今日の京は暑かった。
疲れがたまっているようだったので、ロングはやめて、近場でブラブラしようと京都へ出かけた。
京都駅前には修学旅行生が相変わらず体育座りで点呼を受ける姿がアチコチにあり、団体旅行の正しい姿を晒していたのだけれど、ヤレヤレと思うわけにもいかない。
小旗を持ったツアコンを先頭に、ゾロゾロと歩く「外人さん」の団体もいたのだ。
みんなおしゃべりしたりキョロキョロしたりしているので、知らない街で迷子になるのを避けるのに、”あの小旗”が掲げられているのは重要な目印になるのかもしれない。
鴨川べりに涼んでいる人がたくさんいたのだけれど、これが”本来の京都のあり方”であると思えるのはいつの時代からであろうか?
1000年以上前だと、あの河原は死体の捨て場所であった事もあろうし、わざわざ街中から河原まで涼みにいった人もそうはいないかもしれない。
しかし、昭和だと結構いるのではないか。
それもエアコンが普及する以前だと。
関西は関西電力がなんの努力もこの1年しなかったために、新たな発電所が作られるわけでもなく、夏の電力不足が懸念されている。
15%以上の節電が必要だという。
おまけに火力発電のための燃料費がかさみ電気代も値上げされると言う。
これまでは、ドンドン電気を使って儲けさせてくださいね、と言っていたのに、今は使えば使うほど赤字になるから使わないでね、と言う。
つまり、電力不足の問題は、電力会社の儲けの問題になるのだ。
同様に、電力不足の問題は、電気代の問題なのだ。
だったら15%といわずに、もっと節電したらイイのだ。
収入も伸びない御時世だから、電気代が安くなれば言うことなしではないか。
映画を観て、その頃まだ生まれてもいなかった人達まで”懐かしい”と感じたあの昭和の時代に戻れば、電気代も安くなるではないか。
おまけに電力不足も解消され、原発を動かす事も必要なくなるのだ。
実際にあの時代がどうだったかを振り返ってみると・・・
一般家庭にエアコンなどない。
だからエアコンは使わない。
扇風機だ。
窓を開け放し、扇風機の前で「アワワワワ」と言うのだ(笑)。
これだけで冷房に関して15%以上の”節電”だろう。
もちろん会社にもエアコンなどない。
各自扇子、団扇持参で、扇風機が首を振っている。
クールビスなどという言葉がなくても、みんな開襟シャツだ。
暑さ避けにカンカン帽や日傘は必須だ。
ステテコと下駄があれば植木等だぁ。
電車だって窓を開けて、扇風機が回っていた。
クルマだってエアコンなどないか、使わず、窓を全開で、三角窓から外気を呼び込むか、小型の扇風機をつけたりしていた。
お店にだってエアコンなどあるのは一部だけで、氷柱が涼を呼んだりしたものだ。
昼間からテレビなど視ている者などおらず、団扇片手に寝転んでいたのだ。
こんな昭和の生活に戻れば、電力不足など関係ないし、電気代も安くなるのだ。
そして原発反対、必要ないという立派な意思表示になる。
もちろん当時はパソコンなどなかったので、使うなと言わないまでも、ダラダラつけっぱなしにしておかず、まさしく”あの”モデムで通信していた時のように、時間を気にしながら使用すべきなのだ。
テレビだって”一家の団らん”には不要だろう。
ましてや真夏の高校野球中継など論外だろう。
どうして一番電気が不足する時期時間帯にテレビをつけっぱなしにしなければならないのか?
高校野球はテレビ中継を止めるのが当然だ。
結果だけ夜に少しだけ放送すればイイのだ。
エアコンは使わない。
クルマのエアコンは外気を熱するので禁止。
電車でも扇風機。
店舗冷房禁止。
会社へは開襟シャツで行き、扇風機。
打ち水、すだれ、よしずは当たり前。
あいさつは「暑いですね」。
あの昭和の時代から変わったのは「快適さ」だ。
汗をかかない快適さを手にした結果、電力が必要とされたのだ。
それを手放せばイイ。
そのために努力をすればイイ。
熱中症で倒れるなどというのは、暑さをしのぐ工夫を忘れてしまった結果だ。
足りない足りないは工夫が足りない。と言ったではないか。
電気が足りないのでなく、工夫が足りないのだ。
15%節電などではなく、いっそ50%減らして、昭和の時代を懐かしもうではないか。
そのためにも夕涼みに出るのは大切な風物詩になるべきなのだ。
京都府八幡市橋本駅界隈
疲れがたまっているようだったので、ロングはやめて、近場でブラブラしようと京都へ出かけた。
京都駅前には修学旅行生が相変わらず体育座りで点呼を受ける姿がアチコチにあり、団体旅行の正しい姿を晒していたのだけれど、ヤレヤレと思うわけにもいかない。
小旗を持ったツアコンを先頭に、ゾロゾロと歩く「外人さん」の団体もいたのだ。
みんなおしゃべりしたりキョロキョロしたりしているので、知らない街で迷子になるのを避けるのに、”あの小旗”が掲げられているのは重要な目印になるのかもしれない。
鴨川べりに涼んでいる人がたくさんいたのだけれど、これが”本来の京都のあり方”であると思えるのはいつの時代からであろうか?
1000年以上前だと、あの河原は死体の捨て場所であった事もあろうし、わざわざ街中から河原まで涼みにいった人もそうはいないかもしれない。
しかし、昭和だと結構いるのではないか。
それもエアコンが普及する以前だと。
関西は関西電力がなんの努力もこの1年しなかったために、新たな発電所が作られるわけでもなく、夏の電力不足が懸念されている。
15%以上の節電が必要だという。
おまけに火力発電のための燃料費がかさみ電気代も値上げされると言う。
これまでは、ドンドン電気を使って儲けさせてくださいね、と言っていたのに、今は使えば使うほど赤字になるから使わないでね、と言う。
つまり、電力不足の問題は、電力会社の儲けの問題になるのだ。
同様に、電力不足の問題は、電気代の問題なのだ。
だったら15%といわずに、もっと節電したらイイのだ。
収入も伸びない御時世だから、電気代が安くなれば言うことなしではないか。
映画を観て、その頃まだ生まれてもいなかった人達まで”懐かしい”と感じたあの昭和の時代に戻れば、電気代も安くなるではないか。
おまけに電力不足も解消され、原発を動かす事も必要なくなるのだ。
実際にあの時代がどうだったかを振り返ってみると・・・
一般家庭にエアコンなどない。
だからエアコンは使わない。
扇風機だ。
窓を開け放し、扇風機の前で「アワワワワ」と言うのだ(笑)。
これだけで冷房に関して15%以上の”節電”だろう。
もちろん会社にもエアコンなどない。
各自扇子、団扇持参で、扇風機が首を振っている。
クールビスなどという言葉がなくても、みんな開襟シャツだ。
暑さ避けにカンカン帽や日傘は必須だ。
ステテコと下駄があれば植木等だぁ。
電車だって窓を開けて、扇風機が回っていた。
クルマだってエアコンなどないか、使わず、窓を全開で、三角窓から外気を呼び込むか、小型の扇風機をつけたりしていた。
お店にだってエアコンなどあるのは一部だけで、氷柱が涼を呼んだりしたものだ。
昼間からテレビなど視ている者などおらず、団扇片手に寝転んでいたのだ。
こんな昭和の生活に戻れば、電力不足など関係ないし、電気代も安くなるのだ。
そして原発反対、必要ないという立派な意思表示になる。
もちろん当時はパソコンなどなかったので、使うなと言わないまでも、ダラダラつけっぱなしにしておかず、まさしく”あの”モデムで通信していた時のように、時間を気にしながら使用すべきなのだ。
テレビだって”一家の団らん”には不要だろう。
ましてや真夏の高校野球中継など論外だろう。
どうして一番電気が不足する時期時間帯にテレビをつけっぱなしにしなければならないのか?
高校野球はテレビ中継を止めるのが当然だ。
結果だけ夜に少しだけ放送すればイイのだ。
エアコンは使わない。
クルマのエアコンは外気を熱するので禁止。
電車でも扇風機。
店舗冷房禁止。
会社へは開襟シャツで行き、扇風機。
打ち水、すだれ、よしずは当たり前。
あいさつは「暑いですね」。
あの昭和の時代から変わったのは「快適さ」だ。
汗をかかない快適さを手にした結果、電力が必要とされたのだ。
それを手放せばイイ。
そのために努力をすればイイ。
熱中症で倒れるなどというのは、暑さをしのぐ工夫を忘れてしまった結果だ。
足りない足りないは工夫が足りない。と言ったではないか。
電気が足りないのでなく、工夫が足りないのだ。
15%節電などではなく、いっそ50%減らして、昭和の時代を懐かしもうではないか。
そのためにも夕涼みに出るのは大切な風物詩になるべきなのだ。
京都府八幡市橋本駅界隈