テスト





最近の記事がないので驚かれたと思います。
昨日、別のパソコンでマイクロソトのPWを再設定したら、そのせいかどうか、昨日たまたまさる検索サイトで私の名前を引いたらこのブログが出てくるのでびっくり仰天。
そう差しさわりあることは書いてないはずだけど、これはいくら何でもまずい。下書きに移していたけど、数が多くて途中で休憩しています。
2014年から2021年年末くらいまでは別のブログに書いていて、そちらは引っかかってないけど、なんで?????
読んでコメントくださった皆様、本当にごめんなさい。PCの知識は全然ないので、検索を避ける方法も分からず、困っています。
やれやれ。


今は画像がないのでこちらからお借りしました。

本夕19時前、食事の支度も追い込みの時間、夫のスマホに着信あり。
誰かなと夫の話しぶりに聞き耳立てるうち、様子がおかしい。どうも話がかみ合ってない模様。
やがて夫が私にスマホを渡しつつ、「(自分の)番号が投資詐欺に使われていると****から電話が掛かってる。家族に代わってくれって」と言う。
やっぱり、怪しいなと思ってたけど、この時点で超絶怪しい。
「****の者です。携帯会社から連絡があってお宅の電話番号が投資詐欺に使われていて・・・」
「何です?その****って」
「政府の機関です」
って、もう笑ってしまうほど分かりやすい詐欺確定。もっとうまく騙せないものか。
「私、耳が遠くてよく聞こえません。もっと大きい声でお願いします」
と言うと別な男に代わり、同じことを繰り返す。こちらも早口でよく分からない。あるいはやましいのではっきり言えないのかも。
「よく聞こえないので文書で送ってもらえますか?それが無理なら連絡先教えてください。明日ゆっくりこちらから電話します」
と言ったら、電話は切れてしまった。
やれやれ、忙しい時間に迷惑千万。怒り心頭。
これはそのグループにはもちろんだけど、相手をしていた夫にも。
もうお、ほんとにしっかりせんかい!!!
あまり言うと逆切れするので後は本人の反省を待つところですが、これから先、どんどん年取るのに大丈夫か?夫。
以前、年寄りの服を買い取ると電話があり、古いのでもいいのかと聞いていた。故姑の服を買い取ってもらいたい口振り。
着古した年寄りの服、そんなものどこに需要がある?お金貰ったって要らん。ちょっと考えたら分かるでしょうが。家に上げたら、換金できるものを何か手に入れるまで帰らないのが落ち。
その時は、見込みがないと相手が思ったのか引き下がったらしい。
まだまだ言いたいことはたくさんある。
なんだかだと言っても、やはり人さまよりは苦労が少ない人生だったのかも。
大変なことのある前に、そろそろ仕事をやめた方がいいのかなと、きょうは思ってしまった。
皆様も何卒ご用心を。最近著名人の名前を騙った投資詐欺があったので、それに便乗した詐欺かもしれませんね。用心、用心。
6/18 10時過ぎバイパス田の原からバスに乗り、13時前博多着。
駅中で昼ご飯。イタリアンレストランへ。
前菜。お皿はオリジナル?
海鮮いろいろ。手前、金継ぎ?
ポップな柄が楽しくて食欲をそそられます。
コーヒーとケーキ。
照明の傘も陶器。きれい。博多駅9階?の店でした。
広島駅もこんな店が進出してくることを希望。
駅前で、山笠の組み立てをしています。
博多の夏は山笠なしには始まらない。男たちが頑張ります。
帰宅するには早いので駅の近くを歩きます。
柳橋連合市場へ歩いて行きます。
鮮魚を中心とした小売店街。駅から歩いて15分くらい。
博多口出て左へ。橋を渡ると右へ。すぐにあります。
出たところ。
信号渡って別の商店街へ。こちらは八百屋、食堂、衣料品、小さなスーパーなど。
この日のお買い物。夫。カボチャ、太いキュウリ。まるいズッキーニ。結局、水彩画のお稽古に持参して描いた後、現在消費中。
私はトウモロコシとズッキーニ。この後、駅で夕食用のお弁当も買い、荷物が増えた。
博多駅前には古いお寺や、櫛田神社、物産館などもありますが、以前行ったことがあるし暑いので今回はパス。
車で行かないと行動範囲は限られますが、もう遠くは無理な運転したくありません。無事に帰れたことにまずは感謝。三男がクーポン券くれて行って見たらいい所でした。好みは別れると思いますが、母の実家を思い出して、まだこんなところが日本にあるのだと嬉しなりました。
さりながら、農山村の人たちは都会から行く人を癒すために存在しているのではありません。
最近読了した串田孫一の本に・・・私は山に行くたびに、「・・・自然の中に一種の意地をもって生きている人たちの態度を新しく学びとってくる。その意地は賢さでもあり、たとえ彼らがそれに気付いていなくとも、私にとっては糧となり、消えてしまうものではなく、心に抱き、またそれを思い出すたびに、いよいよ貴さを増してくるような糧となる。・・・力強いねばりや、いつも自然の一部となって生きている人たちのみが持っている一つの立派な徳を学ばせて貰う」という一節があった。
その土地の人と暮らしぶりから学ぶことも多そうです。都会人は生きるために最も必要な食べ物を作ったり、獲ってくる術を忘れて久しい。大災害や戦争で、食糧供給のシステムが壊れたら何もできないか弱い存在。
自然をよく知り、働きかけて生きていく。そのためには苦労や我慢もある。その中から培われたのが串田孫一の言う徳であろう。
いえいえ、そう思うのも迷惑かも。普通に生活して都会の人と何も変わりません。仕事は車で日田へ行くし、遊びと買い物は高速に乗って博多まで。とか言われそう。
何を見るかはこちらの自由。しばし自分の暮らしを振り返る。それを相手に向かって口にはしない。
土曜日、人に誘われて県美展鑑賞。一つの描き方にとらわれず、レベルが高いと思った。工芸もたくさん。
その後APAホテルで昼ご飯。あの田母神氏が、ユダヤ人虐殺はなかったという論文発表したのが、APAホテルが作っていた雑誌でしたか。←うろ覚え。
自衛隊幹部の現職だったか、もう退職していたのか知りませんが、大騒ぎになった記憶があります。
私は2017年にポーランドのアウシュビッツとビルケナウのユダヤ人収容所を見学したので、あれがつくりものとはとても思えません。収容所ではなくて、人間の虐殺工場。例えば人の髪の毛を何部屋も何部屋も天井まで積み上げて、周辺には工場が進出して毛織物を作っていたそうですが、あまりに量が多くて使いきれないままドイツ軍は敗れました。
所長の官舎はガス室のすぐ近く、人はそんな場所で家庭生活を営めるものなのかと。それはユダヤ人を人間と思っていないからでしょう。
そのAPAホテルです。一私企業が、経営者のだか何だか知りませんが思想信条を公にするのは経営面から見てもあまりいい戦略とは思えません。そのホテルのビュッフェに誘われて半ば嫌々。ビュッフェスタイルはたくさん食べられないので、自分から行くことはありませんが、(ホテルの朝食も自分でパン焼いたりして億劫)、土曜日は付き合いで。
お味はまあまあでした。
今朝、いきなり長男が来る。出勤前に庭で採れた青じそを持って来てくれた。自転車通勤、ヘルメット被って疾風のように去っていった。
追記
今調べたら田母神論文は日本は「侵略国家だったか」というようなタイトルだったようです。アウシュビッツ否定はまた別の人だったようです。
うろ覚えで失礼しました。政府見解と違うので航空幕僚長を解任されたようです。今度の都知事選にも出ていますね。
写真追加
まだ作業が続いています。
でももう帰ります。
左端、今回の同行者。リュックに野菜がたくさん入っています。
6/17と18は九州へ。宿泊は熊本県の田の原温泉。
場所は近年とみに有名になった黒川温泉の近く。
昔からのひなびた温泉とのこと、ここまでは息子情報。
はるばると行って見たら、山の中の純農村地帯に数軒の宿。
贅沢な施設ではありませんが、宿泊費は安く、インバウンド客も(それが悪い訳ではありませんが)皆無。
そして何よりも、夏休み、田舎のおばあちゃんの家に帰省したような心のほぐれる懐かしい眺め。
車で行けば簡単ですが、博多から高速バスが一日3便。日田経由して後は地道。
杖立温泉、田の原温泉、黒川温泉経由で終点は瀬の本。こちらは九重連峰の登山基地。何度か行ったことがありますが、バスでも行けるようです。
前回の記事は6/19.その前と続きです。
昼前博多着。私は14日に不調になりまだ十分回復していないので、駅ビルで夫が博多ラーメン食べるのを外で待っています。
駅ビルの9階、10階がレストラン街。植え込みに木などが多数植わっています。
座るところもたくさん。
来春完成の広島駅ビルもこんな感じだったらいいなあと・・・
ビルの中の小径。天窓から光も入って来るらしい。
このあと一時間くらい、夫は駅ビルに中を徘徊していたらしいですが、私は隣接するバスターミナルの出発ホーム前で椅子に座り、ひたすら体力回復に努める。
朝は自宅でおかゆ。昼は駅ビルで簡単に。
2時間半のバス旅で、田の原温泉に着きました。バス停はバイパス田の原。
男はつらいよのロケ地と直前に知りました。
宿は4軒のようです。嬉しいことにはバス停近くにコンビニもあり、他に何の店もないので心強いです。素泊まりでもとりあえず食べ物は調達できそうです。
温泉に入って、18時から部屋で食事をいただきます。
手の込んだ贅沢な料理ではありませんが、不思議とおいしかった。
原材料が新鮮なのと、水がいいのかもしれません。宿は農家でもあるらしく、ご飯は自家製米とのことでした。
ビールはサービスでした。ありがたや。
山菜の天ぷら、サツキ、ハナイカダ、オオバコ、マイタケ。
毒がないなら、新芽の頃は何を揚げてもおかずになる。
機織り工房へ、昔、ヨモギやクローバーを揚げて持って言ったら、先生に「**さん、いくらでも貯金ができるでしょう」と笑われた。
マイタケはあるいは買ったと思いますが、他は宿の敷地=森の中で調達?
でもからりと揚がっておいしかった。
鮎より一回り大きな山女?とか言う説明でした。
食べ応えがありました。
食事の後は談話室で一人で本を読みました。
これが面白かった。柳川市の有志で発行する文芸誌。
小説、詩、短歌と特化するのではなくて総合文芸誌。地方文化の発信媒体として頑張っておられると思いました。
えらそげで申し訳ありませんが、作品は初心のすがすがしさ、ひたむきさがよく出ているのが多かった。紙に印刷して残す。このやり方が人にものを伝えるのに、結局は確実かもしれませんね。簡単に出来たものは簡単に消費されていく。
同人募集。
誰も知った人のいない土地の同人雑誌に参加してみようかなと一瞬心が動いたけど、合評会とか親睦行事が多そうで断念。
観月川下り・・・どんなんでしょう。なんか風流そう。
この雑誌はどうも宿泊したお客さんが置いて行ったらしい。他に私家版(自費出版)の歌集もありました。
面白かったです。
談話室のお地蔵さま。
10時過ぎのバスまで時間があるので、宿の内外を歩きます。
紫式部?秋に向かって蕾の準備。
藪の中の寒葵。
紫露草。赤花?
蛍袋。
ちなみにこの温泉街は蛍も見られるらしいです。宿泊した夜はあいにくの雨で残念でした。
バイパスに出て見ました。あの先にバス停があります。
この付近は温泉があちこちにあるようです。
マタタビ。漢字だとこうでしょうか。瞬火?
高い枝に絡みつくことが多いけど、目の前にありました。
バス停横の案内板。宿は4軒のようです。
大朗館が映画撮影した宿のようです。こちら裏手のようで行き止まり。引き返します。
大朗館の玄関。
自販機。
宿の前の流れ。
違う道からバイパスに戻ります。
草の向こうの建物が大朗館です。赤い屋根はお寺。
腰の痛い夫は遅れ気味。振り返ると「後ろから見たら(私の)歩き方がおかしい」と言われます。年寄り二人、いたわり合う心がなくてけなし合い。
夫は薄い色の服が好きです。演歌歌手(それが悪い訳ではありませんが)みたいな白いジャケットを着ています。
私は顔がすすけて見えるので、真っ白は着ません。
帰りのバス停は向かい側。いよいよ田の原温泉ともお別れです。
最新式のきれいで贅沢な温泉ではありませんが、忘れていたいろいろなことを思い出すような非日常の体験でした。
人生の残り時間か短いので、同じところは行きたくないけど、どこかにこんな桃源郷のような場所はないでしょうか。
このところ忙しくしていた私はすっかり癒されて帰ってきました。少し善人になったかも。
映画のDVDを取り寄せて見てみました。宿はたてかえたようですが宿の前の橋も昔のまま、周りの眺めも50年近く経つけどほとんど変わっていないように見えました。
この後畑仕事をしていた老婦人としばし話をしたのでした。
本日午後から、一月ぶりの水彩画のお稽古でした。
左、夫。右、私。ガーベラなど。
私はスモモも描きました。おいしそうなつややかな色でした。
庭の半夏生を持参しました。
それに先生が花を組み合わせてくださいました。
来月は先生の所属する会派の作品展、続いて私の機織りの展示があります。
来月は美術館へ通うことが多くなりそうです。
帰りに、公民館へ招待券をお願いしてきました。
息子が宿泊券をくれました。故郷納税の返礼品ですが、土日は予約が取れないそうで。
それで、私たちは月火と仕事を休んで熊本県まで行きました。
振り返ってみたら、自分では決して行かない筈の宿。
古き良き温泉情緒いっぱい、癒されてきました。
宿はこちら。黒川温泉のはずれで少し日田寄り、数件の宿がある鄙びた温泉街の、鄙びた宿でした。
博多まではのぞみで約1時間。そこから黒川温泉行高速バスで2時間半、バイパス田の原下車、徒歩数分で宿があります。
宿泊棟。部屋数は7つ。
各部屋、ベランダ付。外は深い森です。
夫は腰が痛くて少し休むそうで、一人で宿泊棟から川べりまで坂道を下りて行きます。雨が降りそうです。
貸し切り温泉は6タイプ。空いているところに、中から鍵をかけて入ります。
あの先が温泉棟。
かわせみが見晴らしがいいそうですが、あいにくふさがっていたのでめじろへ行きます。
一人温泉。屋根はありますが素通しで、向こうは川。
川音が絶え間なくしています。温泉に水を混ぜて冷やしています。
静かです。野趣満点。
生えているのはタニワタリ?南国です。
建物の横にサクラソウのような花が。
この色は初見です。地元では見たことありません。
園芸種?
ウバユリのつぼみ。
水たまりにイモリたくさん。
葉はサジオモダカ?
期せずして一人動植物観察をするばあちゃん。
坂道を上がって宿泊棟へ帰ります。もうすぐ雨になりそうです。
部屋で食事を待っています。
雨が降ってきました。大きなガラス窓で、夜は寒かった。
冬はいっそう寒そうですが、雪が降ると風情があることでしよう。
休憩室。この日はお客さんは3組だけ。
人も殆ど出会わず、静かな静かな山の中の宿でした。
この温泉街は昭和53年の、男はつらいよのロケ地だったそうです。撮影は別の宿だったそうですが。
男はつらいよ「寅次郎わが道をゆく」 (youtube.com)
「少年老い易く学成り難し」 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく - YouTube
翌朝、宿の周りを歩いていたら畑仕事をしていた年配女性にどこから来たのかと聞かれ、「あの時は倍賞千恵子が来た」と映画の話をしてくれました。
長くなるのでこの後は次に。
平和大通り。先週、正午頃。
左からNHK、ANAクラウンプラザホテル、クリスタルプラザなどなど。
左折して平和公園へ。
この付近はおしゃれな店が増えています。東亜地所のビルはいつの間にか、レストランに。
植木いろいろ。斑入りのヤツデ。
こちらは小さなドット。
グミも斑入り。
テイカカズラも別の名前がありそうです。
珍しい花。
トクサの仲間?
葉が長い。
外国人も入りやすそうな店。
ビストロパリ。なんかそそられます。
平和公園が見えてきました。
元安川の川岸を歩きます。
夾竹桃。早く大きくなるので、戦後の緑化で、たくさん植えられたそうですが、今はあまり残っていません。
夏に咲く花。
センダンも大きくなる。水辺を好む。
まだまだ頑張るクロガネモチ。
木陰を抜けて・・・
元安橋の袂まで来ました。
カフェがあります。
いつも観光客が多いです。
広島市道路原票。元安橋東袂にあります。
元安橋は旧西国街道にかかっています。この付近が昔の中心部だったとのことです。
宮島行きクルーズ船。
原爆ドーム。
詩碑。
緑陰。
旧市民球場。お昼ご飯のリサーチ。
お店いろいろ。
スケボーの学校もできています。
暑さの中のホタルブクロ。
コロナの頃、ガーデニングのフェスティバルがあり、その時の根が残っていたらしい。
強い花のようです。
中央図書館の裏手に渝華園ができつつあります。
出来たらまた出かけて見たいものです。
中央図書館の前には檜のような木が。
こちらは何でしょうか。
柏かな?
図書館ができたのは40年以上前なので、木も古いです。
公園樹もその時々の流行がありそうで。
というようなことを考えながら、街中の木陰を歩きます。
このあと、美術館へ行き、買い物して帰宅。梅雨までの好天の日を楽しみたいものです。


朝、涼しいうちに庭の木の剪定をした。葉はそのまま置いて水分を抜き、月曜日のゴミに出す。
今の京都はあまりに都市化して、平安の昔を偲ぶものはほぼないようですし、内裏の場所も現在の京都御苑とは違う場所とのこと。
むしろ、源氏物語で観光開発している宇治の方が、昔への想像力を掻き立てられます。
宇治の源氏物語ミュージアムで。2017年7月。
これは宇治への旅行記。宇治川は梅雨末期で水量が多く、浮舟が身投げしたのもこんな時期かなと、すでに物語と歴史を混同しています。
昔から、子供の時から平安時代が好きなのでドラマを見ていますが、初めのころはあまりの作り話について行けなかった。
けど、お話、娯楽と割り切ってからは楽しく見ています。
人さまがどんな風に見ているかもチェックして、鑑賞の助けとしています。
これは雑誌クロワッサンの記事。うまくまとめてあります。放送から6日遅れて土曜日の8時過ぎに配信されるようです。
これはドラマに関連した史実を細かく紹介。公卿たちの会議の場面で、出席者を特定したり、枕草子の内容について裏付けとったりと、とても面白い。
個人のサイトなので、ご都合悪ければ外します。ご連絡ください。
極めつけはこちら。各回、場面の説明が丁寧で登場人物の心理の読み取りも深い。さしずめ文芸評論の趣き。
テレビドラマを評論し、それをネットで発表するのが今の時代的。こんなサイトに出会うと、千円以上も出してすぐ読める本を買うのがあほらしくなる。お金に見合う本を期待したいところです。
俳優のわずかな表情の動きも、話の流れの中で解説してしまう芸の細かさ。執筆者の方は文学の研究者だそうで、専攻はどの分野でしょうか。
本を出されたら買いたいものです。
今回は視聴率はあまりよくないそうですが、それは戦国時代や幕末ほど登場人物が有名でないからでしょうか。
合戦がないのも男性には物足りないのかもしれませんが、平安貴族の権力闘争も刀を抜かない合戦のようなもの。人間の欲望が丸出しです。
今回のドラマの新しい点は、権力者道長を善意、純愛の人として描くところでしょうか。んなばかなと一蹴したいけれど、現実には善意を貫き、人を愛し続けることも難しいので、夢を描いているのだと。観る方は酔えばいいのだと。
今後どんな展開になるか、楽しみに見ていきたいと思います。
今の時期、各地、アジサイがきれい。先週出掛けました。
街中の貴重な自然、アクセス容易。広島駅からは巡回バスあり。歩いても15分くらい。
新緑を過ぎて夏木立へ。
公園中心部の築山と池は見ない。いつも、周りの遊歩道を歩く。人影はほぼなし。
小さな薬草園。
ホタルブクロ。
その他は雑草の勢いに押され気味。
ミニ竹林。ミニ嵯峨野。
茶畑と京橋川。
美術館裏へ行きます。
ヤブコウジ。
この付近はアジサイたくさん。
来月は美術館で機織り作品を展示してもらう。
昨年は自転車の前かごに入れて搬入したけれど、今年は大きいのでどうしようかな。
自己搬入なので、プチプチで巻き、後は大きい風呂敷に包みましょうか。梱包材は名前を書いてバックヤードに保管。一週間後に自己搬出。
雨が降りませんように。
おまけ
思い出写真館。
長男が広島市郊外に借りていたマンション。結婚前。
勤め先まで歩いて5分くらい。
2DK2LDKに駐車場2台分込で、確か65,000円だった。中心部に比べて激安。
1R駐車場なしで5万くらいだったかな。2LDKにしなさいと強く勧める母=私。
向こうは大家さんのお宅。篤農家のようなたたずまい。ここには2年弱いた。
ヨーロッパナラ。2014年6月、フランス南西部の山中で。
ニワウルシみたいな木も見えるけど、何でしょうか。
ピレネー山脈のふもと。目もくらむような深い谷にかかる石橋はナポレオン3世の時代のものだとか。
バンジージャンプのスポットだそうですが、怖わーーーー)))))

家で綴れ織りの練習をして、その残りで小さなタペストリーを織っています。




ピンボケ深謝。つづれ織りは難しいです。一日に10㎝も進まない。
6月に入っても気持ちいい晴天が続きます。
お天気の間に用事を片付けます。銀行の後、歩いてゆめタウンまで。お中元の注文です。
早期注文で、20%のポイントが付きます。結局、数千円分になり、いろいろ買い物して、最後に3階の紀伊国屋へ。
本日は岩波新書2冊をポイントで買う。松岡正剛氏はこちらのサイトが有名。
対談本です。田中優子氏はサンモニで着物着てコメントする方で、元法政大学総長。
楽しみに読みたいと思います。
世界はきのう出かけて、丸善の棚に在庫があったので買って来た。身近な話題が多くて読みやすかった。まだ全部は読んでませんが。
最近は本の感想書くのも面倒で、休んでいます。いつの日か再開できるといいのですが。
大河ドラマ関係の本も買う。左端の本ではあらすじが33回まで明かされていて、字だけで読むと無理に話を作ったようで興ざめの部分もあるけれど、俳優さんが衣装着て演技すると説得力があることでしょう。
最近の私、ビデオを見ながら2本の糸を撚り合わせて太い糸を作る。つづれ織り用に。一本で45分、2本なら一時間半、退屈単調な作業もはかどるというものです。
十二単衣、好きですが、京都の西陣会館の着付け体験は2万円近くになっていました。2011年には1万円だったのに。
ビデオ見ているうちに、登場人物につい感情移入してしまう。
もし自分がどの役かしてもいいのなら、中宮定子がいいけれど、なぜって、きれいな着物着てみんなが頭下げてくれるから。
でも後では不幸になって、お産の後、わずか25歳で亡くなるのでやめておいて赤染衛門がいいかな。
もの静かで賢くて、私にぴったり・・・
な訳はなくて、まひろ家の乳母、いとがはまり役かも。
「食べなくても太る性質で、これ以上ご迷惑かけられない」といとまごいをするんですよね。
今回のドラマ、初めのころはあまりの作り話について行けなくてよく見てなかったけど、10回くらいから面白くなった。例の廃邸の大河史上に残る(はずの)逢瀬のシーン。作り話もここまでくれば立派。宝塚のように女子のための大河ドラマかなと愚考しました。
この20年くらいかな?道長が源氏物語を執筆させ、その目的は定子にばかり向いている一条天皇を娘彰子に振り向かせるためという説が有力になった。私が若いころはこんなこと言う人はいたのかな。いなかった気がする。
寵愛を受けながら後ろ盾がなくて不幸になる桐壷の更衣、藤壺の面影を宿す少女が成長して妻になる話など、マスコミのない当時の人はフィクションの体裁だけど、身近な話として読んだことでしょう。
物語の力で天皇を振り向かせる。本当ならすごい力技である。言葉の力、物語の力はたおやかで強い。
不義密通で生まれた皇子が天皇の位につく。こんなスキャンダラスな話をよく思いついたものと、千年後の私は感心してしまう。
今、これと同じことが書けるかと言えば、全然書けないでしょう。昭和の時代、衝撃的な事件があり、それ以後いっそうタブー視されるようになったと思う。誰も書かない。日本人の心性の一番深い部分に関わっていると思うけれど、ふたを開けるのは怖い。ましてやそれを表現するなど。そんな感じでしょうか。
思うに、千年前の天皇制と明治維新から太平洋戦争敗戦までの近代天皇制はずいぶん違うのではないでしょうか。近代天皇制の方がうんと強権。民にとっては窮屈。
この時代の天皇制は、奈良盆地の南部、豪族の連合政権の中から生まれた牧歌的な記憶をわずかにでも残していたのかもしれない。皇位継承の果てしなきあらそいがあり、皇位に関する感覚も今の時代とは違っていたのかと想像する。
どんなものも、人間の性(さが)を押しとどめることはできない。人を好きになったり、嫉妬したり、憎んだりがものすごいエネルギーを生む。それが人の運命を変え、世の中を変えることもある。
それを掬い取った物語なので、広く受け入れられたのでしょうか。
その物語作者をかかえた権力者=道長。道長の権力を文化面から支えた源氏物語。今回のドラマはその解釈でいいのでしょうか。
うーーーむ、このことはまた考えます。
石山寺にはたくさんの絵が奉納されているそうで、その図録は20年くらい前に行った時に買った。NHKのテキストは12年くらい前。