Nonsection Radical

撮影と本の空間

その先にあるもの

2014年06月08日 | Weblog
6月は写真月間ということで各地で催し物が開かれているけど、大阪でもギャラリーが連動して写真展が催されている。
それでいくつかのギャラリーへお邪魔したんだけど、ちょっと途中で唸ってしまった。ンンンンン・・・
みんな視点が同じなんだよねぇ。
同じようなものを見て、同じようなものに興味を抱き、同じようなものを撮影する。
それってみんな同じ価値観ってこと。
同じ価値観だから同じようなものに視点が向き、同じような写真を撮る。
それってマズいと思わないの?撮っていて。
見る方はマズいと思うんだけど。
何人かの写真がギャラリーに並び、どれも誰が撮ったか区別がつかないような写真って。

ハッキリ言うけど、そんな写真なんにも面白くないのよ。
どれもすでにこれまで何千回も誰かに撮影された視点なんだよ。
そこに何を見ろって言うのだろう?
平凡であることを確認しろとでも?
もっと違うものを撮影しろなどとは言わない。
もっと違う価値観を持てと言いたい。
つまり根源的なものを見つめた方がイイんじゃないのかと。
自分はなぜこういうものを撮影して、つまらんと言われてしまうのか?
「大大阪」と言われる21世紀の大都市で、なぜ前世紀に撮りつくされたものを前世紀と同じ価値観、視点で撮ってしまうのか?
それに何の価値があるのか?現在の自分にも他人にも。
生きていく上で、時代と共に変わる価値観とどのように折り合いをつけていけるのか。
そしてそれを表現する上で、どのように活かせるのか?
そこんとこ、ちょっと考え直してみないとなぁ・・・
それがすべての表現に関するもっか最大の課題なんだから。
写真だって逃げられない。



一条通の街並み 2
京都府京都市北区等持院南町,大将軍坂田町,右京区谷口唐田ノ内町,花園猪ノ毛町,花­園寺ノ中町,谷口梅津間町
撮影 2014年3月8日 土曜日 16時40分
コメント
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