私は県議会に当選以来「酒田の元気は港から」と訴え続けていたが、なかなか思い通りに進むようなものではなかった。しかし、チャンスが訪れた。平成23年の東日本大震災で太平洋側の港湾が壊滅状態になり、日本海側の酒田港がその代替機能を発揮したのだ。
酒田港は例年、コンテナ貨物取扱量が5,000TEU位だったものが、緊急物資の取り扱いで、一気に2倍の1万TEUに跳ね上がっだのだ。その直後の予算特別委員会で、酒田港の重要性を訴え、古くなったコンテナクレーンの整備に加え、新たなクレーンの増設を迫った。部長答弁は「検討したい」だったが、知事に食い下がり「実現したい」との答弁を引き出した。委員会室のどよめきが今でも忘れる事が出来ない。
その直後のH25年に、花王の紙おむつ工場の新設が発表され、クレーン増設された年のH26年に、酒田港から「紙おむつ」輸出が始まった。その後は、コンテナ貨物量が倍々ゲームで増加し、29年には28,365TEUとなり、この間、リーチスタッカーの増設やヤードの拡張が行われ、クルーズ船が着岸可能な岸壁にも作り替えていただき、ポート・オブ・ザ・イヤーに選ばれるなど、酒田港は飛躍的に生まれ変わることが出来た。現在も、古いコンテナクレーンの大型化や岸壁の延伸工事が進められている。
バイオマス発電も立地が進み、稼働しているもの、準備をしているもの、風力発電や洋上風力発電など太陽光発電も含めて、港の利活用が進み、外航クルーズ船もこれからが本番の正念場になる。
港湾は膨大な背後地域との連携で成り立つ。それには、高速道路や鉄道で繋がる事が不可欠である。近代酒田港の雄姿を夢見ている。
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