やっと始めました。本日は整経の前の糸の準備。一つの色に最低2巻ずつ準備。
デザインはいくらしても定まらないので、最早、見切り発車。
織ながらおかしいと直すかも。直しにくいけど。
2倍の長さに織り、逆向きに綴じると左右対称の経糸の配列になる。今回はそれで行きます。
織るまでの作業が楽になることを期待しています。
やっと始めました。本日は整経の前の糸の準備。一つの色に最低2巻ずつ準備。
デザインはいくらしても定まらないので、最早、見切り発車。
織ながらおかしいと直すかも。直しにくいけど。
2倍の長さに織り、逆向きに綴じると左右対称の経糸の配列になる。今回はそれで行きます。
織るまでの作業が楽になることを期待しています。
立春も近くなって、陽射しも少しずつ春めいてきました。
昨日に引き続き、日帰り温泉へ行き、今日は食事してきました。
久しぶりです。新型コロナの前に行ったきりなので、かれこれ5年ぶりということになる。
あのコロナ禍の中でも毎日の暮らしはあったはずなのに、今となっては緊張の日々の記憶がほとんどない。多分この温泉も閉鎖していた時期もあったと思う。
久しぶりに行って見ると、食事のメニューは変わらないけど、休憩室の辺りが大きく様変わり。以前あった理美容室は撤退、スマホの充電できるテーブルが増え、一人掛けのソファも設置、倍くらいの広さになっていた。
食事のあと椅子に掛けていたら転寝してしまった。家ではするべきことが目に付いてくつろげないけど、靴を脱いで座っていると心がほぐれてくる。
午前中は30㎝までの糸の配列を決定。朝、追加の糸も来たし、明日からいよいよ整経をする予定。
寒さも折り返し地点、来月になると春らしい日も増えることでしょう。春よ来い、はあやく来い~
昨日テレビを見ていて「妻の願った最後の七日間」という曲があるのを知った。
クミコ / 妻が願った最期の「七日間」 (youtube.com)
朝日新聞の投書記事が元になって出来たものだそうで。当時はずいぶん話題になったらしいけど、知らなかった。そうそう、私は夫の介護のサポートで、何かと忙しかった2018年だった。
妻が願った最期の「七日間」 投書にこめられた夫婦の物語 (withnews.jp)
歌詞が余りに身近で身につまされた。
私が同じ立場になったらたぶん似たようなこと考えると思う。
料理を作るのはあまり得意でないし、冷凍したもの残されても夫は食べないかもしれないけど、ため込んだ古布に紅絹は捨てきれずにたくさん持っている。片付けないといけない、そう思いながら今は一日伸ばし。
織りかけのマフラーってどんな感じ?
編みかけでなくて織りかけって・・・平織りはマフラーに向かないので綾織り?なら卓上機は難しいので高機でしょうか。と、つまらないことに引っかかる私でした。
大塚博堂ですか~いい歌を書かれる人でしたが、早世しましたよね。生きていればもっともっとたくさん歌を残したことでしょう。残念です。
この歌詞は、私たち世代の女性の幸せがどこにあるか教えてくれるものではないかと思う。
料理して家族と過ごして友達と過ごして、好きな手芸をして、夫と昔行った場所へ新たな気持ちでドライブをする。
すべて何でもないことだけど、人生の日々は無限にあるわけではなく、それを知っていながら普段は無為に過ごしてり、感謝の心を忘れている私。
もうあとがないと分かれば、おのずと感謝の心が生まれてくるでしょうか。そうありたいものです。
今日夫と話したこと。仕事やめたら実家の荷物片づけて建物のことも含めて、私と子供たちに迷惑かけない形にしてほしいと頼んだ。
市の大型ごみ処理センターへもっと早くから持っていくべきでしたね。私も三度くらい自分で運転して行ったけど、今はもう億劫。
歌をきっかけに自分の人生の終え方を考えた。胸につまされました。一日一日大切にしなければ。
蝋梅、フリー素材より
やれやれ、昨夜はモンゴルの自然の番組を面白く見た。元々海だったところが盆地になり、周りの山から川が流れて来て湖たくさん。それが草原を養い、牧畜に適しているって・・・勉強になった。
山はインドがユーラシア大陸にぶつかって出来たもの。ヒマラヤの奥にも延々山ができているそうで。
そのあと録画した番組2つ見て、23時頃から通帳の内容の確認など最後の作業。霧が晴れるように分からないことも少しずつ分かってくる。夫が実家の遊び場から帰宅したので捉まえていろいろ聞く。風呂場の外から声かけてさらに聞く。本人嫌がっていたけど、長引かせるのは悪手、で、しつこい私。
あれこれを照らし合わせて、疑問はほぼ解消。
機械などリース契約の時、カード払いに誘導され、そのたびに新しいカードを作るらしい。カードはどれもよく似た名前。混乱する。サポート代も月々積み重なると大きな金額に。
でも山場は越したのでせいせいした。後はデータ各種をCDに落として、税理士事務所と税務署にいろいろ持って行けば今年の仕事はとりあえずおしまい。やれやれ。
夕方、下の孫からライン。
総合科の宿題で、初めて話した言葉をお家の人に聞いてくるというものらしい。ママに聞けばいいのに、たぶん聞いたと思うけど、私にも聞いてきた。
アトピーだったので「痒い」が初めに憶えた言葉とお父さんが言ってたよ。ママが歯の治療で入院して、お姉ちゃんと二人でうちに泊まった時、二つ並べたベッドのマットレスの間に脚を入れて「**クン、脚ないよ」と言った後「あったあ」と見せておばあちゃんと遊んでくれたよ。と返事した。すみません、バババカ全開で。
あの時は二日して我が家に迎えに来たお嫁ちゃんが、「家の近くまで戻ったら話し声が聞こえて、**クンあんなにしゃべらないのに」と思ったとか。子供って環境変わると階段を上がるように成長するのでしょうか。
ママが帰ってきて、二人が玄関まで跳んで行って嬉しそうにしがみついていた。お嫁さんは厳しい親に育てられたので、自分は子供に優しく、したいことをさせたいそうです。二人はたいそうのびのびと。我が子育てを、あまりに遅いですが反省しています。
午前中買い物、午後から機織りのデザイン、少し変更。
只今14時半、まだ昼ご飯食べてない。
夫が13時頃帰宅したので昼ご飯作って食べさせ、私は再び作業していた。
夫は今日は仕事が忙しく、前かがみの姿勢もして、腰が痛いそうな。
いつまでできるのかなあ・・・と暗澹。
経理事務していて思うことは、最近は出入りの業者さんの名前がすべからく外来語風。昔は漢字の分かりやすい名前。何をする会社かすぐわかったのに。月末には外回りの人が集金に来て小切手渡していたのに。細かなこともその人に伝えれば話が早かったのに。
今は手続き煩雑、リースいろいろ、連絡先多数、夫と情報を共有していないので、何をする会社かさっぱり分からない。この先、いきなり私が片づけることになったらどうする?。考えるだけで億劫。しかし永遠に続けるわけにもいかないし。
申告用資料はあとは通帳の確認だけになった。毎月、振込先など私が確認しておけばいいのですがつい後回しにして、毎年今の時期に謎の振り込みいろいろに気が付く。
聞いても本人あやふや、忘れている。私イラつく。ここからだいたい夫婦仲が怪しくなり始める。義父母も税金のことではたまに揉めていた。税務調査もたまにあり、大変そうだった。でも今になれば懐かしい。その人たちのいた気配が。
月末までには仕上げて、糸も注文して、いよいよ来月は機織り月間になりそうですが、風邪ひかないよう、煮詰まらないよう、楽しいことも織り混ぜつつ頑張りましょう。
庭でクリスマスローズが咲き始めましたが、写真撮る余裕もなく、ネットからお借りしました。
皆様、いい週末をお過ごしください。
近所の激安スーパーで激安シンビジュームを買いました。
どんな花かとご心配の向きもあろうかと存じますが、
玄関の寒さでカメラが結露したみたいで写真は残念ですが、花が4本くらいあるのはお分かりかと。
岡山県に本店のあるスーパーで、あまりの激安ぶりに開業当時、全国ネットのニュースステーションで取り上げられたほど。現在諸物価高騰気味ですが、どういう仕入れをされるのか、たまにこんな商品を売っています。
今年になって水彩画再開。これは絵に描くつもりです。
先生は亡くなられて、同じく画家の奥様に教えていただきます。アトリエには遺作が立てかけられ、その前に机を置いて写真、お供え物を置いてありました。
手を合わせてから久しぶりりの水彩画でした。今年も合同展をするそうで、機織りの搬入時期と重なるので段取りよくしないといけません。
織りはデザインが終わっただけなのに、一仕事したみたいでホッとしています。
読んだ本と読んでる途中の本。
前みたいに感想をいちいち書く余裕がないので写真だけ。何も予定がなくてきちんと片付いた明るい部屋のコタツでゆっくり本を読みたいのですがなかなかどうして。
だいたいの日、寝る前に読む。真ん中くらいまではもたもたして、最後は一気に。でも以前に比べて本は読まなくなった。本も高くなってのでネットで中古を買うか、借りてくる。
串田孫一は正価で買った。私の若いころ、深夜のラジオ番組を持っていたように思うのですが、違ったかな。
テレビもましてパソコンもない昭和の寒い下宿。暖房はコタツだけ。夜更けて寝る前のラジオ番組がしみじみと心に染みた。いえ、あれは別の人だったのかも。記憶あいまい。
自分も聞いていると、高校時代の男友達から手紙に書いてきた。あれも私の記憶違いかも。遠き日の記憶は茫々と。
ただ冬の下宿の部屋の寒さだけはよく憶えている。
ある方のブログで、トイレの換気口を塞いで寒さ除けをした記事が。
そういえば我が家にもある。昭和時代の木造住宅は住人と一緒にすっかり年取りましたが、換気口・・・意識したことなかった。
開け閉めするものだとも認識してなくて、どうやら開いたままらしい。
踏み台持って行って閉めようとしても硬くて全然動かない。今度は金づちの細い方で叩いてみるとつまみは廻らずに横に動いて閉まったようです。
やったあ~。これで少しは暖かくなるでしょうか。
知らないというのはつくづく恐ろしい。40代後半の長男が赤ちゃんの時に建てた家です。ずっと放っておいたなんて。
ついでにこちらも。
機織り部屋にしている和室は、元々リビングに隣接する畳コーナーのつもり。
1989年に増築した部屋です。仕切りがないのでツッパリ棒と冬用シーツで間仕切り。
暖房効率は良くなりましたが、この向こうは寒くて行きたくない。それでなかか次の織りに取り掛かれません。
初めて広い幅の織り機を使う予定。それが不安で始める前からめげている。
機織りをせぬものこそ幸いなれ。なんでまたこんなめんどくさいこと始めたのかと、きょうは気持ち後ろ向き。
織り始めて柄が顕れると元気が出ると思いますが。
試し織りが4枚、1枚はまだ織り機から外していない。それに1か月、お正月明けからデザインを考え始め、本日やっと終わった。
時間がこんなにもかかったのは、初めからエクセルに色を付けて細かなところまで考えようとしたから。
色のコピペに時間がかかる。初めは紙に鉛筆書き、まとまったら色の配置を見るためにパソコンに入れ、また紙の上で手直し。それが早いことが分かった。
この教訓を次には生かしたいものです。
例年なら、申告の資料揃えて税理士事務所に渡している頃。今年は申告関係は何もしていない。菓子箱いろいろに突っ込んで、チェストの上に積み重ねてある。この体たらく。
明日は給料日なので、源泉票をその中から発掘し、明細と一緒に手渡す準備。
夫が自営業を始めたのは昭和の終わりの頃、私は華の(華でもないけど)30代。初めは経理のケの字も知らなかった無知な私。用語の意味も全然わからず、見よう見まねで、人にも教えてもらい何とかやってきました。初めのころはパソコンもなく、ネットもなく、それでよくやってきたものだとあきれるばかり。
経費帳だって昔はノートに手書き。手書きだと後からレシートが一枚出て来ても書き足すのに四苦八苦。エクセルならそれも一瞬。
畳の部屋の広い場所にレシートを並べていたら、幼稚園児の三男が遊んでシャッフルしてくれたことも。
でも、もう根も尽き果てた。夫も年だし、ゴールは近いはず。頑張れ、婆ちゃん。
せっかくリアクションいただいてもなかなかお尋ねできずすみません。暖かくなるころには何とか機織りを仕上げたいものです。
備忘して
高校時代の友達♂に寒中見舞い出す。2018年に数人の同窓会をして早や6年。今年は集まれますように。
春に友達♀と旅行する。今回の幹事は友達。宿と旅程はお任せ。ネットが苦手とのことで、桂離宮の予約は私が取った。人数に余裕があったら、当日の申し込みでも見学可能のようです。
股関節は今のところ治っているので、無理をせずに春の旅行に備えます。
昨日は愛知県の息子の家に日帰りで出掛けました。ちょっとした用事ができたのです。
名古屋から名鉄で約30分、駅まで迎えに来た息子の車でまずは家に。
昼ご飯には早いのでしばしの歓談。
「あの木にウグイスみたいな鳥が来る」と息子。
「メジロじゃないの。目の周りが白くない?」
「分からん」という間もなく、メジロが3羽飛んで来て黒い木の実をついばんでいます。
そうこうするうち、近くの実家へ行っていたお嫁ちゃんが帰宅。
「黒い大きな鳥も来るんです」と言っていたら、今度はヒヨドリが。
最後に雀くらいの名前の知らない茶色の鳥も来ました。
まさに野鳥の楽園。山が近いので、いろいろな鳥が来るようです。
三人でしばらく野鳥観察。癒されるう~
昼ご飯はこちらへ。
メニュー|岡崎市の和食なら魚信(うおのぶ) | chaoo.jp
私は鰆の西京焼きの釜めし、息子たちはそれそれ別の定食を。
写真はサイトよりお借りしました。
食後はお菓子を買って再び家に戻り、歓談。15時になればそろそろ帰る時刻です。その前に近所の産直市場へ。
とても広い売り場、花、植木などもあり、夫の好きな八丁味噌の小袋をお土産に買いました。
行きはよいよい、帰りは寂しい。次はいつ会えるのかな。と思いつつ、2人のあとをついて行く。
元気で仲良く暮らしているようでまずは安心。コロナ以後、息子は在宅勤務が増えたそうで、しっかり料理もしている様子。相談しながら野菜など買っていました。
この後、名古屋市内で友達に会い、話をして、のぞみで帰宅。朝は雨で寒かったけど、午後から晴れて暖かかった。明日から寒くなるそうで、やっと本来の気候になるのでしょうか。
この寒さ、被災地の皆様、どうぞ気を付けてお過ごしください。一日も早く元の生活に戻れますように。
夫は今日ついに整形外科を受診したけど、受診しても痛みは劇的によくなるわけでもなく。気の毒です。故姑が生きていればどんなにか心配したことでしょう。
動けないので本来なら男がする仕事も私がする。台所の流し台の上の蛍光灯が点かないので、踏み台持って行ってグルー球と蛍光管を変えたら明るくなった。
ついでに夫の前で両脚の屈伸をして見せて顰蹙を買う。低い椅子から片足で立ちあがって見せてさらに顰蹙
腰痛、ひどくなる前に何か手立てはなかったのかと、今になれば歯がゆい思いです。他の皆様はどうしているんでしようか。耐えるしかないんでしょうか。
気の毒です。
先日来、夫が無口なので機嫌悪いのかと放置していたら背中が痛いそうで。
腰が痛くてかばううち、背中が痛くなったそうで。大変です。故姑が聞けば、さぞや心配したことでしょう。
本人、特大の湿布を持っていて、上下2段に貼り、痛み止めも飲んでいるという。
頼まれて湿布を張るとき、背中の小さな突起に気が付いた私。
本人曰く「キハイ」だそうで。
何それ、私知らんよと思ったら「亀の背中と書く。亀の頭なら知ってると言うんじゃろ」と埒もないことを。
大変です。この人、そのうち亀になるのかあ~
と思ったけど、ちゃんとした医学用語らしい。ネットにも図解がありました。
こんな場合、普通は医者にかかると思いますが、いくら勧めても頑として聞きません。自力で直そうと頑張ってますが、前にしゃがめないとか、朝起きたとき痛いとか、すでにいろいろ支障が出ています。
山歩きも旅行もその気にならないのでしょう。出かける話が全然出て来ません。このまま年寄へりの道を歩むのでしょうか。
元々腰痛持ちに加えて姑の在宅介護に頑張った結果でしょうか。身長があるので、かがんで介護するのが次第に体のダメージになったのかなと、可哀そうです。私は気安く「親孝行はしてしすぎることはない。嫁の私がしても当たり前すぎて誰も目に留まらないけど、息子がすると世間は感動するし、お義母さんは喜ぶし」と言っていました。
無責任でしたね。初めから反対すればよかったけど、介護するなと言えなかったのです。
包括支援センターの人に施設に入れるよう強く勧められたのに、「子供のつもりで面倒見る」と約8か月、歩けない人の介護を自宅で頑張ったのです。最後は腰が痛くなってギブアップ、施設にお願いしました。
介護で無理してはいけないとつくづく思っています。美談にしてもいけないと。美談の裏には必ず無理があるからです。
夫は他には病気のない健康な人なので、姑の年まで生きるとしたらあと20年以上あります。何とか痛さと折り合いを付けてもらいたいもの。
お見舞いの花束をば。
配色をざっと決めて・・・
通し方を考える。考えたのは紙に書き、整経の時に見る。
しかし、間違えずに出来るかどうかは不明。
120*5*4=2,400本の糸の配色。道遠し。
日曜日は友人を誘って陶芸の遺作展に行きました。
昨年8月に続いて第二段、今回は湯呑を買いました。薄くて軽くたっぷり入り、縁が反り返っているので持ちやすいのです。
陶芸家は昨年亡くなり、市内で開業医をしている妹に当たる方が主催。
友人は小学校時代の同級生で、58年振りの感動の再会をしていました。
買い物の後、友人と二人で食事して、延々、シャレオの中央広場で話をする。気が付けば17時過ぎてた。あんなことなら我が家に移動すればよかった。次はそうしましよう。
電気釜はまだ届かないけど、蒸気を調節する弁を外しても全然問題なく炊けるので、ちょっと後悔しているところ。古いのも取っておく。
でもまあ新年から心機一転、おいしいご飯を食べたいものです。
夫、背中が痛いと困っている。元々は腰から来るのですが、座って人の話を聞くのが仕事の大部分、夜は音楽聞きながら転寝しているそうで、一日の座っている時間が圧倒的に多い。
整形外科的には所見がなくても、整体へ行ってマッサージしてもらったらと言っても、体のことは頑として聞かない。しかしながら、餅は餅屋というではありませんか。
人のことではなかった。私の股関節は、重いもの持って歩くのが悪いみたいで、安静にしているとほぼ痛くありません。用心しつつ、少しずつ、歩いたりしたいと思っています。
お正月、コンビニで売れ残っていた週間文春の新年合併号を買った。もう読んだので正価に近い値段ででヤフオクに出したらすぐ売れたそうです。皆さん、興味があるんですね。
私は読書案内を読みたかったのにその号にはなくて、お笑いタレントの例の不祥事の記事。代金の元を取るため一応読んだけど、あれほど気分悪くなる話も稀。
素人をいじって笑いを取るのその芸風と根はおんなじでは?昔の漫才は自分を晒して笑いを誘っていたのに、えらそげなあの芸、全然笑えず、ほとんど見ていません。先立つのは嫌悪感のみ。
いゃあ、何があったか正しく認定して、ちゃんと裁いていただきたいものです。