日記

日々のあれこれ

岡山買い物旅2

2023年09月20日 | 旅行

宿について、温泉街を散策します。

古いものの店。見学もできます。

雑貨のワークショップ?

日暮れが早くなりました。そろそろお彼岸。

食事は部屋で。左上のシチューがボリュームありました。この後も料理が来ます。

部屋出しは生ビールがないそうで、残念。

朝は広間で。年寄りはバイキングでない方が落ち着いて食べられます。


2日目はとりあえず奥津温泉を目指します。

こちらも四国からはよく行った温泉地。一番下の叔母の社員旅行のお土産に、「奥津温泉」の字の入った可愛い六角形の小箱を貰いました。余りに嬉しくて70年近くたった今も大切に持っています。

高校のクラスでは会計係をしていて、体育の時間、P君にお金を入れたその箱を預けていたら、Q君が蓋の裏に万年筆で漫画を描いてしまいました。数年前、P君に会ってその箱を見せたら、当時は携帯だったかな・・・写真撮っていました。ご本人はすっかり忘れていたようです。

今回の同窓会は誘われて幹事団に入ったと言っていました。彼なら適任でしょう。しっかり仕切っていい同窓会になると思います。


長話、失礼しました。

院庄から奥津温泉に向かう途中に突然のオブジェ。

でかい蜂の大軍。

リアル。

睥睨する女王バチ。

山田養蜂場のお菓子ショップ。まだ開いてないようです。

さらに行くと養蜂場への案内あり。左折して向かいます。

着きました。

ショップとビニールハウス。

建物の裏はミニ動物園と遊び場に。

100円でエサ買って与えてみます。

丘の上には羊たち。

枝の葉を食べています。

広場。

地球の歴史を体験する遊歩道。

彼岸花。

指導票。

キハダ。

日陰に養蜂箱。

近寄って見ると・・・

蜂が出入りしています。

後ろのビニールハウスはイチゴを栽培しているようでした。シーズンにはイチゴ狩り?

本当の養蜂場は他にあるようです。

羊と丘。

買い物いろいろ。カステラは道の駅で。

巣箱から出した蜜を掬い取る体験。量り売り。プチプチ感が残っています。


続いて苫田ダムへ。道の駅があり、野菜を買いました。

夫は材木に心惹かれる様子でしたが、結局買わず。

女性だって出先でつい布を買い、何かにしようと思いながら、結局なにも縫わずに死蔵することがあるので、賢明な選択でした。

いつか何かにしようと思って、材料を衝動買いしない。私も肝に銘じます。

奥津温泉もブームは過ぎたみたいで、静かなたたずまいでした。広い道が新たに出来て、道の駅ができるとそこへ立ち寄るだけの人が増えるのでしょうか。


続いて鳥取県堺、人形峠近くのこちらへ。

妖精の森美術館。ガラス製品の展示と販売。

ウランがわずかに含まれたガラスは紫外線できれいな緑色に見えるそうです。

人形峠はウランの採掘と精練をしていたましたが、今はやめているらしい。昔は教科書に必ず載っていましたが。

ティアラ。

オブジェ。

器各種。

隣は工房。

各自、自分のお土産買いました。ぐい飲みとアクセサリー。

峠はトンネルになっています。昔、四国で勤めていた時に職員旅行で人形峠も通りました。峠道をバスで登ってまた降りて、昔の旅は苛酷でした。

お昼は湯原温泉街の昭和の喫茶店で。他に選択の余地がありません。

絵は年配男性のオーナーさんが描いたようです。立てかけているのは木挽のこ?

お天気に恵まれて、恵まれすぎて連休の旅行の旅程は終わりです。あとは家に帰るだけ。

夫が眠いと言うので運転代って福山付近まで帰ります。高速は車が結構多かったです。月曜日は大型トラックも多くて、右へ左へ車線変えつつ、ひたすら西へ。

こんな旅行、いつまでできるのかなあ・・・・まあできるうちは頑張りましょう。

当てもなく地道を行くうちに、思いがけないものに出会うのも車の旅の楽しさ。自分で好きな所へ行けるのがしみじみと有難いと思う今日この頃。

広島東から温品バイパスに入っていよいよ帰ります。

遠くに駅近くのマンションが見えています。

ブドウも車に積んで帰る。

大きい粒のおいしいブドウでした。ブドウ糖たっぷり。ブドウ糖は消化吸収がいいらしいので、食べ過ぎないように。

コメント (2)

岡山買い物旅1

2023年09月19日 | 旅行

美味しいブドウが食べたいなあ・・・と言うことで、岡山県津山へ行っていました。

4年前の9月、岡山県津山市の古い街並みにブドウの問屋があり、ピオーネの粒をパック詰めにしてわずか100円で売っていました。

城下町・津山を歩く - ブログ (goo.ne.jp)

街歩きの途中で食べたそのブドウがあまりにおいしくて、その記憶消し難く、9/17日曜日また出かけることにしました。

山陽道→岡山道→中国道と車で3時間かけて目指すは津山市のJA直売所「燦燦つやま」

着きました。野菜に果物、花など。どれも安くて新鮮です(嬉)

買い物いろいろして、やれやれ一安心。

続いてこちらへ。

PORT ART&DESIGN TSUYAMA (port-tsuyama.com)

旧出雲街道沿いの古い建物が文化施設に・・・という予備知識でしたが、洋風の門の向こうにお寺?とびっくり。

こちらは1920年に建てられた妹尾銀行林田支店とのこと。銀行だったんだあ~

国の登録有形文化財とのことです。

ケヤキ無垢材のカウンターで、やっと銀行と気がつく私。

ものすごく凝った造りの天井。壁面の細かな組み木細工はイスラム建築のようでもありますが、やはり和風の西洋建築。

折り上げ格天井に、豪華にシャンデリア。恐れ入りました。

そして陰陽を結ぶ城下町だった津山の繁栄ぶりも偲ばれます。

後ろは倉庫など。アートの展示をしていました。この日は和紙を使った作品いろいろ。作者も在室。素敵な服にアクセサリー。芸術にたずさわる者は自分の装いも作品の一部。参考になりました。

施設の入場見学は無料です。カフェのみ有料。100年前の銀行でお茶するのも一興。


続いて食事処を探して駅へ。

津山駅で。右の人の出身地。実家の薬局や通った学校など、ファンが巡るそうです。

いまや立派な観光資源、地元に貢献されています。

駅近の食堂で津山名物ホルモンうどんというのを食べました。B級グルメです。

うーーーむ・・・・・

この頃から、ものすごく暑くなります。この日は最高気温が37度あったそうで、暑さに判断力も鈍りがち。味よりも暑さに気を取られています。


以前はお城の東側を歩いたので、今度は西側。いずれも旧出雲街道沿いに昔のたたずまいが残っています。

これはすごいわ~

コンパクトながら洋風建築の意匠はうまく取り入れ、バランスの取れたデザインの洋館。

今は城西浪漫館として、カフェ、土産物販売、貸しギャラリーなど。

元は1917年完成の中島病院の本館だったそうで、隣接して今も病院があります。車は病院のPに停めます。

カフェのマントルピース。

天井。

階段で二階へ。

この階段、好きです。踊り場と窓、漆喰の壁など。

NHKの「あぐり」のロケにも使われたとのこと。よくメンテナンスがされています。見学無料。

二階には設立者中島琢之の資料を展示。

1885年、現津山市で医師の家に生まれ、東京帝国大学医科大学(現東大医学部)を卒業して日本医科専門学校(現日本医科大学)の教授、内科医をしていたけれど、地元に熱望されて帰郷。

再び東京へ戻りたいと希望していたけれど、地元名士が協力してこの立派な病院を建てて引き留めたとのことです。

山の中の小さな町ではなく、広々とした盆地の経済力に支えられた豊かな町だった往時の様子がしのばれます。


津山城下町歴史館。

お祭りの山車の展示、保管。

入場無料。津山は見学にあまりお金が掛かりません。感謝。


続いて衆楽園へ。藩主の別邸だったそうです。

こちらも無料。

回遊式庭園。往時よりはだいぶ狭くなっているとのこと。南隣の市役所などもこの庭園の敷地だったそうです。

休み処。

以前は大広間と二階が無料公開されていて、お茶も飲み放題でしたが、この日は閉まっていました。残念です。木造建築は毎日開けて風を通した方がいいそうですが、閉まっていてはいかんともしがたし。

2019年9月。


続いて湯郷温泉へ。

車で40分ほど。着きました。

部屋広いです。温泉街と山が見えます。

昭和の時代の大変賑わった温泉。四国からは社員旅行で行った話をよく聞いていました。今は高速道路利用の関西からの家族旅行が多い印象でした。


長くなるのでこの項続く。

おまけは衝撃の昭和の一皿。

翌日、某温泉の喫茶店では昭和のスパゲッティが健在でした。

昔風のソーセージ、ピーマン、玉葱、目玉焼きなどが入っています。これが定番でした。

作り方(類推)

ソーセージ、玉葱、ピーマンを油で軽くいためる。

ピーマンと玉葱の生の食感を残すため、火を通し過ぎない。

冷蔵庫からあらかじめ茹でておいたスパゲッティを出して、フライパンで温めて具材を加え、ケチャップで和える。

ステーキ皿で目玉焼きを作り、その上にスパゲッティを載せて熱いうちにいただく。

この料理のポイントはあらかじめ麺をゆでておくこと。数日前のでも可。トマトソースの代わりにケチャップがmust。決してトマトソースは使わない。

本当に久しぶりに出会って、数十年前に戻されるようでした。懐かしいと言うよりはこんなんだったんだと忘れていた記憶がよみがえる感覚。

若い人からは何それと言われそうだけど、私達の若いころはこれを食べていたんだよ。喫茶店でケチャップ味のスパゲッティ食べて、恋愛していたんだよ。

歌手のロザンナさんが50年くらい前イタリアから来て、日本のスパゲッティがショックだったと言っていましたね。ケチャップが。

コメント (4)

団塊の世代

<script src="https://blogparts.blogmura.com/js/parts_view.js" async></script>

手織り

機織り

手織り

手織り