Nonsection Radical

撮影と本の空間

非海洋国家

2010年06月19日 | Weblog
某月某日
浜名湖で「ボート」に乗った中学生達が転覆した事故が報じられたけれど、そのボートというのがカッターという種類である事がわかった。
まあ大きな手漕ぎ船だ。
中学生達が利用した施設の案内を見ると、海山へと様々な体験の出来る施設のようだ。
ただしカッターに関しては他には記述がない特徴があった。
他のボートやカヌー、オリエンテーリング、ハイキング、サイクリングなどスポーツとして案内されているが、カッターは「訓練」なのである。
「規律・協力・忍耐の精神を養う」そうだ。
satoboにはカッターはガレー船のようにしか思えなかったのだが、一概にその印象は間違いではなかったわけだ。
カッターというのは、海を楽しむための船ではない。
楽しむのには不向きな構造で、大きなオールを漕ぎ、軽快ではない船を漕ぎ進める姿はまさしく「訓練」だ。
訓練だから目的は楽しむためではなく、精神修行なのだろう。

日本は周囲を海に囲まれているが、海洋国家ではない。
海に出て遊ぶというのは今でも特別な事だ。
最近はジェットスキーなど数も多くなってきたが、これもヨットやボートが簡単に所有出来ない事からの代替えの遊びであるともいえる。
色々と理由はあるようだが、海で船遊びをする事を規制されているのだ。
漁協との関係や、法律などで施設を簡単に作る事が出来ないので、数少ない施設はどうしてもお金持ち相手にに限られてきたが、基本は海での遊びは役所が規制したいという理由からだ。
規制したい理由はわからないが、規制する目的を役所は見つけたために規制している。
こういう規制は万国共通ではないので、その規制に理由があっての事とは思えない。
エンジンをつけた船にはクルマと同様に「船検」というものがあり、これが導入される時に役所の仕事増やしのためだと揶揄された事もある。
この船検はヨットやモーターボートも適用される。
つまり業務用船舶とプレジャーボートを同様に扱うわけだ。
こういう検査は他国では数少ない。いや日本だけかもしれない。
こういう検査のために結構な金額を支出しなければならないし、それが安全とは結びつかないのはクルマと同じだ。

マリーナを作るのも規制され、船を保持するのも規制を受け、これで海に親しむマリンレジャーが一般の人に広まるわけがない。
こんなことは何十年も前から言われ続けてきたが、一向に変わる気配もない。
この基本に「規制」があるのだが、一方で無責任な人の好きな言葉「自己責任」があるのだ。
他人のしでかした失敗には責任を問うが、自らの行動に責任を持つ事がない、と役所が判断しているため、「仕方なしに」役所が規制しているのだと役人は考えている。
もちろんこれには、何かあるたびに役所へ「何をしていたんだ!」と抗議する勘違いがあるための防衛策という一面もあるのだが、役所の体質として自らの仕事を増やす事が仕事の成果であると考える体質もある。
ほとんど民主主義以前の支配体制時の思考なのだが、それがいまだに残っているし、それを望む人もいる。

海に出る事、山へ行くこと、海外へ渡る事、それらはすべて自分の力で行動する事であり、時には事故に遭い、命を落とす事もある。他人に迷惑をかける事もある。
その責任を引き受けて行動しなければならないのだが、残念ながら時代はそのように「進歩」していない。
非常の場合の備えはおろそかだし、すぐ他人に救助を求める。
ケータイを持っても、地図やロープを持たない本末転倒も多い。
いわゆる「シロート」ばかりが増えて、シロートを育てあげるシステムがないのだ。
そんなことをするよりも、規制してしまった方が簡単なのだ。
あるいはカッターのような楽しめない船に乗せて「訓練」する方向へ向かう。
これでは危険の伴うレジャーは広がらないだろう。

海に対するレジャーに理解がない事は、海に対する仕事へも理解が向かない事につながる。
漁業に対して無関心であるのは、海に対して無関心だからだ。
そんな世の中になるとはレジャー施設建設に反対した漁業関係者も思わなかっただろう。
残念だがそういう時代に行き着いてしまった。
その原因の一つにカッターの「訓練」があるとsatoboは思っているが。
コメント
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