日記

日々のあれこれ

テスト

2024年12月18日 | 日記

テスト

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本日は登校日

2024年06月28日 | 機織り


50㎝まで


帰ります。
向こうビッグアーチ。広島アジア大会のメイン会場。1994年。

織りかけの糸を載せて上から布をかけて、また来週。

窓の外は自然の木が。石の彫刻や金属の造形などの工房への渡り廊下。

最近の記事がないので驚かれたと思います。

昨日、別のパソコンでマイクロソトのPWを再設定したら、そのせいかどうか、昨日たまたまさる検索サイトで私の名前を引いたらこのブログが出てくるのでびっくり仰天。

そう差しさわりあることは書いてないはずだけど、これはいくら何でもまずい。下書きに移していたけど、数が多くて途中で休憩しています。

2014年から2021年年末くらいまでは別のブログに書いていて、そちらは引っかかってないけど、なんで?????

読んでコメントくださった皆様、本当にごめんなさい。PCの知識は全然ないので、検索を避ける方法も分からず、困っています。

やれやれ。

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愛知・冬の日帰り旅

2024年01月22日 | 旅行

昨日は愛知県の息子の家に日帰りで出掛けました。ちょっとした用事ができたのです。

名古屋から名鉄で約30分、駅まで迎えに来た息子の車でまずは家に。

昼ご飯には早いのでしばしの歓談。

「あの木にウグイスみたいな鳥が来る」と息子。

「メジロじゃないの。目の周りが白くない?」

「分からん」という間もなく、メジロが3羽飛んで来て黒い木の実をついばんでいます。

そうこうするうち、近くの実家へ行っていたお嫁ちゃんが帰宅。

「黒い大きな鳥も来るんです」と言っていたら、今度はヒヨドリが。

最後に雀くらいの名前の知らない茶色の鳥も来ました。

まさに野鳥の楽園。山が近いので、いろいろな鳥が来るようです。

三人でしばらく野鳥観察。癒されるう~

昼ご飯はこちらへ。

メニュー|岡崎市の和食なら魚信(うおのぶ) | chaoo.jp

私は鰆の西京焼きの釜めし、息子たちはそれそれ別の定食を。

写真はサイトよりお借りしました。

食後はお菓子を買って再び家に戻り、歓談。15時になればそろそろ帰る時刻です。その前に近所の産直市場へ。

とても広い売り場、花、植木などもあり、夫の好きな八丁味噌の小袋をお土産に買いました。

行きはよいよい、帰りは寂しい。次はいつ会えるのかな。と思いつつ、2人のあとをついて行く。

元気で仲良く暮らしているようでまずは安心。コロナ以後、息子は在宅勤務が増えたそうで、しっかり料理もしている様子。相談しながら野菜など買っていました。

この後、名古屋市内で友達に会い、話をして、のぞみで帰宅。朝は雨で寒かったけど、午後から晴れて暖かかった。明日から寒くなるそうで、やっと本来の気候になるのでしょうか。

この寒さ、被災地の皆様、どうぞ気を付けてお過ごしください。一日も早く元の生活に戻れますように。

夫は今日ついに整形外科を受診したけど、受診しても痛みは劇的によくなるわけでもなく。気の毒です。故姑が生きていればどんなにか心配したことでしょう。

動けないので本来なら男がする仕事も私がする。台所の流し台の上の蛍光灯が点かないので、踏み台持って行ってグルー球と蛍光管を変えたら明るくなった。

ついでに夫の前で両脚の屈伸をして見せて顰蹙を買う。低い椅子から片足で立ちあがって見せてさらに顰蹙

腰痛、ひどくなる前に何か手立てはなかったのかと、今になれば歯がゆい思いです。他の皆様はどうしているんでしようか。耐えるしかないんでしょうか。

気の毒です。

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帰宅中に

2024年01月21日 | 旅行


のぞみの中で、夕食。
用事いろいろ終えて一安心です。
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本日、日帰り旅行

2024年01月21日 | 旅行
暖かいそうで、よかったです。
早くに目が醒めてついでに髪、染めた。
もう少ししたら自宅発。
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12/10 再び京都へ

2023年12月14日 | 旅行

12/10、日曜日、息子が中部地方から工芸展を見に来るので、今度は日帰りで京都です。

10時頃、京都着。八坂神社の紅葉を見るつもりでしたが、市バス乗り場は長蛇の列。とりあえず地下鉄で四条まで。あとは歩くつもりでした。

いいお天気です。

あちら八坂神社方面。祇園祭の山鉾巡行はこの道路ですよね。

20歳くらいの祇園祭の夜、東京から来た男の子と四条通の歩道を歩いていた。

人で混雑して、蒸し暑かった。どこかで食事したはずだけど、詳しいことは忘れてしまった。叔母の家に、帰りが遅れると電話するつもりだったけど、番号のメモを忘れていた。

電話ボックスで電話帳を繰るけれど、分からない。日本で何番目かに多い苗字。諦めてまた暑い京都の夜を歩く。

昔からあちこち出かけていた私。今や徘徊老人の道をまっしぐら?

すみません、モテ自慢になってたらそれは誤解です。昔から容姿はごく人並みの私がモテる筈もなく、ただの旅行好き。たまたま男の子と予定が合ったからだと思います。そのあと私は引き続き京都に滞在、男の子は四国へ帰省したんだと思います。

年取ると、四条通りというだけで、ここまで話を引っ張れる。いゃあ、何とも。

昔はもっと広いと思っていたけど、わずかに片側二車線。我が地元の区役所前の方が広い。とつまらない競争心は京都コンプレックス??

錦市場へ行ってみます。

観光客が多そうです。

突き当りは錦天満宮。

両側の建物に取り込まれた鳥居。ぶらタモリでおなじみ。

寺町通。新京極、河原町など昔はよく歩きましたが。

ひとつ西側の御幸町通へ。

田中屋旅館健在。

今はカフェと素泊まりの宿になっているらしい。

1996年頃、夫と三男でここに泊まったことがあります。連休直前で自分で探した宿。

田中屋旅館 - 日記 (goo.ne.jp)

古き良き京の宿。部屋は鍵がかからず、手洗い、風呂は階下に。

でも料理は飛び切りよかった。

あの時、腰が曲がっているのに階下から料理や布団を運んでくださった年配女性。お元気でしょうか。

昔は京都に小さな家族経営の宿がたくさんあったことでしょう。


八坂神社へ行く時間がないので、歩いて待ち合わせの店まで行くことにしました。

三条通の近代建築。レトロモダン。

星がテーマ。シンプルでお洒落。

待ち合わせの場所近くの骨董店。

中で待たせてもらう。息子が予約してくれたのはスペイン料理。

可愛いパエリア鍋。

パエリア。一人前。おいしかった。

この後、工芸展見て、旧友とも会い、息子たちとお茶して解散。

再び息子たちに遭遇。再び別れる。

建物内は何かの上映会をしていた。

旧日銀京都支店。

この日の予定は全部終わりました。あとは買い物して帰るだけ。

進々堂は京都大学の近くに本店があります。

パンは高速バスのチケット売り場にある店で買う。わざわざ地下街やデパートへ行かずに便利。

本店も古い建物で、20年くらい前に行ったときには、凝った内装や無垢板の大テーブルなど、見どころいっぱいでした。

息子たちにも無事会えて、思いがけずに旧友とも再会し、予定は終了。あとは帰るだけです。

新幹線車内からの大阪。まだまだ明るい。

来年は会場が工事で、次は再来年にあるそうです。もっといいものが出せるよう頑張ります。

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12/6 東本願寺と京都駅

2023年12月13日 | 旅行

渉成園(枳殻邸)の中の建物、どれも風流な名前で難しい字。記事書くうち、このアプリがフリーズしたので後回しになっていました。

渉成園の門前の道を京都駅方面へ歩きます。

念珠店に法衣店、それから各県から門徒さんが本山にお参りした時に安く泊まれる宿などが並んでいます。飛騨詰所とあるのもそうでしょう。

すぐに東本願寺の前に。

渉成園に東西二つの本願寺は、方広寺の門前、御前通を塞ぐようにできています。方広寺も今はひっそりとしていますが、秀吉造営の頃は今の京都国立博物館の敷地まで境内があったそうで、もちろん大仏に有名な鐘も。その大きさから往時の方広寺の壮大さがしのばれます。

徳川氏は京都から豊臣氏の痕跡を消し去る意味もあって、この場所に寺の造営を許したのでしょう。

境内のガイドツアーに途中から参加します。

若い女性のお坊さんです。まずは左隣の阿弥陀堂から。

今から拝観です。堂内撮影禁止。阿弥陀如来像その他が安置されています。京都駅はすぐそこです。

隣が一番大きな御影堂です。

渡り廊下に木を運んだそりが置いてあります。

小さいのもあります。しっかりした木です。

これは本堂再建の時、北陸地方の門徒さんが雪の山で材木運ぶために使たものだそうです。北陸のお寺にあったのをこちらへ移したそうで。

説明によると、東本願寺の堂宇すべては幕末の蛤御門の変で焼失したとか。

知らんかったあ~この年まで。我が無知を恥じるのみ。

江戸時代初めの建物にしては新しく見えると思っていたけれど、今あるのはすべて明治以後の建造と説明されました。

それにしても蛤御門の変です。御所からここまでかなり離れています。教科書ではたった一行の記述ですが、京都にとっては大変な戦さでした。焼失面積もとても広いのでは。焼けた面積は広島の原爆に匹敵するのかなと。渉成園も全部焼けたと言うし。

日本の近代化は革命ではなく、戦争もなかったと言うのは一面的な見方。鳥羽伏見から始まって上野の彰義隊、東北諸藩の戦い、最後の函館まで、やはり国全体を巻き込んでの大戦さでした。

しかしたちどころに前よりも大きなお堂が再建されるのが教団の底力です。

渡り廊下と山門。

阿弥陀堂を振り返る。

御影堂は宗祖親鸞上人の像が安置されています。

それで御影堂と言うんですね。知らんかった。

歎異抄によると、親鸞は弟子ひとり持たず、堂一つ持たないと言っていたそうですが、ラディカルなその教えを分かりやすくかみ砕いて短い和讃にし、布教した後々の宗祖。戦国大名と戦うほどの力を持つようになった信者集団。

石山合戦の後、王法と仏法の落としどころとして、京都に大伽藍を建てる。

歴史は思わぬ方向に進んだともいえますが、組織を防衛した結果ともいえるのでしょうか。

と、婆ちゃんもあれこれ考えました。

日が傾いてきました。参拝の記念にカレンダーを買って、このあと歩いて京都駅へ。

忙しい一日でした。今から帰ります。

光の階段。

まだまだ明るい。

京都駅 光の階段 2018/12/5 - YouTube

5年前です。何しに行ったのかな。たぶん一人で遅い紅葉を訪ねての帰途。

今年は3回京都へ行った。人が戻り、外資系のホテルが増え、古い家はおしゃれなショップに代わり、古都も日々変遷。しかし、歩くのも疲れるようになりました。荷物はなるだけ軽く。それでも歩くうちに次第に重くなる。

人、これを寄る年波という。

先日の友達も、運動系の部活していたのに立ち話は疲れると椅子に座って話しました。

でもまあ、歩けるうちは出歩きましょう。

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渉成園で紅葉を見る

2023年12月09日 | 旅行

渉成園は東本願寺の飛地の境内、本願寺の東方数分のところにあります。

市役所前から市バスで七条河原町まで。そこから数分歩きます。

入口で500円納めて拝見。

以前は、記憶違いだと思うけど、無料だったかも。

その代わり「ご本山はどちらですか」と聞かれた。ウッと詰まる私。実家は仏光寺派だけど、婚家は・・・50代の私は考えたことなかった。

拝観入り口。

人少なめ。観光バスが立ち寄るところではないですが、個人で旅行してどこか一つならこちらがおすすめ。京都駅に近いです。

左、隣池亭。正面、滴翠軒。池に面した建物。

紅葉。盛り。

回棹廊。庭園を遠くまで見るための屋根付きの橋。

渡ってから振り返る。

人はほとんどいません。静か。

池のこちらから見る。

広い池に築島がいくつか。

お土居の跡とも言われているのですが、確定はしていない模様。

蘆菴 二階立ての茶室。

まだまだありますが、本日はここまで。

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京都で歩きまくる

2023年12月08日 | 旅行

12/5 13時頃京都へ着く。昼ご飯の店を探して歩きまくるけれど、どの店も混んでいた。やっと空いている店で簡単な昼食を。

烏丸御池で下りてから探せばよかった。次からはそうします。

中京郵便局。

向こうが京都市文化博物館。

以前はイベントで本館に入ったこともありますが、近年はどうでしょうか。

裏手の別館で工芸展があります。この日は展示と勉強会。

私のキャプション、名前が間違っていたーーー!!!

2時間みっちり、作者本人の説明に講評の会。立づくめで疲れた。

それから懇親会場まで徒歩移動。

庭園内の池=水路で夏は川床があるそうです。

涼しそう~

昨日の記事で鴨川→高瀬川ではなく、高瀬川の流路がこの屋敷を通っているようです。いきなり鴨川から水が来たのでは洪水の危険もありそうです。

店内の武者人形。


会の後、歩いて地下鉄市役所前まで。そこから一度乗り換えて五条でおり、後は徒歩でホテルです。

椅子は座りにくかったけど、広い部屋で過ごしました。

家でも風呂にお湯ためるのは機械任せ、最近は温泉付きのホテルに泊まることか多いです。

ホテルロビー。

さて展示会場まで地下鉄で一駅、歩くと20分。ここは歩いてみましょう。

烏烏丸通りを横切って・・・

20年前、三男が京都に遊学中は落研の寄席を見によく出かけていました。

その頃より道が狭いと感じるのは周りが高層化したからでしょうか。

狭い通りに珍しい店が時々。

簾の専門店。材料いろいろ。

厚労法としか変換できない・・・の雪は簾を掲げて見る。簾もいろいろ。


昨日と同じく、会場で情報交換。前夜は偉い先生に糸のこといろいろ教えてもらい、この日は筬のことを聞いてみる。親切に教えていただいた。

手持ちの草木染の糸を送ってくださるそうで、有難いことです。いろいろ準備して年明けにはスタートしたいもの。


今度は楽天に出店している糸の店へ。

これが遠かった。地下鉄の終点太秦天神川下りて徒歩10分以上。京都もこの付近まで来ると郊外らしくなってくる。嵐山まで一続きの街ではなく、途中は結構鄙びている。

お店はこちらです。

一見普通のお宅。一歩足を踏み入れると、一階のすべての部屋はいろいろな種類の糸が、通路を除いて天井まで積み重ねてありました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOYcaO06AVSTJgTBG6FTW4lDdGzVhkWIC3KstZ4=w408-h723-k-no

googleマップの投稿画像にリンクさせていただきました。

きんしょう - Google マップ

場所は↑こちら。

糸好きにとってはワンダーランド。私はこちらで3/10か4/10の木綿糸を染めてほしかったのですが、特注は2キロから、それより定番を買う方が安上がりとアドバイスされ、8/20の染めた糸を何種類か買いました。

糸の並ぶさまは壮観。一度ゆっくり見たいものです。

「こちら卸屋さんですか」

「いえ、小売りです」とのこと。楽天、アマゾン、ヤフーショッピングでも取り扱いがあります。

いゃあ、普通のお宅に糸、糸、糸。糸の大洪水。これだから京都は侮れません。

糸、思い切り買いたいものです。今でも我が家は糸屋敷なのに、どうすると思いつつ。

京都はとても暑くて、セーターやコート脱いで持ち歩きます。それで疲れてしまいました。街は修学旅行の生徒たちも大勢。歩く旅行は若いうちですね。

疲れました。

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京都、高瀬川の源流を訪ねる

2023年12月07日 | 旅行

すべての始まりは懇親会場。居酒屋風の名前だけど、角倉了以の屋敷で、山形有朋が別荘にしていたこともある由緒正しい場所。

そういえばブラタモリで紹介されていたのもこちらのお屋敷。懇親会の出欠の返事は「ハイハイ行きます。何があっても行きます」の一択。いゃあ、機織りしていてよかった。してなければ一生御縁がなかったかも。

展示会場から懇親会会場まで徒歩10分というところでしょうか。

場所は簡単。もう日も暮れましたが、御池通を鴨川に向けて歩き、手前の細い川=高瀬川を渡って北上するとすぐ。

着きました。居酒屋風の名前。チェーン店のようです。

石碑があります。

会が始まる前に、仲居さんに声を掛けられ、希望者数人が庭を見学しました。

ライトアップしています。

庭の奥の巨大な石灯篭を、下まで行って見上げます。建物から見てもよく目立ちます。

庭から宴会場が見えます。

橋を渡ります。

池(=鴨川から高瀬川へ通じる水路)を水が淀むことなく流れています。

手前が鴨川側、向こう高瀬川方向、かなりの水量です。

シャバシャバシャバ、ザワザワザワ・・・

水は左から右へと流れています。

行く川の水は絶えることなく、しかも元の水にあらず。

気が付けば庭を一周したのは私だけ。他の方は早々に引き上げています。

ライトアップの光が目に入るとまぶしくて、足元は真っ暗。転ばないよう、流れに落ちないよう気をつけました。

豪華なお庭でした。向こうは築山になっていて、屋敷周りは石で囲ってあります。


本日の八寸。

美味しくいただきました。

参加者は40人くらいでしょうか。作品数は50です。翌6日から展示が始まりました。

後は話に夢中で写真撮ってません。

4人掛けのテーブルは女性ばかり。神奈川2、三重1、広島1。

4人の出品作の内訳は金工、染色、紙芸、それに織りです。ジャンルは違いますが個人で道具揃えて工芸をする大変さ。いろいろ話が聞けて良かったです。


翌日は用事を終えて、今度は昼間の高瀬川を見に行きます。

橋の上から高瀬川上流を見る。桜の木、多数。

左はホテルオークラ。元は長州藩の京都屋敷。いい場所ですね。

ちなみに尾張藩邸は今は京都大学に。京都も大名屋敷がいろいろあったようです。

鮮やか。今年見た中で一番かも。

佐久間象山そのほかの遭難碑あり。

つい150年前、人を刀で切り殺していた時代。

高瀬川の最上流。

高瀬川は水運のために開削された運河。

伏見で淀川と合流。船で物資が運ばれました。

もちろん人も。森鴎外の「高瀬舟」など。

あの橋の下が川の起点。

道の下は暗渠になって、右の角倉了以の屋敷跡から流れてくることに、今回やっと気が付きました。

私はずっと長い間、伏流水が地上に出てきたとばかり思っていました。

島津製作所の資料館。社員がノーベル賞を受賞して一躍有名になった企業はこの地で創業。

鉄道や道路の未発達な時代、この地は交通の便がよかったのでしょう。

資料館は15年くらい前に行ったので今回は省略します。

13時になりました。お昼にしましょう。

最後は東西の鍵型の分岐があります。長州藩邸から直接船に乗るための専用水路だったのでしょうか。

水はきれいでした。

いろいろなことがやっと一つにつながり、勉強になりました。

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10/19 奈良県吉野で

2023年11月03日 | 旅行

金峯山寺蔵王堂

大きい。古い

柱は製材しない。エネルギッシュ。奈良時代、白鳳年間創建と伝わる。

重機もない時代に建造、コンピューターもない時代に構造計算。

その技術に驚くばかり。

少し離れて。

さらに歩きます。

山の花は色鮮やか。

吉水神社で。

残りはこちら5/11 奈良県吉野を歩く - 日記 (goo.ne.jp)

夏と秋、それぞれの花。

ほら貝、法衣などの店。漢方薬も扱う。

だらにすけは漢方薬。三つ指のカエルがトレードマークで、桜の木でできた数百年前のカエルが鎮座。

20年前は中千本までさっさと歩き、吉野水分神社から引き返したけれど、今回はもう行く気がしない。人も全然歩いていない。新型コロナ以降、人出は落ち着いているようですが、伝統的な山の上の町並み、面白く歩きました。

帰りは近鉄で阿部野橋まで。御堂筋線に乗り換え、新大阪からは新幹線で。20時頃帰宅。

新大阪で買った駅弁を家で食べる。何でも一口ずつ、おかずいろいろでおいしかった。

値段も1,100円とリーズナブル。旅の終わりの楽しみ。

奈良みやげいろいろ。

都風であり、田舎風であり、奈良はいいところ。

吉野葛入り栗羊羹。

土曜日、ブラタモリ見ながら老夫婦が奈良土産を食べつつ、特に話すこともなし。あーーお茶がおいしい。笑。

人生の終着点はこんな場所なのかなと思う。

もうやってられない!!別れてやる!!と激情にかられた若い日々もついこの間のようだけど、振り返ればはるばると来ぬる我が人生かな。

この凪のような時間があと何年続く?

これからはつかず離れて、相手のすることに口出ししない。困った時は黙って助け合う。昔のあれこれ持ち出さない。

そんなことを考えていた。しみじみ。

それにしても、親のゴミ早く捨ててほしいもの。自分の体の動くうちに。

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10/19 奈良県吉野へ

2023年10月30日 | 旅行

10/19

ホテルで朝食はこれだけ。

茶粥、パン、シュークリーム、出し巻き卵、大根の煮物、果物、なべ物のつゆ、などなど。

食べておかないと歩けないので頑張って食べる。

吉野へはJR奈良→JR王子→JR吉野口→近鉄吉野。約2時間の旅。奈良は広い。

着きました。小さな駅。古くからのお詣りどころ。どこか懐かしい雰囲気。

尾根までのロープウェーは平日運休。歩きます。

左へ。

こんな道。

アキノチョウジ。

アザミの仲間。

水引草。

水引草に風が立ち、いざ生きめやも。

フジバカマ?

ウバユリの実。

遅れる夫。速くおいで~と言いつつ写真撮る。

先に行って笑っている。人間性のかけらもない・・・そうです。

いつも腰が痛い。元々の腰痛に加えて、要介護4の姑の自宅介護で不可逆的に腰を傷めた。と私は思っています。

姑の介護で学んだことは息子に無理な介護をさせないということ。美談の陰に無理があり。こうなるんだったら初めから止めるんだった。

でも「自分の子供と思って面倒見る」という夫を止められなかった。美しい話の落とし穴。

尾根に上がると商店街。

藤らしい。「きささげ」って、見ている人に嘘教えた。実が違う。

しばらく行くと小さな門が。

とりあえず昼ご飯。だいぶお腹の調子も戻ってきました。

店の奥は谷に面している。風が吹きあがって来て涼しい。

スペインのフリヒリアナみたい。でも口に出すと夫がひがむので黙っている。

2016年6月。気温42度。コーヒーは1€。アイスコーヒー頼むとグラスと氷が運ばれてきて、自分で作る。

これは他のお客さんが出た後写す。

工事中。

私は吉野は3度目。夫初めて。2004年頃来たときは門も公開していた。工事はだいぶかかるようです。

国宝。金峯山寺蔵王堂。

いいお天気で、平日なので人は少なめ。ゆっり観光できました。

後半は次回に回します。


今回の感想。

謝る必要がない時は謝らないとか、そんなこと書いていましたね。

もちろん自分でそう思ったら他人が強制できるものではありません。

でもそれをわざわざ公言するからまた敵を増やしてしまうんですよね。

私ならどうするかな。

自分に信念があるならもちろん謝らないし、公言しない。黙っていると思う。

前のブログでは仲良くさせてもらっていたんですよね。一方でそんなもめごとあるって知らなかったから。

私はその頃姑の介護真っ最中。中心は夫ですが、私は食事作ったり、夫のいないときのオシメ換え。体重は42キロでしたが、立てない人の介護は大変でした。ベッドから車椅子に移すのは自分の膝にまたいでもらい、体全体で体重を受け止めて、自分の体幹を移動して姑の移動。

腕だけで移動するのは無理。出来たとしても絶対に体を傷めていたと思う。

介護は巡り合わせなのでやりますが、誰からもねぎらいの言葉がなかったので徒労感が大きかったです。唯一「よくやられますね」と言ってくれたのはヘルパーさんと包括の人。

言わないのは悪気ではないと思います。人は自分がその立場にならないと気が付かないものだから。

一日の終わりには心にたまったことを前のブログで書いていて、それに彼女はよくコメントをくれました。それは助かりました。(彼女も姑さんには苦労したらしいです)

で、翌日には下書きに戻すのです。思うこと書いて気が済んだら下書きに戻す。いけないのかもしれませんが、私はそうして毎日の自分の思いを供養していました。

旅行の記事は好きです。一人でツアーに入ったり、一人でバス旅行して、バスの中からスマホで宿を探して泊まったりするのが私たちの年ではなかなかできることではありません。それは素晴らしいなと思うし、参考になります。

でも一連の作品、あれはどうでしょうか。小学校でもよくケンカになる事案。先生は「人にアホ言うもんがアホ。○○君、謝りなさい」と指導していたと思います。

こう申し上げるのは失礼なんですが、学歴には独特の感覚をお持ちのようにお見受けします。私たちの年では人の学歴を気にすることも少なく、気にしなくても暮らして行けますが、気になる人には気になるのでしょう。特に周りが優秀だと大変です。

私ですか?両親はあの時代の庶民の平均的な学歴。子供をどこへ進学させたいという考えもないので大変に楽でした。高校時代、親に成績表見せたこともないし(心配かけないのが何よりの親孝行笑)。受験する学校も自分で決めて後で報告。母は東京へ行けるのが嬉しくて私の受験についてきた。連絡船と夜行列車で20時間くらいかかった記憶が。

話がそれました。

だから高学歴の人に自分の知識が受け入れなかったのが悔しかったのでしょう。まあ分からなくもないですが、反射的に子供の悪口みたいな作品を出すのはまずかったですね。

友達のご主人が以前、うつ病か何かで精神科にかかっていました。精神科は他の科と違って、勝手に転院してははいけないと聞きました。紹介状がいるとか。それは個人の判断でに薬止めたり変えたりすることを防ぐためと思います。

問題になっているのは、薬を止めて大変だったから薬飲んじゃいけないという話でしたか。この話、矛盾がありますよね。薬が悪いんじゃなくて急にやめたのが悪かったんじゃないでしょうか。私の理解ですが。

何度も書きますが、素人は人の治療に口出しは厳禁。聞かれたら参考程度に話すのはいいけど、主治医がいるのだからそちら優先と言い添えるくらいで。

それとご本人は意識していないかもしれないけど、背景に男性のいない人に強く出ていませんか?

以前の公民館のサークルで、女性一人の人に強く出る男性がいて嫌な感じでした。夫のいる人にはそうでもないのに。気の強い女性はケンカして飛び出し、そうでない人は黙って離れていきました。

女同士で助け合う場面もたくさんあります。そこらあたり、ご一考を。

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10/18 秋の奈良へ

2023年10月28日 | 旅行

10/18 奈良ホテルで食事の後、バス停県庁前から春日大社まで。5月には大型バス駐車場奥に入園口があったけど、閉鎖されていた。4、5月以外は一つ手前で下りるといいようです。

入園時刻も閉園時刻も早いので、駆け足見学です。

入ってすぐ。棉。

続いて稲いろいろ。黒米。稲は日本人の心のふるさと。

赤米?

稲各種。

ヌバタマ。

さだまさしの「まほろば」はこちらの歌の本歌取り。

「例えば君は待つと、黒髪に霜の降るまで・・・だけどそれは宛名のない手紙・・・」

ヌバタマは東南アジア原産・・・だったかな。野山にも見られる。そのまま花壇にも植えられる。

歌にまつわる植物いろいろ。植物と万葉集の勉強が同時にできる。

ゆっくり回って40分くらい。只今一部工事中で閉鎖。

そろそろ紅葉。藤と杜若の季節は人が多いようです。

重要文化財「円窓」。元は春日大社内にあったそうです。

休憩所?


続いて徒歩で志賀直哉旧居まで。

書斎。

茶室。

庭。

向こうに若草山。

眺めがいい。ここで暗夜行路を書いたのではなかったでしょうか。

前は新潮文庫に入っていたけど、今はどうでしょうか。

窓。

サンルームに庭。木は楷の木?紅葉が見事でしょう。岡山県の閑谷学校のが有名。

帰ります。

1989年、子供たちを連れて来たときは公開してなかった気がする。はるか遠い昔です。記憶もあいまい。それとも別の場所だった?


続いて街歩き。近鉄奈良からJR奈良まで歩く。

奈良の商店街は興福寺、東大寺などの門前町。JRと近鉄駅の付近に商店街が広がっています。お詣りどころの古き良き雰囲気も残り、歩いて楽しいのですが、いつ来てもゆっくり見られない。今回もそう。残念です。

筆、墨を扱う店が多い。

近代建築風。

筆と墨の店。

鹿もいます。白い鹿は神様の遣い。

向こうにJRの高架が見えてきました。


19時頃からお腹の調子が悪くなり、レストランへ下りて行ったけど、一口も食べられず。

見ただけで気分悪くなって、一人で部屋へ帰る。

夫が頑張って私の分も食べてくれたらしいけど、詳細不明。

持参の薬飲んだりして、横になっていた。翌日は吉野へ行く予定。歩くのが不安で、11時までホテルで寝て、京都周りで帰ろうかなと思案する。

いゃあ、胃腸には自信あったけど、数年前から食べ過ぎると不調になることが年に一度くらい。これもまた寄る年波でしょうか。友達とでなくてよかった。心配かけるから。

夫は淡々と、クライマックス戦見てたかな。あまり憶えてない。ということで奈良の一日目は終わりました。

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奈良、吉城園と奈良ホテル

2023年10月22日 | 旅行

いつまでたっても仕事を止めるきっかけがない夫。時々自主休業しています。

今回は、5月に友達旅行した奈良のコースやその他をたどります。

10/18 広島→新大阪→大阪→奈良。3時間弱で奈良へ。

JR奈良駅でバス一日券500円を買い、まずは県庁前まで。

県庁前下車。北東へ。若草山が見えています。

バス停から10分くらいのこちらへ。

説明版。入場無料。

池と建物。少しだけ紅葉。

茶室。玄関から。

茶室。庭から。

苔の庭。

隣接する庭園と美術館。有料なのでパス。

歩いて奈良ホテルに向かいます。

この辺で夫が疲れて、公園内で一休み。

料亭菊水楼。こちらもいつか行きたいけど、格式高そう。

池の向こうの奈良ホテル。辰野金吾設計。それまではお寺があったそうです。

ホテルができたのは明治頃?

着きました。

玄関。左は和食レストラン。団体客の食事処でもあるようです。大型バスが停まっていました。

予約時間までラウンジで待ちます。

アインシュタインが弾いたピアノ。

時間が来るまで休みます。

裏庭。

戦後、アメリカ軍に接収され、建物全体をペンキで塗るよう言われたけれど、この付近を塗って見逃してもらったとか。

アメリカ人はニュアンスのある木目が嫌い?

テラス席でした。席だけの予約だったので、こちらはティータイム用の席?

外がよく見えました。

菊水楼と若草山。山は昔は三笠山ではなかった?

皇族の名前と被るので改名。万葉集によく歌われる山。

前菜。

サツマイモのスープ。

パン。

メイン。小松菜とか、日本の食材。

真ん中の一の字は干し柿、左右も柿。

旅行けば奈良のランチは柿尽くし。

柿一つでぐっと和風に。

全体に量の多いランチでした。これで胃腸がビックリしたんです。

ロビー。上村松園の花嫁の絵(本物)。

宿泊した皇族の写真多数。もちろんこちらは誰でも泊まれますが、最近のホテルは温泉付き。私はそちらの方が楽。

家でも風呂は自動でお湯ためるのに、旅先で手動で湯をためるのをやりたくない。

でも全体に落ち着いて、とてもいいホテルのようでした。

帰ります。来年、今度は別の人を誘っています。最近、奈良フリーク。

2021年年末から、今回で4回目です。京都は人多すぎ。バスに乗れないので、奈良にしています。

辰野金吾的。嬉野温泉だったかの温泉本館も辰野設計。機能洋風、デザイン和風。

泊らなくても中も見てみたいものです。


この後は萬葉植物園、志賀直哉旧居、なら町歩きからホテルへ。そちらはいずれまた。

この日は最高気温27度、夏のTシャツ一枚で歩きました。

暑かったあ、、、、

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奈良の特等席、奈良ホテル

2023年10月20日 | 旅行

5月に名古屋の友達と行き、今回、10/18は夫と行きました。

夫はもういい年なので時々自主休業、二人で旅行することにしています。

ランチは席だけ予約、ハーフディナーをその場でオーダー。

5月より500円くらい高くなっていたのかな・・・記憶あいまい。

カレーなどはなくなっていた。

お爺ちゃんご機嫌。

前菜。栗入りの・・・キッシュ?などなど。

メインダイニング三笠の窓際の席で、外がよく見えました。

10/18、13時40分頃。外は穏やかな秋晴れです。左に興福寺が見えます。

正面、池の向こうに料亭「菊水楼」。あちらからはこちらがよく見えることでしょう。

右手。若草山。

料理はこのあとサツマイモのポータージュ、奈良ポークの何とか・・・

デザート、コーヒーでした。

近くの席ではアフタヌーンティーを楽しむ人も。

あちらも楽しそうでした。


帰ります。

ロビーの暖炉と上村松園の花嫁の絵(本物)。鏡に写り込む夫。

帰ります。このあと萬葉植物園、志賀直哉旧居、近鉄奈良からJR奈良までのならまち歩き、ホテルと一日の予定を何とかこなしました。

しかしその日の外の暑さと建物内の冷房、粗食に慣れた胃腸にボリュームいっぱいの洋食などが悪かったのか、夕方から体調絶不調。夜、ホテルの夕食は一口も食べられませんでした。

一泊二食付きのはずが、私だけ一泊朝食だけになってしまったあ。

残念過ぎる。

この他の旅程いろいろは追々に。

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団塊の世代

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