昨年12月のはじめにおじさんが亡くなり、今月はじめ一人残された娘さんが亡くなった。
ずっと2人を世話してきたおじさんのお兄さん夫婦のおっしゃるには、「弟が娘を呼び寄せたと思うことにした」
脳性マヒで動くこともままならぬ娘さんを置いて逝くことは、どれほど無念だったろうなとお兄さん夫婦とも話しした。
その矢先・・誰もがそう思ったに違いないでしょう。
随分前亡くなった娘さんの母親の葬儀の日、私達班の者は初めて娘さんを見た。
その時の年齢は分からないけど40歳くらいだったかな。
目がきれいで、無邪気に父親の膝に抱かれている姿に一層悲しみが増した日だった。
おばさんは、ひっそりと自宅で介護をしておられて、大きくなった娘さんを抱く毎日で
背骨の疲労骨折という診断の後暫くしてお亡くなりになった。
あの頃はまだ介護保険制度というものが無かったか、始まったばかりでその恩恵を受けることができたら
おばさんはもっとお元気でおられたと思う。
葬儀は身内だけでしますからと挨拶に見えられたけど
両隣の者の気持ちだけと、女の子にピッタリな花束とフルーツの詰め合わせを仏前にお供えさせてもらった。
日参されるお兄さん夫婦の足音だけしか聞こえないお隣さんの庭にピンクの椿が咲き始めている。
ずっと2人を世話してきたおじさんのお兄さん夫婦のおっしゃるには、「弟が娘を呼び寄せたと思うことにした」
脳性マヒで動くこともままならぬ娘さんを置いて逝くことは、どれほど無念だったろうなとお兄さん夫婦とも話しした。
その矢先・・誰もがそう思ったに違いないでしょう。
随分前亡くなった娘さんの母親の葬儀の日、私達班の者は初めて娘さんを見た。
その時の年齢は分からないけど40歳くらいだったかな。
目がきれいで、無邪気に父親の膝に抱かれている姿に一層悲しみが増した日だった。
おばさんは、ひっそりと自宅で介護をしておられて、大きくなった娘さんを抱く毎日で
背骨の疲労骨折という診断の後暫くしてお亡くなりになった。
あの頃はまだ介護保険制度というものが無かったか、始まったばかりでその恩恵を受けることができたら
おばさんはもっとお元気でおられたと思う。
葬儀は身内だけでしますからと挨拶に見えられたけど
両隣の者の気持ちだけと、女の子にピッタリな花束とフルーツの詰め合わせを仏前にお供えさせてもらった。
日参されるお兄さん夫婦の足音だけしか聞こえないお隣さんの庭にピンクの椿が咲き始めている。