お彼岸の旅行記もいよいよ最終章。
蝉丸神社は全部で三つ、関蝉丸神社の下社と上社、大津駅から一番遠いのが蝉丸神社。深山幽谷にあるのではなく、歩いて一時間もかからなかったと思う。神秘的に感じるのは名前の持つ力。
電車に乗る前に神社に参拝したのを忘れていました。やれやれ。
関所跡超えると道は下り坂。うなぎ屋が見えてきました。
通り過ぎてから写す。正面は気が引ける。
すぐに神社。後ろの石柱、削ったのは皇紀二千六百年の字?
こちらも石段。
右手奥に本殿。
意外と小さめ。
裏はうなぎ「かねよ」の駐車場。
ひっそりと。
石段下りると山里。
向こうへ行けばすぐに電車の駅だったけど、大津駅で貰った絵図は国道の方が近くに見えたので再び国道へ戻り、陸橋へ上がってまたこの場所の先へ復帰。
いい運動になりました。
この後は京阪電車で、追分、四宮を過ぎて三駅目の山科で下車。
急に開けた街になります。
蝉丸神社はだいぶ前から一度行きたいと思っていました。新幹線やJRからは見えないのですが、一度、高速からちらっと見えた記憶があります。
山にへばりついた神社にどうやったらたどり着けるか不思議でしたが、行き方はとても簡単。
京都からだとJRで一駅の山科まで行き、京阪に乗り換えて三駅目の大谷駅下車。そこから徒歩5分くらい。ひなびた山里に神社はあります。
大津からだと京阪で大谷駅まで。この付近は京都、大津への通勤通学範囲らしく便数は多いです。
ただし、三つの神社共にとてもさびれていました。千年以上の歴史があるのに、街道を人が通らなくなり、信仰する人も少なくなったのでしょうか。昔の旅人は険しい山道を歩きながら、神社に出会うとちょっと軒下で休んだり、時には一夜を明かしたりして心強かったことでしょう。
古歌に歌われた場所を訪ねられて今回はいい旅でした。夫は興味ないので同行頼めば文句言われたかも。一人で歩けるうちはこんな旅行も楽しいものです。
続いて山科です。
駅の南を東海道が通っています。
山科ではもう三条通と名乗っています。
微妙に曲がるのが旧街道。
五条別れの石柱。
あちら五条方面。
再び引き返し、川沿いを南下して山科本願寺跡へ向かいます。
山科本願寺とは本願寺8台門主蓮如が15世紀に築いた寺院で、16世紀半ばに焼き討ちに遭うまで浄土真宗の拠点だった場所。
別院があります。
スマホの道案内でやっと着きました。山科駅からは30分くらい。
あの向こうのようです。
土盛があってあそこが墓所でしょうか。手前の門の柵の隙間から写す。
蓮如は親鸞から数えて八代目、北陸に勢力を広め、真宗中興の祖と言われています。現在、真宗のお経本にある和讃は蓮如が作ったのも多いと聞きました。難しいお経を庶民にわかりやすい和讃にしてみんなで歌う。そこに生まれる門信徒の絆、それが今に続いています。教義も組織力もどちらも大切。
山科本願寺は戦国大名と法華宗の焼き討ちに遭って陥落。門主は大阪へと逃れます。
中世には宗教勢力も戦国大名と渡り合うほどの力を持っていたんですね。今の大阪城の場所にあった石山本願寺が信長との戦いに敗れ、本願寺は世俗勢力の支配下に入ります。
この近くには土塁跡もあるそうなのでまた機会があれば見たいものです。
こちらも本願寺系のお寺のようです。字が立派。
山科駅への近道は醍醐道と表示がありました。北へ向かって上り坂。こちらも昔からの道のようです。
歩いて楽しい旧街道~♪
少し早いけど山科駅近くで軽めの夕食。山科駅で広島までの乗車券買って帰宅。
京都駅は人が多くて大変ですが、こちらはひっそりと。
一人で歩きまくる旅、いゃあ~楽しかった。
姑様の介護の日々には決してできなかった旅。でもあの日々があったからこそ、ひとりの旅がいっそう有難く楽しめるのだと思う。
今でも時々、この話、お姑様に聞いてもらいたいなあと思うことがある。でももういない。残念です。