まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

平成初期・新宿歌舞伎町のパチンコ・パチスロ店

2011-09-10 05:40:04 | 90年代パチンコ店マップ
 
 
以前の記事でも触れたが、私の1990年代前半のホームグラウンドである新宿・歌舞伎町のパチンコ店、パチスロ店について、今回ざっと振り返ってみたいと思う。



新宿駅東口を出てまず目に入るのが、スタジオALTAの巨大スクリーン「アルタビジョン」である。



このアルタビジョンを眺めつつ、アルタ横の「フルーツ百果園」脇のゴミゴミした通りを抜け、靖国通りの大きな横断歩道を渡って歌舞伎町へと入るのがいつものルートであった。



このアルタの裏には当時「モナコ」というパチ屋があり、1F、一発台コーナー(2.5円、4000発終了)でアレパチ「ワイワイワイ2」(太陽電子)を好んでよく打っていた。



さて、この頃の歌舞伎町には約15軒ほどのパチ屋(スロ屋)があったのだが、やはり日本一の繁華街、総じて出玉的には厳しい印象が残っている。



靖国通りからコマ劇前のメインストリートに入ると、右手に「747」という小さなパチ屋があった。ここは、地下へと降りる階段が特徴的な店で、オリンピアの2-1号機「バニーガール」があった。



そのままコマ劇方面へと進むと、左手に「モナミ」という店があった。ここは地上階にパチンコ、地階にパチスロを設置していて、当時はニューペガサスやコンチⅢ、ペガサスEXAなどがあった。特にニューペガは、かなり末期まで設置されていたので、新宿界隈では有名な店だった。

また、モナミの隣には、「ニューセブン」という古臭いパチ屋もあり、デジパチのパールセブンなどを置いていた。

コマ劇場の周辺では「オデヲン」と「ラスベガス」という2店舗が営業していた。オデオンはコマ劇の目の前に位置する大型店で、当時アラジンⅡ(サミー)を大量導入していたことが印象に残っている。また、この店の特徴として覚えているのがパチンコのシマの大当りランプで、通常の赤い点滅ランプではなく、黄色い裸電球がピカピカ光るのが昭和臭くて面白かった。



一方、ラスベガスは噴水広場横のビルに入っていた一見目立たない店で、店内ラジオ放送用のガラス張りのDJルームが設置された一風変わった店である。ここには2号機のファイアーバードEXとセンチュリー21(いずれも瑞穂)が置いてあったと記憶する。
また、ラスベガスの裏口を出て、歌舞伎花道通りを風林会館方面に少し進むと「コスモ」というパチ屋が営業していた。スーバニとアニマルが置いてあった記憶が。


さて、コマ劇から西武新宿駅方面へと進んでいくと、日拓グループの店が集中する地域、通称「日拓パチンコ村」があった(もちろん今も存在する)。1号店から4号店の4店舗に加え、2号店の横にプレハブ小屋のような建物で赤い「777」の看板が目立つ「パチスロ日拓」、そして1号店の向いに「日拓ビッグプレイ」の計6店舗が存在した。



この地域で唯一、日拓に対抗して営業していたのが、西武新宿駅前の「ムサシ」というスロ屋であった。「MUSASHI」という赤いアーチ状の看板が目立つ店で、アラジンⅡの青パネルを置いていたことが印象深い。後に、この店は「マイリバー」と名前を変えて営業を続けていたが、やはり日拓グループのの攻勢には勝てなかったのか、90年代後半に閉店した。



また、歌舞伎町屈指の風俗店エリアとして知られる「桜通り」と「東通り」では、それぞれ「トップス」と「ニューメトロ」という中型店が営業していた。トップスでは2号機サファリラリーを、そしてニューメトロでは初代コンチネンタルを良く打っていた。ただし、この2店舗にたどり着くまでには、多くの「ポン引き」と遭遇することとなるので、パチ屋にしか興味のなかった私には、かなり面倒臭い地域であった。



新宿区役所通りにあった「パチンコ大番」については、歌舞伎町でもかなり離れた場所にポツンとあった店だったが、3号機のワイルドキャッツ(アークテクニコ)では良く他人の貯金を下ろしていた。隣のストリップ劇場「新宿ニューアート」帰りの客や、出番待ちの踊り子も利用していた。



まぁ、かなり大雑把ではあるが、当時を振り返るとこんな感じであろうか。