果てしなく巡る思いと山の湯へ
冬夜に霞み昇華せるらむ
考えても考えてもわからない。
答えが出ない。
ただただ堂々巡りが続く。
無理に答えを出そうとするのはよくない。
ぐるぐると巡った後の自己完結、自己解決は、思考が内向しているだけだ。
鬱状態への第一歩になりかねないのだ。
それはよくわかっている。
「考え過ぎ注意報」が発令されました。
二度目だった。
つい先日も同じような酒の席で同じ人に同じことを言われた。
「今まで何やってきたの?」
「年齢の割にねえ・・・」
またその話かと思った。
何か言いたいことがあったり、指摘してくれるのならば聞くつもりでいる。
受け付けないわけではない。
日頃伝える機会が無いから酒の席で伝えるというのも分かる。
だからと言って、酒が入っているからと言って、これまでの僕の人生や人格を否定、若しくは揶揄するような言い方はどうなのか。
一度目だった前回はそのまま聞き流した。
しかし二度目となるとそのまま流すのは腹に据えかねる。
「気分悪いですね。」とはっきり伝えた。
信頼している同僚が、直ぐに割って入ってくれた。
僕もそれ以上に話を続けて場の雰囲気を壊すつもりはなかった。
楽しいはずの酒の席で気分を害するようなことは言わないで欲しいという思いで伝えたのだった。
まだ続くようならば、「素面の時に膝を突き合わせて話しましょう」と言うつもりだった。
他人の人生や人格に物申す内容ならば酒が入ったときの方が言いやすいのだろうが、逆に酒が入った状態で言い放つのは無礼ではないかと感じた。
年齢や社会的地位などは関係ないと思っていた。
正直な気持ちを言うととても腹が立っていた。
でも同僚が止めてくれたことで、僕は何かまずいことを口走ったのだと知った。
「もう既に出来上がっている人間に対して、何かを指摘してくれるなんて、こんなありがたいことはないよ。だからまず感謝しなければいけないよ」。
そう諭された。
まるで、母親に諭される中学生のような気分になった。
実際にはそんな簡単なひとことで終わったのではなく、もっと真剣に、丁寧に、僕に語りかけてくれた。
そもそも僕は酒に弱くて、最初の一杯目のビールで既にかなり酔いは回っていた。
真剣に諭してくれる同僚の話をしっかり聞こうとしても回るのは止められない。
あとで気付いたのだが、僕はその日風邪薬を服用していた。
「今夜はこれまでにないほど早く回るし浮遊感が激しいな」と感じていたのだが、もしかしたら何か関係があったのかもしれない。
とにかくそのせいで、同僚の大切な言葉を聞くのに顔を上げていられなかった。
同僚と僕の年齢は同じだった。
中学と高校は別だったが共通の知人は居た。
要するに同級生なのだ。
同級生に諭されているんだな、情けないな、そりゃ子供っぽいと言われるよなと、早くも自虐的になり始めた。
本当に真剣に僕のことを思って諭してくれているということは痛いほど伝わってきた。
ごみのような僕にそんな風に言ってくれるなんて勿体ない。
だから一言も漏らさず聞きたかったが、酔いにはなかなか抗えない。
ちゃんと顔を見ながら聞いていたかった。
でも、そうしていたら僕はその場で感涙に咽ぶことになったかもしれない。
これまで頑固だとか意固地だとか言われてきた。
自分では他人の意見を聞かないつもりはない。
寧ろ聞こうとしているつもりだった。
納得したり腹に落ちるまでに時間がかかるだけだと思っていた。
何かを指摘されたら一先ず受け入れたつもりだった。
それから暫くそのことをよく考えた。
指摘通りにした方が良いのか否か、世間一般に正しいのか否か、指摘した人の個人的な感覚なのか否か。
だから僕は自分でこう思っていた。
「僕のどこが頑固なのだろうか。ちゃんと聞いているじゃないか。何か言われたら直ぐに変えてしまうようなポリシーのない生き方よりもよっぽどいいじゃないか」と。
頑固ではなくて、よく考えてから判断するという、何事にも真摯である証拠ではないのかと考えていた。
しかし、周囲の目には違うのだ。
僕は頑固だと映っている。
たぶん世間の皆さんは、もっと素直なのだろう。
酒宴が終わって帰宅してからもずっと頭の中で渦巻いていた。
頑固、意固地、人の意見に耳を貸す、指摘を受け入れる・・・
周囲に僕が頑固と映るのは、一体僕のどういうところなのだろうか。
翌日になっても同じように頭の中を渦巻いていた。
何をしていても手に着かない。
よくない傾向だと思った。
一先ず置いといてクルマを走らせた。
気がかりなことは頭の中からは離れなかったが、嘗てよく釣りに来た川を過ぎて、なんとなく山あいの日帰り温泉に立ち寄った。
温泉に浸かっていたとき、はっと気がついた。
わかった気がした。
そもそも頑固だったり意固地だから、昨夜から今までのような考えが浮かぶのだし、渦巻き続けるのだ。
そんなこと気にせず、指摘されたら素直に一旦受け入れればよいのだ。
何故こんな簡単なことに気づけなかったのだろうか。
この際ことの発端となった子供っぽいだのなんだのはもういい。
堂々巡りは温泉から立ち上る湯気とともに冷たく澄んだ山の大気と一体になった。
果てしなく巡る思いと山の湯へ
冬夜に霞み昇華せるらむ
更に翌日、同僚が気にかけて声をかけてくれた。
「考え過ぎ注意報発令しました」。
まいりました。
何も逆らえません。
頭が上がらない。
あなたはなんて素敵なんだ。
「何かを指摘してくれるなんて、こんなありがたいことはないよ」と伝えてくれたあなたにこそ、僕は心の底からの感謝の気持ちを目一杯こめて言いたい。
「ありがとう」
これまでにも数人はいた。
この人の言うことや指摘は素直に受け入れられると感じた人が。
何がそうさせるのかはわからない。
言葉を交わしたときに直感的にそう思う。
そう感じた人のことを僕は知らぬ間にいつも凄く信頼している。
「何かを指摘してくれるなんて、こんなありがたいことはないよ」。
別の人に指摘されていたら、僕はこんなに素直に考えられなかったと思う。
今日は感謝の気持ちいっぱいでこの文章を書いた。
気持ちは相当昂っているだろうから、投稿前に一晩寝かせてもう一度推敲した方がよさそうだな。