平成初期のパチスロ3号機ブームについて取り上げたドキュメンタリー番組「NONFIX・コインの魔力777」(1992年放映)について、過日紹介した。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/5a2d9ab714efa11dc08237afc311a2f3
上記記事では、以前ヨウツベに投稿された動画(既に削除)のうち、冒頭15分についてのレビュー・考察を行った。今回も、その続きを少々書いてみたいと思う。
以下は、数年前に5分割されて投稿された動画の「パート4」の内容である。
まず、パチスロ3号機「コンチネンタルI」(瑞穂)の「検定取り消し」処分について、当時のK察庁幹部のしょーもない見解が流される。1991年10月、コンチの過激な連チャン性を誘発した「CS-90」が違法改造と認定され、瑞穂は検定を取り消される。しかし、取ってつけたようなお上の言い分など、聞いていてイライラするばかりである。ファンが心底楽しいと思って追いかけた台に対し、射幸性を理由に「不正」の烙印を一方的に押し付ける当局の動きに、まったく同意することはできない。
それに対して、次の場面では、伝説の裏ロム師「下田一仁」氏が登場して、当時のファンの切実な思いを代弁してくれている。下田氏と言えば、ガイド誌上において、独特の広島弁でさまざまなパチスロの「裏」の世界を暴露していた解析者であり、「ゴト師株式会社」という漫画&Vシネマの原作者でも知られる。
「裏ロム製作に対して罪悪感を感じませんか」との記者の質問に答える下田氏の次の言葉が、真相を如実にあらわしていると思う。
「罪悪感っていったら、国がやっとることの方がよほど罪悪ですよ。プリペイドカード(CR機)なんかもそうじゃしね。廻りまわって、ファンの人にみんなそのツケを持ってくることを言うとる訳ですから、国がそんなことをやって・・・。ましてや個人が、要するにファンの人がプラスになるであろう事の手助けをしとるに過ぎん訳ですから、それが罪悪いうのは、私にはそんな言われはない。」
このインタビューは、氏の解析ルームでもあるマンションの一室で行われた。室内には、解析用のPCやモニタ、イミュレーター、ロムライターなどが所狭しと置かれている。気になったのは、2号機「ベンハー」の実機が置かれていた事だ。当時はノーマルと信じ切っていたベンハーに、ひょっとしたら下田氏が手を加えた連チャンVerが存在したかもしれない…ある意味、衝撃的なシーンだ。
さて、次のシーンでは、朝イチからパチスロ店へと出向く外国人(アジア人)の模様が出てくる。舞台となっているのは、東京・池袋である。開店前に、胡散臭い中国人や韓国人達が入口付近でたむろする光景は、当時私のホームであった新宿でも、同じように見受けられた。まさにあの頃は、こういった「多国籍軍」とも表現すべきアジア人たちが、ホールに跋扈していた時期だったのである。
彼らが、われ先にと向かっていったのは2号機「アラジン」のシマである(開店時のBGMが「TRUTH」と「軍艦マーチ」である事が判る。この2曲は、当時の開店の定番であった。一人の韓国人が、前日狙いを付けたアラジンに一目散に駆け込む場面が、当時の状況を良く映し出している。
その頃のパチ屋にいたアジア人たちといえば、他の人間が散々金をつぎ込んだ台の後釜を狙う「ハイエナ」を得意にしていた。まぁ、一般ファンから嫌われる事この上ない立ち回りだが、当時のパチスロはハマった後に連チャンするタイプが多く、ある意味で「最善」の攻略法を実戦していたともいえる。まぁ、連中のしたたかさは、善良過ぎる日本人とは一味違った…という事だろう。
ただ、取材ホールが何という店なのかは、イマイチハッキリしない。直前の映像では、「パチスロキ〇〇〇」という看板の一部が出ているのだが、当時の池袋で「キ」の付くホールといえば、西口の「キング」や東口の「キングス」が考えられる。ただ、これらの店に当時、初代アラジンが置いてあったかは覚えていないので、これから調査していく必要があろう。
※追記⇒この不良アジア人が朝一からアラジンを打つホールは、西口「コスモ」(既に閉店)の地下フロアである可能性が高い事が判明した。「キ〇〇〇」という看板は、おそらくイメージカットだろう。
最後のシーンでは、一人の中国人ゴト師について取り上げている。彼が試し打ち&偵察と称して入っていった店は、池袋西口のパチスロ専門店「カメ」であることが、映像より分かる。当時は、ああいった狭っ苦しいスロ屋があちこちで営業しており、しかもどの店も客付きが非常に良かった。連チャン3号機の人気の高さが窺えよう。
この「カメ」であるが、残念ながらその後閉店してしまい、その跡地では現在「デイリーストア池袋西口店」が営業している。