まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

溝の口・パチスロ回顧録

2011-09-15 06:52:05 | 90年代パチンコ店マップ

川崎・溝の口。




私のパチ・スロ歴の中でこのエリアに最初に出向いたのは、21年前の1990年にさかのぼる。パチンコでは保留連チャン機全盛、パチスロも連チャン3号機台頭の「良き時代」だった。


この頃は、大学に向かう途中に通る新宿がホームになっていたが、所用で田園都市線を利用することも多かったので、溝の口にちょくちょく出向くことがあった。


当時は駅前が再開発される前であり、南武線・武蔵溝ノ口駅と東急・溝の口駅とを結ぶ連絡通路は「ショッピングセンター・ヤストモ」という駅前アーケードと、その脇の線路沿いの小道だった。


このヤストモの東急側の出口に「ツバメ」というパチンコホールがあり(現在は再開発により消滅)、溝の口での実戦はもっぱらこの店の2階パチスロフロアだった。狭いフロアには、コンチネンタルⅢ(メーシー)が変則的に設置されており、所用の帰りに短時間勝負をしていたのを覚えている。

 

バス通り沿いには「エース」なんて香ばしい雰囲気のパチ屋もあった。まぁ、いつ行っても客が少なくて、とても金を落す気にはなれなかった。


その後、しばらくは溝の口から離れていたが、駅近くのN拓でシオサイ30(パイオニア)の設置を確認してからは、溝の口に通う頻度も上がっていく。ハイビスカスが光る楽しさを覚えてしまった自分にとって、シオサイ設置ホールはまさに絶好の遊び場となった。


ちなみに、必勝ガイド誌などで有名だった故・田山幸憲プロが、1993年頃から溝の口をネグラとされていたのだが、残念ながら直接お会いすることはなかった。今思えば、南武線駅前の「B店」(PSビッグトップ)に、一度でも足を運んでおけば良かった…と後悔している。


やがて、この地域にも次第に4号機の裏モノが蔓延していった。南武線改札脇の「ライジ〇グサン」にはカブトの爆連Verが置いてあり、データランプにはビッグ50回だの60回だのといった羨ましい履歴が並んでいた。まぁ、そんな爆裂台を横目に、私はもっぱらジャグラーを打っていたのだが。いざ腹を決めてカブトを打ってみたら、見事にノーマルに戻っていた…というオチも付いた。


また、駅から歩いて繁華街に入るとBモノ設置店が割と多かったように記憶する。「キ〇グ」という老舗にはシオラーの32Verなどが置いてあったし、「ミラ〇ジュ」というスロ専では、赤光の剣やキングオブジャングルなど、とっつきやすいBモノ(それでも波は荒かったのだが)を良く打っていた。


この「ミ〇ージュ」の2Fには、ハナハナをメインに裏沖がズラリと並んでおり、一時期は鉄火場の様相を呈していたのだが、いつの間にかシマ全体が閉鎖されてしまった。ノーマル化のあおりを受けて客が飛んだからか、それとも露骨なB沖が〇察に摘発されたからなのかは知らないが・・・。


さらに、東急線ガード下の「こが〇ホール」には裏ビーナスセブン(状態モノ?)が置いてあったのだが、常連っぽい人たちがドハマリしている悲惨な光景をたびたび目にしていたので、あまり近づかないことにしていた。


もちろんノーマル機もよく打ったのだが、大抵はエ〇パスの地下で沖スロ勝負と相場が決まっていた。本館のハイシオ・シオラー・ハイビや、新館のシオサイ・キングキャッスル(さらには25φのオアシス)など、ドノーマルの沖でガツンと勝つことはなかったが、そこそこ遊ぶことは出来た。

そうそう、ミラ〇ジュの向かいにある「ニュ〇こがね」では、2Fの狭いスロットフロアで高砂のマイナー機種「スロ野球」が設置されており、ちょっと驚いた記憶がある。

 


このように、2000年前後の裏4号機時代には頻繁に通っていた溝の口だったが、今ではほとんど行く機会もなく、現状がどうなっているかは知る由もない。ただ私にとっては、Bモノ全盛期までの楽しい思い出だけが、今も心に残っている。