日記

日々のあれこれ

3/21 蝉丸神社と山科歩き

2022年03月28日 | 旅行

お彼岸の旅行記もいよいよ最終章。

蝉丸神社は全部で三つ、関蝉丸神社の下社と上社、大津駅から一番遠いのが蝉丸神社。深山幽谷にあるのではなく、歩いて一時間もかからなかったと思う。神秘的に感じるのは名前の持つ力。

電車に乗る前に神社に参拝したのを忘れていました。やれやれ。

関所跡超えると道は下り坂。うなぎ屋が見えてきました。

通り過ぎてから写す。正面は気が引ける。

すぐに神社。後ろの石柱、削ったのは皇紀二千六百年の字?

こちらも石段。

右手奥に本殿。

意外と小さめ。

裏はうなぎ「かねよ」の駐車場。

ひっそりと。

石段下りると山里。

向こうへ行けばすぐに電車の駅だったけど、大津駅で貰った絵図は国道の方が近くに見えたので再び国道へ戻り、陸橋へ上がってまたこの場所の先へ復帰。

いい運動になりました。

この後は京阪電車で、追分、四宮を過ぎて三駅目の山科で下車。

急に開けた街になります。

蝉丸神社はだいぶ前から一度行きたいと思っていました。新幹線やJRからは見えないのですが、一度、高速からちらっと見えた記憶があります。

山にへばりついた神社にどうやったらたどり着けるか不思議でしたが、行き方はとても簡単。

京都からだとJRで一駅の山科まで行き、京阪に乗り換えて三駅目の大谷駅下車。そこから徒歩5分くらい。ひなびた山里に神社はあります。

大津からだと京阪で大谷駅まで。この付近は京都、大津への通勤通学範囲らしく便数は多いです。

ただし、三つの神社共にとてもさびれていました。千年以上の歴史があるのに、街道を人が通らなくなり、信仰する人も少なくなったのでしょうか。昔の旅人は険しい山道を歩きながら、神社に出会うとちょっと軒下で休んだり、時には一夜を明かしたりして心強かったことでしょう。

古歌に歌われた場所を訪ねられて今回はいい旅でした。夫は興味ないので同行頼めば文句言われたかも。一人で歩けるうちはこんな旅行も楽しいものです。


続いて山科です。

駅の南を東海道が通っています。

山科ではもう三条通と名乗っています。

微妙に曲がるのが旧街道。

五条別れの石柱。

あちら五条方面。

再び引き返し、川沿いを南下して山科本願寺跡へ向かいます。

山科本願寺とは本願寺8台門主蓮如が15世紀に築いた寺院で、16世紀半ばに焼き討ちに遭うまで浄土真宗の拠点だった場所。

別院があります。

スマホの道案内でやっと着きました。山科駅からは30分くらい。

あの向こうのようです。

土盛があってあそこが墓所でしょうか。手前の門の柵の隙間から写す。

蓮如は親鸞から数えて八代目、北陸に勢力を広め、真宗中興の祖と言われています。現在、真宗のお経本にある和讃は蓮如が作ったのも多いと聞きました。難しいお経を庶民にわかりやすい和讃にしてみんなで歌う。そこに生まれる門信徒の絆、それが今に続いています。教義も組織力もどちらも大切。

山科本願寺は戦国大名と法華宗の焼き討ちに遭って陥落。門主は大阪へと逃れます。

中世には宗教勢力も戦国大名と渡り合うほどの力を持っていたんですね。今の大阪城の場所にあった石山本願寺が信長との戦いに敗れ、本願寺は世俗勢力の支配下に入ります。

この近くには土塁跡もあるそうなのでまた機会があれば見たいものです。

こちらも本願寺系のお寺のようです。字が立派。

山科駅への近道は醍醐道と表示がありました。北へ向かって上り坂。こちらも昔からの道のようです。

歩いて楽しい旧街道~♪

少し早いけど山科駅近くで軽めの夕食。山科駅で広島までの乗車券買って帰宅。

京都駅は人が多くて大変ですが、こちらはひっそりと。

一人で歩きまくる旅、いゃあ~楽しかった。

姑様の介護の日々には決してできなかった旅。でもあの日々があったからこそ、ひとりの旅がいっそう有難く楽しめるのだと思う。

今でも時々、この話、お姑様に聞いてもらいたいなあと思うことがある。でももういない。残念です。

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3/21 京都から大津へ

2022年03月27日 | 旅行

この旅行記、何か人気ないんですよね。アクセス数もダウン。

グルメもエンターテインメントもなく、古いお寺や街道が地味で、無理もないかなと。

まとめる私もテンション下がり気味。でもせっかく写真撮ったので記事に挙げます。うーーーむ、どんなブログだと面白いのかな。

謎です。


3/21 午前11時43分頃。今から東寺の境内へ。

店多数、人も多数。

五重塔は新幹線からもよく見える。

快晴。昨日とはうって変わって暑い。

フリマ骨董市にはリュックの一択。脱いだ服、買ったものなんでも突っ込んで両手を空けておく。懐中物もご用心。

北門?の外にも店多数。

この付近は大工道具とか。

売るもので大体の場所を棲み分けている感じ。

買ったのは丸いかご二つ。200円。値切るのが作法かと思ったけど、忙しそうだったので遠慮する。

丸いわっかはおまけ。軽いけれど、リュックの中で嵩張って困った。

再び京都駅へ引き返します。途中にイオンができていますが、その中の店も人が多く、京都駅もしかり。大津まで行きます。

駅の案内所でルートマップ貰います。

蝉丸神社を全部行きたいと言うと、手書きの案内図も貰えました。

やれやれ、何はともあれ腹ごしらえ。時に午後2時。

大津駅から琵琶湖方面へ。

歩道渡って駅を振り返る。

あちら琵琶湖方面。

手前、リゾートホテルの迎えのバスが停まる場所。

東海道まで来ました。

細い道のあちら江戸方面。

こちら京都方面。微妙に曲がる古い道。

お地蔵さん。

仏壇、仏具の店。

旧街道の面影。

大津事件の碑。

ひっそりと。

法令主義は近代国家のあかし。

当時の裁判官はよく頑張りました。

もう少しで札の辻。

道路元標。東京だと日本橋にあるはず。見たことないけど。

ここで90度に曲がっています。

左側、大津宿本陣跡。

明治天皇関係の石碑が二つあるだけでした。

幟旗。

道路は二手に。先でR1に合流する?

京阪電車?の線路の上を通ります。

こちら東海道本線?

狭い場所に道路と線路が集中。

今も交通の要衝だと分かります。

線路の向こうに神社。

関蝉丸神社下社。

歌碑

お社。建物はだいぶ傷んでいます。

紀貫之の歌碑

逢坂の 関の清水に 影見えて 今やひくらむ 望月の駒

だそうです。

昔は水が湧いていたようです。

せきの志ミ須・・・かな。

お約束のサネカズラ。真より実の方がいい気がしますが。

盲目の琵琶法師。蝉丸。宇多天皇のころの人、この付近に住んだと伝えられる。

電車が来ました。

歩くのは私だけ。人家も途切れがち。

 

両側が切り立った崖。

まだ日は高いけどやや心細い。

道の向こうに関蝉丸神社上社。

急な石段。

何か寂しげで・・・

こちらもサネカズラ。冬、房になって実をつける。花托が残る。

本宮はさらに上。ここで参拝する。

目もくらむような急勾配。

転んで骨折したらとんでもないので、用心してゆっくり下りる。

まだまだ上り坂。

京都はどっちだあ、関所はどこだあ。

最高地点に石碑あり。

左に向いて下り坂になっている。

碑と常夜燈。

道は二手に分かれて、右が昔の道らしい。

かねよというウナギの老舗が。人多し。琵琶湖の魚を京都から食べに来ていた名残でしょうか。

このすぐ先左に電車の駅があったのに、知らずに国道へ引き返す。

陸橋上から京阪大谷駅を見下ろす。

このあと京阪電車で山科まで。山科を歩いて夕方、帰宅の途に就きました。

それはまた次回に。

この日は朝から大変よく歩きました。二万歩くらいは歩いたでしょうか。あまり疲れず、膝も痛くなかったので、少し自信が着きました。

 

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3/21 奈良から京都へ

2022年03月26日 | 旅行

朝、近鉄奈良駅から南へ。アーケード街が続いています。

広い東西の通りに出ました。

何屋さんだったかな。奈良の一刀彫?

お細工物風、陶器のオブジェ、だったかな。もう忘れている。

二月堂の灯篭と良弁ろうべん椿。

修二会 さだまさし - YouTube

春寒の弥生三月花まだき 君の肩にはらり 良弁椿・・・

奈良やなあ・・・しみじみ。

貝合わせ?

美容院?

鉢を斜めにしてみる。

 

元興寺に来ました。

表へ回ります。

元はとても大きなお寺だったそうで、飛鳥時代の瓦などが向こうの屋根に残っています。建物は国宝。

説明文。

東大寺、興福寺だけが奈良ではないようです。

焼けずに残ったの奇跡のような建物、これからも残ってほしいものです。

このお寺は人がほとんどいなくて、静かに参拝、見学ができました。

庭がとてもきれいでした。

 

付近が宅地化するときに、路傍の石仏がお寺に納められたのではないでしょうか。

これだけ揃うと壮観。

静かな祈りの声が聞こえるような・・・って、エッセィ作家なら書くかも。

表門から出てさらに南下。

休日の朝、静かな住宅街。

琺瑯看板。

全国の琺瑯看板集めているサイトがあったけど、また見に行ってみましょう。

投稿も受け付けていました。

田中町からバスでJR奈良まで。ここで夫婦は南北にしばしの別れ。

夫、法隆寺経由で大阪へ。妻、京都と滋賀を歩く。

新大阪で待ち合わせることもなく、個別に帰宅。

京都に着きました。

南西方向の東寺へ行きます。

駅の南側は来るたびに変わっています。

ibis stylesは外資系、おしゃれなビジネスホテルという位置づけでいいのでしょうか。ヨーロッパにも展開。

直通バス。

弘法市へ向かう人の群れ。

途中にも店が。

土地柄、着物が多い。

着物は絶対に買わないと決めている私。

持ち歩くに重く、多分着ないし、手芸にもしないし。

それより今持っているものをどうするか、そちらが問題。

でもこんなの見ると楽しい。

やがて東寺が見えてきました。

賑わっています。ワクワク。


長くなるので、これ以後はまた次の機会に。よろしくお願いします。

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楽しい「なら町」歩き

2022年03月24日 | 旅行

20日、16時半頃、バスで近鉄奈良駅着。宿へ行くまで、軽く街を散策。

東向南商店街。若い人、特に女性が多い。

駅の近くは飲食店、土産物屋が中心。

横道へ入るとおしゃれな店、いろいろ。

飲食店?

ばあちゃんは、写したつもりが映り込み。

あちら興福寺。


宿に着きました。宿は東向商店街を北へ向かい、バス通り渡って2,3分。

翌朝写す。

あの部屋に泊まりました。部屋は20くらい、小さな宿で移動が楽と喜ぶ夫。

食事は部屋出し、のんびりくつろぎました。

コロナワクチンの接種証明書で広い部屋に替えてもらえました。

読書灯あり。

朝がゆ。

白い鹿は、春日大社の神様のお遣いだそうで。

ピンボケ深謝。朝8時過ぎ、人は少なめ。

通りの名前。

右前方、近鉄奈良駅。

行基像あり。

興福寺の彫刻によく似たリアルな造形。


店は開いてない、人はいないで、写真たくさん撮りました。

製墨とは硯で摺る墨を作ることらしい。

ろうそくの煤を集めて膠で固める。

炭素だけのシンプルな原料、墨の字は千年経っても色あせない。

むくり屋根。

南へ商店街は伸びています。

次々にアーケード街が。

微妙に曲がる。古くからの道らしい。

あちら興福寺方面。飲食店街。

レストラン。

輸入雑貨の店。

アラブ模様の皿各種。

花嫁衣裳の振袖で作るドレス。

雑貨いろいろ。

小さなものを並べる。

多肉植物。

水中花。

クラフト各種。

ふくよか。

小皿各種。

買わずに済みません。

まだ店が開いてません。

ブローチ各種。

しもみかど商店街。

まだまだ道は続きます。起伏があります。

 

 

さるお店の前で。

沈丁花とサルボボ。

まだまだ街歩きは続きますが、残りはまた次の機会に。

歩いて楽しい奈良の商店街。京都みたいにエッジが立ってないけど、その分のんびり、ほっこり。癒されました。

老後は奈良で・・・って、もう充分老後ですけど。。。。

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奈良の寺院いろいろ 3/20

2022年03月23日 | 旅行

お彼岸過ぎたのに、本日3/23は冷たい雨が降り、冬に逆戻りしたような寒さ。

朝から片付け各種。

2階、元の次男の部屋の机と袖机、引き出しを空にした。

器の絵付けを習っていたころの作品各種。ゴミに出す準備。その時楽しかった名残。食器としては使ってなかった。

机は大型ごみに、袖机は夫が仕事場で使うそうな。

元気なうちに、いらないものは処分。何も残さず、身一つであちらへ行くのが理想だけど、なるだけそれに近づくように。


さてお彼岸の関西旅行です。少しずつ写真アップするのでよかったら見てください。

のぞみで京都まで。JR奈良線、みやこ路快速で奈良へ。

新大阪から奈良は乗り換えが多く時間もかかるらしい。

後ろは京都駅駅舎。

JR奈良駅でバスの一日券500円を買います。ルートマップに観光案内図もつけてもらえます。

まずは便数の多いなら公園行きで東大寺まで。

少し引き返すと南大門が見えてきます。

源平合戦で焼けて、鎌倉時代に再建。

鹿多数。

顎がかゆ~い。ずっとこすりつけています。そうなんだあ、痒いんだねえ。

糞多数。

運慶でしたか、快慶でしたか・・・鎌倉彫刻。

何度も焼けて、確か三回くらい再建されている。

頭は江戸時代。

大仏殿も昔はもっと屋根が左右に広がる形だったとのこと。模型がありました。

確かに今のはコンパクト。

こちらは4回目くらいかな。5回目があるのかどうか。

歩いて興福寺へ行きます。

途中の氷室神社。

花がきれい。

紅梅。

途中のレストラン。

興福寺へ行きます。

宝物館は500円だったかな。

国宝たくさん、見ごたえがありました。


バスを乗り換えて平城宮跡へ。

私二回目、夫初めて。広いです。広いけど、まだまだ先があります。

まずは資料館へ行きます。

井戸枠の跡。

大きな井戸です。

水道管は木をくりぬいて。

かまどと甑。

安定した火力を得るのは大変だったことでしょう。

燃料は何だったのでしょうか。

さじ、杓子、箸。

糸巻き。機織りの道具。今も手織りでは同じものを使う。

門の木組みの模型。

臍を組み合わせて釘などは使わない。

さらに歩いて行くと朱雀門へ。

広いです。向こうに大極殿が見えます。

途中に近鉄電車が走ります。

便数多いです。

このあたりで私は気分が悪くなり、リタイヤしてベンチに腰掛けて夫を待ちます。

昨夜は一時間しか眠れなくて頭は朦朧、足元ふらふら。

夫は大極殿まで行って引き返してきました。その後ろにも建物があります。

時間があって体調もよくないと平城宮の全体は見られないようです。残念ですが、向こうの建物が遠い。そこはまた次の機会に。


続いてバスで近鉄辻の札まで。電車で一駅西ノ京で降りて薬師寺へ。

薬師寺東搭。

裳階のついた三重塔。

三か月前に続いて二度目なので、感動は3掛けくらい。

北側の玄奘三蔵伽藍から見る東塔。

平山郁夫の「大唐西域壁画」もここで見られます。

人は少なくてゆっくり鑑賞できました。


続いて歩いて唐招提寺まで。

布製品の店。

野菜いろいろ。

唐招提寺へ着きました。人は少なめ。ここまで来る人はあまりいないようです。

早咲きの桜。

続いてバスで近鉄奈良まで。商店街を歩いてから宿へ。長くなるのでそれは次の記事でまとめます。


 

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奈良、京都、滋賀を旅行していました

2022年03月22日 | 旅行

昨年末、JR乗り放題チケットで奈良へ行き、感動しまくったので、夫を連れて行くことにしました。

写真は追々に整理しますが、本日はダイジェストで。

東大寺と興福寺は忘れたのでもう一回行きたい・・・とのことでした_| ̄|○

阿修羅像がよかった。

本物は東京の国立博物館に預けていて、奈良にはないと思っていたのですが、思いがけずにオリジナルが見られてよかったです。

153cmと、像は小柄。小柄だけど、迫力ありました。

仏像彫刻が様式化する前の、素直な信仰とけれんのない技との奇跡の合体。

こちらは平城宮跡の資料館で。

糸を巻く道具。今と全く同じ。

布のダイコン。

薬師寺と唐招提寺をつなぐ道で。手芸作品の店。

蕪、牛蒡、大根、人参。

漢字が似合う野菜たち。

宿は近鉄奈良駅から歩いて数分の日本旅館。

コロナワクチンの接種証明書で12.5畳の部屋に替えてもらえました。

広いのが何よりうれしい田舎者の私。

電気スタンドがあるのがよかった。

寝ながら本読んだりできるので。

奈良名物朝がゆが選べます。

JR奈良駅から近鉄奈良駅、その向こうの興福寺にかけて商店街が広がっています。

観光客向けの土産物、食べ物、雑貨類の店が多くて歩いてとても楽しい。

さらに南下すると、古い町並みが面として残っている「なら町」へ。

朝早くてまだ人は少なめ。ゆっくり歩きました。

昨年は時間がなくてほとんど見られなかったので良かったです。

あるお店で。奈良一刀彫?


午前10時、JR奈良駅で夫とは解散。

夫は南下して法隆寺、そのあと大阪の鶴橋(キムチ買うらしい)、コンサートなどへ。

私は京都へ。

八条口へ出ます。

こんなバスが走っていました。京都市バスではないようです。

市バスの直行便は廃止と聞きました。

すぐに行きたい人は烏丸口ではなく、南の八条口へ行くといいようです。

21日は東寺の弘法市。

何度か行きましたが、たまたま行き合わせたのも何かの御縁、今回ものぞいてみます。

京都駅から歩いて10分くらい。人の流れについいていくとたどり着きます。

賑わっています。

少しだけ買って駅に引き返し、滋賀県の大津まで行く。JRで二駅目、すぐ着く。

今回の目的の一つは、逢坂の関と蝉丸神社へ行くこと。

駅の案内所でマップをもらいます。

さらに奥へは手書きの地図。

まずは腹ごしらえ。

京都駅とその周辺は人が多くてどの店も待つので、大津駅構内で。

まずは琵琶湖に向かって歩ていき、旧東海道と出会うと、あとは京都方面へ向かいます。

しばらく行くと大津事件の碑。

確か、ロシア革命で処刑されたロマノフ王朝最後の皇帝でしたよね。違ったかな?

あとで確認。

道路元標。

明治初め、日本国中の正確な地図を作る時の測量の起点。

京都市内だと四条烏丸の角、広島だと元安橋東詰、小諸だと北国街道が90度曲がるところに。

ここも東海道が左へ90度曲がっているようです。これとは別に三井寺の裏から山に入り、京都の追分を目指すルートもあったようです。

道は、ここから次第に勾配が付いてきます。

幟旗。

神社前。蝉丸くん。盲目の琵琶法師。百人一首には逢坂関の歌が採用されている。

旧国道1号線?は車が多い。歩くのは私だけ。

府県境の山へと差し掛かります。

峠に石碑と常夜灯が。

国道と別れて、道は下り坂に。

この付近はウナギ料理の店がいくつか。向こうへ向かって山の中の集落になっています。

昔の旅人もほっとして一休みしたことでしょう。

街道の面影がよく残っています。

京阪電車の大谷駅です。

うなぎ屋のすぐ先にから駅へ行けたのに、知らないとは情けないこと、大津駅で貰った絵図通り、再び国道に出て高い陸橋を渡り・・・

向こうに大谷駅が見えています。


この後は山科まで行き、年末果たせなかった山科本願寺跡付近を歩き、ついでに東海道も歩き(山科ではもう三条通りと呼んでいる)、京都駅は激混みのはずなので、駅の近くで夕食食べて、JRで一駅の京都からはのぞみで広島まで。

夫とは一日一緒に歩き、二日目は自由行動。

好きな所へ行って、好きなもの見て、好きなもの食べて、解放感いっぱい。

あと何年こんな旅行ができるか分からないけど、歩ける間は続けたいものです。


楽な旅行のために、足元はスニーカー。紐靴だとスポーティーになりすぎるので、fitfitの紐なしのスニーカーで。

荷物は登山リュック一つ。チェストベルトとウェストベルトで重みを背中全体で受ける。で、疲れない。

薄い財布を登山用ジャケットの内ポケットに入れて、ショルダーバッグは持たない。荷物は一つだけ。それで忘れ物を防ぐ。

とこんな旅装なので、それに合う宿に。

今回の宿は、温泉旅館なら一人分のお値段で二人が泊まれました。

料理は特別豪華ではありませんが、部屋に運んできてくれるし、古き良き宿で、心もくつろぎ、いい旅行ができました。

明日も続きます。どうぞよろしく。

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