日記

日々のあれこれ

5/9 横浜は涙雨

2022年05月19日 | 旅行

先日の横浜、鎌倉、江の島の旅行、いよいよ最終章です。

鎌倉でもっといろいろ見ればよかったのですが、思いのほか早く済み、江の島も見て回り、藤沢経由で横浜に着いたのが午後四時ころ。

のぞみは19時台です。ホテルがセットになったコラボ商品なので、列車の変更はできません。というか、発売した店ではできるはずですが、うーーーむ、すればよかったですね。

まあそれだけ安いから仕方ないんですが、中途半端に余った時間でさて何する?

ソフトシールド弁って何?

簡単に開く弁?

何が通っているのでしょう。

とりあえず横浜駅から海に向かってとぼとぼと。そごうとか建物伝いにだいぶ歩いてきました。

15年くらい前、この会議場に来たことあると夫は言いますが、今日は月曜の夕方なのに、本当に見渡す限りだあれもいません。

ゴーストタウンみたい。催し物がないとこんな感じなのでしょうか。

雨が降ってきて寒い。風が強くて傘が役に立たない。

さらに歩いて行きます。

たまあーに車が通るだけ。なんか寂しいなあ。

田舎者は思いっきり都会に疎外されているみたいで。

テレビでよく見るランドマークタワーまで来ましたが、少しの所で屋根が途切れ、傘出すのも面倒で歩いたら思い切り濡れた。

寒い。

で、あの建物の中にみなとみらい線の駅があるらしかったけど、さらに歩いてとうとうJR桜木町まで来ました。

JRで一駅歩いたことになりますね。歩くのは苦にならないけど、人通りはないし、店もないしで寂しくなるばかり。

事前に行くところをたくさん調べておいて、行けなかったーーと残念がるくらいの旅程を次からは考えておきましょう。

新横浜駅で早い夕食を食べます。

夫は蕎麦が食べたい、私は蕎麦はどちらでもということで、最後は別の店に。

温かいものが寒い体においしかった。

向こう、横浜の中心街。どの駅も乗り換えが大変だった。一人ならさっさと行って、間違えたらまた戻ればいいけれど、二人だとなかなかそう簡単にも行かず。

でもまあ、表示は日本語、慌てることはないんですけどね。

というわけで、年寄りの珍道中ものぞみに乗ってしまえばもう安心。夜中前、自宅に無事着きました。(完)

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5/9 極楽寺から江の島へ

2022年05月17日 | 旅行

5/9 極楽寺坂はそう勾配がきつくありませんが、深く掘り下げた模様。後で地図見ると鎌倉を取り囲む山の一部になっていることが分かります。

江ノ電極楽寺駅。

極楽寺。

境内。

人少なし。


長谷寺付近で見かけた高校生のグループいろいろ、たぶんその子たちの一人に声かけてみます。

全員私服です。

修学旅行?

いえ、きょうほかい(競歩会?)です。

地元の生徒さん?

いえ、上野です。

上野とは東京の上野のことでしょう。

そうなんだあ、頑張ってね。とばあちゃんは余計なことを。

若くて賢い人と話すのは楽しい。賢いのはちょっとした言葉の端々に顕れる。年寄りだからとおかしな対応しない。だからこちらも気持ちいい。

引率された遠足ではなくて、各自でゴールを目指す。多分、どこかの駅出発、鎌倉から江の島経由、小田急駅集合かと。都会の子供はしっかりしてますね。

海が見えてきました。江の島が見えてきました。

稲村ガ崎、七里ガ浜、鎌倉高校前、腰越、江ノ島と駅があります。

日本史で有名な地名いろいろ。

しかし先日の大河ドラマ、平宗盛が死なずに義経と一緒に鎌倉下向、腰越状の代筆するなんて、もうめちゃくちゃである。楽しければ、面白ければ何でもありの大河ドラマ。あれは歴史とは似て非なるもの。娯楽として楽しむべきものと思う。

ここで童謡「鎌倉」を。

童謡・唱歌: ♪鎌倉(フルバージョン1番~8番)

子供のころから耳慣れた歌、西から鎌倉へ入り、市内を巡る体裁。行ってみてよく分かった。


海に浮かぶ江の島は、さながら宮島のごとく、はたまたモンサンミシェルのごとく。

ノルマンディーの果ての果て、牧場の向こうのモンサンミッシェル。

2014年4月。旅行自慢深謝。

時々画像使わないと行った甲斐がない。とかなんとか、ばあちゃんのたわごと。

橋でつながる江の島。

モンサンミッシェルは陸続きにしたため、海流が滞留し、水質がものすごく悪くなっているように見えました。

再び橋にしてトラムは廃止と聞きましたが、もう完成したのでしょうか。未確認。

島、上陸。参道に店いろいろ。

参考画像。モンサンミッシェル島内の参道。これは振り向いたところ。

いずれの国も似た眺め。

突き当りはあそこで行き止まり。メインルートは左手。

膝痛い。階段きつい、、、

横から展望所へ。駐車場とヨットハバー。

神社いろいろ。

上までエスカレーターがあり、3つ通しで乗ると800円だったかな。

乗らない。脚で歩く。小さなところで節約するのが我が家流。そしてそれぞれの生まれ育った実家風。

お社いろいろ。いずれも朱塗りが鮮やか。


頂上一帯はサムエル・コッキング苑とシーキャンドルという展望台になっています。

入場料200円、展望台は別に500円。ここでも500円を節約する老夫婦。

苑内カフェで。

寿司屋さんのショーケース?

ここで軽食希望するも、そばが好きな夫が反対。小さなストレス。

カフェの屋上がテラス席。気持ちいい。向こう、藤沢市。

展望台とテラス。

この下は広い植物園になっています。

ケヤキの虫こぶ。初めて見た。

中国風東屋。

展望所から。本土との橋が見えます。

宮島は本土と遠いので船で参拝。

ヨットハーバー。

サムエル・コッキングは横浜の貿易商で、明治時代、江の島に別荘を構え、庭園を整備します。

温室は関東大震災で倒壊したそうで、遺構だけが残っています。

当時は木造の橋でしょうか。観光客は馬に乗って遊覧。彩色絵葉書と思われます。

右は資料館。

温室跡。

大掛かりな温室だったようです。

地下、奥は石炭貯蔵庫。

植物いろいろ。楽しいです。

スダジイは元からの植生と思われます。

我が地元に普通にある木ですが、関東の島にも。江の島は温暖なようです。

帰るつもりが、夫に連れられて島の向こう側へ。どんどん降りていきます。

イーゼルの看板。

ここは洞窟の天井が崩落して深い入り江になったそうで。

海岸まで下りたらそこで行き止まり。夫はそこから島の入口へ帰れると思ったらしい。再び急な石段を引き返します。

だから頂上のカフェで食事しようと言ったのに、お腹空いた、膝痛いと訴えて、リュックを持ってもらいます。

下校時、人にランドセル背負わせる小学生のノリ。ブツブツ。


再び本土へと戻ります。江の島を振り返ります。

高校生がいます。

食事して小田急で藤沢まで。あとは横浜経由の新横浜まで。まだ時間が早いけど、帰ることにします。

夫は、江ノ電で鎌倉経由で帰るんじゃないのかと申しておりました。

何にも考えてませんね。もぅお、嫌。

嫌だけど帰宅するまでケンカは封印。一日中一緒も疲れるもんです。あちらもそうかもしれないけど。

急に怒り出して急に機嫌が直ると、申しております。そろそろ空模様もおかしい。夫婦仲も風雲急を告げております。

竜宮城みたいな駅舎。高校生たくさん。


あとは横浜経由で新横浜まで。ここまでのお付き合い、ありがとうございました。

長くなるので記事を改めます。

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鎌倉唯一の料亭旅館、かいひん荘鎌倉

2022年05月14日 | 旅行

5/8 宿で大切なのはやっぱりお料理でしょうか。

部屋は豪華でも、大浴場が立派でも、大ホールのバイキングは年寄りには落ち着かない。

部屋に一品ずつ持ってきてくれるので、ゆっくりいただきました。

ついでに写真もバチバチ。後で参考にして作るわけではありません。プロと素人の料理は元々別のもの。その非日常性を味わうための旅。

 

 

 

 

 

椀盛り 蟹新丈、餅シート、茄子のつゆに部屋の灯が映る。

 

 

揚げ物。夫は大豆油でお腹壊すそうで食べない。残念、おいしいのに。

あとご飯に赤だし、香の物省略。

デザート。


朝食。

美味しくいただきました。

鎌倉へ行かれる方にはお勧めです。静かなのが好きな方、年配向きの宿かと思います。

 

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かいひん荘鎌倉・親しみやすい洋館の宿

2022年05月14日 | 旅行

5/8 大仏の高徳院、鎌倉文学館、長谷こども会館から延々歩いて、この日の宿「かいひん荘鎌倉」へ着きました。

江ノ電由比ヶ浜から歩いて数分、静かな住宅地の一角にあります。

看板。

洋館部分。

談話室。

二階が洋室の客室。

私達は一階の和館部分の和室に泊まります。


食事には早いので夫が買い物から帰るのを待って一人で周辺を散策します。

歩いて数分。由比ヶ浜。

再び宿の横を通って・・・

洋館に松、和洋折衷の親しみやすいたたずまい。

江ノ電、由比ヶ浜駅も越してコンビニで買い物、再び帰ります。

松が多いのは海岸に近いから?


浴場も一階、エレベーターのない小さな宿で、全部同じフロアーで済むのが楽です。

風呂上がりの休憩室。

窓の外。夏はビアガーデンをしていた時もあったそうです。

照明器具。軽い。

点灯。自分で作れそうだけど、作れない。

 


翌朝、食事の後、談話室でコーヒー飲みながら休みます。

家具も小さくて座りやすい。

窓辺に寄ってみましょう。

懐かしき昭和の香り。

ずっと昔、どこかでこんな窓辺に立って外を見ていた気がする。

ちょっと不安で、期待も少しはあり、そのあといろいろな人と出会い、いろんな本を読んで少しずつ自分が変わって行く物語。

その物語の始まりのような朝の景色。

ソ連時代のピアニスト、リヒテルが長期滞在していたこともあったそうで。

またこの先の鎌倉文学館を別荘として使っていた佐藤栄作の取材のため、新聞記者の宿になっていたこともあったそうです。

落ち着いたいいお宿でした。

窓いろいろ。

立ち去りがたいけど・・・

クロスステッチって久しぶりに見た。

柔らかな明かり。

コーヒー飲み放題。そんなに飲めないけど。

ロビーから。


静かでいいお宿でした。人の話し声も全然聞こえず、宿泊客を見かけたのは朝食会場のみ、ゆっくりできました。

 

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5/8 大仏に洋館、鎌倉を歩く

2022年05月13日 | 旅行

さて古我邸を後にして昼ご飯食べます。

鎌倉駅近くで。シラスネギトロ丼。

生まれて初めて食べました。シラスたっぷりでおいしい。

この後、江ノ電で長谷まで。そこから高徳院の大仏へと行きます。

参道の道。地名は長谷。古い看板。

こんな感じで。

長谷寺前の古い旅館。

営業しているようでした。

門前まで行って引き返す。とりあえず大仏へ。

途中の、横浜が本店の中華料理の店だったかな。記憶消滅。

着きました。49年前にも来たはず。たぶん江ノ電で。

夫24歳、私も24歳。

広島の学校へ来て、美術部に入ったら背の高い無口な人がいた。その時からだと55年。

大仏は変わらず、私たちは変わり果てた。それもまたよし。

窓。


歩いて15分くらい、今度は鎌倉文学館へ行きます。

山のふもとにあります。

緩やかなアプローチ。

期待が高まります。

隧道。

振り返る。

玄関。

1890年、旧前田侯爵家の鎌倉別邸として建設される。

戦後はデンマーク公使や佐藤栄作首相が借りていた時期を経て、1983年鎌倉市に寄贈される。

1985年、鎌倉文学館開館。

三島由紀夫の「春の雪」では松枝侯爵の別邸として書かれているそうです。大昔に読んで詳細失念。

ああ何もかも忘れていく私であることよ。でも記憶もありすぎると心の重荷、いいことも悪いことも忘れて、これからは身軽に行きたいもの。

内部の展示は充実。撮影不可。玄関から庭へ出る。

前庭は海に向かって緩やかに傾斜している。

遠くに鎌倉の海。

バラと洋館。

洋館にはバラがよく似合う。

くすんだ赤、シックなバラ。

バラの名前。

来た通路を上がってもう帰ります。

和洋折衷。変化に富む屋根や窓。

長谷こども会館。

1908年、株式仲買人福島浪蔵別邸として建設される。

現在、内部見学は不可。ちょっと荒れた印象でした。

そこからまた延々歩いて・・・15分くらい?今夜の宿に着きました。

時に午後四時。歩き疲れました。

宿の由来

ホームページより。

当館のシンボルである洋館部分は大正13(1924年)富士製紙社長の村田一郎邸として建てられ、戦後に増改築して旅館の姿を整え今にいたっています。

特徴としては2室からなる大きな洋館部が独立した洋館のような印象を与えています。また、出窓(ベイ・ウインドウ)の多さと急勾配の切妻屋根と円弧形の出窓の上の丸い屋根が道行く人々のアイスポットとして親しまれています。

平成4年(1992年)8月には鎌倉市の景観重要建築物第7号の指定を受けております。旧ソビエトの世界的ピアニスト、スビャトフラフ・リヒテル氏が日本公演の折、当館にヤマハピアノを運んで長期にわたり滞在した事もありました。

こじんまり、すっきりした建物です。こちらは玄関の反対側。

夫は荷物置いて買い物に、私も海の方へと歩いて行きました。長い一日がようやく終わろうとしています。

洋館は全部で4つ拝見、中でも古我邸がよかったです。食事はしなかったけど、庭をゆっくり見られてよかったです。

鎌倉は思っていたよりも静かで、緑が多く、とてもいいところでした。

日帰りできるなら何度でも行きたいけど、ちょっと遠い。遠いからまたいいのかもしれませんが。

宿の洋館部分は次の記事で紹介します。今日はこのあたりで。

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鎌倉洋館巡り 旧華頂宮邸と古我邸

2022年05月12日 | 旅行

5/8

さて報国寺の奥にこの日最初の洋館、旧華頂宮邸があります。

見えてきました。

説明版。

アプローチ。非公開。外から見るだけです。

庭に回ります。

営繕の人が庭掃除をしていました。

ベランダに上がって引き返します。

噴水はお休みのようでした。

人はいなくて静かに見学できました。昔の華族って、お金持ちだったんですね。


続いて古我邸の見学です。

鎌倉駅から江ノ電方向へ抜け、市役所角を右へ、やがて看板が。

鎌倉駅からは徒歩数分。

一歩脇道へ入ると静かな住宅街。

木が多いのが鎌倉的?

門を入る。

古我邸は1916年、三菱合資会社の専務理事だった荘清次郎の別荘として完成。戦前は濱口雄幸、近衛文麿ら総理大臣が別荘として利用し、前田邸(鎌倉文学館)、華頂宮邸とともに「鎌倉三大洋館」の一つと言われるそうです。

歩いて行きます。

裏は崖。洞穴がいくつか。

ランチは予約のみ。先を急ぐ旅の身なので、庭でお茶の予定。

建物。

裏は池あり。

モリアオガエルの卵あり。

白い泡の中に卵たくさん。来月半ば過ぎ、オタマジャクシになって池に落ちる(筈)

花もいろいろ。

崖が取り囲む。

眼鏡を拭く。注文の品を待つ。

ジキタリス。イングリッシュガーデンに定番の花。

有毒。

イギリスの湖水地方へ行くとそこら辺の山に自然に咲いていたのでびっくりした。

トウダイグサ。こちらも有毒。これも広島だと三段峡にもあるし、ヨーロッパには普通にあります。私が見たのはフランスのポンティガールだったかな。

などと一人植物観察会していたらお茶とケーキが来ました。

チーズケーキはいいとして

シェフのお任せケーキは三口くらいで食べた。

これで1,100円は高いと思う。確認せずに頼む私が迂闊だけど、事前にホームページで見たら5種類くらいの盛り合わせだったと思う。

コーヒーは300円と激安。トータルではまあいいかなと自分を慰める。

ちなみに旅行中の飲食代は夫のペイペイで決算。それはヤフオクの売り上げ。先日はノルウェーの森上下初版本帯付きが5千円で売れたそうで、これからも頑張って売りましよう。

帰ります。

玄関先を廻って・・・

木立の中を再び鎌倉の街へと。

五月の鎌倉の白い花。

午後からは鎌倉文学館他を見学、最後の洋館は「かいひん荘鎌倉」。そこへ泊まるのでした。それはまた次の機会に。

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鎌倉の社寺巡り

2022年05月11日 | 旅行

5/8 日曜日

円覚寺 JR北鎌倉すぐ

新緑

廟所。時宗は八代執権。

石段。

後門。

広い。

最奥に円覚寺舎利殿。禅宗様式。左側、反った屋根の建物。

国宝で普段は近寄れない。残念。

山門。

帰ります。向こうはJR横須賀線。湘南新宿ラインというらしい。


線路を渡って数分で東慶寺へ。

こちらは縁切寺としてあまりに有名。

説明版。

上がります。両側から山が迫る鎌倉の寺。

境内。

梅、アジサイなど。花の寺。

アヤメ?

新緑。

縁切寺(グレープ) - YouTube

女性側から離婚を言い出せない時代、有難いお寺だったことでしょう。

全体にこじんまりと、元尼寺らしい静かなお寺でした。


続いて鎌倉駅へ。

歩いて20分くらい。鶴岡八幡宮へ。49年ぶり。

その時は参道の骨董店でレプリカの、東南アジアの仏像を買う。今も家にある。

大河ドラマ。

鎌倉には着物が似合う。

49年前にもここに立ったはずだけど、フィルム入れずにカメラを持ってきて、撮ったつもりの写真は一切なし_| ̄|○。

その後の49年間を暗示するような出来事でした。

姑様に愚痴ると、息子をかばうことかばうこと。また行きなさいねと言ってくれて、やっと今回実現しました。

姑様、私たちは相変わらずの感じでやっていますのでご安心ください。この間も間違えて、私のリュックに自分の下着入れていました笑。

茅の輪くぐり。有料。

大イチョウの跡。

公暁が隠れていて、参詣帰りの実朝を暗殺したというイチョウ。何代目かでしょうが。


ところで唐突ですが、2024年の大河ドラマは紫の上をメインにした「紫の君へ」。主演は「花子とアン」の女優さんらしい。

私は十二単がめちゃくちゃに好きで、二回、着たことがあるのですが、ドラマ、とても楽しみです。

「花子とアン」はパリで初回を見て、それまで朝ドラ見たことなかったけど、最後まで見ましたね。

日本語チャンネルでパリも朝の8時から。そろそろ日本語が聞きたくなっていたので、心に染みわたりました。

と、さりげなく旅行自慢。

あと、大河ドラマには清少納言も出るはずですよね。当代きってのライバル同士、定子と彰子もライバル、大奥的要素もありつつ、道長は誰になるのかなあ。

十二単、京都で着ると高いけど、高松市のお城東隣の博物館か何かだと予約なしで無料でした。

すみません、話がそれまくりましたが。

境内の池の中に小さな弁天様が。ミニ江の島になっているのでしょうか。

白い鳩がいます。

人が増えてきました。歩いて鎌倉駅まで戻り、インフォーメーションで次の目的地、華頂宮邸への行き方を聞きます。

駅からバスで20分くらい。浄明寺前で降りて報国寺方面へ。

報国寺。

境内。

裏手の墓地から出て先へ行きます。

マルバウツギがもう咲いている。

花の咲くのが毎年早くなる印象。

もうすぐ華頂宮邸に着きますが、それはいずれまた。

鎌倉のお寺は緑がとても多くて、心が安らぎました。京都は鎌倉よりはうんと都会、鎌倉の静かさと木々に癒されました。

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横浜離れがたく

2022年05月10日 | 旅行

日本歴史、特に近代史によく出てくる横浜正金銀行の建物がいきなりホテルの窓の外にあるので、初日は目をぱちくり。

翌日、朝食後、鎌倉へ向けて出発です。

ホテル横の路地を抜けて旧銀行の裏手へ出ます。

華麗。木はセンダン。

広い通りへ出て、昨夜来た方向を振り向きます。

街路樹がきれいな通りです。向こうは地下鉄とJRの関内駅があります。

横を通って・・・

正面へ来ました。

説明版。

道の向かいから。

今回、横浜は宿泊だけの予定。いずれまた。

向かい側も立派な建物が。

説明版。

今は東京藝術大学の名前になっています。

映画、ドライブマイカーの簡単な掲示がありました。監督は確か東大から芸大の院へ行ったのでは?

とすると、芸大の建物でしょうか。


さて、このあと鎌倉へ行く予定ですが、夫はJRの桜木町か関内から横浜へと言い出します。

ここで改めて、この人、旅程は全部私に任せて(頼って)何も考えていないことに気が付きます。私だって、横浜なんて、大昔に一度しか来たことないんだよう~泣

その一度というのは結婚式の翌日、人はそれを新婚旅行という。その時こんなことあってもは腹も立たない筈。なのに、なんで今朝はこんなに呆れる。それが49年という歳月かもしれません。

みなとみらい・・・とかいう線の駅が近いはずと思う間もなく、地下の駅への入り口が。

馬車道という駅から電車に乗って横浜へ。横須賀線に乗り換えて北鎌倉まで。やれやれ。

都会の電車は便数多くて乗り遅れることもなく、約40分で着きました。

JR北鎌倉駅は、両側から山が迫る深い木立の中にありました。

5月8日午前9時1分、いよいよ鎌倉観光の始まりです。

鎌倉は、今、大河ドラマを見ている夫の希望。この前来たのが49年前、あっという間の年月でした。

長い年月が経って、二人とも年取って、でもまだ歩けるので、こういうこともあるわけです。三度目はもうないはずなのでしみじみと味わいましょう。


ちなみに、今回の旅行のため、私は新しいリュックを買いました。

夫のと色がよく似ているので「色、似てるね~💛」と前夜、並べて置いていたら、翌朝、何か物が入ってます。

引っ張り出してみると、夫の下着各種、トランクスとか。

なんで?????

と思ったけど、要するにリュックを間違えたんだなあと。

しかしです。色は似てるけど、デザインは全然違う。なんで間違える?どうやったら間違える????

自分が使う前に爺ちゃんの下着が入ってたなんて、幸先悪すぎる。。。(´;ω;`)ウゥゥ

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大連の旧横浜正金銀行

2022年05月10日 | 旅行

11年前の夏、親族と一緒に大連へ。

広場に面して華麗な建物が。

旧横浜正金銀行大連支店。

2011年当時は中国銀行遼寧省分行として使われていました。今も多分。

大連 近代の面影・・・2 - 日記 (goo.ne.jp)

この記事で、私は、ロシア租界の建物がメンテナンスされながら今も残っていると思っていましたが、確認が必要のようです。

新聞記事で以前、大連の建物を真似た下関だったか、九州の建物を参考にして大連でロシア風建物が作られたと読んだ気がします。

それはおそらく観光用で、おそらく日本人向け。

先日見た横浜の旧本店は、組織としては三菱東京UFJに受け継がれたとのことですが、建物は神奈川県立博物館として使われているそうです。

中を見学する時間はなかったので、次に機会があればぜひ。

関東圏にはほとんど旅行したことない私。でも今回、のぞみで新横浜まで3時間と34分で行けると分かったので、横浜もひとりでフラフラと歩いてみたいものです。

夫の休みに合わせていたらホテルは高いし「のぞみ」は混むし。

これからは自由にする、と帰りの車中で宣言したら、今までも好きにしていたのに恐ろしいこと言わんでくれとの感想。何も取って食べるわけじゃなく、そこまで怖がらなくても。。。。

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横浜にびっくり

2022年05月10日 | 旅行

旅行していました。行先は横浜、鎌倉、江の島など。

本当は土曜日の昼から行くつもりでしたが、うっかり仕事を入れて、夕方広島発。ホテル近くの、地下鉄関内駅で降りたのはもう21時近くになっていました。

電車の中で夫がスマホで探したお店へとりあえず。

本格中華と街中華の間・・・とのことでした。

とりあえずたっぷりのお茶が来ます。都会の接客はてきぱきと。

早くできるものということでラーメンなど食べました。

で、この時気が付いたのですが、店に大きな肖像写真が掛けてあり、以前テレビによく出ていた周富輝さんのお店のようでした。芸能人来店の写真もたくさん。見なかったけど。

「在食広州」の額もあります。

お味はあっさりしておいしかったです。地元で食べるのは油濃いのが多いのですが、こちらのは食べやすかったです。

中国人の接客は単刀直入、話が早い。なるほど。

出てくるのも早く、早く食べて、早くホテルへ行きました。

中華街に近いホテルで宿泊したのですが、行く時間がなくて、結局おいしい店に出会えてラッキーでした。

関内駅から馬車道という通りを数分行くと、ありました。

この方ですね。お元気のようです。たまに店に出ているとか。


ホテルに投宿。何の気なしに窓の外を見たら・・・わおう・・・ロンドンにいるみたい。

こちら日曜日の朝早く写す。

誰も通っていません。

向こうは日本の眺め。ちょっと安心。

あちらあくまでも格調高く。

こちら、ホテルにのぞみ往復つき格安プランの部屋。部屋が狭くてゆっくりできないので、シングル二部屋。グレードアップになっていてツインだったけど、それでも狭い。

その狭い部屋の窓いっぱいに広がるフレンチルネッサンス。

何の建物?とスマホ検索したら、旧横浜正金銀行本店、今は合併して三菱東京UFJ銀行になっているそうです。

いゃあびっくりしました。

朝、その建物の前に行ってよおく眺め、それから横浜経由で鎌倉まで。

それはまた次の機会に。

連休、イレギュラーで仕事が入り、その代わりの代休もくっつけての旅行でした。歩くのが多い旅行で日月とも2万歩前後でしょうか。でもしっかり食べたので少し成長して帰宅。トホホ。

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団塊の世代

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