漢字で『献体』と書きます。
これから医師を目指す学生が、人間の体の構造を勉強する為に
死後、自分の体を解剖して医学に役立ててもらいたいと、提供するのです。
もちろん、生前(自分の意志をしっかり持っている時)に承諾書を書いて
本人が寄与したい病院が特にない場合は、居住地で何処の大学へ行くのか
決まるようです。
いくつになっても、親との別れは辛いものです(子が親を送るのは当然ですが)
私も平成15年の2月に父を送りました。ただ、父の意思で献体してましたので
葬儀の後、火葬をせずに大学の車が迎えに来ました。
今年の2月の命日に、亡くなって2年経って父に会ってきました。
こんな体験はそう出来るものではないでしょう・・・!
1年目は、区切りなのでお寺で1周忌法要をしました。2年目は3回忌になるのですが、
骨もないのに形だけなので納骨と併せてしましょうという事になりました。
ただ母が急に、何もしないけど今年がたぶん最後でしょうから、
父に会って来たいと言い出して・・・大学(歯科大)の先生に連絡をとり再会(?)しました。
癌だったのですっかり痩せてましたが、再会した父は防腐剤を注射するらしく
ふっくらして、胸板も厚くなって表情は穏やかなままでした。
(皮膚の色は変色していましたけど・・・)
10月になって、これから使わせて頂きますという通知が来て、
亡くなって3年。(終わるのが来年の2月なので)戻ってくるまでにまる3年
かかるわけです。
10月22日に本年度、献体する人達(50体)の追悼法要が行われました。
大学主催のもので、多くの学生さん達も御参りして下さいました。
どうして献体しようと思ったの?
という、私の問いに父が「もう、臓器移植できる年でもなし医学の向上に貢献できるなら、
死んだ後の体を提供する事なんか何とも思わないよ。」と・・・。
父の希望でしたから、私達も反対する理由もないので、その時は承諾しました。
でも、いまだったら分かりません?
頭では『死』を理解しているのに、感情が伴わないのです。
父の死を受け入れるのに半年以上かかりました。
人間亡くなって火葬するのは、きっとここで死んだ事を受け止めるのです。
だから火葬された骨を見て、泣いてる人ってまずいませんよね。
私が母にこの事を話すと、「でも、誰かそういう人がいなくちゃ困るでしょ。」
と、確かにそうだけど・・・なんで私の親なんだ。と思ってしまうのは
人間が出来てないんでしょうね。
ただ私は、もう一度同じ思いをしなくてはなりません。
母も父と同様に献体を希望していて、私達は承諾しているのですから・・・。
私もこの両親のDNAを貰っているのだから、同じくらいの年齢になれば
献体しようと思うだろうか?
いいえ、人間の出来てない私は・・・そう考えられないでしょう。
今は、お役目を終えて帰ってくる父を、少し家でゆっくりさせてから
収める所へ安置してあげようと思うだけです。
これから医師を目指す学生が、人間の体の構造を勉強する為に
死後、自分の体を解剖して医学に役立ててもらいたいと、提供するのです。
もちろん、生前(自分の意志をしっかり持っている時)に承諾書を書いて
本人が寄与したい病院が特にない場合は、居住地で何処の大学へ行くのか
決まるようです。
いくつになっても、親との別れは辛いものです(子が親を送るのは当然ですが)
私も平成15年の2月に父を送りました。ただ、父の意思で献体してましたので
葬儀の後、火葬をせずに大学の車が迎えに来ました。
今年の2月の命日に、亡くなって2年経って父に会ってきました。
こんな体験はそう出来るものではないでしょう・・・!
1年目は、区切りなのでお寺で1周忌法要をしました。2年目は3回忌になるのですが、
骨もないのに形だけなので納骨と併せてしましょうという事になりました。
ただ母が急に、何もしないけど今年がたぶん最後でしょうから、
父に会って来たいと言い出して・・・大学(歯科大)の先生に連絡をとり再会(?)しました。
癌だったのですっかり痩せてましたが、再会した父は防腐剤を注射するらしく
ふっくらして、胸板も厚くなって表情は穏やかなままでした。
(皮膚の色は変色していましたけど・・・)
10月になって、これから使わせて頂きますという通知が来て、
亡くなって3年。(終わるのが来年の2月なので)戻ってくるまでにまる3年
かかるわけです。
10月22日に本年度、献体する人達(50体)の追悼法要が行われました。
大学主催のもので、多くの学生さん達も御参りして下さいました。
どうして献体しようと思ったの?
という、私の問いに父が「もう、臓器移植できる年でもなし医学の向上に貢献できるなら、
死んだ後の体を提供する事なんか何とも思わないよ。」と・・・。
父の希望でしたから、私達も反対する理由もないので、その時は承諾しました。
でも、いまだったら分かりません?
頭では『死』を理解しているのに、感情が伴わないのです。
父の死を受け入れるのに半年以上かかりました。
人間亡くなって火葬するのは、きっとここで死んだ事を受け止めるのです。
だから火葬された骨を見て、泣いてる人ってまずいませんよね。
私が母にこの事を話すと、「でも、誰かそういう人がいなくちゃ困るでしょ。」
と、確かにそうだけど・・・なんで私の親なんだ。と思ってしまうのは
人間が出来てないんでしょうね。
ただ私は、もう一度同じ思いをしなくてはなりません。
母も父と同様に献体を希望していて、私達は承諾しているのですから・・・。
私もこの両親のDNAを貰っているのだから、同じくらいの年齢になれば
献体しようと思うだろうか?
いいえ、人間の出来てない私は・・・そう考えられないでしょう。
今は、お役目を終えて帰ってくる父を、少し家でゆっくりさせてから
収める所へ安置してあげようと思うだけです。