Nonsection Radical

撮影と本の空間

問題はその先なのだが

2014年06月30日 | Weblog
安倍政権が(まさしく自民党がではなく安倍政権が)集団的自衛権行使に向けて着々と突き進んでいるんだけど、何がしたいのかわからないのでどう考えていいのかわからない。
日本のオトコはというか、政治家はというか、構想の全体像を語らない。
オトコは黙って○○ビールは死語になっているが、言動は今も昔も変わらない。
基本的に黙っていてもわかるはずという”甘え”があるのだけど、それに振り回される女子供、国民はイイ迷惑であるのも今も昔も変わらない。
今回の件でいえば、集団的自衛権を認める国家を作るとしよう。
で、その先にはどのような世の中を想定しているのか?
そこは語らない。
それを語ってくれないと、イイも悪いもない。
イイも悪いも国民が決める事じゃない、という世の中であるのかもわからない。
10年先、20年先、50年先は、世界はこうなっているだろうから、日本もこういう立場に立つ必要がある、という”指針”が示されていない。

なにしろ日本には”前科”がある。
大陸に”進出”したが、”想定外”の出来事の数々で”事変”は泥沼化し、アメリカとも戦うはめになり、負けて大陸からも”撤退”した。
この時にだって、何も説明があったわけではなく、場当たり的に対処していっただけだ。
そもそも、当時はどのような世の中を想定していたのか?
夢物語ではなくて、現実的可能性のある想定を。
同様に集団的自衛権を行使する国になって、どのような世界でどのような立場にいようとするのか。
誰か聞いた事のある人はいるか?
常に変化する世界情勢をどう分析し、何十年か先の日本の立場をどう位置づけるのか安倍は語らない。
そんな事わからないというのなら、また同じ事の繰り返しで”前科”を増やすだけになるだろう。
恐れるのは、再び”事変”が勃発して、なし崩し的に国が世の中が突き進んでいく事だ。
その場合、熱狂的に突き進んでいった”前科”が国民にもある事を忘れてはならない。
今度はそうならないなどとたわごとがいえるのか?
たわごとをいうにも何も情報が与えられていないではないか。
一方で、政治家や官僚がすべての責任を持つかというと、そんなことするわけがないという”前科”もある。
もちろん熱狂した”前科”を国民が責任を取る事もなかった。
結局すべて場当たり的にやっていこうと無責任に思っているとしか考えられないのだ。




栄町,東小路町の街並み
長崎県諫早市栄町,東小路町
撮影 2014年3月22日 土曜日 10時55分
コメント (4)
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