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日記

日々のあれこれ

振袖、まだあった

2023年12月31日 | 着物

それはこちらです。

昨日の千總に似てなくもないけど、やはりデザインは負けるかな。天下の千總様に。

千總、行ったことあります。たまたま泊まったホテルの近く、前もってお茶会の予約して、着付け、着物ができるまでの仕組みの説明、小さな博物館の見学などもありました。

今はしているのかどうか。

この振袖ですが、たまに覗くネット上のリサイクルの店で、セール品、八割引きとかだった。着るのではなく、タペストリーがわりにお正月などに掛けたら華やかかなと思って購入。

値段ですか・・・恥ずかしくてとても言えない。ユニクロのセーター2枚分くらい。

まさか孫娘が着物好きになるって知らなかったので、知ってたらもっといいもの買うんだったけど、だいいち長襦袢も、合う帯もないので、どうするかなあ~本人に聞きましょう。

姑のタンスに義妹の振袖用の帯が残っていたけど、汚れていたような気がする。後で確認。


小物も、今回は手持ちのもので。

ああ、着物のこと考えるだけで、なんでこんなに楽しいのでしょう。

女の子、欲しかったなあ。

2人でもよかったのだけど、3人目に掛けて、3人目も息子で、近所の人に笑われた。いえ、気を悪くしてませんよ。明るい笑い。私も一緒に笑う。


小さいころは犬コロのようにそこらで転げまわって遊び、手のかからない子でした。勉強は全然しなかったけど、3人目になるとさせるのも面倒で放置していたら、中二の中頃から人が変わったように勉強始めて、一浪したけど、自分の思う学校へ。

入学後は、自由の校風か何か知りませんが、めちゃくちゃな話ばかり。一時はサークルの部室で暮らしていたそうで、親が持たせたカーテンが部室の窓にかかり、持たせた電気釜でご飯炊いて・・・全然帰省しないので、サークルのホームページで確認していたのです。

部室には赤ちゃんもいましたね。うちの息子の赤ちゃんじゃないけど。なんか生理が来ないなと思っていたら妊娠していたというその先輩の方は、今は東京で作家になっているようです。素晴らしい。

明日は夕ご飯までに帰るそうですが、無事帰って来れますように。


またまた話がそれまくりました。

上前の裾模様。

扇がやがて青海波に。地紋入りの生地もどっしりとして染もしっかり、いい品物。

長襦袢がないので外へは着ていけないけど、肩に掛けるくらいなら。


本、いろいろ。

お正月にはNHKテキストと串田孫一を読む予定ですが、私ったら、新古今と間違えて買いました。古今集は定番すぎて、新古今の方が好きです。

自分の自我と向き合っているところが。高3の今頃、秋の遠足でコクられたよそのクラスの男の子と文通(昭和のコミニケーション)していて、お互い、その頃習っていた新古今がどうのこうのと。

文学少年は西行の歌について熱く語るのでした。新古今と言えば、受験勉強と、寒さと、あの男の子を思い出す。ばあちゃんに青春あり。

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孫娘「全部着たい!!」そうで

2023年12月30日 | 着物

孫がお母さんのスマホからラインしてきた。

「全部着たい」そうで。

わおう!!

それで昨日は半襟着けたり、アイロンで畳みじわを伸ばしたりしていました。

吊るしておけば少しは直る?

染疋田に昭和のミシン刺繍。

姑遺品は加賀友禅?

落款ありました。上品な色合いだけど、夾竹桃は着物柄には珍しい。

元々東南アジアかどこかの原産。古典柄には使わないのでは。

広島の戦後復興では早くに大きくなるこの木がたくさん植えられ、私が広島へ来た1960年代には川土手などによく見られましたが、今はほぼありません。

しかし、ある時期の記念としてか、平和公園横の本川土手には残っていますね。よく繁る木で今年のサミット前には枝を伐採したそうです。テロ対策らしい。

雑談深謝。

2年前、5年生の時にも着せたけど、この時は大きすぎた。

2017年11月、人に振袖着せたのはこの時が初めて。

ドイツから来たお嬢ちゃんに、友達の娘さんの振袖着せました。

美容師の友達が着付けの予定だったのに来られないので、私が担当することに。

相当焦りました。

息子ばかりで着せたことないので、急遽、帯結びの自主練。

階段の手すりに座布団巻いて膨ら雀をやってみる。

着せたのはこの振袖。

いい帯で締めやすかったのに、焦ってよれよれ。

着物は梅の柄に一部絞りだったかな、可愛く見えてとってもいいもの。

とても喜んでくれて、ドイツのご両親に写真送っていた。

この後、「娘はもう50歳、結婚式のお色直しにと思っていたけど結婚しそうにないし、お孫さんが着るのならもらってくれないか」と言われたけどお断りした。

着物百万、帯百万とかそんな値段と聞きました。そんなもの貰えません。

それにどんないいものでも本人の意向を聞かないと。着るものの押し付けになっても行けないし。

先日、「あれは千總」と話していた。いゃあ、恐れ入りました。着なくても本人が持っておくべき着物ですね。

その時に友達の家で持ちよりパーティして、なぜか「明治天皇はんが使わはった器」というのを出してきました。

親戚筋がお公家さんで、東京に行くまで、塀の破れたところからこっそり御殿を抜け出してそのお宅へ遊びに来ていたそうで。

東京へ行くまではわりと自由に暮らしていたのでしょうか。

話がどんどん着物からそれていますが。


七五三の時。月日が経つのは早いもの。

さらに遡る。一枡餅して泣かす。あれは本人はわけわからない恐怖、周りが喜ぶ。


女の子に晴れ着を着せる。それを見てみんなが笑顔になる。正月のめでたさ、ここに極まれり。

私の振袖、袂の内側に染みがある。それは元旦に初詣のあとみんなで喫茶店に行き、私はホットドッグのソースをぽたりと落としたのです。

50年以上放置していたのでくっきりと。

あの時、私の両親は嬉しかったのかなあ。いや、嬉しかったはず。


大きくなったね、おばあちゃんの古い着物でごめんね、

私成人式には絶対振袖着る。そうね。レンタルでも誂えでも好きにしてね。自分の好きなのを着るのがいちばん。

おばあちゃん、見に行きたい。けど、式のあとは友達と遊ぶはずだから、着付けする美容院の前で見る。

当日はいいお天気でありますようにって、まだ何年も先ですが。。。。

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歳末、いろいろ

2023年12月29日 | 日記

今年の年末は暖かくて助かります。

買い物はほぼ終わり、お節料理は雰囲気出すだけと割り切り、普段のものでちょっとご馳走を出す予定。

三男は本人だけが車で帰省するとのことです。車は心配なので新幹線でと勧めるのですが、今回は単身帰省で2泊するし、途中、関西?に用事があるとのこと。もう大人なので本人に任すしかないですよね。

昨日の記事後半は我が家の恥ずかしい内実まで書いてしまい、読んで不愉快になられたことでしょう。失礼しました。

これからは、なるだけうちわのことは書かないよう気を付けるつもりです。

ひとりだけの食事作りは本当に楽。そろそろ二人分作らないといけないんですが、楽な暮らしに慣れたので、うまく復帰できるかどうか。人の好きなもの作るのも気を遣うし、夫も自分の作ったものなら、まずくても納得して食べて、次第に上手になるはずです。

姑が72歳で舅を見送った後、気丈な人なので弱音は吐きませんでしたが、ずっと後で、夜、真っ暗な家に帰るのが辛かった、寂しくてうつ病になり掛かったと話していました。それでも私たちに愚痴も言わず、寄りかからず、本当に素晴らしい人でした。

一方、夫の親戚のある家は、未亡人になって寂しいからと隣の息子を呼んで夜に泊まってもらっていました。

隣だから何かあればすぐ来てもらえるのに、ちょっとやりすぎと、私は息子のお嫁さんの方に同情しましたが、何か事情があったのかもしれません。人はまあそれぞれで、他人があれこれ言う問題でもありません。

私はどっちかな。一人暮らし、たぶん大丈夫と思います。夫を見送った身近な人、元気にやっているので、私もそうなれば見習いたいなと。

年賀状も止めたし、お正月の花も枯れかかった時に見苦しいので鉢植えの花にしたし、お餅はパン焼き器で作るし、横髪が中途半端で後ろで結べないので着物は着ないし。

今夜の草刈正雄さんの番組は必見ですね。もう録画予約していますが。10年早くこんな企画があれば、生前のお父さんに会えていたのでしょうか。晩年のお父さんはたぶん暖かく遠くから来た息子を迎えたと思います。

家族の絆。年末年始、普段は離れていても、それを確認し、深める時期でもあります。

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櫛筬は快調だけれど・・・

2023年12月28日 | 機織り

櫛筬を初めて使いました。

織る時に幅出しをする粗筬は邪魔なので、綾棒だけにする行程です。

綾棒は抜かずに筬だけ外す。

上の枠を外します。一瞬で、間違いなくできます。

外した筬を立てかけてみる。

糸を固定するのは専用の道具もありますが、私は夏は居間の椅子の脚に、今は寒いのでベッドの脚に括り付けて。

はい、出来ました。これを織り機にセットする。

昨日から今日に掛けて機ごしらえを終え、勇躍織り始めたのですが、

夏の簾のように隙間が空きすぎたようで。

8/20の糸、50羽/10㎝の丸羽。

どうも60羽/10㎝または70羽/10㎝に替えた方がよさそうです。

手前は先日の試し織り。組み合わせるにしてもあまりに密度が違うときれいじゃないし。

この問題、どうも年を越しそう。


夫の料理。

11月の中頃、エアコンのリモコンのことで夫婦げんか勃発。

どんなケンカもきっかけは些細なこと。

寒くなって夫が台所のエアコンつけたのですが、「なんか風がスース―する」と言うのでその日は消してそのままに。

後で見ると夏の冷房設定のまま。

翌日に経緯を話すと、自分で動かしながら「(リモコン)が動かん、よう見えん」と言うので「ちょっと貸してごらん」とリモコンを取り上げ「出来るじゃないの、電池が少なくなってるんよ」と言うと、本人はいたくご立腹。

私の態度が偉そうだったとのこと。偉そうも何も、私は普段通りですが、何か?

暖房のつけはじめに冷房のままってままあること。初めに気をつければいいだけのこと。私はそう思います。日頃、何かと自分の衰えを感じる場面があって気にしていたのでしょうか。

Aパターンとしては「ああそうか」で終わるのですが、今回はケンカの火種を協力して大きく育て次のレベルに。そして未だに熾火が燻ぶっています。

もう別れてやると思いましたが、しばらくしてはたと思い直す。

ずっと先で「延命治療でも何でも、とにかく生かしください。私にとってはもったいないほどに過ぎた妻でした」と涙を流すのは夫しかいません。

あるいは「本人も苦しいので無駄に長生きさせないでください」と言うのは妻の私しかいません。

どちらが先になるか分かりませんが、子供たちにそんな重い決断をさせたくないので、乗り慣れた人生という名の泥船。沈むまでは、お互いつかず離れてこのままで。

普段から朝と昼は各自で作っていましたが、夜も作りたくなくて放置していたら、買い物してきて自分で作り始めました。

男の料理は豪快で簡単。

まず材料いろいろを鍋で煮て、最後に醤油を入れる。だしは特に取らないみたい。中身はいろいろでもこの鍋でこのワンパターン。

料理の名前は何?

残りを食べるように勧められたけど、遠慮していたら勧められなくなった。私は私で好きなもの作って食べている。

姑が生きていたら「息子がかわいそう」と涙流すかもしれませんが、男性も食事くらい自分で作れた方がいいと思います。

今振り返ると、メインにお魚と肉(私は魚が好きなのでいつも2種類)、煮物、サラダか膾、汁物、とよくもまああれこれ作っていたものと思う。鍋もたくさん、食器もあれこれ、洗い物も多かった。

今は楽です。夫は台所の掃除をあまりしないので、夜、最後に必死で磨く。台所がきれいだと元気が出て、明日もまた頑張ろうと思える。

夫の仕事も本日午前中で終わり。今年はコロナ前頃までに何とか盛り返したようです。あと何年するか分かりませんが、最後まで元気で頑張ってもらいたいものです。


2階のテレビ、ブースターを取り換えてまた見られるようになった。修理は今は大手ではなく、街の電気屋さんに頼んでいる。電話かけるとたいていその日のうちに来てくれる。

電話かける・・・今となっては簡単で新鮮。


例の一件、裁判になるんでしょうか。ご本人、相当おびえていましたね。

ネット上での誹謗中傷で自殺する人も出るようになってから、警察も本気で取り組んでくれているとも聞きました。

ネットは匿名のように見えますが、プロバイダーに、警察や裁判所が本人を照会することもあると私は理解しているので、あまりに無責任な言説はいけないと思います。ましてや人を攻撃するのは。

経緯を見守りたいと思います。

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お正月に着せる着物

2023年12月27日 | 着物

嫁ちゃん情報によると、孫娘は浴衣や着物が好きなんだそうで、それならお正月に来たとき、私の若い時の着物、着せることにしました。

リサイクルに出したり、解いてなんか縫ったり、捨てたのもあるけど、手元に残った着られそうなのを出してみました。

古い着物ばかりで恐縮ですが、よかったら見てください。

10代前半の子に合う、可愛いものはないのですが。

番外はクリスマス柄の名古屋帯。

中振袖と帯は親に作ってもらった。

手絞りではなく、描き疋田でもなく、プリント。

来歴。

18歳の夏休み、帰省せずに京都の叔母の家で長逗留して遊びまくっていたら、母親がたまりかねて上洛してきた。

来たついでに着物作ることになり、叔母の知り合いの西陣の染物屋に行き、見本の中から私が選んだ柄。

この頃、紅白で都はるみさんが総絞りの振袖を毎年着ていたので、それと同じかなと、ものを知らない私は錯覚したのでした。

都はるみちゃんは セーターどころか家が買えそうな総絞りのお着物がお約束

作り方は全然違う安価なものですが、写真に撮れば手絞りに見えなくもないのが私の中振袖の美点かと思われます。

今は京都で手絞りの職人さんも少なくなったことでしょう。贅沢な着物と、見ても分からない人が増えて、最早、見栄の張り甲斐もないのかも。

15年くらい前、西陣会館で手絞りの実演を見学しました。大きな可愛い柄で、十三詣りの着物とのこと。

その方が言われるのに、「貴乃花と宮沢りえの婚約会見の時の着物は私が作ったもの。私が作ったのであの二人は別れた」と話されていましたが、着物のせいではないと思います。

淡い色合いの特別に豪華な着物でした。卓球の福原愛さんの婚約会見も可愛い絞りの振袖でしたが、あんなことになって。

特別気合が入った可愛い着物が総絞り。20代前半までの若い時にしか着られません。着ると可愛く見えるのが絞りの良さですよね。

最近はリサイクルでも総絞りはあまり見ません。いずれ幻の着物になるのでしょうか。

向こうは姑の遺品です。義妹に持って帰るよう何度も言ったのですが要らないと言うので預かっています。お手入れした跡があるので、私の想像ですが、60代でなくなった夫の従姉の形見かなと。

夾竹桃の柄が珍しい。ちょっと孫には地味ですが。いろいろ見ると、どれが好きなのか自分で分かるのでは。

私の娘の頃の小紋や帯。

縞模様の袋帯は倉敷でリサイクル品を買う。ひな人形の敷物にしています。

無地のような小紋につづれ帯。

帯は留袖用に親に作ってもらった。ちょっと砕けた柄が珍しい。つづれ織りは手間がかかるので高価なはずですが、どんなきっかけだったのか。

母はバイトで呉服の仕立てをしていましたが、バイト料の代わりに呉服屋さんから着物や帯で受け取ることもあった模様です。見たら我慢できないのが母の悪い癖。たぶんこの綴れ帯もそんな経緯で我が家に来たと思います。

留袖は色焼けして柄も派手で、息子の結婚の時、袋帯も一緒に作り直しましたが、この銀の帯は今見ると、なんか好きになりました。

着物は15年くらい前に、フリマで三百円でした。ハンカチより安い。寸法も私に合ってたし、夕方で、業者さん、帰りたそうだったので、我が家にお越しいただきました。全然汚れてなかったし、着物って、要らない人には要らないんですよね。

すみません、貧乏臭い話で。

この他にとても好きな付け下げがあったのですが、ある時、何の気の迷いかリサイクルに出しました。とても上品な柄だったのですが、縁がなかったのでしょう。親に済まないと思う今日この頃。


さて、13歳のお正月に、どれを着るのでしょうか。

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試し織り、エンドレス

2023年12月26日 | 機織り

昨日の試し織りは外し、またまた新しく整経しました。

今回は先日届いた粗筬を使います。

大変に楽でした。筬目は1㎝、50/10㎝の筬で織るので、5本ずつ入れます。次はオーバーショットの予定。久しぶりの織り方なので間違えないように気をつけましょう。

このネジを外せは綾返し不要。

小さいけれど、ボルトにナット、皿までついています。

扱いが難しいのでタコ糸で固定。これでいいかな。

85㎝幅の櫛筬はちょっと高かったけど(1万5千円)、これからは綾が落ちてめげるということからも解放される予定。

この筬を固定する道具を明日は考えます。

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引き続き試し織り

2023年12月25日 | 機織り

引き続き試し織り。

これは3日くらい前。ジャイアンツカラーになりましたね。たまたまですが。

昼夜織り。筬の一目に4本の糸を入れる。糸は2種類2本ずつを交互に。

踏み替えると裏と表が変わる。

糸を2本、2本にせずに1本と3本にすると変わった織り目に。

さらに途中で足を踏み替えて、斜めの裏表の境目を作るとか。

いろいろやってみるのですが、斜めにするのは手間がかかる。

また、それを大きな作品にどう生かすか、イメージがわかない。

織るのは8/20と太い糸なので早い。斜めの線も急角度。

どうするかなあ~来月半ばには織り始めたいけど。


筬を2本、作ってもらいました。

12/23に届きました。注文してから納期まで2週間ほど。

2本あります。

40/10㎝と10/10㎝の2枚。

手前のは櫛筬になっています。粗筬として使う予定です。上端が外れるので面倒な、そして必ず何本か綾を落としてしまう綾返しから解放されることを期待しています。

筬の専門店(筬熊リード製作所)

この後包装を外し、筬框にセットしてみる予定です。

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クリスマスいろいろ

2023年12月24日 | お出かけ

クリスマス、子供のころから大好き。和風のお正月よりは好きかも。

とは言え、65年くらい前、私の子供のころは地味なクリスマスでした。小学校のとき、友達の家にはツリーがあり、バタークリームの大きなケーキが整理ダンスの上のガラス戸の中に飾ってありました。学校帰りに寄って見せてもらっていました。

バタークリームは日持ちするので、「クリスマスに食べることになっている」と言いながら、友達が後ろの方をちょっとほじくって食べていたのがとても羨ましかった。

我が家は貧乏だったのかな。

周りも生活の仕方が似ていたので全然そうは思ってなかったし、先生に、ある時、家の田んぼがどれくらいあるか一人一人言わされたときに(今なら個人情報を聞き出したと問題になるはず)、我が家がいちばん多かったので、特に貧しい訳でもなかったと思います。

何の見栄を張っていることやら。友達の家はお父さんがお勤めする人でした。生活習慣が違っていたのでしょう。

ケーキは戦争中、我が家の北座敷に疎開していた街の自転車さんが、毎年律儀にお歳暮で届けてくれていた。とても嬉しいケーキでした。

どうしてもツリーが欲しくて、織り紙を重ねて、ツリーらしきものを作り、空き箱に綿を敷いて街を作って遊んでいたら、祖母が「うちは一向(浄土真宗)やけん、そんなことせんのや」と言ってきました。

今思い出してもちょっと辛い。3年生の孫にそんなこと言いますか?普通。私なら言わない。よくできたねと褒めると思う。

祖母は気の強い母に何も言い返せないので、時々私に強く出ることがありました。その時もそうだったでしょう。

すみません。楽しいはずのクリスマスの日にお目汚しでした。


今はクリスマスだってしようと思えばできるけど、日本では後にすぐお正月が来るので、暮れに片付けで忙しいばかり。それで最近はほとんど出さない。絵付けしたお皿などですが。

中国に年末年始旅行したことがありますが、あちらは旧正月がメインなので元旦過ぎてもクリスマスの飾りが普通に見られました。それもお国柄ですね。


地元のクリスマス

タカキベーカリー本店、アンデルセンの庭。

旧広島市民球場のクリスマスマーケット。

写真スポット。

広場へ向かう。

イベントと軽食、お酒の販売。

やぐらを組んでライトを垂らして。

これに人が乗れる台を設置、ライトを提灯に替えたら盆踊りもいけるんでないかい?

会場はほぼ若い人だけ。

ばあちゃんは転ばないように気を付けて、用事が終わったら早くお家へ帰りましょう。

クリスマスマーケットですが、ヨーロッパのようにクリスマスのオーナメントなどの販売はありません。飲食のみ。

寒いのでそごうの10階で食事して帰る。

そごうの玄関から向かい側を見る。

モンベルの入ったビルに、後ろは広銀本店。

最近は何とかホールディングと名乗っています。

地下街に豚。豚は富貴の印、ヨーロッパの街ではよく見ます。

ブヒブヒ。

2012年11月。ドイツ、ネルトリンゲン。

同じくネルトリンゲン。カラフル。


ヨーロッパは初夏に行くことが多かったけど、ドイツだけは11月に。2012年11月、国中がクリスマスモードで賑やかで、それが建物や木々と大変よく合っていた。

またいつかと思ううち、こんなに時間が経ってしまった。

また行くことがあるかどうかは分からないけれど、フランクフルトに近い田舎町ゲンゲンバッハは市庁舎の窓がアベントカレンダーになって明かりが一つずつついて行くそうで、見てみたいなあ。

ドイツのクリスマスらしい写真、前のブログから引っ張ってきました。

ショーウィンドウ。ネルトリンゲン?

ニュルンベルク。職人広場。古い城門の衛兵の詰め所が今は土産物店に。

ドレスデンはシュトーレン発祥の地。一年中、シュトーレンだけを売る専門店があります。

メイアイトライイット?と試食させてもらってから、大2個買いました。10€、小さいのは5€です。1€が108円くらいだったので地元アンデルセンのよりうんと安いです。でもアンデルセンの方がうんとおいしい。高いけど。

こちらはパンみたいに柔らかくて、スーツケースの中で潰れそうに。

海外のものを取り入れて、バージョンアップさせるのは日本の得意技。あらためてそう思いました。

「ドイツ旅行」のブログ記事一覧-ブログ (goo.ne.jp)

あとはお時間ありましたらお立ち寄りください。

ドイツの街には無駄なものがありません。景観がうるさくない。早朝、落ち葉を清掃車が出て掃除しています。そして、必要なものは安価に提供されるという徹底ぶり。スーパーのパンもワインも、感動するくらい安かった。

私はヨーロッパへ行くと、旅行会社に誘導される土産物店では買わず、ホテルを抜け出して近くのスーパーで買い物していました。どの国もパンがとてもおいしかった。

硬くて味がないと言われる方もいましたが、あちらではご飯と同じ。ご飯のようなパンでした。

皆様もどうぞいいイブをお過ごしください。


それと今思い出したある方、今一部で話題になっているあの方ですが、お父様のお仕事は夏は昼までで、毎日海水浴に連れて行ってくれる小学時代だったそうです。

子供のころは、同じ地元でした。

海水浴、昔は夏のレジャーの王道でしたよね。我が家では地区の人と一緒に夏休みの初日、電車を乗り継いで約1時間の海水浴場へ。

近所の子と海で遊び、大人たちは桟敷席で話しながらのんびり過ごす。

海水浴はその一日だけ。あとはお盆に親戚に行ったりするうち、夏休みが終わる。

「ああ、家が海に近かったら毎日海で遊べるのに」と水田地帯の真ん中に暮らすことを、当時は恨めしく思ったのですが、同世代で毎日海水浴に行ける子が一方ではいたんですね。私にしたら思いもつかない贅沢。

皆様のブログを拝見するうち、そんないいお育ちのはずの人が、どこでどうなったのかと暗澹たる気持ち。どこで壊れてしまったのかと。

短歌の結社に匿名で通報はどうでしょうか。個人情報明かさなくても聞いては貰えるのでは。あとはお任せで。主宰の偉い先生のお宅の中の様子も写真に撮ってブログに上げてましたね。許可取ってればいいけど、どうだったんでしょうか。

まあ、私も年取って多少壊れかかってますが、一応感想を言わせていただきました。

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年末いろいろ

2023年12月23日 | 断想

今年も残り少なくなりました。年末の諸行事、すっ飛ばしたら例年より早く暮れが来そうですが、残りのいろいろも、身をすくめてなるだけやり過ごす予定。

年末になると掃除用品のCMが増えますが、いちいち付き合って掃除しない。窓から身を乗り出して落下したら危険。

若いころ勤めていた学校で、私が就職する何年か前、男性教諭が窓ガラスの清掃中に落下して何日か後に亡くなられたとかで、その学校では窓ガラスの外側は拭かない決まりになっていました。

ね、汚れと命、引き換えにはできませんよね。年取ると無理しないことに徹しましょう。わが子供たちが来て掃除してくれるのは止めませんが、来るわけないもんね。あの人たち。

家族のライングループでは、未だに昔のぬいぐるみの話で盛り上がっている。全員40代のおっさんが涙。親が年取ってること、分からないみたい。


さて年末調整です。給与はエクセルで夫が管理、最後の年末調整は未だ私の手計算です。最近は紙の資料や用紙をほとんどくれないので、足りないのは自分で近くの税務署へ貰いに行きます。

何百人、何千人もいる大企業でないのでもう終わりました。今年は曜日の配列が余裕ありました。よかった。平成という年号の時は天皇誕生日、土曜日、日曜日と続くと、21日の夜には計算が終わってないといけない年もありました。

やれやれ、あとは源泉税の納付、税務署と自治体への提出書類いろいろ、それから確定申告の準備。あと何年するんでしょうか。もうやめてのんびりしたいものです。


先日、夫の作ったおかず。

浮いているのは肉の脂。

大根の皮を丁寧に包丁で剥いていた。

最近は家事も出来ることはなるだけやってもらっています。

私がいなくなっても困らないよう、一通りのことは出来るようになっておかないと。

昨日、袋町の頼山陽記念館の前を通ったら無料だったので見学してきました。庭の柚子を無料でいただきました。

小さな実ですが、たまたま冬至だったのでユズ湯に。網の袋に入れ、しっかり揉んだら新鮮な柚子のいい匂いがしました。

冬には冬の楽しみ。寒いけどめげずに頑張りましょう。

 

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「隆明」だもの ハルノ宵子

2023年12月22日 | 読書

わずか一週間前に出た本。アマゾンに注文したらすぐ来て、もう読んだ。

大変に面白かった。ボリュームもあり、読みごたえもあった。

晶文社から「吉本隆明全集」というのが刊行中で(知らなかった)、その月報、他の媒体に書いたもの、吉本ばなな氏との姉妹対談、本人のインタビューからなっている。

著者は吉本隆明の長女で漫画家、1957年生まれなので現在60代半ばというところでしょうか。

漫画が本業の方の文章と思っていたら、いい方にうーーんと期待を裏切られた。ものの見方、人の観察など随所にきらりと光るところがある。これはお父さんから受け継いだ才能なのかもしれない。

私達の世代だと、吉本隆明は同時代に生き、発言する人で、著作は難しいのも多かったけど、「知の巨人」という位置づけ。

その人が家族から見てどうだったか、等身大の姿が、活写されている。

印象に残ったのは、吉本家には常に来客が絶えなかったこと、吉本隆明が大学などに属さず、著作業だけを貫いたこと、庶民としての生活態度を変えなかったことなど。全然ぶれない人だったようです。

吉本家は戸締りをせず、誰がいつ来てもよかったそうで、いつ帰ってもいい、いつまでいてもよいという開放的な家。子供のころは島尾敏夫、奥野健夫、江藤淳、村上一郎などがよく訪ねて来て、連れてきた子供と遊んで泣かしたり、赤ちゃんだったばななさんの顔を江藤淳がまじまじと見ていたり。坂本龍一も来ていたそうです。

娘への教えは「群れるな。一人がいちばん強い」ということで、世間が常識としているものに安易に同調しない態度は一生を貫くものだったとよく分かった。

また病弱な奥様の代わりに家事もこなし、娘二人のお弁当も作る。そのお弁当で姉妹の思い出話は盛り上がる。

また夏は伊豆で旅館を借りて海水浴するのが習わしで、初め、編集者、次第にそれぞれが知り合いを連れて来て大合宿のようになり、夜はお酒も交えてあちこちで議論が交わされる。って、すごいなあと思った。しっかり勉強していないと話に入って行けない。やわな神経ではいたたまれないだろうけど、その場面、見たかったと思う。

吉本に議論を吹っかけ、意見が合わず、来なくなる学者とか多士済々。そんな場面を見て育つのが教育になっていたことでしょう。

吉本は家族が騒ごうが、来客がいくらあろうが、うるさいと言わず、淡々と仕事していたそうです。うーーーむ、偉い。


でもどんな偉い人にも老いはやってくる。頭いいからって認知症を免れるわけではない。それも淡々と書いている。同居するハルノさんが親の身の回りの世話をし、ばななさんは親二人を病院の個室に入れるため、仕事をたくさん受けて金銭面から助けていたそうです。

7歳違いの姉妹はお互いを認め合い、いい関係に見えます。

なんかとてもいい本を読んだ気がする。自分の中で、ああ、こういう人だったのか、こういう家族だったのかと納得したというか。姉妹は、吉本が書くこととすることが全然ぶれてなくて尊敬しているそうです。またどこにも属さず、一個人として仕事をする姿勢はそのまま受け継がれているのでしょう。

全集は今も刊行中で、一冊6千円と高価らしい。なかなか買える値段ではないけれど、根強いファンがいることでしょう。

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機織り作品の帰還

2023年12月20日 | 機織り

昨日、先日の工芸展に出した作品が帰って来ました。

美術館への搬出入業者の手数料、佐川急便片道で6,600円でした。

これが絵画やパネル仕立ての工芸作品ならこんな値段では済まないでしょうが、布製品、巻いて輸送するのでこの程度で済んでいます。

春、東京へ出したのは搬出入が7,700円、足立区にある業者さんの倉庫の往復が6,000円弱、合計で約14,000円でした。

京都の業者さん、手数料が安くて助かりました。

私の作った段ボール箱にしっかり補強してもらっています。

うーーーん、立派。さすがプロの仕事。作品もいいものに見えるというものです嬉。

友達が作品見たいと言っているので、年明けになると思いますが、我が家に来てもらって、その時開けましょう。今開けたら、年末に梱包材などの始末が面倒なので。

気が付けばもう20日。本日給料の締め日。年末調整の計算をスタートして、年末年始、事務いろいろ。それから納税に向けての事務。

気が重いことの一つは夫が通帳を一時失くしていて、銀行へ行ったらネットの通帳に誘導されたこと。簡単なはずが、余計煩雑になった。

あと何年するのかなあ。まさか80歳まですることはないと思うけど。

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「夫に死んでほしい妻たち」小林美希

2023年12月19日 | 読書

再読。

著者は新聞社勤務後、フリーのジャーナリスト。結婚、雇用などの問題を取材、執筆。著書多数。

これは2016年刊。分かりやすい題名につい買ってしまった。中身は今の社会での女性の生きづらさの実例を、著者の感想はなるだけ控えて集めている。

家庭の中、夫婦仲は傍目にはなかなか分からないもの。本音トークの数々を読んで、それぞれ葛藤を抱えて生活する様子が、面白いと言えば失礼。

自分を振り返り、これからの指針として読んだ。

初めて読んだのは60代、今は70代なので、「死んでほしい」と願う妻の気持ちがより分かるようになったのかもしれない。

新しい人ができたのならともかく、私たちの世代ではもう手続き自体が面倒。そう思う人も多いのでは。

先日の友達の話。

娘さんから「お父さん残して死なないでね。あんな粗大ごみ、私は面倒見られない」と言われているそうな。

私たち世代では慣れ親しんだ暮らしへの愛着が大きく、配偶者はその一つのアイテム。信田さよ子さんの本にもあったけど、結婚というのは制度なので、愛情がなくなっても、その制度のいいところを利用すればいい。離婚に少しでもためらいがあれば、カウンセリングに来た人に勧めない。とのことでした。

70代になって、夫への若い時からの恨みつらみを晴らしたいと思う人もいるのですが、認知症になって相手が分からなくなってからでは遅すぎる。それで、ささやかな恨みの晴らし方の実例。

夫の味噌汁に雑巾の絞る汁を入れる。

夫の歯ブラシでトイレ掃除をして元に戻しておく。

悪いことですか?

よくはないけど、そこまでされる夫の側の悪行の数々、不倫、DV、金遣いの荒さ、威張り散らすのに比べたら可愛いものだと私は思う。そのくらいのことしか女は出来ないんですもの。

そして究極は「畳の上で死なないでほしい。高級車にひかれて1千万円でも稼いで死んでほしい」と思うそうです。

私ですか?

そんなことはしないし、思いませんが、30代、連日、あまりに夫の帰りが遅く、帰宅後、日付が変わるころの遅い夕食、人の話は5分も聞かず上の空の時は結構追い詰められていましたね。

仕事だと分かっていても、さすがに温厚でおとなしい(←どこが!!)ので有名な私もキレて、お茶碗にご飯を半量、塩を思い切りかけて、残り半量部で蓋をして「どうぞ」と出す。

出した後で、「塩辛いーー」と怒ったらどうしょうと一瞬後悔したけど、平気な顔で食べていた。

どういう味覚???

上司の方は、奥様がボウルにご飯もおかずも汁物も全部一緒くたに入れて、「どうぞ~♡」と差し出して来たそうな。

猫まんまや。それほど苛酷な職場だったということで。もちろん妻たるもの、そんな夫を支えますが、感情レベルでは時々発散しないとね。

日曜日は家族でどこかへ遊びに行っても、15時頃から職場へ。帰るのはやはり深夜。

子育てを隣の姑に頼るという発想がなかったし、実親は遠いし。幸い私も三人の息子も健康だったので何とか乗り切れました。


この本では共働きの女性の大変な話が多かった。大家族で嫁姑の苦労の話は若い世代にはなかった。しみじみと時代だなと思い、どの時代にも女性の生きづらさがあるのだと思った。

終わりの方で、夫婦同姓を国が強要しているので、女性の地位が低い面もあるとの指摘。私もそうだと思う。いまだ広く家意識が抜けないのはこの制度のため。

希望する人には別姓の道をぜひ認めていただきたいもの。全員が別姓を強制されるんじゃないんですからね。反対する人は、そのような誤解に導くような言い方、していませんか。


昨日嫁ちゃんにラインしたら、13歳の孫の着物姿の写真送ってきた。

浴衣や着物が好きだそうです。

嫁ちゃんの友達の家で着せてもらったらしい。背が高くなってとてもよく似合っていた。その写真は差しさわりがあるので、2歳ころの写真を。

活発な子でした。今はしっかり者。

先日の弟の運動会では、体育館の休憩コーナーで未就学児の知ってる子、知らない子を集めてまとめて面倒見ていた。臨時の保母さん。

バババカ深謝。

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冬の散歩道

2023年12月18日 | 日記

寒くなりました。出かけるのは昼間。銀行など、用事を兼ねてそこら辺を歩いてきます。

ワタ。この状態だと棉?

歩道の緑地帯に誰かが植えたようです。

フワフワ~♪

鞘に鋭い棘。今は機械で収穫でしょうが、昔は人の手で。

覆輪の山茶花。花弁も多い。

3mくらいのまっすぐな樹形に仕立てていた。

冬の黄色。

初めに何か植えたとしても、環境に適した植物がやはり優勢。200年くらいで極相林になるらしいけど、それからは安定するらしいけど、森になってもらっても困りますよね。

その時々の手入れには予算もかかるし、大変なようです。

初めシャリンバイ。ヘクソカズラ優勢。ムクノキも見える。

ハゼまで生えている。

港公園を抜けて・・・

センダン。

我が家は家を建てたときセンダンの大きな木が2本あり、毎年の管理が大変でした。

姑が誰かからこの実を貰って植えたそうです。

栴檀は双葉より芳し・・・は白檀のことらしく、勘違いしたらしい。

センダンは全然匂いませんでした。

だいぶ前、家を増改築した時、伐採してもらいました。姑様、ごめん。


港前の広場に来ました。

営業中。夏はBBQに。

待合室。

安芸の小富士。

帰ります。

イヌビワ。ビワと名乗るけど、イチジクの仲間らしい。

黒い実。

電柱に寄り添うように赤い菊。

来年は菊を作りましょうか。挿し木でいいんだったかな。


読んだ本、読んでいる本、これから読む本。

左2冊は再読。真ん中は題名が強烈で、夫にヤフオクに出してもらうには気が引ける。

先月会った友達二人、ご主人をすでに見送った人。

「今の自由に感謝~~♪」と満面の笑み。そうなんだあ~

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冬仕度いろいろ

2023年12月17日 | 日記

最高気温、昨日は20度近く、きょうは6度だそうで。午前中雪もちらついていた。

やっと冬らしくなって、身も引き締まるというものです。風がなかったのは幸い。少しずつ寒さへの備え、年末年始のあれこれをやってみます。

残り毛糸で椅子カバー。最後は目数を減らして編み、被せる。

その流れでマグカップカバーを。

持ち手のところは引き返して編み、開けておく。

機織り機の椅子カバーも編んだ。二か所松葉編みを入れる。

筒に編んで通すだけ。

両端は残り毛糸。真ん中は3年くらい前に買った中細ウール。

白、ピンク、薄緑と色が変わって行くのが面白かった。ウール100%で110円はお買い得。編みやすかった。


お正月の練習にパン焼き器でお餅を作りました。

わずかに2合。餡入り7個、平餅3個。

お雑煮の練習・・・と言うか食べたかっただけですが。

夫は気持ち悪いと言って食べない。

讃岐名物、餡餅雑煮。

あんもち雑煮 香川県 | うちの郷土料理:農林水産省 (maff.go.jp)

炒り子(煮干し)出汁、白みそ仕立て。具材は大根、金時人参、豆腐など。

トッピングは青のり。汽水域で養殖している。結構高価。

お餅を潰しておつゆと混ぜながら食べるのが通な食べ方。

我が実家では炒り子も一緒に食べていた。炒り子がほぐれてお餅にくっつくのが実家の味。

おかあさーーーんと心の中で呼んでみる。


午後から寒いけど、猫の額の庭掃除。

こちらもダイソー出身。

シロモジの葉が落ちたら、もう来年の新芽が。

イオンまで歩いて行って孫二人にクリスマスプレゼントを買う。

最近は好みが分からないので、図書券。

それにクリスマスカードを添えて。

サンタのスキー。

クリスマスツリー。

喜んでもらえるでしょうか。

クリスマスカード買うなんて60年ぶりくらい。最近のはこんな感じなんですね。

高校時代、今の時期はクリスマスカードを買って女の子や男の子に送るのが楽しみだった。

そのあとに年賀状。今は年賀状も書かなくなったので、昔の私、今よりうんと筆まめだった模様。

それでも賀状が届いたら、年明けにゆっくり便りを書こうかなと思っている。


病気だという意見が出ている。私は詳しくないので判断できませんが。

時々、アクセス数が激増して気持ち悪いとブログに書いたら、++さんが記事にしているとコメント欄で知らせてくれたことがある。見に行ったら記事は消えている。そんなことが何度かありました。

なんて書かれてたのかなあ~。まあもういいけど。この数日のコメント欄、読み応えがあり、いろいろと勉強になりました。

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昔の連絡の取り方いろいろ

2023年12月16日 | 断想

可愛いツリー/ゆめタウンで 12/15


先日来、昔の友達とのあれこれを思い出していますが、今になって不思議なのはスマホのない時代、どうやって連絡とってたんだろう~??ということ。

もちろん当人だから憶えているはずですが、今のやり方に慣れてしまった今、よくもまあ遠い所の人と待ち合わせの約束していたものと、感慨深いものがあります。

家に固定電話がついたのは高2くらいだったかな。その頃は電話引くには電電公社の債権も買わなければならず、8万円くらいと高額でした。今なら数十万円の感覚でしょうか。

商売しているならともかく、普通の家は電話のない家が殆ど。近所の電話のある家に呼び出しをお願いしていました。

それまでは有線電話。農村によくあった、交換手が繋いでくれる簡易型の電話でした。基地局が電電公社の電話と接続できるので、部活で遅くなる時はそこから家に電話を繋いでもらっていました。それも不便で、我が家に電話が導入されたのは時代の趨勢もあったことでしょう。

家に一台しか電話がないので、誰にどこから連絡あったか、家族の間で丸わかり。我が親は誰から電話がかかって来てもほぼ黙って取り継いでくれたので、その時代はそんなものかなと思います。

母は私の友達、電話かけてくる男の子も女の子もみんな名前を知っていた。晩年まで、私の昔の友達のこと、憶えていて話題にすることも。中にはもうあちらへ行った人もいるのが悲しくも残念です。

で、こんな風にして待ち合わせの約束しても途中でアクシデントが起きたときには直接連絡のしようがない。

30分くらい待って来なかったら、家に電話して「++君から何か言ってこなかった?」と親に聞く。「うん、ちょっと遅れるって」と分かればさらに待つ。

「知らんよ」と言われたらさらに待つ。いずれにせよ待つ。待つ時間が思いの深さ。

このやり方で最長2時間待たされたことがある。ったく。今の同居人ですがな。その頃は一人暮らしなので実家は関係ないし、相手の家は自営業なのに一回線しか電話がないので遠慮して掛けられず、やっと来た相手に別れ話のはずが、またされ過ぎて、それを言い出す気力もなくなった…んだったかな。やれやれ。

その他に伝言板と言うのがありましたね。今の若い人、さすがにそれは知らないでしょう。

大きな国鉄や私鉄の駅には待合室などに黒板があり、日付と要件を書き込む。24時間くらいで駅員さんが消すのかな。

「**さん、1時間待ったけど先に行きます 12/16 ××子」とかこんな感じ。

野口五郎さんの私鉄沿線という歌の中に「伝言板に君のこと僕は書いて帰ります。想い出たずねもしかして君がこの街へ来るようで」というのがありますが、あの伝言板です。いつ頃まであったのでしょうか。

あとは手紙にはがき、それが多かったかな。

しかしどんなに制約があろうと、会いたいという気持ちのある限り、人はどんな手段を取ってでも連絡とるのでありました。

京都駅の大空間。外気とつながっているけれど、大屋根で直射日光や雨が避けられるのが工夫かと思います。

複雑でまだ全部は制覇していない。確か劇場もあったはず。

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団塊の世代

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