伝言ゲームをやると、大抵どこかで情報の正確性が失われ、
最後の人に届く頃には、初めとは全く違った内容になっていることが多い。
だからこそ、ゲームとして競えるわけでもある。
今朝、町内で清掃活動があった。
そして、そこを舞台に伝言ゲームは始まった。
伝えられた元の情報は、
【雨天のため、予定時間より30分早く清掃活動を始めます。】
というものだったらしい。
が、連絡網でうちに回って来た時には、
【雨なので、少し早めに出てきて下さい】
というものになっていた。
更に間の悪いことに、
ナゼかは分からないが、
その連絡は、突如、留守電に入っていた。
(どうも私は、その電話のベルを聞き逃したらしい…。
普段では有り得ないことなのだが。)
と言うわけで、
留守電に気づいたのは、その連絡を受けてから20分ほど経過したところだったので、
【少し早めに】がいったい何時をさすのか、全くわからず焦ったが、
ともかく念のため、急いで、その内容のまま次の人に伝言することに。
※連絡網というものは、フツウ、自分の次の人に繋がらない場合は
もう一つ次ぎの人にも、連絡することになっている。
留守電に入れたからといって、(特に急ぎの内容の時には、)
そこで連絡が途絶えてしまう危険もあるのだから、
そうするのが、理にかなっていると思われる。
(また、連絡を回した元の人は、
連絡網の末尾になっている人達から電話をもらい、
ちゃんと情報が全員に伝わったという確認をとる責任がある。)
実際連絡網にも、そう書いてある。
というわけだが、
万が一連絡がいってないとイケナイと思い、電話をしたわけ。
ところが(あるいは案の定?!)電話をしてみると、
うちに留守電を入れた人は、次の人に電話していなかったことが判明。
結果、私のみならず、私の後の人まで清掃に遅刻することとなった。
遅れたことを、みんなから責められはしなかったけど、
まあ~びっくりだった。
以前、近所の取りまとめ役である、組長をやった時思ったことだが、
人の理解力、認識力には本当に個人差がある。
集金や、保険の申し込などのことがらについて、
事前にどんなに文書で回覧して、また口頭で伝えていても、
全く理解しておらず、気にもしておらず、
今初めて聞いたことのように対応する人もいる。
それがあまりに何回か続いたり、ヒドイ場合は、
もしかしたら認知症なのかもと
思ったりもしたが、
それほどでなくても、
文章の意味を取り違えていたり、
今回のように、表記してあっても、
そのお願いどおり行動してもらえない
(多分その文自体に、気づいてないのだと想像されるが)
ことはザラにあった。
「回覧なんて読まないわよ!」と豪語した人さえいたのだ。
こういった現実に直面し、
実際被害を被ると、
感情面では腹立たしかったり、スゴク疲れたりするのも確かだけど、
多分ここで私に促されていることは、
【理解する=思いやる】そして、【認める=受容する】ことなのだろうな…と感じた。
ミンナが【ふつう】と思っていることは実は【ふつう】ではない。
もちろん私も含めて、人は皆、自分の価値判断で生きていて、
自分の基準が【ふつう=当たり前】と考えている。
だから、【正義の振りかざし】(例えばテロへの報復)とかも起きてくるわけだ。
そこに悪意があるにしろないにしろ、
人間にはそういう側面があると認識することが、
特に、多様な人間が混在して行われる地域活動の運営の際には、必要なのだと思う。
違いを認識し、みんなが理解を持つように心がければ、
それに対応するための工夫や対策をすることもできてくるだろうし、
そうなれば、物事がもっとスムーズにもなるだろう。
要らぬ誤解や争いを避けることもできるし、
より良い形で、地域の繋がりが築かれていくかもしれない。
協力とか調和ってことも大事だしね。
だけれど実際の現実は、今のところそうではないし、
早晩そうなるとも思えない。
多数の人が、そう考えるようになっていくことで、
社会とは、徐々に変化していくものなのだろう。
そのうちそうなるみたいな、気楽な感じでいるのが、
大らかでいいのかもね。
補足だが、
以前読んだ本の中に、
『理解するとは愛すること。』
という文があった。
誰もが、他者を理解しようと努めるなら、
確かに【争い】は無くなるのだろう。
意見の違いはあっても、解決策を模索し、導き出すことは可能だと思うから。
結局、戦争などというものは
【エゴ意識に囚われたものが起す、愛の欠如した状態】
といえるのかもしれない。
まあ、あんまり真剣に
なりすぎるのもよくないから、この変でやめよ。
ほんとのところ、
『細かいことに心囚われて、考え過ぎるのはやめなさい。
みんなそれぞれ違いがあって、
それによって様々な出来事が引き起こされて、
でもそれがこの世界だし、
それでいいのですよ。』
というのが、今日の私へのメッセージなのかも![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_red.gif)
最後の人に届く頃には、初めとは全く違った内容になっていることが多い。
だからこそ、ゲームとして競えるわけでもある。
今朝、町内で清掃活動があった。
そして、そこを舞台に伝言ゲームは始まった。
伝えられた元の情報は、
【雨天のため、予定時間より30分早く清掃活動を始めます。】
というものだったらしい。
が、連絡網でうちに回って来た時には、
【雨なので、少し早めに出てきて下さい】
というものになっていた。
更に間の悪いことに、
ナゼかは分からないが、
その連絡は、突如、留守電に入っていた。
(どうも私は、その電話のベルを聞き逃したらしい…。
普段では有り得ないことなのだが。)
と言うわけで、
留守電に気づいたのは、その連絡を受けてから20分ほど経過したところだったので、
【少し早めに】がいったい何時をさすのか、全くわからず焦ったが、
ともかく念のため、急いで、その内容のまま次の人に伝言することに。
※連絡網というものは、フツウ、自分の次の人に繋がらない場合は
もう一つ次ぎの人にも、連絡することになっている。
留守電に入れたからといって、(特に急ぎの内容の時には、)
そこで連絡が途絶えてしまう危険もあるのだから、
そうするのが、理にかなっていると思われる。
(また、連絡を回した元の人は、
連絡網の末尾になっている人達から電話をもらい、
ちゃんと情報が全員に伝わったという確認をとる責任がある。)
実際連絡網にも、そう書いてある。
というわけだが、
万が一連絡がいってないとイケナイと思い、電話をしたわけ。
ところが(あるいは案の定?!)電話をしてみると、
うちに留守電を入れた人は、次の人に電話していなかったことが判明。
結果、私のみならず、私の後の人まで清掃に遅刻することとなった。
遅れたことを、みんなから責められはしなかったけど、
まあ~びっくりだった。
以前、近所の取りまとめ役である、組長をやった時思ったことだが、
人の理解力、認識力には本当に個人差がある。
集金や、保険の申し込などのことがらについて、
事前にどんなに文書で回覧して、また口頭で伝えていても、
全く理解しておらず、気にもしておらず、
今初めて聞いたことのように対応する人もいる。
それがあまりに何回か続いたり、ヒドイ場合は、
もしかしたら認知症なのかもと
思ったりもしたが、
それほどでなくても、
文章の意味を取り違えていたり、
今回のように、表記してあっても、
そのお願いどおり行動してもらえない
(多分その文自体に、気づいてないのだと想像されるが)
ことはザラにあった。
「回覧なんて読まないわよ!」と豪語した人さえいたのだ。
こういった現実に直面し、
実際被害を被ると、
感情面では腹立たしかったり、スゴク疲れたりするのも確かだけど、
多分ここで私に促されていることは、
【理解する=思いやる】そして、【認める=受容する】ことなのだろうな…と感じた。
ミンナが【ふつう】と思っていることは実は【ふつう】ではない。
もちろん私も含めて、人は皆、自分の価値判断で生きていて、
自分の基準が【ふつう=当たり前】と考えている。
だから、【正義の振りかざし】(例えばテロへの報復)とかも起きてくるわけだ。
そこに悪意があるにしろないにしろ、
人間にはそういう側面があると認識することが、
特に、多様な人間が混在して行われる地域活動の運営の際には、必要なのだと思う。
違いを認識し、みんなが理解を持つように心がければ、
それに対応するための工夫や対策をすることもできてくるだろうし、
そうなれば、物事がもっとスムーズにもなるだろう。
要らぬ誤解や争いを避けることもできるし、
より良い形で、地域の繋がりが築かれていくかもしれない。
協力とか調和ってことも大事だしね。
だけれど実際の現実は、今のところそうではないし、
早晩そうなるとも思えない。
多数の人が、そう考えるようになっていくことで、
社会とは、徐々に変化していくものなのだろう。
そのうちそうなるみたいな、気楽な感じでいるのが、
大らかでいいのかもね。
補足だが、
以前読んだ本の中に、
『理解するとは愛すること。』
という文があった。
誰もが、他者を理解しようと努めるなら、
確かに【争い】は無くなるのだろう。
意見の違いはあっても、解決策を模索し、導き出すことは可能だと思うから。
結局、戦争などというものは
【エゴ意識に囚われたものが起す、愛の欠如した状態】
といえるのかもしれない。
まあ、あんまり真剣に
なりすぎるのもよくないから、この変でやめよ。
ほんとのところ、
『細かいことに心囚われて、考え過ぎるのはやめなさい。
みんなそれぞれ違いがあって、
それによって様々な出来事が引き起こされて、
でもそれがこの世界だし、
それでいいのですよ。』
というのが、今日の私へのメッセージなのかも
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