日記

日々のあれこれ

本いろいろ

2024年06月06日 | 読書

6月に入っても気持ちいい晴天が続きます。

お天気の間に用事を片付けます。銀行の後、歩いてゆめタウンまで。お中元の注文です。

早期注文で、20%のポイントが付きます。結局、数千円分になり、いろいろ買い物して、最後に3階の紀伊国屋へ。

本日は岩波新書2冊をポイントで買う。松岡正剛氏はこちらのサイトが有名。

松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

対談本です。田中優子氏はサンモニで着物着てコメントする方で、元法政大学総長。

楽しみに読みたいと思います。

世界はきのう出かけて、丸善の棚に在庫があったので買って来た。身近な話題が多くて読みやすかった。まだ全部は読んでませんが。

最近は本の感想書くのも面倒で、休んでいます。いつの日か再開できるといいのですが。


大河ドラマ関係の本も買う。左端の本ではあらすじが33回まで明かされていて、字だけで読むと無理に話を作ったようで興ざめの部分もあるけれど、俳優さんが衣装着て演技すると説得力があることでしょう。

最近の私、ビデオを見ながら2本の糸を撚り合わせて太い糸を作る。つづれ織り用に。一本で45分、2本なら一時間半、退屈単調な作業もはかどるというものです。

十二単衣、好きですが、京都の西陣会館の着付け体験は2万円近くになっていました。2011年には1万円だったのに。

ビデオ見ているうちに、登場人物につい感情移入してしまう。

もし自分がどの役かしてもいいのなら、中宮定子がいいけれど、なぜって、きれいな着物着てみんなが頭下げてくれるから。

でも後では不幸になって、お産の後、わずか25歳で亡くなるのでやめておいて赤染衛門がいいかな。

もの静かで賢くて、私にぴったり・・・

な訳はなくて、まひろ家の乳母、いとがはまり役かも。

「食べなくても太る性質で、これ以上ご迷惑かけられない」といとまごいをするんですよね。

今回のドラマ、初めのころはあまりの作り話について行けなくてよく見てなかったけど、10回くらいから面白くなった。例の廃邸の大河史上に残る(はずの)逢瀬のシーン。作り話もここまでくれば立派。宝塚のように女子のための大河ドラマかなと愚考しました。


この20年くらいかな?道長が源氏物語を執筆させ、その目的は定子にばかり向いている一条天皇を娘彰子に振り向かせるためという説が有力になった。私が若いころはこんなこと言う人はいたのかな。いなかった気がする。

寵愛を受けながら後ろ盾がなくて不幸になる桐壷の更衣、藤壺の面影を宿す少女が成長して妻になる話など、マスコミのない当時の人はフィクションの体裁だけど、身近な話として読んだことでしょう。

物語の力で天皇を振り向かせる。本当ならすごい力技である。言葉の力、物語の力はたおやかで強い。

不義密通で生まれた皇子が天皇の位につく。こんなスキャンダラスな話をよく思いついたものと、千年後の私は感心してしまう。

今、これと同じことが書けるかと言えば、全然書けないでしょう。昭和の時代、衝撃的な事件があり、それ以後いっそうタブー視されるようになったと思う。誰も書かない。日本人の心性の一番深い部分に関わっていると思うけれど、ふたを開けるのは怖い。ましてやそれを表現するなど。そんな感じでしょうか。

思うに、千年前の天皇制と明治維新から太平洋戦争敗戦までの近代天皇制はずいぶん違うのではないでしょうか。近代天皇制の方がうんと強権。民にとっては窮屈。

この時代の天皇制は、奈良盆地の南部、豪族の連合政権の中から生まれた牧歌的な記憶をわずかにでも残していたのかもしれない。皇位継承の果てしなきあらそいがあり、皇位に関する感覚も今の時代とは違っていたのかと想像する。

どんなものも、人間の性(さが)を押しとどめることはできない。人を好きになったり、嫉妬したり、憎んだりがものすごいエネルギーを生む。それが人の運命を変え、世の中を変えることもある。

それを掬い取った物語なので、広く受け入れられたのでしょうか。

その物語作者をかかえた権力者=道長。道長の権力を文化面から支えた源氏物語。今回のドラマはその解釈でいいのでしょうか。

うーーーむ、このことはまた考えます。

石山寺にはたくさんの絵が奉納されているそうで、その図録は20年くらい前に行った時に買った。NHKのテキストは12年くらい前。

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「隆明」だもの ハルノ宵子

2023年12月22日 | 読書

わずか一週間前に出た本。アマゾンに注文したらすぐ来て、もう読んだ。

大変に面白かった。ボリュームもあり、読みごたえもあった。

晶文社から「吉本隆明全集」というのが刊行中で(知らなかった)、その月報、他の媒体に書いたもの、吉本ばなな氏との姉妹対談、本人のインタビューからなっている。

著者は吉本隆明の長女で漫画家、1957年生まれなので現在60代半ばというところでしょうか。

漫画が本業の方の文章と思っていたら、いい方にうーーんと期待を裏切られた。ものの見方、人の観察など随所にきらりと光るところがある。これはお父さんから受け継いだ才能なのかもしれない。

私達の世代だと、吉本隆明は同時代に生き、発言する人で、著作は難しいのも多かったけど、「知の巨人」という位置づけ。

その人が家族から見てどうだったか、等身大の姿が、活写されている。

印象に残ったのは、吉本家には常に来客が絶えなかったこと、吉本隆明が大学などに属さず、著作業だけを貫いたこと、庶民としての生活態度を変えなかったことなど。全然ぶれない人だったようです。

吉本家は戸締りをせず、誰がいつ来てもよかったそうで、いつ帰ってもいい、いつまでいてもよいという開放的な家。子供のころは島尾敏夫、奥野健夫、江藤淳、村上一郎などがよく訪ねて来て、連れてきた子供と遊んで泣かしたり、赤ちゃんだったばななさんの顔を江藤淳がまじまじと見ていたり。坂本龍一も来ていたそうです。

娘への教えは「群れるな。一人がいちばん強い」ということで、世間が常識としているものに安易に同調しない態度は一生を貫くものだったとよく分かった。

また病弱な奥様の代わりに家事もこなし、娘二人のお弁当も作る。そのお弁当で姉妹の思い出話は盛り上がる。

また夏は伊豆で旅館を借りて海水浴するのが習わしで、初め、編集者、次第にそれぞれが知り合いを連れて来て大合宿のようになり、夜はお酒も交えてあちこちで議論が交わされる。って、すごいなあと思った。しっかり勉強していないと話に入って行けない。やわな神経ではいたたまれないだろうけど、その場面、見たかったと思う。

吉本に議論を吹っかけ、意見が合わず、来なくなる学者とか多士済々。そんな場面を見て育つのが教育になっていたことでしょう。

吉本は家族が騒ごうが、来客がいくらあろうが、うるさいと言わず、淡々と仕事していたそうです。うーーーむ、偉い。


でもどんな偉い人にも老いはやってくる。頭いいからって認知症を免れるわけではない。それも淡々と書いている。同居するハルノさんが親の身の回りの世話をし、ばななさんは親二人を病院の個室に入れるため、仕事をたくさん受けて金銭面から助けていたそうです。

7歳違いの姉妹はお互いを認め合い、いい関係に見えます。

なんかとてもいい本を読んだ気がする。自分の中で、ああ、こういう人だったのか、こういう家族だったのかと納得したというか。姉妹は、吉本が書くこととすることが全然ぶれてなくて尊敬しているそうです。またどこにも属さず、一個人として仕事をする姿勢はそのまま受け継がれているのでしょう。

全集は今も刊行中で、一冊6千円と高価らしい。なかなか買える値段ではないけれど、根強いファンがいることでしょう。

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「夫に死んでほしい妻たち」小林美希

2023年12月19日 | 読書

再読。

著者は新聞社勤務後、フリーのジャーナリスト。結婚、雇用などの問題を取材、執筆。著書多数。

これは2016年刊。分かりやすい題名につい買ってしまった。中身は今の社会での女性の生きづらさの実例を、著者の感想はなるだけ控えて集めている。

家庭の中、夫婦仲は傍目にはなかなか分からないもの。本音トークの数々を読んで、それぞれ葛藤を抱えて生活する様子が、面白いと言えば失礼。

自分を振り返り、これからの指針として読んだ。

初めて読んだのは60代、今は70代なので、「死んでほしい」と願う妻の気持ちがより分かるようになったのかもしれない。

新しい人ができたのならともかく、私たちの世代ではもう手続き自体が面倒。そう思う人も多いのでは。

先日の友達の話。

娘さんから「お父さん残して死なないでね。あんな粗大ごみ、私は面倒見られない」と言われているそうな。

私たち世代では慣れ親しんだ暮らしへの愛着が大きく、配偶者はその一つのアイテム。信田さよ子さんの本にもあったけど、結婚というのは制度なので、愛情がなくなっても、その制度のいいところを利用すればいい。離婚に少しでもためらいがあれば、カウンセリングに来た人に勧めない。とのことでした。

70代になって、夫への若い時からの恨みつらみを晴らしたいと思う人もいるのですが、認知症になって相手が分からなくなってからでは遅すぎる。それで、ささやかな恨みの晴らし方の実例。

夫の味噌汁に雑巾の絞る汁を入れる。

夫の歯ブラシでトイレ掃除をして元に戻しておく。

悪いことですか?

よくはないけど、そこまでされる夫の側の悪行の数々、不倫、DV、金遣いの荒さ、威張り散らすのに比べたら可愛いものだと私は思う。そのくらいのことしか女は出来ないんですもの。

そして究極は「畳の上で死なないでほしい。高級車にひかれて1千万円でも稼いで死んでほしい」と思うそうです。

私ですか?

そんなことはしないし、思いませんが、30代、連日、あまりに夫の帰りが遅く、帰宅後、日付が変わるころの遅い夕食、人の話は5分も聞かず上の空の時は結構追い詰められていましたね。

仕事だと分かっていても、さすがに温厚でおとなしい(←どこが!!)ので有名な私もキレて、お茶碗にご飯を半量、塩を思い切りかけて、残り半量部で蓋をして「どうぞ」と出す。

出した後で、「塩辛いーー」と怒ったらどうしょうと一瞬後悔したけど、平気な顔で食べていた。

どういう味覚???

上司の方は、奥様がボウルにご飯もおかずも汁物も全部一緒くたに入れて、「どうぞ~♡」と差し出して来たそうな。

猫まんまや。それほど苛酷な職場だったということで。もちろん妻たるもの、そんな夫を支えますが、感情レベルでは時々発散しないとね。

日曜日は家族でどこかへ遊びに行っても、15時頃から職場へ。帰るのはやはり深夜。

子育てを隣の姑に頼るという発想がなかったし、実親は遠いし。幸い私も三人の息子も健康だったので何とか乗り切れました。


この本では共働きの女性の大変な話が多かった。大家族で嫁姑の苦労の話は若い世代にはなかった。しみじみと時代だなと思い、どの時代にも女性の生きづらさがあるのだと思った。

終わりの方で、夫婦同姓を国が強要しているので、女性の地位が低い面もあるとの指摘。私もそうだと思う。いまだ広く家意識が抜けないのはこの制度のため。

希望する人には別姓の道をぜひ認めていただきたいもの。全員が別姓を強制されるんじゃないんですからね。反対する人は、そのような誤解に導くような言い方、していませんか。


昨日嫁ちゃんにラインしたら、13歳の孫の着物姿の写真送ってきた。

浴衣や着物が好きだそうです。

嫁ちゃんの友達の家で着せてもらったらしい。背が高くなってとてもよく似合っていた。その写真は差しさわりがあるので、2歳ころの写真を。

活発な子でした。今はしっかり者。

先日の弟の運動会では、体育館の休憩コーナーで未就学児の知ってる子、知らない子を集めてまとめて面倒見ていた。臨時の保母さん。

バババカ深謝。

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「織と文」 志村ふくみ

2023年12月03日 | 読書

先週、岡山の伝統工芸展でギャラリートークをしていた織物の作家さんは、明るい黄土色(日本の色名はあるはずだけど)の紬の無地、家紋入りの着物に、昔風の細かな柄の帯姿だった。

自分で織って自分で仕立てた着物だと、来館者の質問に答えていた。素晴らしい。伝統的手仕事の世界。

「志村ふくみ」さんに織りを習ったとのことで、名前はかねてから知っていたけど、古書のこの本をネットで買った。

元値は5千円、安く買えてよかった。大きくて重い本でした。

主に日本伝統工芸展に出品した作品を掲載。とても素晴らしい作品の数々。

すべて草木染、手織り。

余り大きくすると著作権的にまずいと思うのでこの程度で。

作品とエッセイ。

著者は近江八幡の生まれだそうで、夜の琵琶湖の湖面に明かりが揺れているさまを表現。

エッセイは心象風景を古典文学などを引き合いに書いていて、制作についての説明はありません。企業秘密?

エッセイはパスして作品の方だけ見ました。

私は織りをする人間なので、糸の種類、染料の種類、作品の縦横の長さ、筬目、完成までにかけた時間などの情報が欲しかったけど、それは今は会社組織になった工房の門をたたいて習いに行く必要がありそうです。

10人ほどの定員、試験があり、お稽古代も私立大学の授業料くらい?高いというよりも、不退転の決意で習うに適当な価格かと思います。

私みたいに、良心的なお稽古代で遊び半分以上で習っていたのではなかなか身に着きません。先生には悪いことしました。

すべて草木染めらしい。草木染と言えば地味な色合いを思い浮かべますが、きれいな色ばかり。明度はそこそこ、彩度が高い色の数々。こんなきれいな色がよく出せるものだなと感心しました。

作品作りで一番難しいのは糸を染めることかなと想像します。ある程度の量の染料が必要で、色止めがまた難しい。ずっと同じ色を保つのはよほど媒染がしっかりしているのでしょう。

不思議なことに、化学染料で染めたのとは違い、作品を自然の中においても自然の一部のようによく馴染むように思います。それを纏う人間も、自然と一体化し、昔からの手技に触れて遠い先祖からの末端に連なる感覚。

着れば心も体もリラックスするのではないでしょうか。メルカリで中古で200万円前後。これも技術と作る時間を思うと一概に高いとは言えないかなと思います。でも帯はどうする?そのほか小物も。

私が好きなのはこの二つ。

前もって糸を染め分けておく。絣の一種。

色の組み合わせが好きです。

水と草原を連想。

志村ふくみ氏は現在99歳。お嬢さんとお孫さんが織りを事業として発展させ、京都には工房とショップ、東京にも工房があるそうです。

確か、文化勲章も受賞しているのでしょうか。機織りの技術は弥生時代に大陸から伝わったと言われています。その時から原理は全然変わっってないし、平城京跡から出土した織道具も今も使えそうですが、古い技術にその時々で新しい感覚を盛り込み、織は人類の続く限り続いて行くことでしょうう。

素晴らしい手仕事に感動しました。

私は「きれいに織るだけなら伝統工芸。伝統工芸じゃないんだから」と言われていますが、きれいにさえ織れない私。。。。

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本2冊、死に方について考える

2023年12月01日 | 読書

最近読んだ2冊。

どちらも死に際しての深い話で、死ぬことが昔よりも身近になった今、伴侶の死、患者さんの多くの死を体験した人の話はとても参考になりました。

加賀乙彦、津村節子両氏はそれぞれ伴侶を失って間がない時の対談で、まだ悲しみが癒えていない語り口に、限りない愛情を感じた。文学者らしく、自分の思いと向き合いそれをきちんと表現しているので、その時の心構えも少しは出来たと思うって、夫を見送るつもりにしていますが、98歳まで生きた姑の息子、腰が痛いだけでどこも悪いところがないし、私が見送られることになるかもしれません。

もう一冊は、東大病院その他で外科医をしていた著者=森鴎外の孫が、訪問診療の現場に移り、在宅死の患者さんを何百人と見送った話。

人はどんな最後がいいのか。

たくさんの実例と統計資料、医療行政などにも目を配り、その人の希望に寄り添いながら、無理な延命治療をせずに、家族も納得いく最後を模索する話。

小堀鷗一郎医師のドキュメンタリー番組はNHKで放送されてみた記憶がありますが、映画にもなったらしい。知らんかった。

小堀鷗一郎医師ご紹介|地域医療センター|堀ノ内病院 (horinouchi-hp.com)

NHKの番組で印象に残ったのは、全盲の娘さんが末期がんのお父さんの介護をしている場面。なんか温かいものを作ってゆっくり運んでいる。

患者さんは小堀医師に全幅の信頼を寄せていて、庭の大きな柿の実が熟れたら先生に上げたいと、そればかり言っていた記憶。確か百匁柿とか言っていた。

臨終後、お父さんにお礼言わなかったと娘さんが言うと小堀医師は「親子なんてそんなもんだよ」と発言。そうなんだ、それでいいんだと私も納得した記憶がある。

わが父も末期がんで、死ぬのは家の仏壇の前と主治医に頼んでいたらしい。最後に意識が亡くなってから、「今家に帰れば楽に死ねます」と医師に言われて、その時、たまたま病室には私しかいなくて、「いえ、こちらでお願いします」と反射的に言ってしまう。私は51歳、まだ死と縁遠い年でした。

意識が亡くなる前に連れて帰れば喜んだかもしれないけど、何もわからなくなってから言われても遅すぎるとも思った。

病院、または家で死ぬのはいいけれど、搬送途中で亡くなるといろいろ大変らしい。それで医師も断念して「最後まで診させていただきます」と言ってもらえた。

その時は先生の意図が分からなかったけど、この本読んで父に強く頼まれていたのかもしれないと思い当たった。

でも治療をいろいろしている時には止めて連れて帰る決断ができないのです。家で受け入れる条件の調整がついていなかった、家族が父の思いを受けて準備していたわけでもなかったのです。

死に際しては百人百様、どれがいいかは一概に決められ無いけれど、小堀先生は一つ一つ、どうすればいいか、寄り添って考えている。そこが素晴らしいと思った。


昭和30年代初めまで、年寄りは家で亡くなるのが普通だった。

小学一年生の冬休み初日、隣のお婆さんが亡くなって、母が私を呼びに来て、亡くなったばかりの枕もとで、「白骨の御文章」を上げるように言われて、読んだことがある。手渡された和紙綴じのお経本は旧仮名遣いで読めないところもあったけど、私は家で毎晩お経上げていたので、読むふりして何とか済ませた。

祖父が仏壇にお参りすると10円くれていたのです。10円は貯金して千円になると農協に預けていたのかな。何しろ古い話です。

おばあさんには木綿のかけ布団が掛かっていた。藍色で、絵絣で、詰めかけた近所の女性は殆どが着物姿。昔は冬は着物着ている人が多かった。

冠婚葬祭、生まれてから死ぬまで節目の行事は家で。共同体が総出で行事をこなす。7歳の私も訳の分からないまま、枕元に駆り出される。

時間は逆に向いて流れないけれど、日本昔話みたいな臨終の様子を今日は思い出していた。


午前中、友達が来て話をして機織りせず。午後から風邪気味で本読んでいた。

風が強くて寒い日だった。毎年取り寄せる干し柿が今日届いた。生産者直売。20個で1,200円と激安。この時期、あいさつ代わりに人に上げるのに重宝しています。

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「日本近代文学の名作」吉本隆明

2023年11月09日 | 読書

本当に久しぶりに吉本隆明を読んだ。

毎日新聞に2000年から翌年にかけて、毎週連載していたのをまとめたもの。

亡くなったのは2012年だけど、この頃には視力が衰えていたとのこと。口述したものを記者が編集。それを本人が校正して原稿を作っていたそうです。

新聞の読者向けでもあるし、短い字数の制約もあり、簡単にそれぞれの作家のエッセンス、文学史上での位置などに触れているけれど、そこはさすがの吉本氏、無駄な部分がなく、分かりやすく、かつ深い。

この私も、難解な長い評論も昔は読んでいました。

きっかけは何だったかな・・・友達の彼氏が愛読していて、友達からもよく聞かされていたから負けたくなくて手に取ったのかもしれない。

正門周辺の何軒かの古書店には「共同幻想論」や「言語にとって美とは何か」とか、よく出ていた。

読んだわけは、男の子と喫茶店へ行って、話のタネの一つにでもというさもしい気持ち。その種のめんどくさい男子とは付き合わなければいいのですが、そこはそれ、背伸びしたいお年ごろ。

今同居している人ですか?昔も今も本はあまり読まない。クラッシックならよく聴く。心が健全な実学主義者。


久しぶりの吉本節は、枯れてこなれて大変読みやすかった。

晩年はサブカル系の人と対談して、それが本になったのが多かった。ブレイクを助けていたのでしょうか。でも弛緩した感じで、私は面白く読めなかった。水と油と言うか。もう新しいことはしたくないのかなと、離れてしまったけど、こんな地味でいい仕事もしていたんですね。

余り期待していなかったけど、近代文学の名作について過不足なく魅力を紹介していて、ほんとどは10代から20代初めころまでに読んでいるけど、また読みたいなとも思った。

次はこれを読むかな。

大阪的・・・は古書をネットで購入。

切符が挟み込まれていた。近鉄の特急券。

本町辺りにあなたはいると~♪って、本町ってどこ。大和八木は奈良県でしょうが。関西の鉄道に疎い私。東京はもっと分からないけど。

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「福田村事件」、「日本のデザイン」

2023年11月07日 | 読書

最近読了した本。

どちらも新しい知見、視点が得られました。

日本の財産は美しい国土、それに育まれた独特の感性と美意識。資源の乏しい国だけど、新しい製品、新しいイメージを世界に向けて発信できる。そう提唱する。著者はデザイナーで仕事の幅は広く、長野オリンピックの開、閉会式のプロデュース、愛知万博のポスター、企業のアドバイザー、各種展覧会の企画など工業と美術を繋ぐ架け橋としての仕事をたくさんしてきた人。

日本人の感受性は繊細、丁寧、緻密、簡潔。それを自覚することで経済も文化も次のステップに行けるそうです。

しかし、今の工業製品がとんでもないことになっているのをいろいろと知りました。人に優しいハイテクとでも言えばいいのでしょうか。

繊維、素材、日進月歩の新しい工業製品を世界に向けて発信する。やっぱりこの国は先進技術で勝負するしかないと思います。各分野はそれぞれ専門的な話もあるでしょうが、普通の暮らしている私のようなものには入門書としては最適。10年くらい前の本なので今はもっと先鋭化していることでしょう。

しかし経糸、緯糸のほかに斜めに交差する糸で織る繊維って、その織り機を見たいものです。豊田佐吉翁もびっくり。


福田村事件は、今年が関東大震災からちょうど一世紀で話題にもなり、映画にもなりました。暑くて家にこもっていて、私は見損ないましたが。

香川県から千葉県に薬の行商に行った人たちが、朝鮮人と間違われ、1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村で、惨殺された事件は、私はこの映画が話題になるまで全然知りませんでした。

著者は旅行作家の文章教室で学び、フリーライターの後、福田村事件を独自に取材し、学術誌に発表、後にこの本のもとになる著作を出版。版元の倒産で絶版になっていたのが、今年別の会社から出されるという数奇な運命の著作です。

2日で読みましたが、朝鮮人、社会主義者、日本人の虐殺は福田事件だけでなく、千葉県だけでもたくさんある。それを読むうち気分が悪くなって胸が苦しくなったけど、真実を知りたい気持ちが勝って、最後まで読みました。

歴史の教科書などには民間人の一部が起こした事件と読める記載ですが、9/3には内務省が各地方の(軍隊の)長官宛に朝鮮人が暴動を起こしていると打電しています。

実際に軍隊が出て朝鮮人を捕まえたり、警察と自警団が一緒に検問したりと、公権力が積極的に関与した史料も残されている。そしてその史料は探せば今でも出て来ると言う。

そして福田村事件である。渡し船に荷車を載せるときに船頭と揉め、船頭が半鐘を鳴らして「朝鮮人がいる」と言い始めたそうな。香川県人が関東に行けば、そりゃ言葉は違う。それで殺されるなんてあんまりである。

手に手に道具を持って集まる村人。その数、数百人とも。日本人と言っても聞き入れられず、惨殺される。

行商人と言うので何となく年配の人を想像していたけど、大人は全員20代、6歳、4歳、2歳の子供に胎児まで。胎児を入れると10人の犠牲者。

後に裁判になったけど、刑が確定した犯人にはカンパが集まり、農作業も村中で手伝い、やがて天皇の代替わりで恩赦になって全員釈放されたそうです。

乏しい史料から真実を明らかにしてきた先人に加えて、著者の仕事は意義が大いにあると思う。

虐殺者を断罪するのではなく、それに至った経緯、原因を明らかにして今の時代、日本人全体で共有しなければならないと私は思う。

著者は言う。背景にあるのは朝鮮人差別、被差別部落民差別、そして職業差別。

げに差別ほど怖いものはなし。人をレッテルで判断して卑屈になったり、尊大になったりは人間の弱くて愚かな部分。そういうものをすべて取り払って、人として向き合いお互いを尊重する。それを目指したいと思う。


昨日の会はとても雰囲気がよかった。偉い先生か親身に指導してくれた。これは高校までの学校の雰囲気。目指すところは一つ。教えたい、教わりたいがかみ合った時に生まれる親密な空気。肩書全部取り払って、いいものを作りたいという目標は一つ。それだけ私が年取って素直になったのかもしれないけど。

しばらくはこの学校で頑張ります。

次に読む本。余った時間で少しずつ。

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団塊の世代

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