きっとTPPと関係があるんだろうなと無知なくせに勝手に思ってしまうのが農協の問題。
どうして国とかが上から単なる協同組合のあり方をウンヌンするのか、またニュースに出てくるのは農協”上層部”のコメントなのか全然わからないんだけど。
そんなもの組合員同士で話し合えば済む問題じゃないかと思うんだけど、そうじゃないんだろうな。
協同組合なんてのは”建前上”はすべて平等な地位にあることになっている。
それは農協でも生協でも漁協でもそうやって”民主的”な立場を取っているわけだ。
でも現実は違うでしょ。
もの言えば・・・の世界が”末端”の組合員の口を塞いでいるのがニッポンの民主主義でしょ。
そんなものは国だって同じで、平等な立場の国民が選挙で代表を選んで、みんなであれこれいう煩わしさを代行させているだけなんだけど、そんなことは青二才のいう理想論で、現実は戦前から引き継がれた”お上”が支配しているのは身にしみて理解しているわけね。
”自治体”などと住民が”自治”をするための組織みたいな呼び名があっても、だれも自治なんてことを考えていない。
そもそもそんな発想は戦勝国のアメリカが”押しつけた”発想だし。
教育委員会なんてのも日本の国体にあわないしね。
もっと末端の自治会なんか、単なる自治体の下部組織としか思われていないし、本当に住民が自治をやろうとすると必ず横やりがはいる。
住民、国民はそれぞれがそれぞれの思惑を持っているんだけど、みんな黙るのは、思惑をぶつけあって調整するという方法よりも、黙っている方が波風立たずに平和裏にすませられて民主的だと思っているからかな。
それがニッポン人の特質かと思っていると、宮本常一なんかの本を読むと、明治期ぐらいの農村ムラ社会では、何日もかけてボソボソと討議をして調整の上”全会一致”を見るなどという”民主的”なことが行なわれていたとあるのだから、黙って従うというのは案外最近の処世術なのかもしれない。
まあそうであっても、なにかしらのグループを作って民主的にやるというのが、リーダーを立てて他の者はまかせて「何も考えない」というのでは、どうやらウマくいかない時代になったんだと思うんだよね。
むしろこれからは、好き放題言ったあげくに、苦労してなんとかまとめあげていくという、メンドクサイことをして”結果”を出すことが重要視される時代なのかもしれないね。
それをまとめあげることが出来る能力があるのが管理者というリーダーであり、そういう場所で各自が考えて好きなことをするのが「任意団体」のあるべき姿じゃないのかなと思うんだけど。
でないと、末端はつまらなくてやってられないでしょ。
南山手町の街並み 2
長崎県長崎市南山手町,松が枝町
撮影 2014年3月23日 日曜日 16時05分
どうして国とかが上から単なる協同組合のあり方をウンヌンするのか、またニュースに出てくるのは農協”上層部”のコメントなのか全然わからないんだけど。
そんなもの組合員同士で話し合えば済む問題じゃないかと思うんだけど、そうじゃないんだろうな。
協同組合なんてのは”建前上”はすべて平等な地位にあることになっている。
それは農協でも生協でも漁協でもそうやって”民主的”な立場を取っているわけだ。
でも現実は違うでしょ。
もの言えば・・・の世界が”末端”の組合員の口を塞いでいるのがニッポンの民主主義でしょ。
そんなものは国だって同じで、平等な立場の国民が選挙で代表を選んで、みんなであれこれいう煩わしさを代行させているだけなんだけど、そんなことは青二才のいう理想論で、現実は戦前から引き継がれた”お上”が支配しているのは身にしみて理解しているわけね。
”自治体”などと住民が”自治”をするための組織みたいな呼び名があっても、だれも自治なんてことを考えていない。
そもそもそんな発想は戦勝国のアメリカが”押しつけた”発想だし。
教育委員会なんてのも日本の国体にあわないしね。
もっと末端の自治会なんか、単なる自治体の下部組織としか思われていないし、本当に住民が自治をやろうとすると必ず横やりがはいる。
住民、国民はそれぞれがそれぞれの思惑を持っているんだけど、みんな黙るのは、思惑をぶつけあって調整するという方法よりも、黙っている方が波風立たずに平和裏にすませられて民主的だと思っているからかな。
それがニッポン人の特質かと思っていると、宮本常一なんかの本を読むと、明治期ぐらいの農村ムラ社会では、何日もかけてボソボソと討議をして調整の上”全会一致”を見るなどという”民主的”なことが行なわれていたとあるのだから、黙って従うというのは案外最近の処世術なのかもしれない。
まあそうであっても、なにかしらのグループを作って民主的にやるというのが、リーダーを立てて他の者はまかせて「何も考えない」というのでは、どうやらウマくいかない時代になったんだと思うんだよね。
むしろこれからは、好き放題言ったあげくに、苦労してなんとかまとめあげていくという、メンドクサイことをして”結果”を出すことが重要視される時代なのかもしれないね。
それをまとめあげることが出来る能力があるのが管理者というリーダーであり、そういう場所で各自が考えて好きなことをするのが「任意団体」のあるべき姿じゃないのかなと思うんだけど。
でないと、末端はつまらなくてやってられないでしょ。
南山手町の街並み 2
長崎県長崎市南山手町,松が枝町
撮影 2014年3月23日 日曜日 16時05分