Nonsection Radical

撮影と本の空間

僕らは時代を生きている

2014年02月01日 | Weblog
「なんとなく、クリスタル」田中康夫著 を読み終えた。
なんとなく連想したのは石原慎太郎著「太陽の季節」だった。
似ているというわけではなく、アンチというわけではなく、時代の違いがその時代に生きる人の考え方の違い、行動、つまりライフスタイルに現われているんだなぁと思ったのだ。
当然ながら、両作品の登場人物のような生活を全ての人がしていたわけではない。
でも、そこにはその当時の人々の価値観、憧れ、拒絶、目指すものなど感情、心理のエッセンスが含まれていると思う。
だからこそ当時話題になったのだろう。
奇想天外な事だけ書いてあれば無視されただろう。
そうではなくて、人々の心理に潜む時代の認識をあぶり出したから火がついたのだと思う。
だからそれぞれの物語りの後、実際に社会は、人は、がむしゃらに邁進し、あるいは物質の中にいながら心のバランスを求めさまよう姿を見せた。

好き嫌いかかわらず誰もがその時代の流れの中にいる。
ある人はその流れに流され、あるいは逆らい、ある人は流れに乗る。
そうしてひとつの時代を同時に生きている。
その自覚の有無さえわからない人々のもとに、時折「怪書」が現われて時代の区切りを示してくれるのだ。
そういう「時代の”賜物”」がそれ以降現われていない。
ひとつの事であらわす事が出来ない時代になったのか。
あるいはまだ現在は時代に区切りが来ていないのか。
そのあたりは普通の人には当事者であるからわからない。
それでもみんないつの時代でも渦中の人であることにはかわりないのだ。



倉敷センター街 3
岡山県倉敷市阿知2丁目
撮影 2014年1月11日 土曜日 10時40分
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