日記

日々のあれこれ

1/10 明石と姫路そして帰宅

2022年01月13日 | 旅行

1/10 宿を出て山陽鉄道、山陽本線の高架をくぐるとすぐに明石天文台が。

入館料は700円、シニア割引で半額。駐車代は200円。

ベランダを通る日本標準子午線。

泊まった宿の駐車場にも標識があるそうですが見逃した。

宿のサイトよりお借りしました。

天文台の展望台から。

展示いろいろ。

昔の時計、いろいろ。

香を焚いて時刻を見る。

時計の説明。

二つの時計。

地球の自転、公転のずれを微調整しながら時計を合わせているようです。

うーーーむ、この日は朝から膝が痛くイマイチ気分が乗らない。

宿の部屋が二階で階段で案内される。最近は感染防止で荷物もってもらえないし、大浴場は階段下りた地下。それがちょっと辛かった。

続いて少し離れた明石城。

天守閣はなし。手前は広い公園になっている。

この日は暖かくていいお天気でした。

続いて姫路城へ。

受付から天守閣往復、見学時間含めて60分だそうでパス。

小学校5年生の時、姫路にいた叔父に連れて行ってもらい、ものすごく歩いた記憶がある。

そのあと長い間、天守閣は修復をしていた。先般の修復は二度目。明治の初めころ、火災で焼失したと叔父が言っていたけど未確認。

新婚の叔父は書写山のふもとに住んでいた。書写山・・・今昔物語に書写山の行者の話などが出ていたと思う。この付近までは都人の住む世界、それから外は異界だったのでしょうか。

振袖いろいろ。

成人式日和でした。

写真撮らせてもらってごめんなさい。

成人式は人生に一度しかないけれど、私は出ていません。実家地方では20歳になった最初の成人の日に呼ばれるけれど、その頃の私は生意気盛りで、親の言うことはたいてい無視。まあ地元にいなかったし、連休でもなかったので日帰りは無理だし、ちょうど東大の安田講堂に機動隊が入った年ですね。

高校の先輩♂とその友達♂に誘われて野呂山の山頂までドライブしたけど、ものすごく寒かった。山の上が寒いって知らなかった私。

それが我が成人式の日。昔は貸衣装があまりなくて、自前で作る人も多かった。私も親が振袖作ってくれたけど、何回着たかな・・・都はるみさんの総絞りの振袖が、毎年、紅白で話題になっていたころ。高価なものでした。

私のは描き疋田でもなく染疋田、庶民御用達の振袖でした。写真に撮ると総絞りと見えるところがミソ。

すみません、振袖で長話してしまいました。

このあとお城の近くで昼ご飯食べて、夫はいろいろおやつ買っていたけど、私はこれだけ。

お城焼き。2個。お城の形がかわいい。

交代で運転しながら16時半には帰宅。

一月とも思えないいいお天気でした。

わずか一週間前にはPCR検査会場は閑散、行くのは迷ったけど検査で陰性だったし、夫は3回ワクチンしたので出かけました。

次も早くどこかへ行けるようになってほしいものです。

 

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1/9~1/10 淡路島から明石の宿へ

2022年01月12日 | 旅行

1/9日曜日、北淡震災記念公園の見学後、淡路景観園芸学校アルファガーデンへ行きます。

最近来館者が減っているそうですが、いつまでも残してほしい公園です。


山の上の、こちらは学校のようでが、日曜日の夕方、人影が全くありません。

すみません、お邪魔します。

 

 

兵庫の景観150選に選ばれた眺め。

地形を利用し、遠くの景色も取り入れた庭づくりのようです。

イギリス式の風景ガーデン。植栽も元からあるように自然に見せているようです。

窪地に向かって降りていくと

噴水があります。

大型のガボゼ。

春や秋はきれいでしょう。カフェもあるようでしたが、もう閉まっていました。

残念。


続いて明石の宿へ向かいます。

道案内。複雑。

目的地は明石。

明石海峡大橋。夕暮れも近い。

本土に渡り、垂水インターで間違えて下道へ降りるコースに入り、待避所に車停め、料金所の係員に復帰する方法を教えてもらう。

知らない道は緊張する。

15年くらい前にも、京都からの帰り、吹田JCTで名神から中国道に乗り損ねて神戸まで行ってしまい、神戸市内をうろうろ、やっとのことで復帰したことも。

分岐の手前で「(中国道は)左!!左!!左!!」と絶叫するも運転者は直進。名神道路の終点まで。

広島へ帰るので右車線と思ったそうですが、名神は50年くらい前の、都市高速を除いたら、日本で最初の都市間の高速道路。中国道はあとからできたので、左車線からの分岐を追加したと思われます。

その成り立ちを考えたらねぇ・・・あまりしつこく言うと嫌われるので本日はこの程度で。

人に運転してもらって、道を間違えたと文句つけていた私はまだまだ未熟でありました。

 


やれやれやっと着きました。

初めは淡路島のリゾートホテルを予約していましたが、なんか私達には合わない気がしてこちらのお宿に。

料理旅館で、三宮に懐石料理の支店があるそうです。

明石懐石プランは部屋でいただきます。ビール二本目~♪

お正月らしい前菜。

カメの中に塩辛が。夜、喉が渇いて何度も目が醒める。

真薯・・・だったかな・・・

器は鶴。

レンコン餅

鯛の宝楽焼。

私は尾を食べる。食べやすかった。

夫は頭。食べにくそうだった。

アナゴの天ぷらに、手前はタコの蕪寿司。

今年はタコが不漁で生造りが出せないと、仲居さんが恐縮していましたが、他の魚はどれも大変おいしくいただきました。

蛸飯。

金粉。

いつかのお正月、弟が「姉ちゃん、金粉入りのお酒飲むか」と聞いてきた。

「姉ちゃん、俺のぉ」と、金粉つながりで笑う顔を思い出す。。。。

あは志し万可よふ千とりのなくこゑ荷いく夜ねさ免ぬ須まの(字がない!!)せきもり・・・と書いているらしい。

謎かけみたい。

オモト。

風呂は地下に。行くまでが寒かった。階段しかないので、膝に不安のある私はちょっとやばかったけど、何とか。

風呂場には大正天皇が皇太子時代に宿泊し、その時新調した風呂桶が展示してあった。料亭旅館 人丸花壇 明石

その他にも皇族がよく利用する宿らしく、写真を飾ってありました。

老舗のわりにリーズナブルなのは、建物が古いから?

私たちは人間がもう古くなっているので、古いものにはなじみます。

結納や顔合わせにも使うお宿らしく、そう言われてみれば料理も結納っぽく上品。


朝、ひとりでそこら辺を歩く。

 

 

海へ向かう途中に和風の建物が。

公会堂だそうです。

唐破風の玄関屋根。

振り向くと天文台。

海へは歩いて10分くらい。

朝焼け。

右、淡路島。

海辺のマンション

そろそろ帰ります。

玄関の外。

玄関

玄関

鎧とか

お正月。

朝ごはんは食事処で。

器は有田?

ロビーで。

食事の後はすぐ近くの明石天文台を見学しました。

それはまた後程。

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1/9 淡路島は見どころたくさん

2022年01月11日 | 旅行

1/9

8時半、いいお天気です。鳴門のホテル出発。

 

前夜のレストラン前。

土曜夜、人は少なめ。

下道走るとやがて橋が。大鳴門橋?

渡ります。

まず最初に「淡路ファームパークイングランドの丘」

9時半開園を待ちます。

園内は広い。子供連れで一日遊べそうです。

昆虫展示も。寒いのでじっとしています。どうやって羽化させたのでしょうか。

一番乗り。人影なし。

虎たちのお出迎え。目指すはコアラ舎。

写真はいかが?

飼育舎内。

こちらは大型の南方系だそうで。6頭いました。

「だいち」とか、日本風の名前です。

黒い塊がコアラ。寝てます。

こちらも熟睡中。鋭い爪を木に立てて、座って寝ます。

よく落ちないものです。

おや、起きてきました。

こっち向いて!

ありがとう~

いい写真が撮れました。

この後また熟睡。

カピバラは子供たちに人気。

ロックガーデン。

珍しい花だそうです。

ヨロイスギ。アフリカ地区に。

丘の斜面のロックガーデン。

八重咲きブーゲンビリア。初見。

ポインセチア。

カメいろいろ。

春の花。


続いて鮎屋の滝へ。

駐車できる場所を探して車を停め、滝へ降りていきます。

途中にお堂があります。麓の寺の奥の院らしいです。

滝が見えてきました。

遊歩道になっていますが引き返します。

赤い実は何でしょうか?

森の中に群生しています。


続いて洲本城址へ。

天守閣風の建造物は上がれません。

洲本市内。

大阪方面。

昼ご飯は北部の野島スコーラへ。

スコーラとはイタリア語で学校のこと。

2010年に廃校になった野島小学校の校舎を利用した観光施設。

食事と買い物ができます。

レストランではメインを選んで、あとはビュッフェスタイルで。

おいしくいただきました。本州に近いためかお客さん多し。


続いて野島断層などを保存する「北淡震災記念公園」へ。

説明版。

野島断層に屋根をかけて保存しています。

神戸のイメージの強い阪神淡路大震災、淡路島も大きな被害があったとの説明が。

T字路だったそうです。向こうへずれて左が盛り上がっています。

ずれた水路とあぜ道。

断層面。

断層面。反対側。

深いところにある液状化の跡は、足元のガラス板越しに見られます。

太平洋戦争、震災にも焼け残った防火壁が「神戸の壁」として保存されています。

敷地内に断層が走る家が保存されています。

見学できます。

震災後はよくニュースになったそうです。

立派なお宅です。

向こうの角が下がっています。

花壇が断層で1m以上ずれています。

家の裏、建物のすぐそばに亀裂が残っています。

このお宅もとても揺れたでしょうが、鉄筋コンクリート造りの頑丈な建物で耐えられたようです。それを記念館として残しています。

続いて震度7の体験です。

このあと座って体験しました。とても激しい揺れで、机に掴まって座っているのがやっと。立って歩くのは無理。

来ると分かっていてこの恐怖。実際の体験はどんなにか衝撃だったことでしょう。

写真パネルを見て当時の様子を思い出しました。

長男のセンター入試の翌朝。燃え続ける神戸の街のニュース映像を呆然と見続けた数日。センターの点数なんてまた来年がある。潰れた家、亡くなられた人たちを思うと大したことではないように思えるのでした。

そして、この時には津波も原発の事故もない。

災害の多い日本で、安全に暮らし、いざとなったらサバイバルできる方法を考えておかないと。と思わされました。

 

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快晴、兵庫県の旅

2022年01月11日 | 旅行

1/8 午後自宅発。

快晴。

分岐で。ここは左へ、また左へ。広島高速2号線から山陽道へ乗る。

瀬戸中央道。四国へ渡ります。向こう、香川県。

島、各種。

大槌、小槌はいずれも無人島。

引き続き快晴。暖かい。

途中、親族の家に寄り、庭先で10分くらい立ち話。すぐに立ち去る。人目はばかる広島ナンバー。


鳴門駅近くのホテルに投宿。食事に行きます。

ドイツ料理。

鳴門は第一次大戦後、ドイツ兵捕虜の収容所があり、地元民とも交流。

日本で最初に第九が演奏された土地で、ドイツパンやソーセージなどが伝わったそうです。

小さな町ですが、ドイツ軒というパン屋さんもありました。

このお店、名前はドイツ語。どういう意味?

黒ビール。

 

 

イタリア料理?

おいしかったので細かなことは考えない。

店内、見たところ私たちが最高齢者。最近はどこへ行ってもそう。

あれあれ、いつの間に。。。。

あとは歩いてホテルまで。

じゃらんの、昨年末に失効するポイント利用で安く泊まれました。やれやれ。


1/9

小鳴門橋、大鳴門橋を渡って淡路島へ。一日、淡路島の観光をする。

コアラ。ぬいぐるみみたいですが本物。

淡路ファームパークイングランドの丘。

コアラは南方系の大型が6頭、見ごたえあり。

野島断層。北淡震災記念公園。

1995年、阪神淡路大震災の断層が保存されています。

左が持ち上がって向こうへずれた跡。

繋がっていた水路が溜枡の所でちぎれています。


島内いろいろ巡りそろそろ夕方。

山の上にある「淡路景観園芸学校アルファガーデン」。

ガーデナーを養成する学校。ここはコニファー各種。

素晴らしいイングリッシュガーデンが広がっています。

入場無料。学校は休みで人影なし。


宿泊は明石市内。明石海峡大橋を渡ります。

垂水ジャンクションで、第二神明道路北線に乗るべく「姫路、姫路、姫路!!!」と助手席で絶叫するのも空しく、垂水で地道に降りるルートに行ってしまいました。

うわおぅ。

「ほらあそこの待避所に車停めて。(私)聞いてくる!!」

ダッシュで、車が来ないのを見計らいながら人のいそうな料金所へ向かっていたら別の所から係員が来てくれました。

わけを話すと「先で合流するので、坂を上って下りて最初の信号は直進、学園南でまた復帰してください」と教えてもらう。

やれやれ、初めての道。ここが一番気かがりでしたが、案の定、間違ってしまいました。

もうね、この年では慣れない都会地の高速道は走らないのが吉、たぶん二度目はないと思うけど、二度目はしっかり間違えないようにしましょう。


二日目の観光は夫にお任せ。城が好きだそうで。男はたいていそうですよね。

私は古い町並みの雑貨、骨董など見て趣のある店でコーヒー飲んだりが好きですが、今回はリサーチ不足。

朝、宿の近所を散策。

 

明石海峡大橋。

いろいろ観光して最後は姫路城。

成人式、おめでとう。後姿、お借りします。

姫路では無事開けたようで、よかったですね。

最近のお嬢ちゃんは、体格がいいので大振袖がよく似合います。


暖かい連休で楽に旅行できました。

事前に私はPCR検査、夫は年明けに三回目接種。二日くらい具合悪そうでしたが、痛み止めと漢方薬で何とか収まったようでした。やれやれ。

このコロナ禍、中世のペスト大流行のように歴史に残るのでしょうか。ペストでヨーロッパの奴隷制が崩壊したように、コロナが収まった後の世界は想像もできないことが起きているのかも。

しかし、今はコロナの終息がなかなか見通せません。私たちはもう人生大部分を済ませたのでまだいいけれど、子供たち、若い人たちはその時々にしかできない体験があるはず。行動制限され、人とも出会えず、こんなことは早く終わってほしいものです。

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JR西日本乗り放題2日目・2

2022年01月03日 | 旅行

もう去年のことになりますが、先月の25、26日でJR乗りまくりの一人旅をしました。

初日は広島から北陸新幹線の上越妙高まで。

すぐに引き返して京都山科宿泊。翌日は奈良を歩いて夜に帰宅。

旅行記は、先日は薬師寺まで。きょうはその後をまとめます。画像たくさん。


薬師寺から徒歩で唐招提寺へ。二つのお寺は500mくらいの距離。

バスの一日券で拝観料は300円オフとなりました。

南大門

金堂

開山堂

国宝の鑑真像の複製を安置しています。堂内撮影禁止。

境内、広いです。

山茶花?

境内。

格式の高そうなお寺でした。人はまばら。寒波が来て、風花が舞う歳末の唐招提寺でした。


広い道へ出て唐招提寺東口からJR奈良行きのバスに乗り、途中三条大路四丁目で降ります。

京都みたいな地名と思いましたが、都ではこちらが先輩です。

降りたところはこんな感じ。

何かの工事中で、ずっと歩いて行くと、復元された朱雀門が見えます。

この付近は平城宮の跡地。少しずつ復元されています。

朱雀門。なら旅ネットよりお借りしました。

朱雀門は、10年くらい前の映画「源氏物語 千年の謎」で、光源氏の父、桐壺亭の斂葬の儀のロケ地。

映画では松明を灯して夜。昼間だと現代の奈良の眺めになってしまいます。建物だけをうまく利用していました。

門を入ると左手に会復元された遣唐使船。

上がって見学できます。こちら厨房。

正使は甲板上の個室ですが、そのほかの人たちは船底に雑居していたとのこと。

船尾

小さい船です。この大きさで唐まで行ったのが驚きです。

上陸して長安までがまた遠い。

2000年、中国へ旅行しましたが、飛行機は広島~上海より、上海~西安の方が時間がかかりました。一時間半に二時間半くらいだったかな。

広い大陸の遠い遠い、長安でした。

続いて朝堂院へ。

またまた歩いて行く。広くて遠い。

朝堂院の向こうにまだ建物が見えます。途中に

線路があり、電車が来ました。

大阪へ行く近鉄の電車だそうです。

さらに行くと大極殿。

歩いても歩いてもきりがありません。人はほとんどいません。

寒くなるし、大極殿まで行って引き返します。


朱雀門近くに資料館があります。入場は無料。

いろいろな展示があります。

発掘された井戸の枠。

平城京は京都へ都が移たあとは農地になり、遺構がよく保存されたそうです。

屋根とそれを支える部材の説明。

伝統工法の工事は清水建設が請け負っているそうです。

昔からの大工道具で工事。

手前は槍鉋やりがんな。今の枠のある鉋の出来る前の鉋。表面に柳の葉のような独特の削り跡ができる。

手斧ちょうな。柱などの表面を仕上げる道具。

私が子供のころは、まだ実際に使っていた。

復元工事は、道具もまた新しく作ったことでしょう。

丸太をくりぬいた水路跡。

和同開珎と皇朝十二銭のうちの二つ。

鋳型に入れて・・・失敗したお金。

かまどと調理器具。原始的。

人形

人の顔を描いた土器は、穢れを払うためのもの。

木簡。紙はまだ広まっていなかった。

奈良のみやこびと。想像して復元。

手桶とひしゃく。

機織り用の糸巻き。

これは現在、手織りに使うものと全く同じ形。

手織りの技術がすでに出来上がっていたことに驚く。

棚田嘉十郎の像。

明治時代、私財と寄付金で平城宮の保存運動を始めた人。植木職人だったそうです。

この人の働きで1922年、国の史跡に指定されたそうです。


続いてならまちへ。奈良市内の古い町並みの残る地域です。

バスはJR奈良駅で降りて、市内循環内回りに乗り換え、田中町で降ります。

落ち着いた街並み、店は殆どありませんが・・・

蚊帳布巾の店がありました。

吉岡商店です。蚊帳布巾を少し買いました。ちょっとしたあいさつ代わりに使えるかなと思って。

そろそろ16時、寒くて暗くなってくるのでもう帰ります。

このバスチケット、とても便利でした。

東大寺、春日大社方面は便数多いのですが、薬師寺方面は少なめ。

でものんびりバスを待つのも旅情ひとしお・・・と言うには寒すぎる日ではありました。

今度は春か秋にきっと。


奈良駅前。

さて今度は奈良から新大阪へ。

どう行けばいいんだい?

田舎者には、JRと私鉄が複雑に入り乱れる関西圏の鉄道路線は難易度高い。

JR駅でどう行けばいいか聞くと私鉄に誘導されそうになったので、乗り放題チケット見せて教えてもらう。

奈良から大和路線で久宝寺まで。あとはおおさか東線で新大阪まで。

南下するのでずいぶん回り道らしいけど、私鉄や地下鉄が分からないのでJRだけで。

久宝寺で乗り換え、17:23の新大阪行きに乗ります。

 

向かいのホーム。

奈良から一時間以上かかって新大阪へ。あとは新幹線に乗るだけです。

奈良は大阪からも京都からもやや行きにくいところですが、それも平城宮が残った遠因かもしれません。

薬師寺、唐招提寺付近はひなびた感じの、まさにまほろばを思わせる場所でした。

また行ってみたいものです。

新幹線は15分程度の遅れ。関が原付近の積雪で、開業当初はよく普通になっていた記憶が。

やれやれ、18,000円乗り放題の楽しくも苛酷な旅行でした。

お正月に来た長男(鉄道大好き)にこのチケットはやりました。

長男いわく、智頭急行はJRにするつもりで建設していたけれど、・・・・どうたらこうたらで・・・第三セクターになったとか。

またこういう企画切符があれば旅行したいものです。

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団塊の世代

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