてくれたことで、僕は何かまずいことを口走ったのだと知った。


「もう既に出来上がっている人間に対して、何かを指摘してくれるなんて、こんなありがたいことはないよ。だからまず感謝しなければいけないよ」。
そう諭された。
まるで、母親に諭される中学生のような気分になった。

実際にはそんな簡単なひとことで終わったのではなく、もっと真剣に、丁寧に、僕に語りかけてくれた。
そもそも僕は酒に弱くて、最初の一杯目のビールで既にかなり酔いは回っていた。
真剣に諭してくれる同僚の話をしっかり聞こうとしても回るのは止められない。
あとで気付いたのだが、僕はその日風邪薬を服用していた。
「今夜はこれまでにないほど早く回るし浮遊感が激しいな」と感じていたのだが、もしかしたら何か関係があったのかもしれない。
とにかくそのせいで、同僚の大切な言葉を聞くのに顔を上げていられなかった。

同僚と僕の年齢は同じだった。
中学と高校は別だったが共通の知人は居た。
要するに同級生なのだ。
同級生に諭されているんだな、情けないな、そりゃ子供っぽいと言われるよなと、早くも自虐的になり始めた。

本当に真剣に僕のことを思って諭してくれているということは痛いほど伝わってきた。
ごみのような僕にそんな風に言ってくれるなんて勿体ない。
だから一言も漏らさず聞きたかったが、酔いにはなかなか抗えない。
ちゃんと顔を見ながら聞いていたかった。
でも、そうしていたら僕はその場で感涙に咽ぶことになったかもしれない。



これまで頑固だとか意固地だとか言われてきた。
自分では他人の意見を聞かないつもりはない。
寧ろ聞こうとしているつもりだった。
納得したり腹に落ちるまでに時間がかかるだけだと思っていた。
何かを指摘されたら一先ず受け入れたつもりだった。
それから暫くそのことをよく考えた。
指摘通りにした方が良いのか否か、世間一般に正しいのか否か、指摘した人の個人的な感覚なのか否か。
だから僕は自分でこう思っていた。
「僕のどこが頑固なのだろうか。ちゃんと聞いているじゃないか。何か言われたら直ぐに変えてしまうようなポリシーのない生き方よりもよっぽどいいじゃないか」と。
頑固ではなくて、よく考えてから判断するという、何事にも真摯である証拠ではないのかと考えていた。
しかし、周囲の目には違うのだ。
僕は頑固だと映っている。
たぶん世間の皆さんは、もっと素直なのだろう。

酒宴が終わって帰宅してからもずっと頭の中で渦巻いていた。
頑固、意固地、人の意見に耳を貸す、指摘を受け入れる・・・
周囲に僕が頑固と映るのは、一体僕のどういうところなのだろうか。


翌日になっても同じように頭の中を渦巻いていた。
何をしていても手に着かない。
よくない傾向だと思った。

一先ず置いといてクルマを走らせた。
気がかりなことは頭の中からは離れなかったが、嘗てよく釣りに来た川を過ぎて、なんとなく山あいの日帰り温泉に立ち寄った。
温泉に浸かっていたとき、はっと気がついた。
わかった気がした。
そもそも頑固だったり意固地だから、昨夜から今までのような考えが浮かぶのだし、渦巻き続けるのだ。
そんなこと気にせず、指摘されたら素直に一旦受け入れればよいのだ。
何故こんな簡単なことに気づけなかったのだろうか。
この際ことの発端となった子供っぽいだのなんだのはもういい。
堂々巡りは温泉から立ち上る湯気とともに冷たく澄んだ山の大気と一体になった。


果てしなく巡る思いと山の湯へ
冬夜に霞み昇華せるらむ




更に翌日、同僚が気にかけて声をかけてくれた。
「考え過ぎ注意報発令しました」。

まいりました。
何も逆らえません。
頭が上がらない。
あなたはなんて素敵なんだ。

何かを指摘してくれるなんて、こんなありがたいことはないよ」と伝えてくれたあなたにこそ、僕は心の底からの感謝の気持ちを目一杯こめて言いたい。

「ありがとう」



これまでにも数人はいた。
この人の言うことや指摘は素直に受け入れられると感じた人が。
何がそうさせるのかはわからない。
言葉を交わしたときに直感的にそう思う。
そう感じた人のことを僕は知らぬ間にいつも凄く信頼している。

何かを指摘してくれるなんて、こんなありがたいことはないよ」。
別の人に指摘されていたら、僕はこんなに素直に考えられなかったと思う。



今日は感謝の気持ちいっぱいでこの文章を書いた。
気持ちは相当昂っているだろうから、投稿前に一晩寝かせてもう一度推敲した方がよさそうだな。




持ち味とは何ぞや

2017-11-23 03:18:29 | 鮭一の徒然
「年齢のわりに持ち味がないな」だってさ。
 
その通りだろう。
得意なことを仕事にしているわけではないから。
持ち味なんて出せないよ。
 
 
 
「要領が悪いなあ」とも言われた。
そんなこととっくにわかっているよ(笑)
要領が良ければそもそもここで仕事してません。
 
 
「年齢のわりに言うことが子どもっぽいな」だってさ。
 
ちょっと待ってくださいよ。
話の始まりは「昔バンドやってたんでしょう?」だったから当時の話をしたまでですよ。
 
「バンドでもやりましたけど、独りで曲を作って宅録して、音源はCDにしてその筋のレコ屋に置かせてもらいました。あとは路上でギター掻き鳴らして歌ってました」。
 
結婚もしていないし子どももいないからそういう話はできません。
「子どもっぽい」って一体何を以てそう指摘されたのかな。
 
 
 
持ち味は、自分でいうのもおこがましいけど、生真面目なところですよ。
とことん基本に忠実に生真面目にやっていけば、いずれ応用ができますよ。
僕の本流釣りがまさしくその通りだよ。
突飛なアイディアが活かせたのは沢の釣りだけ。
「ここなら人が入っていないだろう」という盲点を突いたり、意外性に賭けた結果がよかっただけ。
本流釣りは基本に忠実に考えていけば、どこに魚が着いているか、どういう攻め方をしてみたから良いか、自ずと回答が出てくる。
得意なことはこうやって持ち味を出せるのですよ。
 
 
 
渓流釣り3年目辺りから本流の釣りも始めた。
2017年は、本流釣りを始めて10年目に当たったかな。
最初は何もわからなかった。
誰にも教わらなかった。
師は居ない。
上を見ればきりがないし、凄腕の釣り師は大勢いらっしゃるが、僕は僕のスタイルで独りでここまで来たという自負はある(自信はない)。
 
 
基本的に単独釣行で、釣り友も居なかったし、勿論コネクションもネットワークもなかった。
そんな中でひっそりとこのブログ「How many rivers must I cross? I don't know...」を始めた。
反響から推し量ると、ある程度の注目を集めるくらいの釣果は叩き出せているようだとわかってきた。
 
釣り場でエアマスターを振る僕の姿を見て「鮭一さんですよね。ブログ読んでいますよ」と声をかけられることも増えてきた。
「釣りのスタイルに憧れてエアマスターを買っちゃいました」とか、「握手してください」とか言われると、「いやいや、あなたは何か思い違いをしていらっしゃる、そんなよいモノではないですよ」と返すが、励みにはなる。
 
 
 
持ち味は、得意なことで活かせば武器になりますよ。
得意でないことで活かそうとしてもなかなかうまくいかないけどね。
 
 
ビジネス文書やメールの文面についても何やかや言われたけど、それらについて書くとさすがに愚痴になるからやめておこう。
 
実は部門というか部署内の飲み会があって、その席で今回の記事で言及した話題が上がったのですよ。
中ジョッキ一杯飲んだだけなのに、めちゃくちゃ頭が痛む。
しかも酒の席で言われたことが気になって寝付かれないさ。
生真面目だからさ。
 
 
 
サンバーの修理が完了したらしいから、明日受け取りに行ってこよう。
そのままサンバーで出掛ければ気分転換になるかな。
アコースティック・ギターはやっぱり手放すべきではなかったな。
置いておけばよかったよ。

パラレル百景さん

2017-11-18 00:45:58 | 鮭一の徒然

@parallel100さんのツイート: https://twitter.com/parallel100/status/926106144262598656?s=09


おおっと、思わず目に留まってフォローとリツイート。
プロフィールにはだいたい隔週金曜更新とあったから期待していたのだけど、更新はなかったな。
一度リツイートしたからもうこれ以上はツイッターでは共有できないからここで紹介して発散。


ごく当たり前の日常的な言葉で、ぐっと胸に染み入る歌を詠んでくれる。
一目惚れならぬ一読み惚れだったよ。
もっともっと詠んでください。
もっともっと読ませてください。

※ここに転記して紹介したいけど、勝手に引用するのはよくないだろうから控えます。


サンバー修理

2017-11-14 00:07:20 | 鮭一の徒然

去る10月28日に今シーズンお世話になったフィールドへお礼参りに行った際、釣り道具のサンバーが危うく当て逃げされそうになった。
とある道の駅で一休みしていたときのこと、隣の駐車区画に入ってきた軽自動車からトライバーが降車しようとした際、相手方車両の運転席ドアがサンバーの左側(助手席側)の後部ドアに当たったのだ。



「ゴンッ」とかなりの衝撃だった。
「おおー、やってくれましたねえ」と、最初は気持ちに結構余裕があった。
しかし、ドライバーは僕に何も声をかけようとせず、そのまま立ち去ろうとしたのだ。
あれだけ強い衝撃だったのだから、気付かなかったという言い訳は成立しないだろう。
風の強い日だったという不運はあるが、そういう日は我々は一般的に注意しながらドアを開閉するではないか。
要するに相手方のドライバーは、不運ではあったが、同時に不注意でもあるし、不実でもあるのだ。

僕としても黙って当て逃げされそうになるのをそのまま見逃すわけにはいかない。
僕は降車して「ちょっとちょっと、何も言わずに行っちゃうなんてないじゃないの。これどうしてくれるのよ。」 と、強めの口調で引き止めた。

ドライバーは還暦前後の女性で、僕に声を掛けられると慌てて旦那に電話をかけた。
「どうして良いかわからないからとにかく現地に来てよ。」と救援依頼を出していた。


僕が見た限りではたいした凹みでもないと思った。
これなら保険を使わなくてもいいんじゃないかと思ったが、余計なことは言わないでおいた。
先ずは相手がどう出てくるか見極めてからの方が良いと思った。

旦那が現場にやって来た。
やはり僕と同じように「たいしたことはない」と感じたようだ。
「保険を使うまでもなさそうやねえ。数万円で済みそうやし、修理代は払いますわ。」と言った。
「馴染みのクルマ屋さんがあればそちらでやって頂いて、請求書を回してください」と、簡単なことのように言っていた。
一見さんに後払いとか無理なんじゃなかろうか。
僕だって修理代金を立て替えておいて返してもらえなかったらイヤだから、先にクルマ屋に振り込むことになるんでないかな、そんなにうまくいくものかなと、少し訝っていたが、果たしてその通り、先払いでないと修理に取り掛かからないとのことだったため、先方さんからクルマ屋に代金を振り込んでもらった。


特に馴染みのクルマ屋なんてない。
BEの整備に関してはその腕前に懐疑的になりながら仕方なくディーラーに出している。
腕のいい整備士のいる近所のモータースやチューニングショップがあればよいのだがそんなところはない。
今回サンバーの修理を頼もうにも少し困ったが、修理全般を外注せずに自社で行っている、地元資本のとあるクルマ屋に見積依頼を出した。

「ここでは写真を撮影するだけで、見積もりや実際の作業は本社で行います。」と若いセールスのお兄さんは言った。本社は隣の市にある。
いずれにしろ地元資本には変わりなかった。
ざっと凹みを見渡して所見のようなことを述べ始めた。
「デザインや強度上の都合で、もともとドアに凹凸が付けてあるが、ちょうどその部分に当たって凹んでいますね。ここは凹んでも板金修理では復元できないので、ドアパネルごと交換することになります。無塗装の状態でメーカーから送られてくるので、周囲の色と合わせて塗装します。なので前のドアも外しますし、ライトやらウェザーストリップやら結構な部品を脱着しますので、決して安い見積もりではないと思いますよ」とのことだった。


青森から返ってきた翌週末、見積もりが出来上がったとのことでクルマ屋に行って来た。
8万円くらいかなあ・・・とそのおにいさんが言っていたのだが、提示された見積金額はなんと122,950円/式(税別)だった。

もうねえ、相手の人が気の毒になってきたよ(笑)
新車なら直してもらいたいけど、サンバーは釣り道具だからさ、傷だらけだし汚れているし、それに中古で買ったから既に10年落ちで9万km走行だよ。
それを13万円かけて直すって、凄く理不尽と言うか、不条理の極みと言うか、僕が自分で凹ませたとしたら絶対に直さない(笑)
直さなくても機能上何も問題ないし。

ぶつけた時にさ、「ごめんね、ぶつけちゃった、どうしよう」って言ってくれればさ、「いいですよ、いいですよ。釣り道具みたいなもんなんでどうせ傷つくし汚れますから。これくらいどうってことない。気にしないで。」と言えたのにね。
そのまま立ち去ろうとするからこういうことになる。


先の日曜日、サンバーを修理に出してきた。
クルマ屋さんも気を利かせてくれて、台車は同じ軽1BOXであるダイハツのハイゼットカーゴだった。





過給機のついていない後輪駆動。
発進や低速域での加速はサンバーより俄然パンチがあって力強く走る。
恐らくギヤ費やオートマの制御、アクセル開度に対するスロットルの開度など、各種制御がよいのだろう。
しかし、車速が上がるにつれ加速が鈍る。
これは過給機が着いていないので止むをえまい。
ここまでなら、得意フィールドが異なるだけでサンバーと優劣はつけられないなと感じた。

でも残念だったところもある。
それはエンジン搭載位置だ。
サンバーはリヤのオーバーハングにエンジンが搭載されている。
走行中はエンジン音はあまり気にならない。
初めてサンバーに乗ったとき、リアエンジンであることによる静粛性でのアドヴァンテージははかり知れないと感じたものだ。
ところがハイゼットカーゴは自分の真下からやや後方に搭載されている。
正直なところ喧しい。
しかも台車は4ナンバー貨物。
内張りなど何もなく剥き出し。
僕のサンバーは5ナンバー乗用なので内装とリムや内張りが着く。
その点でも静粛性では不利になるだろう。
次回青森に行くならサンバーで行ってみようと思っていた。
もしサンバーに乗れなくなったら、次はダイハツのハイゼット・カーゴの4ナンバーにしようかなと思っていたが・・・もう少し考えよう。

一番望むのは、まだまだ乗り始めたばかりのサンバーだけど、やっぱり30万kmくらいは走ってもらいたいということだ。
頑張ってくれよ。

 


青森へ ~龍泊ラインを走りに行く~  North Marine Drive 2017

2017-11-13 00:25:15 | 鮭一の徒然

初めて龍飛崎を訪れたのは、まだ僕が東京在住の学生の頃だった。
当時はクルマは勿論、運転免許すら取得していなかったから、当然のように鉄道利用での旅となった。
どのような路線でどのように乗り継いで行ったのか、これを書き始めるまですっかり忘れていたが、確か新潟までは上越新幹線で向かったのだ。
そして新潟から村上へは特急いなほを利用して村上で一泊し、その翌日に村上から羽越本線を北上したのだ。
そうだそうだ、そこからは青春18きっぷを使った各駅停車の旅だった。
五能線の「リゾートしらかみ号」にも乗車したのだ。


鉄道利用での旅も、それはそれで独特の情趣があってよいのだが、現地での交通は正直なところ不便だった。
鉄道のみでは魅力的な風景も見ることができないまま帰路に着かねばならないだろうと容易に想像できることが度々あった。


あれは何歳のときだっただろうか。
もうはっきり覚えていない。
身辺で起きていた出来事から推し量ると、たぶん30歳前後だろう。
うん、30歳だったということにしておこう。
多治見に帰ってきて運転免許を取得した僕は、過去に鉄道利用で行った旅先を思いの向くままクルマで巡っていた。
結婚しようと考えていた、20代の殆どを一緒に過ごした恋人と別れて暫くしてからのことだった。
お互いに愛想を尽かしたわけではなかった。
世間知らずの未熟な我々には乗り越えられない、解決できない幾つかの事情があって別れざるを得なかった。
はっきり言って思いは引き摺った。
早く断ち切りたかったが、意識すればするほど断ち切れなくなった。
ならば、ひと先ず存分に思い出に浸ってやろうと考えた。
そのうち飽きるだろう。
かつての恋人と一緒に行った旅先を巡るなんて生産性のないことをいつまでも続けようとは思わないだろう。
果たして思惑通り事は運んだと思う。
いつの間にか思い出の地を巡るという観念はなくなり、純粋に長距離を運転する旅を好んでするようになっていた。


「グランド・ツーリング」。
愛車であるメーカー通算3代目のレガシィB4(BE型)が最も得意なのがそれだ。
幾つかの候補車種を抑えて、僕がBEを選んだ理由はそこにある。


2017年11月。
新車登録後14年半、走行距離19万km。
まだ走ってくれるだろう。
僕は9年ぶりにNorth Marine Drive を敢行した。





龍飛崎。
思い出の地を巡っていた30歳の僕が訪れた旅先のひとつだった。
岬に到着した時に何か感慨があったかと問われても、あまり記憶にない。
「ああ、あのときここに来たな」くらいのものだったのだろう。
だから僕は滞在もごく短時間でその折り返し地点を過ぎて帰路に着いたのだ。

「せっかくだから、この龍泊ラインというやつを走ってみようか」。
もしこの時、単に来た道を引き返すだけだったら、僕はその後龍飛崎を何度も訪れることはなかっただろう。

ここは日本かい?
しかも本州だって?
龍泊ラインを進むとそんな会話が聞こえてきそうなめくるめく絶景が広がる。
眼下に日本海を見ながら尾根伝いに走り、ある地点から一気に海岸線まで駆け下りる。
降りた海辺の景色が本当に素晴らしい。
北欧に来たような気分にさせてくれる。
この景色が見たくて、僕は何度もここを訪れているのだ。


撮影してきた画像をご覧ください。

 

青森に到着。
竜飛崎へ向かいます。



懐かしい看板を発見しました。



龍飛崎までの走行距離1164km



岬から海を眺める




岬を後にして、いよいよ龍泊ラインへ



鳥瞰台からの景色
こんな感じで尾根伝いに走ります。



 


この先の左カーブを過ぎた辺りから、海岸線に向かって一気に駆け下ります。


コーナー入口からの日本海の眺め




降りてきました。



少しずつ離れて見てみましょう。














帰宅時の走行距離は2121km。