日記

日々のあれこれ

12/10 再び京都へ

2023年12月14日 | 旅行

12/10、日曜日、息子が中部地方から工芸展を見に来るので、今度は日帰りで京都です。

10時頃、京都着。八坂神社の紅葉を見るつもりでしたが、市バス乗り場は長蛇の列。とりあえず地下鉄で四条まで。あとは歩くつもりでした。

いいお天気です。

あちら八坂神社方面。祇園祭の山鉾巡行はこの道路ですよね。

20歳くらいの祇園祭の夜、東京から来た男の子と四条通の歩道を歩いていた。

人で混雑して、蒸し暑かった。どこかで食事したはずだけど、詳しいことは忘れてしまった。叔母の家に、帰りが遅れると電話するつもりだったけど、番号のメモを忘れていた。

電話ボックスで電話帳を繰るけれど、分からない。日本で何番目かに多い苗字。諦めてまた暑い京都の夜を歩く。

昔からあちこち出かけていた私。今や徘徊老人の道をまっしぐら?

すみません、モテ自慢になってたらそれは誤解です。昔から容姿はごく人並みの私がモテる筈もなく、ただの旅行好き。たまたま男の子と予定が合ったからだと思います。そのあと私は引き続き京都に滞在、男の子は四国へ帰省したんだと思います。

年取ると、四条通りというだけで、ここまで話を引っ張れる。いゃあ、何とも。

昔はもっと広いと思っていたけど、わずかに片側二車線。我が地元の区役所前の方が広い。とつまらない競争心は京都コンプレックス??

錦市場へ行ってみます。

観光客が多そうです。

突き当りは錦天満宮。

両側の建物に取り込まれた鳥居。ぶらタモリでおなじみ。

寺町通。新京極、河原町など昔はよく歩きましたが。

ひとつ西側の御幸町通へ。

田中屋旅館健在。

今はカフェと素泊まりの宿になっているらしい。

1996年頃、夫と三男でここに泊まったことがあります。連休直前で自分で探した宿。

田中屋旅館 - 日記 (goo.ne.jp)

古き良き京の宿。部屋は鍵がかからず、手洗い、風呂は階下に。

でも料理は飛び切りよかった。

あの時、腰が曲がっているのに階下から料理や布団を運んでくださった年配女性。お元気でしょうか。

昔は京都に小さな家族経営の宿がたくさんあったことでしょう。


八坂神社へ行く時間がないので、歩いて待ち合わせの店まで行くことにしました。

三条通の近代建築。レトロモダン。

星がテーマ。シンプルでお洒落。

待ち合わせの場所近くの骨董店。

中で待たせてもらう。息子が予約してくれたのはスペイン料理。

可愛いパエリア鍋。

パエリア。一人前。おいしかった。

この後、工芸展見て、旧友とも会い、息子たちとお茶して解散。

再び息子たちに遭遇。再び別れる。

建物内は何かの上映会をしていた。

旧日銀京都支店。

この日の予定は全部終わりました。あとは買い物して帰るだけ。

進々堂は京都大学の近くに本店があります。

パンは高速バスのチケット売り場にある店で買う。わざわざ地下街やデパートへ行かずに便利。

本店も古い建物で、20年くらい前に行ったときには、凝った内装や無垢板の大テーブルなど、見どころいっぱいでした。

息子たちにも無事会えて、思いがけずに旧友とも再会し、予定は終了。あとは帰るだけです。

新幹線車内からの大阪。まだまだ明るい。

来年は会場が工事で、次は再来年にあるそうです。もっといいものが出せるよう頑張ります。

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12/6 東本願寺と京都駅

2023年12月13日 | 旅行

渉成園(枳殻邸)の中の建物、どれも風流な名前で難しい字。記事書くうち、このアプリがフリーズしたので後回しになっていました。

渉成園の門前の道を京都駅方面へ歩きます。

念珠店に法衣店、それから各県から門徒さんが本山にお参りした時に安く泊まれる宿などが並んでいます。飛騨詰所とあるのもそうでしょう。

すぐに東本願寺の前に。

渉成園に東西二つの本願寺は、方広寺の門前、御前通を塞ぐようにできています。方広寺も今はひっそりとしていますが、秀吉造営の頃は今の京都国立博物館の敷地まで境内があったそうで、もちろん大仏に有名な鐘も。その大きさから往時の方広寺の壮大さがしのばれます。

徳川氏は京都から豊臣氏の痕跡を消し去る意味もあって、この場所に寺の造営を許したのでしょう。

境内のガイドツアーに途中から参加します。

若い女性のお坊さんです。まずは左隣の阿弥陀堂から。

今から拝観です。堂内撮影禁止。阿弥陀如来像その他が安置されています。京都駅はすぐそこです。

隣が一番大きな御影堂です。

渡り廊下に木を運んだそりが置いてあります。

小さいのもあります。しっかりした木です。

これは本堂再建の時、北陸地方の門徒さんが雪の山で材木運ぶために使たものだそうです。北陸のお寺にあったのをこちらへ移したそうで。

説明によると、東本願寺の堂宇すべては幕末の蛤御門の変で焼失したとか。

知らんかったあ~この年まで。我が無知を恥じるのみ。

江戸時代初めの建物にしては新しく見えると思っていたけれど、今あるのはすべて明治以後の建造と説明されました。

それにしても蛤御門の変です。御所からここまでかなり離れています。教科書ではたった一行の記述ですが、京都にとっては大変な戦さでした。焼失面積もとても広いのでは。焼けた面積は広島の原爆に匹敵するのかなと。渉成園も全部焼けたと言うし。

日本の近代化は革命ではなく、戦争もなかったと言うのは一面的な見方。鳥羽伏見から始まって上野の彰義隊、東北諸藩の戦い、最後の函館まで、やはり国全体を巻き込んでの大戦さでした。

しかしたちどころに前よりも大きなお堂が再建されるのが教団の底力です。

渡り廊下と山門。

阿弥陀堂を振り返る。

御影堂は宗祖親鸞上人の像が安置されています。

それで御影堂と言うんですね。知らんかった。

歎異抄によると、親鸞は弟子ひとり持たず、堂一つ持たないと言っていたそうですが、ラディカルなその教えを分かりやすくかみ砕いて短い和讃にし、布教した後々の宗祖。戦国大名と戦うほどの力を持つようになった信者集団。

石山合戦の後、王法と仏法の落としどころとして、京都に大伽藍を建てる。

歴史は思わぬ方向に進んだともいえますが、組織を防衛した結果ともいえるのでしょうか。

と、婆ちゃんもあれこれ考えました。

日が傾いてきました。参拝の記念にカレンダーを買って、このあと歩いて京都駅へ。

忙しい一日でした。今から帰ります。

光の階段。

まだまだ明るい。

京都駅 光の階段 2018/12/5 - YouTube

5年前です。何しに行ったのかな。たぶん一人で遅い紅葉を訪ねての帰途。

今年は3回京都へ行った。人が戻り、外資系のホテルが増え、古い家はおしゃれなショップに代わり、古都も日々変遷。しかし、歩くのも疲れるようになりました。荷物はなるだけ軽く。それでも歩くうちに次第に重くなる。

人、これを寄る年波という。

先日の友達も、運動系の部活していたのに立ち話は疲れると椅子に座って話しました。

でもまあ、歩けるうちは出歩きましょう。

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渉成園で紅葉を見る

2023年12月09日 | 旅行

渉成園は東本願寺の飛地の境内、本願寺の東方数分のところにあります。

市役所前から市バスで七条河原町まで。そこから数分歩きます。

入口で500円納めて拝見。

以前は、記憶違いだと思うけど、無料だったかも。

その代わり「ご本山はどちらですか」と聞かれた。ウッと詰まる私。実家は仏光寺派だけど、婚家は・・・50代の私は考えたことなかった。

拝観入り口。

人少なめ。観光バスが立ち寄るところではないですが、個人で旅行してどこか一つならこちらがおすすめ。京都駅に近いです。

左、隣池亭。正面、滴翠軒。池に面した建物。

紅葉。盛り。

回棹廊。庭園を遠くまで見るための屋根付きの橋。

渡ってから振り返る。

人はほとんどいません。静か。

池のこちらから見る。

広い池に築島がいくつか。

お土居の跡とも言われているのですが、確定はしていない模様。

蘆菴 二階立ての茶室。

まだまだありますが、本日はここまで。

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京都で歩きまくる

2023年12月08日 | 旅行

12/5 13時頃京都へ着く。昼ご飯の店を探して歩きまくるけれど、どの店も混んでいた。やっと空いている店で簡単な昼食を。

烏丸御池で下りてから探せばよかった。次からはそうします。

中京郵便局。

向こうが京都市文化博物館。

以前はイベントで本館に入ったこともありますが、近年はどうでしょうか。

裏手の別館で工芸展があります。この日は展示と勉強会。

私のキャプション、名前が間違っていたーーー!!!

2時間みっちり、作者本人の説明に講評の会。立づくめで疲れた。

それから懇親会場まで徒歩移動。

庭園内の池=水路で夏は川床があるそうです。

涼しそう~

昨日の記事で鴨川→高瀬川ではなく、高瀬川の流路がこの屋敷を通っているようです。いきなり鴨川から水が来たのでは洪水の危険もありそうです。

店内の武者人形。


会の後、歩いて地下鉄市役所前まで。そこから一度乗り換えて五条でおり、後は徒歩でホテルです。

椅子は座りにくかったけど、広い部屋で過ごしました。

家でも風呂にお湯ためるのは機械任せ、最近は温泉付きのホテルに泊まることか多いです。

ホテルロビー。

さて展示会場まで地下鉄で一駅、歩くと20分。ここは歩いてみましょう。

烏烏丸通りを横切って・・・

20年前、三男が京都に遊学中は落研の寄席を見によく出かけていました。

その頃より道が狭いと感じるのは周りが高層化したからでしょうか。

狭い通りに珍しい店が時々。

簾の専門店。材料いろいろ。

厚労法としか変換できない・・・の雪は簾を掲げて見る。簾もいろいろ。


昨日と同じく、会場で情報交換。前夜は偉い先生に糸のこといろいろ教えてもらい、この日は筬のことを聞いてみる。親切に教えていただいた。

手持ちの草木染の糸を送ってくださるそうで、有難いことです。いろいろ準備して年明けにはスタートしたいもの。


今度は楽天に出店している糸の店へ。

これが遠かった。地下鉄の終点太秦天神川下りて徒歩10分以上。京都もこの付近まで来ると郊外らしくなってくる。嵐山まで一続きの街ではなく、途中は結構鄙びている。

お店はこちらです。

一見普通のお宅。一歩足を踏み入れると、一階のすべての部屋はいろいろな種類の糸が、通路を除いて天井まで積み重ねてありました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOYcaO06AVSTJgTBG6FTW4lDdGzVhkWIC3KstZ4=w408-h723-k-no

googleマップの投稿画像にリンクさせていただきました。

きんしょう - Google マップ

場所は↑こちら。

糸好きにとってはワンダーランド。私はこちらで3/10か4/10の木綿糸を染めてほしかったのですが、特注は2キロから、それより定番を買う方が安上がりとアドバイスされ、8/20の染めた糸を何種類か買いました。

糸の並ぶさまは壮観。一度ゆっくり見たいものです。

「こちら卸屋さんですか」

「いえ、小売りです」とのこと。楽天、アマゾン、ヤフーショッピングでも取り扱いがあります。

いゃあ、普通のお宅に糸、糸、糸。糸の大洪水。これだから京都は侮れません。

糸、思い切り買いたいものです。今でも我が家は糸屋敷なのに、どうすると思いつつ。

京都はとても暑くて、セーターやコート脱いで持ち歩きます。それで疲れてしまいました。街は修学旅行の生徒たちも大勢。歩く旅行は若いうちですね。

疲れました。

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京都、高瀬川の源流を訪ねる

2023年12月07日 | 旅行

すべての始まりは懇親会場。居酒屋風の名前だけど、角倉了以の屋敷で、山形有朋が別荘にしていたこともある由緒正しい場所。

そういえばブラタモリで紹介されていたのもこちらのお屋敷。懇親会の出欠の返事は「ハイハイ行きます。何があっても行きます」の一択。いゃあ、機織りしていてよかった。してなければ一生御縁がなかったかも。

展示会場から懇親会会場まで徒歩10分というところでしょうか。

場所は簡単。もう日も暮れましたが、御池通を鴨川に向けて歩き、手前の細い川=高瀬川を渡って北上するとすぐ。

着きました。居酒屋風の名前。チェーン店のようです。

石碑があります。

会が始まる前に、仲居さんに声を掛けられ、希望者数人が庭を見学しました。

ライトアップしています。

庭の奥の巨大な石灯篭を、下まで行って見上げます。建物から見てもよく目立ちます。

庭から宴会場が見えます。

橋を渡ります。

池(=鴨川から高瀬川へ通じる水路)を水が淀むことなく流れています。

手前が鴨川側、向こう高瀬川方向、かなりの水量です。

シャバシャバシャバ、ザワザワザワ・・・

水は左から右へと流れています。

行く川の水は絶えることなく、しかも元の水にあらず。

気が付けば庭を一周したのは私だけ。他の方は早々に引き上げています。

ライトアップの光が目に入るとまぶしくて、足元は真っ暗。転ばないよう、流れに落ちないよう気をつけました。

豪華なお庭でした。向こうは築山になっていて、屋敷周りは石で囲ってあります。


本日の八寸。

美味しくいただきました。

参加者は40人くらいでしょうか。作品数は50です。翌6日から展示が始まりました。

後は話に夢中で写真撮ってません。

4人掛けのテーブルは女性ばかり。神奈川2、三重1、広島1。

4人の出品作の内訳は金工、染色、紙芸、それに織りです。ジャンルは違いますが個人で道具揃えて工芸をする大変さ。いろいろ話が聞けて良かったです。


翌日は用事を終えて、今度は昼間の高瀬川を見に行きます。

橋の上から高瀬川上流を見る。桜の木、多数。

左はホテルオークラ。元は長州藩の京都屋敷。いい場所ですね。

ちなみに尾張藩邸は今は京都大学に。京都も大名屋敷がいろいろあったようです。

鮮やか。今年見た中で一番かも。

佐久間象山そのほかの遭難碑あり。

つい150年前、人を刀で切り殺していた時代。

高瀬川の最上流。

高瀬川は水運のために開削された運河。

伏見で淀川と合流。船で物資が運ばれました。

もちろん人も。森鴎外の「高瀬舟」など。

あの橋の下が川の起点。

道の下は暗渠になって、右の角倉了以の屋敷跡から流れてくることに、今回やっと気が付きました。

私はずっと長い間、伏流水が地上に出てきたとばかり思っていました。

島津製作所の資料館。社員がノーベル賞を受賞して一躍有名になった企業はこの地で創業。

鉄道や道路の未発達な時代、この地は交通の便がよかったのでしょう。

資料館は15年くらい前に行ったので今回は省略します。

13時になりました。お昼にしましょう。

最後は東西の鍵型の分岐があります。長州藩邸から直接船に乗るための専用水路だったのでしょうか。

水はきれいでした。

いろいろなことがやっと一つにつながり、勉強になりました。

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団塊の世代

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