80年代の事を知ろうとするとどうしても古本頼りになってしまう。
で、適当な本を探すのだけど、ありがたいことに誰も興味を持たないのか、多くが極めて低額で手に入れる事が出来る。
いきおい目につくものを”大人買い”するのだけれど、結構”当たり”があって面白い。
今読んでいるのは「日本の官僚」田原総一朗著 文春文庫。1984年発行。
その中に興味深い記述がある。
興味深いのはsatoboだけかもしれないが、興味深い事に変わりはない。
1978年福田内閣の時の話だけど、日中平和友好条約締結という事に総理の福田赳夫は前年からのらりくらりと引きのばしをしていたらしい。
その真意を当時は誰もが計り兼ねていたのだが、その理由が日中条約締結によって米中日によるソ連包囲網を作る事をアメリカ大統領ジミー・カーターから求められた事によると言う。
しかし福田赳夫首相にとって、アメリカから言われた「世界戦略」が現実感のないものであり、戸惑いの結果日中条約締結に踏み出せないでいたということだ。
戦後の日本は、アメリカにすべて「世界戦略」を任せていて、政治的、軍事的役割りを免除されて、ただ経済成長のみに力を注いできたのに、いきなり「パワーポリティクス(力による国際政治)」の世界に飛び込めと言われて困惑したのだった。
その世界に踏み込むには、自前の世界戦略を構築する司令部が必要となり、戦後政治の根底からの改革となる大事業が必要となる。
戸惑いを見せつつも、福田はある”構想”に着手したという。
これからが面白いのよ。
その構想とは「統合作戦本部構想」と呼ばれ、佐藤栄作内閣時の内閣改革案を拡充したものといい、首相直轄の内閣府を新設し、多くの省庁を包括して、総理のブレーンを補佐官として置くというもの。
この”司令部”で国際戦略の一翼を担う存在になるというのだ。
どこかで聞いた話だと思いませんか?
結局党内抗争の結果、福田は一期で総理を辞める事になり、この構想は消えてしまったのだが、21世紀になって「普通の国」になると言って世界戦略の一翼を担う事を表明した某首相が、同様の構想を構築しようとしている事が興味深いね。
当時は戸惑い、現在は自らその役割を担おうとしている時代の変化。
でも30年以上経っても、そういうシステムは日本には構築されていなかったのも驚きだけど。
ただ当時と状況は異なり、某首相が考える”包囲網”とアメリカとの戦略にはどうも相違があるみたいで、勝手な包囲網を作ろうとする動きにアメリカは神経質になっている。
はたして日本は世界戦略の一翼となるのか、単なるお騒がせなアジアの一国として扱われるのか、それは某首相の高度な政治思想にかかっている。
面白い本を拾ったものだ。
鶴形商店街
岡山県倉敷市鶴形1丁目
撮影 2014年1月11日 土曜日 10時45分
で、適当な本を探すのだけど、ありがたいことに誰も興味を持たないのか、多くが極めて低額で手に入れる事が出来る。
いきおい目につくものを”大人買い”するのだけれど、結構”当たり”があって面白い。
今読んでいるのは「日本の官僚」田原総一朗著 文春文庫。1984年発行。
その中に興味深い記述がある。
興味深いのはsatoboだけかもしれないが、興味深い事に変わりはない。
1978年福田内閣の時の話だけど、日中平和友好条約締結という事に総理の福田赳夫は前年からのらりくらりと引きのばしをしていたらしい。
その真意を当時は誰もが計り兼ねていたのだが、その理由が日中条約締結によって米中日によるソ連包囲網を作る事をアメリカ大統領ジミー・カーターから求められた事によると言う。
しかし福田赳夫首相にとって、アメリカから言われた「世界戦略」が現実感のないものであり、戸惑いの結果日中条約締結に踏み出せないでいたということだ。
戦後の日本は、アメリカにすべて「世界戦略」を任せていて、政治的、軍事的役割りを免除されて、ただ経済成長のみに力を注いできたのに、いきなり「パワーポリティクス(力による国際政治)」の世界に飛び込めと言われて困惑したのだった。
その世界に踏み込むには、自前の世界戦略を構築する司令部が必要となり、戦後政治の根底からの改革となる大事業が必要となる。
戸惑いを見せつつも、福田はある”構想”に着手したという。
これからが面白いのよ。
その構想とは「統合作戦本部構想」と呼ばれ、佐藤栄作内閣時の内閣改革案を拡充したものといい、首相直轄の内閣府を新設し、多くの省庁を包括して、総理のブレーンを補佐官として置くというもの。
この”司令部”で国際戦略の一翼を担う存在になるというのだ。
どこかで聞いた話だと思いませんか?
結局党内抗争の結果、福田は一期で総理を辞める事になり、この構想は消えてしまったのだが、21世紀になって「普通の国」になると言って世界戦略の一翼を担う事を表明した某首相が、同様の構想を構築しようとしている事が興味深いね。
当時は戸惑い、現在は自らその役割を担おうとしている時代の変化。
でも30年以上経っても、そういうシステムは日本には構築されていなかったのも驚きだけど。
ただ当時と状況は異なり、某首相が考える”包囲網”とアメリカとの戦略にはどうも相違があるみたいで、勝手な包囲網を作ろうとする動きにアメリカは神経質になっている。
はたして日本は世界戦略の一翼となるのか、単なるお騒がせなアジアの一国として扱われるのか、それは某首相の高度な政治思想にかかっている。
面白い本を拾ったものだ。
鶴形商店街
岡山県倉敷市鶴形1丁目
撮影 2014年1月11日 土曜日 10時45分